第81話 修介の戦い

 サラは戦いが始まってからずっと修介のいる左翼を気に掛けていた。

 だから魔獣の咆哮によって前線が崩壊した時も、修介の体質を知るサラは彼が無事でいる可能性に気付き、真っ先にその姿を見つけることができた。

 他の者は皆ランドルフとハジュマの奮戦に目を奪われて修介の存在に気付いていない。だが、もし修介が無事だと知られれば、当然その目は一斉に修介に向くことになる。そうなれば修介は皆の期待を一身に受けることになり、その期待が彼を魔獣へと向かわせてしまうような、そんな錯覚に囚われてしまい、サラは修介の無事を誰にも告げられずにいた。

 サラは修介にすぐにでもその場から逃げてほしかった。三本目の槍を魔獣に突き刺すことができれば戦況が好転するとわかっていても、そう願わずにはいられなかった。

 だが、そんなサラの願いもむなしく、修介は魔獣へと向かって走り出した。

 周囲の者が修介の存在に気付いてにわかに活気づく。


「あの馬鹿! なにを考えてるのよっ!」


 修介の手には戦いの神の槍が握られていた。つまりはそういうことだ。あの馬鹿はまた身の程も弁えずに無茶をしようとしているのだ。

 このままでは間違いなく修介は魔獣に殺される――サラは杖を力いっぱい握りしめていた。そこで初めて自分が修介の死という未来に対して思った以上に心を乱していることに気付いた。

 そもそも、なぜ自分はそこまで必死に彼の無事を願うのか。研究対象だから? 仲間だから?

 どちらも正解のようで、どちらも違う気がした。

 ひとつだけはっきりとわかっているのは、修介が魔獣に殺されるという未来だけは絶対に認められないということだった。

 理由なんてどうでもよかった。ただ、あの風変わりで無鉄砲で礼儀知らずな、それでいて気の優しい修介という男を死なせたくなかった。

 サラは自分のその感情に素直に従うことにした。


「絶対に死なせないっ!」


 決意を込めてそう叫ぶと、サラは大きく杖を掲げて魔法の詠唱を開始した。




 修介は湧き上がってくる恐怖を打ち砕くように力いっぱい大地を駆ける。


『魔獣の真後ろは尾に巻き込まれる可能性があるので、斜め後ろから近づくようにしてください』


 アレサにそう言われて、修介は慌てて進路を変えた。最短距離でさっさと終わらせたいと思ったが、棘がびっしりと生えた魔獣の尻尾を見て考えを改めた。

 魔獣までは五〇メートルほどの距離があり、鎧を身に付けているとはいえ本気で走れば一〇秒程度でたどり着けるはずだが、もう一〇分以上は走っているような感覚だった。このまま永遠にたどり着けないのではないか、そんな錯覚に囚われる。

 それでも一歩進むごとに視界の魔獣は大きくなっていく。

 ささっと行って、後ろから槍を突き刺し、そして全力で逃げる――やるべきことはたったそれだけだ。それくらいなら俺にもできる。修介は自分にそう言い聞かせて必死に足を動かす。

 魔獣はハジュマとランドルフとの戦いに夢中でこちらに気付く気配はない。


(そのままこっちに気付くなっ!)


 そう祈りながら、その無防備な背中を目指して一気に駆け抜ける。

 そして、ついに手に持った槍の穂先が魔獣に届こうかという位置にまで修介は到達した。


(よし、いけるッ!)


 そう確信したその時だった。


 ヴァルラダンはおもむろに長い首を回すと修介の方を見た。

 獣としての本能が己の危機を知らせたのか、ヴァルラダンは背後から迫る修介の気配を察知したのだ。

 六つの目が修介の姿を捉える。

 ヴァルラダンは修介の手にある槍を見て鋭い咆哮をあげると、ランドルフ達を牽制するかのように尾を振り回した。そしてその勢いを利用して体を回転させると、標的を修介へと切り替えた。

 ここまできたらもう止まることはできない。止まれば確実に殺される――修介はノルガドのアドバイスを思い出し、咄嗟に魔獣の懐に飛び込もうとした。

 だが、その動きを予測していたかのごとく、ヴァルラダンは修介の飛び込む位置に合わせてその鋭い鉤爪を横に薙いだ。


「うおおおおおぉぉぉッッ!」


 修介は咄嗟にヘッドスライディングの要領で地面へと体を投げ出した。

 一瞬遅れて背中を掠めるように魔獣の腕が暴風を伴って通り過ぎる。


(か、躱したッ!?)


 自分でも信じられない動きだった。もう一度同じことをやれと言われても絶対にできないだろう。九三%は伊達じゃないと修介は思った。


(後は槍を突き刺すだけだッ!)


