第74話 ランドルフ
ランドルフは自分が興奮していることを自覚していた。
この戦いが領の命運を懸けた重要な戦いであるとわかっていたが、それでも強大な魔獣との戦いに挑むことへの昂りを抑えることができなかった。そして、その手は多くの友や領民の命を奪った魔獣を直接討てる喜びに打ち震えていた。
自らの手で凶悪な魔獣を討ち倒し、民を守る――幼少の頃、妖魔によってすべてを失った自分がひとりだけ生き延び、こうして騎士になったのも、今この時の為であったのだと本気で思っていた。
ランドルフは天幕から出ると大きく息を吸った。
草の香りを含んだ冷たい空気が肺を満たし、昂った心を静めてくれる。心なしか周囲の景色がわずかに色づいたような気がした。
本陣から少し離れた場所では冒険者達が思い思いに体を休めていた。
ランドルフは心を落ち着ける為に何気なくその様子を眺めていたが、ふと黒い髪の青年の姿が目に入って視線を止めた。
青年はドワーフの戦士と白いローブを着た女魔術師と一緒に焚火を囲っていた。どうやら昼食の準備をしているようだった。
ランドルフは黒髪の青年――修介の様子をじっと見つめる。
修介が討伐軍に参加したことはランドルフにとって意外なことであった。宴の席でその姿を見た時には思わず目を疑ったほどである。
ランドルフは当初から修介を警戒していたこともあって、修介が訓練場にいた頃は折に触れてその様子を注意深く観察してきた。そんな彼の見立てでは、修介という人間は咄嗟の時には損得抜きで人助けができるが、事前に危険性が高いと判断できた厄介事に対しては一切近づこうとしない慎重で臆病な人間という印象だった。なので修介が討伐軍に参加することはないと決めつけていたのである。
だが、修介は討伐軍に参加していた。その理由がランドルフは気になった。
普通は金の為だと考えるだろう。しかし、ランドルフは修介が大量の金貨や宝石を持っていることを知っていた。むろん事情があって自由に使えない金なのかもしれないが、そもそもシンシアを助けた際に報酬として金銭すら要求しなかったことから、修介が金に拘る人間ではないと判断していた。
裏で何かを企んでいる――当初ランドルフは本気でそう考えていた。
滅多に人が通らない森で辺境伯家の娘が襲われている場面に遭遇するというタイミングの良さ。特徴的な容姿に記憶喪失という胡散臭さ。そして魔獣ヴァルラダンの出現とほぼ同時期に修介が現れたことも偶然にしては出来すぎな話に思えた。一時期は彼が魔獣をこの地に導いた張本人なのではないかと疑ったほどである。
だが、訓練場での生活ぶりや、宴の席でふたりの女性に挟まれ右往左往していた修介の姿を見て、とてもそんな大それたことができるような人間だとは思えなくなっていた。
「そもそも大それた悪事を働くような器ではないさ」というブルームの言葉が実感を伴ってランドルフの脳裏に浮んでいた。
ランドルフはあらためて修介を見る。
魔術師と何やら言い合いをしているようだったが、ふたりのあいだに険悪な雰囲気はなく、どちらかというとじゃれ合っているように見えた。
ああやって仲間と過ごしている姿を見ると、どこにでもいる善良な人間にしか見えなかった。彼が裏で何をたくらんでいるかなどわかるはずもなかったが、ほんの数か月前まで剣の握り方すら知らなかった人間が命懸けで魔獣と戦おうとしているのだ。それは伊達や酔狂で出来ることではない。
彼には彼なりの戦う理由があって当然で、むしろ自分の一方的な物の見方でそれを判断しようとするのが間違っているのだと、ランドルフは自分の浅慮を恥じた。
修介に対する疑念が晴れたわけではなかったが、その人間性は信じてもいいとランドルフは思うようになっていた。
もしかしたら修介の討伐軍参加には自分の知らないところで何者かの意志が介在しているのかもしれないが、仮にそうだったとしても今のランドルフにはどうすることもできない。ならば今は余計なことは考えず、魔獣を倒すことに専念すべきだろう。
「ランドルフ騎士長」
ふいに声を掛けられ、ランドルフは思考を中断すると声の主を見た。
まだ少年といっていい年頃の若い騎士が直立不動の姿勢で立っていた。つい最近、叙勲されたばかりの騎士レナードだった。
レナードのことは以前からランドルフも知っていた。訓練場での成績優秀者として騎士団でもその名前はよく耳にしていた。
先の魔獣との戦いで多くの騎士が命を落としたことから、騎士団の戦力を急ぎ補強すべく、訓練場の若い騎士見習い達の中からレナードを含めた数名が急遽騎士に叙勲されたのである。
叙勲されたばかりの騎士は実戦経験を積む為に最初の任地として南の砦で二年間過ごすのが通例だが、前線の砦と人員の入れ替えをしている時間的余裕がなかったことから今回の魔獣討伐が初陣となる。
初陣が大型魔獣との戦いというのは新人達には気の毒な話ではあるが、騎士になるという道を選んだ以上は受け入れてもらうしかなかった。
「騎士長指揮下の騎士、全員集合しております。ご命令があればいつでも動けます」
そう報告するレナードにランドルフは頷き返す。
ランドルフの部隊は複数の班に分かれて周辺の哨戒を行う予定となっていた。
「わかった。すぐに向かう」
ランドルフは先を行くレナードの背を見ながら後についていく。
討伐軍に急遽参加することが決まったランドルフは、元々の自分の部下の他に調査団の生き残りや新人騎士達を組み込んだ混成部隊を指揮することになっていた。
