第六章

第73話 討伐軍

 緑の絨毯を思わせる広大な草原の上に、それを覆うかのように澄んだ青空が一面に広がっていた。この世界には青と緑しか存在しないのではないか、思わずそんな錯覚に陥ってしまいそうになる景色であった。

 だが、よく見ると草原の一角に墨を零したかのような黒いシミがいくつもあった。事情を知る者であれば、それが魔獣との戦いで出来た焦げ跡だということに気付くだろう。

 調査団が敗北してからまだそれほど日が経っていないこともあって、草原のあちこちには魔獣との凄惨な戦いの爪痕が残されていた。


 討伐軍がグラスターの街を出発してから五日が経っていた。

 二日前にソルズリー平原に到着した討伐軍は、広大な平原のほぼ中央に位置する小高い丘の上に陣を敷設した。

 グントラム率いる討伐軍は、騎士一二〇名を主力とし、そこに冒険者や傭兵、志願した民兵、そして王都から招いた魔術師を加え総勢三〇〇名を超えていた。

 騎士一二〇名というのはグラスターの街の守備要員を除いた現在動員可能な騎士のほぼ全数であった。それはグントラムのこの戦いに賭ける意気込みの表れであり、同時に負ければ後がないという状況の表れでもあった。

 本陣の周囲では、すでにベラ・フィンドレイ門下の魔術師達が遠見の術を使い、空から来るであろうヴァルラダンへの警戒を行っていた。

 先行していた偵察部隊によると、魔獣ヴァルラダンは数日置きにこの地に現れては、近隣の集落を襲っているという。戦死した兵士達の遺体がほとんどなくなっていたのも、おそらくヴァルラダンが死体を食い漁ったか持ち帰ったからではないかと推測されていた。


 調査団が敗れて以降、この地に住まう領民の多くはすでにグラスターの街に避難していたが、全員が避難しているわけではなかった。領民の中には住み慣れた土地を離れることを拒否する者もいたのである。

 どういう手段を使っているのかは不明だったが、ヴァルラダンはそういった領民達を的確に見つけ出しては容赦なく襲っていた。しかも、襲うのは人だけではなく、家畜などの動物は当然として、妖魔さえも捕食の対象としていた。

 当初あれだけ調査を行ったにも関わらず正体を掴ませなかったヴァルラダンが、なぜ人目を憚ることなく堂々と人を襲うようになったのか、そんなグントラムの疑問に対して自説を述べたのは魔術師ベラ・フィンドレイであった。


「人間の軍勢を破ったことで、この地の支配者が自分であると認識したからだろうね」


「ようは我々人間は舐められているということか!」


 本陣に張られた天幕にグントラムの怒声が響き渡る。天幕のなかにはグントラムやベラだけではなく、作戦会議の為に主だった将兵達が集まっていた。


「あくまでも推測だからね、本当のところは魔獣に直接聞いておくれよ」


 ベラは臆面もなくそう言ってのける。この老魔術師は相手によって口の利き方を変えるような人物ではなかった。


「ただ、あたしが文献を調べた限りだと、大型魔獣の多くはとても縄張り意識が強いらしくてね、一度自分の縄張りと決めたら侵入者には絶対に容赦しないんだとさ。ちょくちょく顔を見せてるってことは、この地を自分の縄張りだと思っているんだろうね。だから、ここで待っていれば間違いなくやってくるだろうさ」


「魔獣風情が! 誰がこの地の本当の支配者なのかはっきりとわからせてやるわっ!」


 グントラムは拳を手のひらに強く打ち付けた。傲岸不遜な物言いであったが、それ異を唱える者は誰もいなかった。言葉はどうあれ、この場にいる将兵達は皆同じ思いを抱いていた。


「それでは作戦の最終確認を行う」


 グントラムの横に立つ騎士団長カーティスが一同を見渡してからそう告げた。


「……まず軍の編制だが、大きく四つに分ける。中央部隊には騎士団を中心とした八〇名を配置。指揮は私が執る。中央部隊の役割は魔獣を引き付ける囮役である。その為に用意した各種兵器を配置して奴の気を引く」


 カーティスの言う兵器とは、先の戦いで遺棄された兵器を補修して形だけそれらしく見せた擬い物のことである。


「左翼、右翼にはそれぞれに冒険者や傭兵を中心とした六〇名を配置し、魔獣を大地に引きずりおろした後の攻撃役を担ってもらう。指揮官は左翼をトレヴァー騎士長、右翼にはコーンラッド騎士長だ」


