第78話 窮地

「い、一体何が起こったというのだ!?」


 グントラムのその問いに答えられる者は騎士団の中にはいなかった。

 勝利を確信した矢先の出来事に誰もが呆然としていた。


「か、閣下、いかがなさいますか?」


 狼狽した騎士のひとりがそう問いかける。


「決まっておろう! このまま兵達を見捨ててはおけぬ! 我々もすぐに出るぞッ!」


 グントラムは配下の騎士達に号令を出し、手綱を握りなおした。予定とはだいぶ異なるが、ヴァルラダンが光の網に絡めとられているこの好機を逃すわけにはいかない。

 だが、まさに突撃せんとするグントラムを鋭い制止の声が押しとどめた。


「およしっ! 今行ったらあんたらも同じ目に遭うよ!」


 声の主はベラであった。

 ベラは高度な魔法を使った反動からか、弟子に肩を借りてようやく立っているような状態だったが、グントラムを見るその眼光はいささかも衰えてはいなかった。


「なぜ止める!? この機を逃せばもう奴を倒すことはできんのだぞっ!」


「言っただろう。今行けば同じ目に遭う、と」


「どういうことだ!?」


「なぜ前線の兵達が突然ああなってしまったのか、その原因はわかるかい?」


 苛立つグントラムに対し、ベラは諭すようにあえてゆっくりと話す。


「魔獣の咆哮を聞いたからだろう!」


「咆哮ならあたしらだって聞いたさ。なのにどうして平気なんだい?」


「そ、それは……距離が離れていて効果が薄かったからだ!」


「違う。咆哮そのものに効果なんてないのさ。あれはね、魔法だよ。あの咆哮は奴の魔法の詠唱だったんだよ」


「なっ――!?」


 グントラムは絶句した。

 上位妖魔の中にはたしかに魔法を使う種が存在するが、獣同然の魔獣が魔法を使うなんて話は聞いたことがなかった。


「あたしらみたいな魔術師とはあきらかに異なる系統の魔法だろうから、厳密には違うのかもしれないがね。魔力を使って望んだ現象を引き起こすのが魔法だと定義するなら、あれは間違いなく魔法の類だね。その証拠に、奴の周囲にはおびただしい量の魔力が渦巻いているよ」


 ベラの目にはヴァルラダンを中心にかなりの広範囲にわたって『魔力場まりょくば』が形成されているのが見えていた。

 一定の時間、一定の範囲に効果を発揮する魔力場を形成する魔法を、魔術師のあいだでは『領域魔法』と呼んでいるが、あれほどの規模の領域魔法を使える者は今の時代の魔術師にはまずいないだろう。


「あたしらが無事なのは単に奴の魔法の範囲外にいるからさ。奴の作った魔力場に入れば瞬く間に魔法の影響を受けることになるだろうね。効果はさしずめ恐慌をきたして身動き一つ取れなくなる、といったところかね」


「だ、だが、調査団が戦った時は人間にはほとんど影響がなかったはずだぞ!?」


「あれは魔法だと言ったろう。ただの咆哮と違って魔法なら威力の調整くらいいくらでもできるだろうさ」


「魔獣が魔法の威力を調整したというのかっ!?」


「見た目に騙されちゃいけないという良い例だね。あの魔獣はきっちりと奥の手を残していたんだよ」


 ベラの言葉にグントラムは歯ぎしりした。必勝を期して入念に準備したつもりで、またしても自分の見込みが甘かったせいで将兵達を危地に陥れているのだ。魔獣の咆哮の存在を忘れていたわけではなかったが、人間にはほとんど効果がないこと、そして戦いの神の槍を刺すことで無効化できることから対策は完璧だと思い込んでいたのは確かである。それが前線の兵士全員を行動不能にするほどの威力を持っていたというのは完全に想定外であった。


「彼奴の魔法を解除できないのか?」


「無理だね。見たこともない魔法だからね、あの魔力場を解析するだけでも膨大な時間が掛かるだろうし、仮に解析できたとしてもあれだけの魔力を持った魔力場を消すにはそれ相応のマナも必要になる。今のあたしらにはそのどちらもない」


「ならば兵達が殺されるのを黙って見ていろというのかッ!」


「あの魔力場を無効化する方法はひとつだけさ。例の戦いの神の槍……あれを三本きっちり魔獣に突き刺すことができれば、奴は魔力場を維持することができなくなり、魔法の効果も消えてなくなるだろうさ」


「ぬう……」


 それが不可能であることはグントラムにもわかっていた。肝心の槍は魔力場の中にあるのだ。動ける者がいないこの状況では望みは絶たれたも同然であった。


「魔獣はあの魔力場をどのくらい維持できるのでしょうか?」


 ベラに肩を貸していた魔術師がそう問いかける。


「……さあね。あれだけの規模の魔力場だからね、そんな長時間維持できるとは思えない……というか思いたくないね。ただ、ひとつだけはっきり言えることがあるとすれば、その前にあたしの魔法の効果が先に消えるってことだね」


 ベラの捕縛魔法は通常の捕縛魔法と異なり、魔獣を確実に拘束する為に耐久性を重視していた為、効果時間が短いことが欠点であった。このままではあと数分もしないうちに魔法の網は消えてなくなる。そうなれば身動きできない人間に魔獣は容赦なく襲い掛かるだろう。その未来を回避する術をベラは持たなかった。


「……あれが魔法だというなら抵抗することは可能か?」


 グントラムは決意を滲ませた顔で戦場を睨んでいた。

 ベラはその表情でグントラムが何を考えているのかをすぐに理解した。


「たしかに可能性はあるけど、あれだけの魔力を持った魔法だからね、普通の人間ではまず抵抗など不可能だよ。あたしらが多少の対抗魔法を掛けたところであんたらが抵抗できるとは思えないね。悪いことは言わないから、全滅する前に撤退するんだね」


「俺には兵達を見殺しにすることなどできん! 可能性が低くともこのまま座して敗北を受け入れる気など毛頭ないわッ!」


 グントラムはそう叫ぶと、配下の騎士達に突撃の準備を指示する。

 今度はベラも止めようとはしなかった。自分が言ったところでこの男は止まらないだろうし、どの道このままでは他に手がないのだ。ならば万が一の可能性でもそれに掛けるしかなかった。

 ベラは門下の魔術師達に騎士達に対抗魔法を掛けるよう伝えた。マナの残っている魔術師達は魔法を掛ける為に騎士達へと駆け寄る。

 せめてもの手向けというわけではないが、グントラムには自分が対抗魔法を掛けてやろう、ベラはそう考え魔術師のひとりに自分にマナ譲渡の術を使うよう指示しようとした。


「か、閣下! あれを……あれをご覧くださいッ!」


 ひとりの騎士が戦場を指さした。

 ベラは自分の魔法が解けたのかと思い、絶望的な気持ちでその騎士が指さす方へと視線を向けた。

 だが、その目に映った光景は予想とはまったく異なっていた。

 ベラは驚愕のあまり目を見開いた。


「なんと……あの魔法に抵抗した奴がいるというのかい?」


 そこには猛然と魔獣に向かっていくふたりの戦士の姿があった。

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