ランドルフの部隊は中央部隊に配置されることが決まっており、彼自身が戦いの神の槍を持つ役割を担っていることからかなりの激戦が予想されている。そのことはレナードも承知しているはずであった。にもかかわらず、目の前の若い騎士からは新人特有の緊張や気負いといったものが不思議と感じられなかった。
「卿はたしか今回が初陣だったな?」
「はい、そうです」
声を掛けられたレナードは律儀に立ち止まって答えた。
「その割には随分と落ち着いているな」
「そんなことはありません。こう見えてそれなりに緊張していますよ」
「それなり、か」
ランドルフは思わず苦笑した。レナードの表情を見る限り、本心でそう言っているのは間違いなさそうだったが、その落ち着きぶりは新人のそれではなかった。少なくとも自分が初陣の時にはそんな余裕はなかった。
「……正確には唐突に騎士に叙勲されたと思ったら、最初の任務がいきなり大型の魔獣討伐になったことで緊張する以前に実感が湧いてない、といったところでしょうか」
ランドルフの反応を訝しく思ったのか、レナードはそう補足した。
「なるほど、それはたしかにそうなるかもしれんな」
それを抜け抜けと言えるあたりなかなかの大物である。これは見どころのある新人が入ってきたとランドルフは頼もしく感じたが、同時にまるで他人事のように語るその飄々とした態度に、そこはかとない危うい雰囲気も感じ取っていた。
「……卿の班には
「自分たちの班が、ですか?」
「そうだ。兵器の扱いについては直前の座学で学んだのだろう?」
「一応は学びましたが、実際に触ったことはありません」
「それは私だって同じさ」
レナードの班は全員が訓練場から騎士に抜擢されたばかりの新人だけで構成された班であった。その為、ランドルフは新人に直接魔獣と戦わせるつもりはなく、兵器の運搬と後方からの支援を担ってもらうつもりだった。兵器は魔獣に狙われる囮の役割を担っているので危険度は高いが、事前に狙われることがわかっているので、早めに退避するよう指示を徹底するつもりだった。
「兵器は壊れて使い物にならないと聞かされてますが?」
レナードのその問いにランドルフは首を横に振った。
「実はな、一台だけ無傷の物があるんだ」
ランドルフは事情を説明した。
先の調査団の戦いで、すべての兵器が魔獣によって破壊されたと思われていたが、実はひとつだけほぼ無傷な状態の
その一台が無事だったのは、実はロイのおかげであった。
ロイが
ロイの決死の行動は結果として討伐軍に大きな益をもたらしていたのだった。
「なるほど、そういうことでしたか……」
そう言うと、レナードは真剣な表情を浮かべて押し黙った。
ランドルフはレナードとロイの関係を知らない。なので、レナードの心情を推し量ることも当然できなかった。彼はレナードのその表情を手柄を立てようと逸る若い騎士のそれと勘違いした。
「……これは老婆心で言うのだがな、新人は功を焦って無理をしがちになる。だが決して無理はするな。いいか、新人の仕事は手柄を立てることじゃない。生き残ることだ。優秀な若者には生きて今後も大いに働いてもらわなくてはならんからな」
「命を賭してでも魔獣を討ち取れ、とはおっしゃらないんですね」
「騎士として果たさなければならない使命の為に命を賭すのは当然だ。その上で生き残れと言っている」
「それはなかなかに難易度の高い要求ですね」
「その要求に応えてこそ一人前の騎士になれるのだ」
ランドルフにも自分がかなり無茶なことを言っているという自覚はあったが、目の前の若者は何の気負い感じさせずに「わかりました。肝に銘じておきます」と応えると、再び前を向いて歩き出した。
(余計なことだったか……)
ランドルフはそう思ったが、無茶をしそうな若い騎士を見るとついお節介を焼きたくなるのだ。ランドルフ自身もまだ二五歳で十分に若者なのだが、騎士になって長い分、あまり自分が若者だという認識はなかった。それについては妻からもよく「年寄り臭い」とからかわれていた。
ランドルフは視線を再び修介のいる場所へと向けた。
その行為に特に意味はなかったのだが、視線を向けた後に修介がレナードと同時期に訓練場にいたということを思い出した。
ふと、前を歩くレナードが足を止めてランドルフと同じ場所を見つめていることに気付く。
もしかしたら見ているのは一緒にいるドワーフや魔術師かもしれなかったが、ランドルフにはレナードが修介を見ているという確信があった。
ランドルフは良い機会だから修介のことを聞いてみようかと口を開きかけたが、レナードの表情の変化に気付いてやめた。
彼はほんのわずかだが笑みを浮かべていた。
それは親しき者に向ける優しい顔だった。
こんな表情ができるのであれば、この若者は大丈夫だろう――ランドルフは視線をレナードから外すと南西の空を見上げた。
あの遠い空のどこかに魔獣がいる。縄張りに侵入した人間を狩る為に、今まさにこちらへ向かってきているのかもしれない。
そう考えた途端、落ち着いたはずの心が再び激しく波打った。
もうすぐ避けようのない戦いが始まる。
それは自分と同じような境遇の子供をつくらない為にも、絶対に負けられない戦いであった。そして、自分が無事に帰ることを信じて待ってくれている家族や、戦場に送り出すために手を尽くしてくれたお嬢様の為にも、必ず生きて帰らねばならない。
ランドルフは必勝の誓いを胸に、前にいるレナードに「行くぞ」と声を掛けると、待っている部下達の元へと急ぐのだった。
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