第83話 仲間

 サラは声にならない悲鳴を上げた。

 ヴァルラダンの尾によって宙に撥ね飛ばされた修介は受け身も取らずに派手に地面を転がると、そのままぐったりと動かなくなった。

 心を絶望が支配する。

 修介を守る為に使った『不可視の盾の術』はとうに効力を失っていた。

 自分にもっとマナがあれば、もっと魔力を上手くコントロールできていれば、もっと真剣に領域魔法を学んでさえいれば――後悔の念が鋭い刃となって胸に突き刺さる。


 三本の槍を突き刺され魔力を封じられた魔獣は怒りの咆哮を上げ、その元凶となった人間を食い殺そうと倒れたまま動かない修介の元へその巨体を揺らして近づいていく。

 ランドルフとハジュマが修介の元へ駆け寄ろうとするが、ヴァルラダンは炎のブレスを薙ぎ払うように吐き出し、その行く手を遮った。

 それを見たサラは居ても立っても居られず修介の元へと駆け出した。

 だが、何者かに手首を掴まれ強引に引き戻された。


「離してっ!」


 サラは振り返って手首を掴んだ何者かを睨みつけた。

 若い男の魔術師だった。知った顔のはずだったが、誰であったかなど思い出す余裕さえ今のサラにはなかった。


「マナの尽きた魔術師が前線に行って何をするつもりだい? 今の君が行ったところで意味がないからやめるんだ」


 興奮するサラとは対照的に、若い魔術師の声は冷静そのものであった。


「うるさいっ! 離せっ! シュウが――シュウが死んじゃうだろっ!」


 サラは強引に魔術師の手を振りほどこうとするが、魔術師は掴んだ手を頑なに離そうとはしなかった。


「――このッ!」


 サラの忍耐はあっさりと限界に達し、この魔術師を殴り倒してでも修介の元へ向かおうと手に持った杖を振り上げた。


「落ち着いて。あれを見るんだ」


 そう言って魔術師は戦場を指さした。


「ノルガドッ!」


 そこには修介の元へと猛然と向かうひとりのドワーフの姿があった。




 ノルガドは全てを見ていた。

 ほとんどの騎士や冒険者が魔獣の咆哮によって恐慌状態に陥り、意識を刈り取られていたなか、ノルガドは体を動かすことこそできなかったが、その強靭な精神力によって意識だけは辛うじて保てていた。

 だから、こうして魔獣の咆哮が無効化されたのが、ふたりの卓越した戦士の奮戦と、ひとりの勇気ある若者の行動のおかげであることも理解していた。

 そして修介が撥ね飛ばされる瞬間、彼の剣が魔獣の尾と彼の体の間に割り込んだところも見ていた。どういう原理かはわからなかったが、そのおかげで即死を免れた可能性があった。

 急いで治療すれば救えるかもしれない。それがたとえわずかな可能性だったとしても、ノルガドには修介を見捨てるつもりなどなかった。


 家族のいない天涯孤独なノルガドにとって、共に冒険した仲間は家族も同然だった。そして「おやっさん」と呼び慕ってくる修介という若者をノルガドは気に入っていた。

 ノルガドは常日頃から「若いうちは好きにやればいいんじゃ」と若者に発破をかけていたが、その言葉の裏には「ワシが後ろで見ていてやる」という思いがあった。そうやってノルガドは若い冒険者達をずっと見守ってきたのだ。

 なのに、その自分が魔獣を前にして無様にも動けずにいたのだ。そして、守るべき若者がいま自分の目の前で殺されようとしていた。

 それは到底許せることではなかった。


「ぬぅおおおおおぉぉぉッ!」


 ノルガドは雄叫びをあげながら駆ける。

 魔獣は修介の元へたどり着くと、顔を近づけて倒れたままの修介を食おうと口を大きく開けた。口から大量の涎が零れ落ちる。獲物を喰らう瞬間の興奮と、許容値を超えた怒りによって周囲がまったく見えていないようだった。

 ノルガドは一気に魔獣に近づくと全身の筋肉を目一杯しならせて跳躍し、その無防備な鼻先に全体重を乗せた戦斧の一撃を叩き込んだ。


 ヴァルラダンは苦痛の咆哮をあげながら、戦斧を握ったままのノルガドごと長い首を振り上げて大きく顔をのけぞらせた。

 宙に釣り上げられたノルガドは咄嗟に戦斧から手を放すと、体を丸めて落下の衝撃を緩和させた。そしてドワーフとは思えない俊敏さで起き上がると、一直線に修介の元へと駆け寄った。

 幸いなことに修介は生きていた。だが、その体は魔獣の尾の棘が突き刺さってできた傷で血まみれになっており、腕も変な角度に曲がっていた。すぐにでも治療すべきだが、それには魔術師の協力が不可欠だった。


