第79話 ふたりの戦士

 前線の兵達が次々と魔獣の魔法によって倒れていくなか、その魔法に抵抗した人間がふたりだけ存在していた。

 ハジュマとランドルフであった。

 ふたりとも戦いの神の加護を受けた槍を持っていたということもあったが、抵抗できたのは彼らが並外れた戦士だからであった。

 ふたりは魔法による精神攻撃を耐え抜くと、示し合わせたかのように同時に魔獣へと向かって駆け出した。


 時を同じくして魔獣を拘束していた捕縛魔法の効果が解ける。

 ヴァルラダンは自由になった喜びを表すかのように盛大に吼えた。それは自分を大地に落とした人間への報復を宣言する咆哮でもあった。

 だが、ふたりの戦士はその咆哮に臆することなく速度を上げ、魔獣との距離を一気に詰める。そして挟み込むように二手に分かれると、左右から同時に戦いの神の槍をその巨体に向かって突き出した。

 ランドルフの槍は魔獣の右足に、ハジュマの槍は左の胴体部に、それぞれが硬い鱗を貫通して深々と突き刺さった。

 一瞬遅れてヴァルラダンは苦痛の叫び声をあげる。そして突き刺さった槍がただの槍ではないことを悟り、必死に口で咥えて抜こうとするが、強力な魔法が掛かった槍はまったく抜ける気配がなかった。

 ヴァルラダンは怒りの咆哮をあげると、元凶となったふたりの人間を殺すべく、強靭な鉤爪を振り上げて襲い掛かった。


 だが、ふたりの戦士は驚異的な動きで怒れる魔獣を翻弄した。

 ハジュマは魔獣の鉤爪を素早いバックステップで躱すと、すかさず死角となる位置へ飛び込む。魔獣がそれを追撃しようとすると、反対側にいるランドルフが体に突き刺さったままの槍に向かって剣を思いきり叩きつけた。

 体内に埋まった槍の穂先が肉を抉る激痛でヴァルラダンは身を捩る。

 怒り狂ったヴァルラダンはすかさず振り返ってランドルフを攻撃しようとするが、今度はハジュマが隙だらけとなった後背から流れるような動作で斬りかかった。

 ハジュマの剣は魔獣の硬い鱗を物ともせず、まるで柔らかいバターを斬るかのようにやすやすとその身体に傷を負わせた。傷口から血と思しき大量の体液が噴き出す。


 強烈な切れ味を持つハジュマの剣は、ただの剣ではなかった。

 その剣には強力な魔力が付与されていた。

 武具に永続的な魔力を付与する魔法技術は現代ではほとんど失われているが、かつての魔法帝国時代にはその技術は隆盛を極めていた。

 初期の魔法帝国では剣を持つことは野蛮とされ、蔑まれていた。それは剣を持たずとも魔法の力で労せずして外敵を滅ぼすことができたからである。剣を持つ者は魔法を扱えぬ弱者だけ、というのが当時の魔術師達の共通の価値観であった。

 だが、魔法帝国中期の平和な時代になると、魔術師達の間では奴隷に剣を持たせて戦わせる娯楽が流行するようになった。やがてその興味は奴隷に持たせる剣に魔力を付与して強力な魔剣を製造することへと移り変わっていき、強力な魔剣の創造主はそれだけで尊敬を集める存在となったのである。

 こうして大量の魔剣がその時代に生み出された。

 魔法帝国が魔神によって滅ぼされた後、残された人々が魔術師の残した強力な魔剣を使って魔神や妖魔に対抗したというのは皮肉としか言いようがなかった。

 ハジュマの持つ魔剣も古代魔法帝国の遺跡で手に入れた物であり、ドラゴンの鱗ですら容易く切り裂くことができるほどの魔力が付与されていた。その切れ味ゆえに持ち手を選ぶ危険な魔剣でもあったが、ハジュマはそれを完璧に使いこなしていた。

 一方のランドルフが持つ剣はただの長剣である。

 ランドルフはその体格からは考えられないほどの俊敏な動きで、魔獣の体に刺さった槍を正確に剣で叩きその行動を阻害していた。そして魔獣のわずかな体の動きから攻撃の位置を的確に読み取ると、最小の動きで攻撃を躱す。それは並の人間にできる芸当ではなかった。


 ヴァルラダンは群がる虫を払うかのように長大な尾を振り回した。

 だが、予備動作の大きいその攻撃は完全に読まれており、ふたりの戦士は素早く距離を取ってそれを躱した。そして再び魔獣に近づくと、巧みな連携で次々とヴァルラダンに傷を負わせていった。

 ハジュマとランドルフは初めて共闘したはずだったが、ありえないほどの完璧な連携を見せヴァルラダンを完全に翻弄していた。

 たったふたりの人間が強大な魔獣と渡り合っているのである。

 魔力場の外からその戦いを見守っていた誰もが、もしかしたらこのまま勝てるのではないか、そんな期待に胸を膨らませていた。


 だが、戦っている当のふたりが、このままでは勝てないことを誰よりも把握していた。

 いくら武勇に優れていようが、魔獣との体格差は技量で覆せるようなものではない。このまま戦い続けても致命傷を与えることはできず、先に体力が尽きるのは間違いなく自分達だろう。その予測が現実となる前に、なんとしても三本目の槍を魔獣に突き刺す必要がある。

 ランドルフは自分が左翼部隊のところまで走って槍を取ってくることを考えていた。

 しかし、それでは残されたハジュマが魔獣の集中攻撃に晒されることになる。

 今の状況でもぎりぎりなのだ。いくらハジュマが人間離れした戦士だとしても、魔獣と一対一で戦えば間違いなく殺されるだろう。そして自分が槍を持って戻ってきた時には正面から魔獣と戦うことになり、同様に殺されることになる。そんな危険な賭けをおいそれと実行に移せるわけがなかった。

 今できることは限界まで時間を稼ぎ、魔獣の咆哮の効果が切れるか、左翼の誰かが咆哮の影響から脱するのを待つことだけであった。


 ランドルフは一瞬だけ視線を左翼部隊の方へ向けた。

 そこで彼は信じられない光景を目にした。

 全員が魔獣の咆哮によって地に伏したと思われた左翼部隊に、たったひとりだけ立っている者がいたのだ。

 戦いの神の槍を持たない彼が、なぜ立っていられるのか。

 自分を納得させられるだけの理由が思い浮かばない。

 だが、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。

 ランドルフはその者に向かってあらん限りの力で叫んだ。


「シュウスケ、槍を取れッ! 君がやるんだッ!!」

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