第77話 咆哮
「魔法はまだかッ!」
戦場から少し離れた丘の上で戦況を見守っていたグントラムが中央部隊の惨状を目の当たりにして声を荒げた。
「導師が魔法の詠唱に入ります。どうかお静かに願います」
ベラの傍にいる魔術師の一人が答える。
そんなことはグントラムも承知していたが、前線の兵達が死んでいくのを黙って見ていなければならないことに苛立ちを抑えることができなかった。
一方のベラはグントラムの叫び声など耳に入らないほど集中していた。
魔獣の飛行速度はベラの想定を大きく上回っていた。
先の調査団との戦いでは、あれほどの速度で飛行しながら攻撃してきたという報告はなかった。おそらく一度兵器の攻撃を受けて地面に落とされたことから、あのような高速飛行からの一撃離脱戦法を考えたに違いなかった。醜悪な顔に似合わずなかなかに賢い生き物だと認めざるを得なかった。たしかにあれだけ高速で動かれれば
そしてそれは魔法も同じであった。高速で飛行する魔獣を狙って魔法を当てるのは至難の業であった。数を撃てればいずれは当たるだろうが、これから使う魔法は膨大なマナを消耗する為、使える回数は一度きりであった。
その一度きりの魔法をいかにして魔獣に当てるか。ベラの思考はその一点にのみに集中していた。
いくら飛行速度が速いといっても、これから使う魔法は魔獣が通るであろう道筋さえわかっていれば当てることは可能だった。
二度の攻撃でふたつの兵器が破壊されたことから、魔獣が兵器を狙っていることは間違いない。そしてそれは兵器が残りひとつになれば次に魔獣が通過する場所が確実にわかるということだった。
だが、その為には中央部隊にもう一度同じ攻撃を受けてもらうしかない。犠牲を前提としたその方法にベラは嫌悪感を抱いたが、もはや迷っている時間はなかった。これまでに犠牲になった者達の為にも、必ずあの魔獣を大地に引きずり降ろさなければならない。
ベラは決断すると、背後にいる弟子たちに声を掛けた。
「お前達、機会は一度きりだよ。しっかりおやり!」
弟子たちの「はい」という返事を受けてベラは前を向いた。
戦場ではすでに三度目の火球によって
その様子をベラは苦渋に満ちた表情で見つめる。
だが、これで次に魔獣が通る道筋がはっきりとわかった。
ベラは全身を大きく使って詠唱を始める。
その左右ではベラのふたりの高弟が事前の打ち合わせ通りに別の魔法の詠唱を開始していた。そして背後に控えている弟子たちはいつでもマナ譲渡の術を使えるようにと待機する。
これからベラが使う魔法はとても人間ひとりのマナで使えるようなものではなかった。
ベラの操る杖の先から宙に次々と魔法の文字が描かれていく。その数はすでに二一文字にも及んでいた。一度にこれだけの魔法文字を扱えるのは王国内でもベラを含めて三人しかいない。
背後に控えた弟子たちがベラにマナを供給するべく、その背中へと手を差し伸べていっては次々とマナを使い切って昏倒していく。
ベラの額からは大粒の汗が噴き出していた。これほどの魔術を行使するのは実に一〇年ぶりであった。
宙に描き出された文字が二四文字に達したところで、ついに魔法は完成した。
魔法の文字がひと際大きく輝くと、膨大なマナが魔力へと変換され吸い込まれるように宙に消えた。
次の瞬間、戦場の上空に激しい閃光と共に巨大な魔法陣が現れ、そのまま巨大な網のような物へと姿を変えた。
上空に現れた謎の光に兵士達からどよめきが起こる。
この時ヴァルラダンはすでに四度目の滑空に入っており、突然目の前に現れた光の網に対処することができなかった。
ヴァルラダンは正面から光の網に激突した。
光の網はヴァルラダンにぶつかると、まるで生き物のようにうねりながらその巨体を包み込もうと絡みつく。
ヴァルラダンは空中で激しく動いてその網を引きちぎろうとするが、伸縮自在な光の網は、魔獣の力をもってしても千切れそうにはなかった。
直後、ふたりの高弟が詠唱していた魔法が発動した。
突如として戦場にふたつの竜巻が発生する。
ふたつの巨大な竜巻は砂塵をまき散らしながら魔獣に近づくと、その両翼の皮膜をズタズタに引き裂いた。
「落ちるぞッ!」
誰かがそう叫んだと同時に、翼を失ったヴァルラダンは苦痛の悲鳴をあげながら錐揉み状態になって落下する。
