第76話 ヴァルラダン

 本陣のある小高い丘から少し離れた場所に討伐軍は陣を敷いた。

 周辺に視界を遮るような障害物がない平原は、空を自在に飛ぶことのできる魔獣にとって絶好の狩場であったが、魔獣を誘い込む為にはそうせざるを得なかったのだ。

 すでに中央の騎士団は隊列を完成させていた。魔獣の咆哮を警戒し馬に乗ってこそいなかったが、統一された甲冑を身に付けた騎士団の隊列は実に壮観で、見る者に勇気を与えるだけの存在感を放っていた。

 方々に散っていた冒険者達も続々と左右の部隊に集結を続けている。

 修介は冒険者が中心の左翼部隊の一員として組み込まれていた。

 左翼の冒険者達は事前に決められていた班ごとに分かれて待機しており、班と班のあいだは魔獣のブレスに巻き込まれないよう一定の距離が保たれている。

 ちなみに、ノルガドは癒しの術の使い手として中央部隊の後方に、サラは魔術師として最後方の魔術師部隊と、別々の場所に配置されている。一緒の班でないことに修介は心細さを覚えていたが、ふたりとも後方にいる分、危険度は修介が最も高く、そういう意味では安堵もしていた。

 そんな修介の目の前には、ひと際体格の良い冒険者の背中があった。

 この戦いの鍵を握る『戦いの神の槍』を持つことになった冒険者ゴルゾである。


「いいか臆病者。間違っても俺の足を引っ張るんじゃねーぞ」


 ゴルゾが振り返って凄んだ。


「せいぜい努力するよ」


 修介は精一杯虚勢を張ってそう返した。


「ふんっ」


 ゴルゾは鼻を鳴らすと前を向いた。

 ジュードを討伐したあの日から、周囲の冒険者から修介を揶揄する声はほとんどなくなっていたが、ゴルゾとは修介が可能な限り距離を置いて関わらないようにしていたこともあって互いの関係性に変化はなく、ゴルゾは相変わらず修介を見下していた。

 そんなゴルゾの手には戦いの神の槍が握られている。

 神の加護を受けた槍というからには、修介はもっと華美な装飾が施された立派な槍を想像していたのだが、実物はほとんど装飾のない武骨な、そして長大な槍であった。ただ、強力な加護の力が付与されているからか、槍全体が魔力を帯びてうっすらとした光を放っている。一見するとかなりの重量がありそうだったが、ゴルゾはそれをまるでおもちゃを扱うかのように軽々と持っていた。

 個人的にゴルゾのことが嫌いな修介は認めたくはなかったが、槍を持った屈強なゴルゾの姿は実に頼もしく見えた。

 それだけではない。周囲を見渡してみれば、自分より実績も実力もある冒険者が数多くいた。いくら相手が魔獣といえども、案外あっさりと勝ててしまうのではないかとさえ思えてきた。


 だが、そんな修介の思いは魔獣が姿を現した瞬間に軽く消し飛んだ。

 周囲の冒険者達からひと際大きなざわめきが起こる。

 空を見上げると蝙蝠のような翼を持った巨大なシルエットが太陽に覆いかぶさるようにして宙に浮んでいた。


「あ、あれが、魔獣ヴァルラダン……」


 誰かの息を飲む音が聞こえた。

 郊外演習で見た時は遠すぎて小さな黒いシルエットにしか見えなかった魔獣が、いまや肉眼でもはっきり見えるくらいの距離にいた。

 まともに見る魔獣の姿は想像よりも遥かに大きく、そして醜悪だった。

 魔獣は遥か上空から飛ぶことのできない人間という種そのものを嘲笑うかのように巨大な翼を羽ばたかせ、不気味に光る六つの目で許可なく自分の縄張りに侵入してきた不遜な人間どもを見下していた。

 修介は圧倒的な存在感を放つ魔獣の姿から目が離せなかった。


「あんな化け物を討伐することなんて本当にできるのかよ……」


 近くにいる冒険者が呆然と呟いた。修介もまったく同感だった。

 ぱっと見、胴体部分だけでも二階建ての家くらいの大きさがあるだろう。背中に生えた蝙蝠のような翼や長い首や尻尾を含めたら一体どれだけの大きさになるのか。そんな巨大な生き物が悠然と空に浮かんでいるのだ。とても人間の手に負える存在だとは思えなかった。


