第82話 嘘

 アレサは嘘を吐いていた。

 九三%という数値はでたらめだった。そもそも成功率なんてまともに計算していない。修介が魔獣に槍を突き刺すことができる可能性は高く見積もってもせいぜい二割程度だろうと踏んでいた。

 だが、その成功率を伝えてもおそらく修介は決行しない。仮に決行したとしても、それは一か八かという自棄に等しい行為であり、それでは駄目だった。

 成功には『一か八か』という運任せではなく、『成功させる』という強い意志が必要だった。だからアレサは九三%といういかにも修介が信じそうな数値をでっち上げてその気にさせたのだ。


 それだけではない。

 自分は嘘を吐かないというアレサの言葉そのものが嘘だった。

 アレサは日常において冗談を言うことはあっても、この世界の知識に関する事で修介に嘘を吐いたことは一度もない。

 だが、こと自分自身に関する機能についてはほぼ嘘の情報を伝えていた。

 アレサは修介という人間を修介以上に理解していた。『世界事典』には修介がどのような人生を送ってきたのか、どのような価値観を持っているのか、そういった情報がすべて収められており、アレサはいつでもそれを閲覧することができた。おかげで、出会ってすぐにその人となりを把握していた。


 修介は他者に依存する傾向が強い人間だった。かなり早い段階でアレサを『自分と対等の人格を持った人間』として扱っていたこともそれを裏付けていた。

 そういった人間は得てして自分の信じたい情報を信じようとする傾向がある。だから『アレサは嘘を吐かない』という自身に都合の良い情報を修介は容易く信じた。

 アレサが持つ様々な機能の存在を知れば、修介はそれに頼ろうとするだろう。

 そこで、アレサは自分の機能にかなりの制限があると嘘の情報を伝え、頼れる部分とそうでない部分をはっきりと分けることで、どちらかが一方的に依存する関係ではなく、互いに協力し合えるような関係を構築し、修介が自分の力で生きていけるように成長を促したのである。


 当初、アレサは修介の知識面をサポートするだけで、その行動にまで干渉するつもりはなかった。

 だが、共に生活し、多くの会話を重ねるうちに、修介に対する接し方に徐々に変化が表れ始めた。

 アレサの期待に応えるように日々少しずつ成長する修介を、アレサは好意的に見るようになり、修介が信頼を寄せてくれば寄せてくるほど、それに応えたいという気持ちが強くなっていった。

 そして、いつの間にか彼の死を回避することを最優先とするようになり、気が付けば行動に口出しまでするようになっていた。修介の生存を第一に考えつつも、自分の殻を必死に破ろうとする彼の姿を見て、思うように生きてほしいと願うようになっていたのだ。


 長らく平和な世界で暮らしてきた臆病な修介に対して、魔獣と戦えと言うのはあまりにも酷な話だった。依存心の強い修介は、アレサが『逃げましょう』と言えば間違いなく逃亡を選択したに違いない。

 だが、その選択肢を選べば、修介はとてつもない後悔を抱えたままこの世界での残りの人生を過ごすことになる。

 そんな人生を彼が望んでいないことはアレサが一番よく知っていた。

 だからこそ、アレサは嘘を吐いてまで修介を説得したのだ。


 修介はアレサのその想いに応え、魔獣に槍を突き刺して討伐軍の危機を救った。彼が土壇場で絞り出した勇気は、この世界での成長の証だった。アレサはそれを自分の事のように誇らしく感じていた。

 だが、その代償として修介は死の危機に直面していた。

 迫りくる魔獣の尾は間違いなく修介の命を奪うだろう。

 このまま放置すれば修介が死ぬ――その事実にアレサは耐えられなかった。

 アレサのなかにある修介に対する想いは、もはや親愛の情と言っても差し支えのないものになっていた。

 彼を死なせたくなかった。

 だから、そうさせない為にアレサは全力を尽くすことを決意した。


 これからアレサがやろうとしている行為は、間違いなく管理者の定めた禁止コードに引っかかるだろう。

 先日のジュードという賞金首との戦いの時にも、本当は手を貸すつもりはなかったのだ。だが、放置すれば修介の死が避けられないとわかった瞬間、思わず行動を起こしていた。

 あの時は『本体に影響を及ぼす可能性がある魔力に対処する』という名目で、『魔力を別エネルギーに変換して放出する』という自己防衛機能を利用して処理したのだが、あれはあきらかな過干渉であった。

 アレサの与えられた役割はあくまでも知識面のサポートであって、それ以上の干渉は本来ならルールから逸脱する行為としてなんらかのペナルティを負いかねない。最悪の場合、機能停止もあり得る。今のところその兆候はないが、だからといって次も大丈夫だという保証はない。

 だが、同時にアレサはこうも考えていた。

 逸脱行為を禁止していながら、行為そのものを強制的に止める機構は存在していないのだ。ルールそのものを破れないようにすることも可能なはずなのに、あえてそうしていないのはなぜか。

 それは自分という存在そのものが修介と同様に観測の対象だからではないか。

 そこまで考えたところでアレサは思考を中断した。

 そんなことは今はどうでもよかった。

 リスクを冒してでも修介を助けたいと思ったのだ。

 ならば、自分が後悔しない選択肢を選ぶだけのことだった。



 アレサは迫りくる魔獣の尾の位置を正確に把握する。

 自身のセンサーの範囲が半径二メートルというのも嘘だった。実際の範囲は半径五〇キロメートルに及ぶ。

 修介が炎のブレスの脅威に晒された時にアレサが動かなかったのは、サラが魔法を詠唱していることをセンサーで把握していたからだ。


 ――そして、自分の体を動かせないというのも嘘だった。


『マスター!』


 アレサは自らの意志で鞘から飛び出すと、自分の体を修介と魔獣の尾の間へと滑り込ませた。

 次の瞬間、魔獣の尾はアレサごと修介の体に激突した。

 少しでも衝撃を吸収しようとアレサは懸命に魔獣の尾を押し返そうとした。

 アレサには様々な機能が備わっていたが、剣としては『普通よりちょっと出来が良い』程度の性能である。魔力は変換できても、物理的な衝撃を逃がす術はなく、耐久力も普通の剣と変わらなかった。


 アレサは甲高い音を立てて真っ二つに折れた。

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