 修介は急いで体を起こそうとして、そこで空を覆うかのような巨大な影が自分の真上に落ちてきていることに気付いた。

 顔を上げると、そこには魔獣の巨大な口が頭上から迫っていた。その喉の奥からはマグマのような赤い塊がせり上がってきていた。

 この距離から炎のブレスを喰らえば、人間など跡形もなく消し飛ぶだろう。

 避けられない――修介は本能的に察した。


(ああ、やっぱり俺は英雄になれる器じゃなかったのか……)


 修介は己の死が避けられない運命だと悟ると、せめてこの槍だけでも守らねばと、咄嗟に槍を抱え込んだ。

 ごうっ!

 魔獣の口から炎の塊が轟音と共に吐き出され、修介の視界は真っ赤に塗りつぶされた。


 ――だが、いつまで経っても炎が修介の体を焼き尽くすことはなかった。

 魔獣の放った炎はまるで見えない壁に阻まれたかのように左右に分かれて修介の後方へと流れていく。

 この世の物とは思えない光景を修介はただ呆然と眺めていた。

 突然、目の前の魔獣が奇声をあげてのけぞった。それは獲物を仕留めた喜びによるものではなく、苦痛による悲鳴であった。

 魔獣が標的を修介に変えたことで自由に動けるようになったランドルフとハジュマが、背後から魔獣を容赦なく斬りつけたのだ。

 気が付くと修介の目の前には無防備に晒された魔獣の胴体があった。


『今です、マスター!』


 修介はその声にはっとすると抱えていた槍を握りしめた。


「うおおおおおおおぉぉッッ!」


 修介は無我夢中で槍を突き出した。戦いの神の加護が宿った槍は易々とヴァルラダンの硬い皮膚を貫き、その穂先は魔獣の体の奥深くへと突き刺さった。


「グガアアアアアアアアアァァァァッ!!」


 魔獣は凄まじい咆哮をあげて全身を大きくのけぞらせた。

 次の瞬間、突き刺さった三本の槍から次々と電撃のような光が迸った。

 光は槍の間を互いに結びつくように駆け巡り、やがて魔獣の体に吸い込まれるようにして消えた。

 その直後、明らかに周囲の空気が一変した。

 体に纏わりつくようだった重く息苦しい空気は一掃され、心なしか周囲の景色も明るくなったように見えた。

 マナを持たない修介でさえ、それが魔獣の咆哮の効果が消えた証であることを確信できた。


「っしゃああああぁぁぁッ! アレサ、俺はやったぞ! やったんだっ! うおおおおおおぉぉぉッッアレサァーーッ!!」


 修介は喜びを爆発させた。両の拳を握りしめ、思わず天に向かって叫んでいた。恐怖と重圧が大きかった分、感情の爆発も大きかった。

 自分が皆の窮地を救ったのだ。まさしく英雄の所業だった。平凡な人生を歩んできた自分が今まさに英雄となったのだ。


「避けろーーッ!」


 誰かのその叫び声で修介は我に返った。そして自分がとんでもないミスを犯したことに気付いた。

 戦場のど真ん中で、剣すら抜かずに、よりにもよって魔獣を目の前にして叫びながら全力でガッツポーズまでしてしまったのだ。

 目の前では怒り狂った魔獣がその巨体を大きく回転させていた。

 視界の端で振り回された尻尾の先端が見えた。


(あ、やばい――)


 迫りくる魔獣の尾を見つめながら、修介はそれを避けられないと悟った。

 避けようという意思に反して、なぜか体が動かないのだ。

 尾に生えている棘のひとつひとつがくっきりと見える。

 死を目前にして自分の思考だけが加速しているのだと気付く。


(ああ、今度こそ俺は死ぬんだな……)


 アレサの言った九三%という数字はあくまでも作戦の成功率であって、自分の生存に関して言及していたわけではないということに今更ながらに気付いた。

 だが、それについてアレサを恨む気持ちは微塵もなかった。

 むしろ感謝していた。その数値がなければ、自分はこうして魔獣に立ち向かうことはできなかったからだ。

 これほど間抜けな死に方はなかったが、心は妙に落ち着いていた。

 前回はトラックに撥ねられ、今度は魔獣の尾に撥ねられる。

 どうやら自分には何かに撥ねらて死ぬ運命しか用意されてないようだった。

 死ぬ前に一度くらい王都に行ってみたかった。古代魔法帝国の地下遺跡とやらも見てみたかった。この世界のあちこちを歩き回って色々な景色を見たかった。シンシアの笑顔をもう一度見たかった。サラやノルガドやエーベルトとまた旅がしたかった。

 未練はたくさんあった。だが、不思議と後悔はなかった。

 短い時間だったが、全力で生きたという実感があった。やるべきことから逃げずにやり遂げたという達成感があった。

 選べなかった選択肢を選んだのだ。

 死を目前にして、修介は満たされた気分だった。


『マスター!』


 自分を呼ぶアレサの声が聞こえたような気がした。

 次の瞬間、凄まじい衝撃が全身を襲い、修介の意識はそこで途切れた。

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