「はっ、あんなのでかいだけで動きなんてたかが知れてるぜ。うまく死角に入っちまえばどうってことねぇ」


 目の前のゴルゾが振り返って強気にそう言った。だが、その目は血走り、口は半笑い状態だった。それが恐怖によるものなのか昂揚感によるものなのかは判別できなかったが、少なくとも歴戦の冒険者ですら平静でいられなくなるほどの化け物なのだということは修介にも理解できた。


 ゴルゾの声に反応したわけではないだろうが、ヴァルラダンは大きく翼を羽ばたかせて一気に上昇をはじめた。そして弧を描くように大きく旋回すると、そのまま重力を利用して流れるように滑降を開始した。


「来るぞッ! 弓箭隊構えーッ!!」


 中央部隊の指揮官カーティスが大声で指示を飛ばす。

 ヴァルラダンは一気に高度を下げると、猛烈な速度で地面すれすれの低空を滑るようにして向かってくる。その口は大きく開け放たれ、口の裂け目からはちらちらと火の粉のようなものが飛び散っては風圧で後方へと流れていく。


「放てーーッ!!」


 号令に合わせて無数の矢がヴァルラダンに向かって放たれる。

 だが、矢のほとんどは魔獣の纏う暴風の壁によって吹き飛ばされ、わずかに届いた矢も硬い鱗に弾かれ効果がなかった。


「ふせろーーッ!」


 カーティスのその叫び声と同時に、魔獣の口がカッとひと際大きく開かれ、そこから巨大な火球が飛び出した。

 火球は吸い込まれるように投石機カタパルトに直撃すると、投石機カタパルトは爆炎を上げながら一瞬にして吹き飛んだ。逃げ遅れた数名の兵士が悲鳴をあげながら倒れていく。炎を纏った破片が勢いよく周囲へと四散し兵士達の頭上に降り注いだ。

 直後に魔獣の巨体が地面すれすれを通り過ぎる。遅れてやってきた強風に煽られ何人もの兵士がなぎ倒された。


「な、なんて速度だ、あんなの止められっこない!」


 兵士達はヴァルラダンの猛威を目の当たりにして浮足立つ。

 そんな人間達を嘲笑うかのようにヴァルラダンは上空を優雅に旋回する。


「またくるぞーーッ!」


 ヴァルラダンは再び滑空を始める。


「弓箭隊、目を狙えッ! 奴の狙いは兵器だ! それがわかっているんだから逆にこっちが狙い撃ちにしてやれ! いいか、恐れずに十分に引き付けてから撃つんだ!」


 カーティスが混乱する兵士達を鼓舞する。

 だが、ヴァルラダンは弓矢の存在など気にも留めず速度を上げる。


「今だッ! 撃てーッ!」


 弓箭隊の矢と魔獣の火球はほぼ同時に放たれた。

 だが、人の放つ矢と魔獣の火球とでは勝負にすらならなかった。

 ヴァルラダンの火球はもう一台の投石機カタパルトに直撃し、その周辺を業火で焼き尽くす。その一方で放たれた矢の何本かは命中したが、魔獣はそれを意に介することもなく、中央部隊の真上を暴風と共に通り抜けていった。

 魔獣の攻撃を至近で見ていた兵士達は、そのあまりの破壊力に戦慄する。

 たった二度の攻撃で中央部隊は大混乱に陥っていた。

 きっちりと兵器を狙ってくることからも、この魔獣に知性があるのはもはや疑いようがなかった。空にいる限り自分が負けることはないということも理解しているのだろう。

 このままでは一方的に蹂躙されるだけ――その場にいる誰もがその結論に至る。


「魔術師達はまだかッ!?」


 カーティスの表情には焦りの色が浮かんでいた。

 兵器は二台の固定式大型弩砲バリスタを残すのみとなっていた。


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