そのままヴァルラダンの巨体は地面へと激突した。
轟音と共に大量の土砂と土煙が舞い上がる。
落下地点は中央部隊の前方だった。ベラがそうなるよう魔法の発動場所を必死に調整した結果である。
前線の兵士達から歓声が上がった。
大空を縦横無尽に飛び回る魔獣に対し、それまで為す術もなく一方的に蹂躙されるだけだった討伐軍にとって、上空に現れた魔法陣の光はまさに希望の光そのものであった。
徐々に晴れていく砂塵の向こうではヴァルラダンが苦痛のうめき声を上げながら、必死に魔法の網から脱出しようともがいていた。
魔獣は生きてこそいたが、魔法の網に絡みつかれて無様にもがくその姿は兵士達の士気を一気に高めた。
「今こそ好機だッ! 全軍突撃せよッ!」
カーティスの号令が戦場に響き渡った。
「左翼部隊! 中央、右翼の奴らに後れを取るなッ! 魔獣に貴様ら冒険者の恐ろしさをたっぷりと思い知らせてやれッ!」
左翼部隊の指揮官トレヴァーが檄を飛ばした。
ついにこの時が来た――修介の心臓が大きく跳ねる。
いよいよあの恐ろしい魔獣と直接戦うのだ。
だが、不思議と心に恐れはなかった。
凄まじい魔法の力を目にしたからか、それとも戦場の空気に中てられたのか、恐怖を遥かに上回る高揚感に心が支配されていた。それまでは恐怖の対象でしかなかった魔獣が無様に大地に転がる様を見て、人間でも倒せる存在なのだと認識できたからかもしれなかった。
後はあの倒れている魔獣に槍を突き刺すだけだった。この状況下でそれが難しいことだとは修介には到底思えなかった。
「いくぞてめーらッ! 俺に続けッ!」
ゴルゾは手に持った戦いの神の槍を大きく掲げると、獣のような雄叫びを上げながら猛然と駆け出した。
それに呼応するように周囲の冒険者達も「おおぉッ!」と雄叫びを上げて一斉に突撃を開始した。突撃したのは左翼部隊だけではない。中央部隊も、右翼部隊も、全軍がほぼ同時に動き出していた。
数百人の兵士が怒涛の如く駆けるその迫力は修介の興奮の度合いをより一層高めた。
修介も自らを鼓舞するかのように力の限り叫びながら走った。自分の雄叫びが周囲の声と合わさり、ひとつの大きな音となって戦場に響き渡る。
それは今までに体験したことのないような一体感であった。
アレサを握る手からは際限なく力が湧いてくるようだった。
人間は魔獣から見ればたしかに脆弱な存在だろう。だが、統一された意志によって集団と化した人間は強い。これだけの数の人間がひとつの目的に向かって力を合わせているのだ。たとえ相手が魔獣だろうと負ける気がしなかった。
その時の修介はそう思っていた。
走り出した時には勝利を確信していた。
だが、その確信は一瞬で打ち砕かれることになる。
ヴァルラダンは光の網に体の自由を奪われながらも、その長い首を空へ向かって突き出した。
そして、長い長い咆哮をあげた。
それは咆哮というにはあまりにも長く、不気味な『音』だった。
まるで壊れた笛の音のように不安定で不快な音が延々と戦場に響き渡る。
その不気味な音色に修介は思わず足を止めていた。修介だけではなく全軍の動きが止まっていた。
「構うなッ! 奴の咆哮は人間にはほとんど影響はない!」
トレヴァーの声で再び走り出そうとしたその時だった。
ヴァルラダンの全身から生暖かく絡みつくような風が吹き出し、突撃する兵士達の体を撫でた。
風が通り抜ける瞬間、修介は心臓を見えない手で鷲掴みにされたような不快感を覚え、思わず手を胸に当てた。
「な、なんだ、今のは……?」
修介がそう呟いた途端、目の前を走っていたゴルゾが何の前触れもなく突っ伏すようにして前方に倒れた。乾いた音を立てて戦いの神の槍が地面を転がる。
ゴルゾだけではない。周囲にいた冒険者達も次々と倒れていく。膝をついて震える者、頭を抱えて蹲る者、なかには泡を吹いて仰向けに倒れる者すらいた。
「な、なんだ、一体どうなってるんだ……?」
修介が周囲を見渡してみると、左翼部隊だけではなく突撃していた全軍の足が完全に止まっていた。勇猛で知られる騎士団ですら同様だった。
あれだけ勢いのあった討伐軍の突撃が、魔獣のたった一度の咆哮で完全に無力化されていた。
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