 サラの元へ行くべきだ――ノルガドは瞬時にそう判断すると、修介の体を担ぎ上げて脱兎のごとく駆け出した。

 ヴァルラダンは首を激しく振って顔に刺さった戦斧を振り落とすと、怒りの咆哮をあげて逃げようとするノルガドを追いかけ始めた。

 短足のドワーフと巨大な魔獣とではその速さは比較ならない。

 ヴァルラダンの巨大な影があっという間にふたりの背後に迫る。

 ノルガドは振り返ることすらせず全力で駆ける。

 その背中をヴァルラダンの鉤爪が捉えようとした、その時――




 エーベルトは目にもとまらぬ速さでヴァルラダンの懐に飛び込むと、その体に突き刺さった槍に二本の剣を思い切り叩きつけた。


「グギャアアアアアアァァッ!!」


 思わぬ激痛にヴァルラダンはノルガドを攻撃するどころではなくなった。

 エーベルトはそのまま二度三度と容赦なく剣を振るう。

 ヴァルラダンは苦痛の咆哮をあげながらも鉤爪を大きく横へと薙ぎ払ったが、エーベルトは転がってそれを躱すと、再び魔獣の懐に潜り込んで今度は槍を蹴り上げた。

 ヴァルラダンは宙に向かって大きく吼えた。執拗に攻撃を繰り返してくる人間に対する怒りでその目は真っ赤に光っていた。

 その間にエーベルトは凄まじい速さでヴァルラダンから離れると、ノルガドたちから引き離そうと挑発するように二本の小剣を高々と掲げてみせた。

 だが、魔獣は怒りが飽和して逆に冷静になったのか、その挑発には乗らず、再びノルガドを追いかけようと体の向きを変えて動き出した。


「ちっ!」


 エーベルトは舌打ちをする。

 このままではノルガドはあっという間に追い付かれる。だが、ひとりではあの魔獣を止めることは不可能だった。如何なる時も自分一人の力で道を切り開いてきたと自負していた自分が、魔獣相手になす術がないのだ。それ以前に魔獣の咆哮によって戦闘不能に追い込まれ、挙句の果てに自分よりも実力が劣っていると見下していた修介によって救われたのだ。

 とんだ無様を晒した自身に対する怒りで腸は煮えくり返っていた。 

 だが、これ以上恥の上塗りをするつもりはなかった。

 エーベルトは左翼部隊に向かって吼えた。


「いつまで呆けているつもりだッ! 動ける者は立って戦え! あんたらが薬草ハンターと呼んで散々馬鹿にしていた男に命を救われたんだぞ! その男をこのまま見殺しにするくらいなら二度と冒険者を名乗るなッ!」


 魔獣の咆哮の影響から脱したばかりで呆けていた冒険者達は、普段ほとんど交流のないエーベルトの檄に今度は唖然とした。その声を初めて聞いたという者すらいた。

 だが、その言葉の意味を理解して動けないほどの腰抜けはこの場にはいなかった。

 エーベルトの生意気な物言いや自分自身への不甲斐なさに対する怒りを魔獣への敵意に変え、冒険者達は次々と立ち上がり、武器を手にして魔獣へと向かって突撃を開始した。




 時を同じくして中央部隊と右翼部隊も動き始める。


「騎士達よ、三人の勇者の挺身に応えてみせろッ! 突撃ーーッ!」


 カーティスは自ら剣を振り上げて魔獣を迎え撃つべく駆け出した。

 その号令に騎士達も、おうっ、と応じて続く。

 そして丘の上の本陣では、今まさに突撃せんと騎兵隊が号令を待っていた。


「ほれ、あんたらの出番だよ。せいぜい暴れてきな」


「言われるまでもないわッ!」


 ベラの言葉にグントラムは肉食獣を思わせる獰猛な笑みを浮かべた。

 あの魔獣のせいで多くの民や兵達の命が失われたのだ。この怒りは魔獣を直接この手で葬り去らないことには晴れることはない。その機会がようやく訪れたのだ。殺意と戦意が極限にまで膨れ上がり体が弾けそうだった。

 だが、グントラムは熱い心とは正反対に冷静に突撃のタイミングを見計らう。前線の部隊が魔獣を完全に足止めして初めて騎兵の突撃は最大の威力を発揮できるのだ。


 グントラムは逸る心を抑えてじっと戦場の動きを注視する。

 前線の全部隊が雪崩のように魔獣へと殺到していた。

 魔獣は甲高い咆哮をあげてそれを迎え撃つ。三本の槍が刺さり、幾度となく斬りつけられて傷を負っているにもかかわらず、魔獣の動きはいささかも衰えてはいなかった。それどころか怒りによってその攻撃の苛烈さはさらに増しているようだった。

 勇敢な数名の騎士が魔獣の足を止めようと正面から近づいたところに、魔獣は容赦なく炎のブレスを放った。炎に巻き込まれた騎士が一瞬にして黒焦げになる。

 ヴァルラダンは炎を吐きながら首をゆっくりと動かして放射状に炎をまき散らし自分の前面に炎の壁を作った。炎の壁によって騎士達の攻撃を封じると、今度はその巨体を大きく捻って左右から近づこうとする人間を尻尾を薙ぎ払って吹き飛ばした。そして、それらの攻撃を掻い潜って近寄ってくる人間を強烈な鉤爪と鋭い顎で次々と屠っていく。

 それでも人間は次から次へと近づいてくる。

 ヴァルラダンは自身の力とそこから生み出される人間の血に酔っていた。体を傷つけられた怒りを発散するべく夢中になって暴れた。いつの間にか、その元凶を作った人間とそれを連れて逃げたドワーフの存在は頭から消えていた。

 魔獣の足は完全に止まっていた。


「今だッ、俺に続けーッ!」


 グントラムの号令一下、騎兵隊が鬨の声を上げ一斉に丘を駆け下りる。

 戦いは最終局面を迎えていた。

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