 名を呼ばれたふたりの騎士長は一歩前に出ると「はっ」と応えた。

 どちらも三〇代の経験豊富な騎士であった。特にトレヴァーは冒険者から騎士になった異色の経歴の持ち主であり、冒険者の扱いには慣れていた。


「冒険者には四名ずつの班を作ってもらい、班単位で行動してもらう。これはその方が冒険者にとってはやりやすいだろうというオルダス殿の意見を採用してのことだ。班編成に関しても、すでにオルダス殿に行っていただいている」


 視線を向けられたオルダスは「万事滞りなく」と答えた。

 今回の討伐軍にはギルド長のオルダスも監督役として随行していた。参加する冒険者の人数が多い為、冒険者同士の諍いの仲裁や、騎士団との調整役を担っていた。もっとも、彼は鎧こそ身に付けていたが戦いに直接参加する気はなく、戦いが始まれば後方から戦いの行く末を見守るつもりであった。


「最後方の部隊には、閣下直属の騎兵部隊三〇名とフィンドレイ伯爵夫人とその門下の魔術師部隊を配置。魔術師部隊には魔獣を大地に引きずり下ろす役割を、閣下の騎兵部隊には魔獣に止めを刺す役割を担っていただきます。ただ、開戦当初は騎兵部隊も魔術師部隊もこの本陣に待機していただくことになります。魔獣に騎兵や魔術師の存在を知られた場合、魔獣がそちらに向かう可能性があるからです」


 カーティスの視線を受けて、ベラはおやおやといった様子で肩を竦め、グントラムは重々しく頷いた。魔術師が戦場に到着するまで前線の部隊は魔獣の攻撃に晒され続けることになるが、魔獣が兵器よりも騎兵や魔術師を優先して襲う可能性がある以上そうせざるを得なかった。


「作戦の概要は以前の取り決め通りだ。まず中央部隊で魔獣の注意を引きつけ、魔法の射程に入り次第、後方の魔術師部隊が魔法で大地に引きずり下ろす」


「今更だけど、本当にそれでいいのかい?」


 ベラがカーティスの言葉を遮った。


「かなり扱いの難しい魔法を使う予定だからね。下にいるあんた達のことまで気に掛けていられないよ。下手をすると落ちてくる魔獣の下敷きになるよ?」


「それはこちらでなんとかします。我々を気に掛けて魔法が失敗したとあっては本末転倒ですからな。……それよりも本当に魔法で魔獣を落とせるのですね?」


「その点は安心おし。あたしが長年研究し続けた対大型魔獣用の捕獲魔法だからね。ただし、膨大なマナを使うことになるから、それ以降の魔法の援護は期待しないでおくれ」


「魔獣を地面に落としてさえいただければそれで構いません」


 カーティスの言葉にベラは「そうかい」とあっさりと引き下がった。

 だが、その態度とは裏腹に、ベラは内心ではいかに犠牲者を出さないよう魔法を行使するかを必死に思案し続けていた。


 ベラが討伐軍参加の要請を受け入れた表向きの理由は、魔獣の死骸を報酬に提示されたからであったが、本当の目的は魔獣討伐そのものにあった。

 何かと世間から白い目で見られる魔術師達の地位を少しでも良くする為、そして自身の魔法が人々の役に立つことを証明するべく、彼女は今回の戦いに参加したのである。

 六〇〇年に渡って続く魔術師への不信の念はそう簡単に消えることはないだろうが、こうして地道に活動を続けることで、少しずつでも変わっていくはずである。少なくともベラはそう信じていた。

 ただ、それを露骨に態度に出すのは彼女の矜持に反するので、こうして意地の悪い態度を見せているのである。もしサラがこの場にいたら「ほんと、おばあさまってひねくれ者よね」と言ったことだろう。


「……魔獣を地面に引きずり降ろした後は、全軍を以って総攻撃を仕掛ける。中央部隊は正面から、左翼右翼の両軍は魔獣を囲うように展開し、戦いの神の槍を魔獣に突き刺して魔獣の咆哮の力を無力化させる。そして、最後に閣下の騎兵部隊がランスによる突撃を仕掛けて止めを刺すという流れとなる」


 カーティスはそこまで言うと口を閉ざした。参加している将兵達から息をのむ音が聞こえてくる。

 それが口で言うほど簡単な事でないことは明らかであった。強大な魔獣相手に白兵戦を仕掛ける時点で多くの犠牲者が出るのは間違いなく、特に囮となる中央の騎士達はまさしく命懸けであった。おそらく何度も炎のブレス攻撃に晒されることになるだろう。


「戦いの神の槍を持つ者に変更はないのだな?」


 グントラムの問いにカーティスは頷いた。


「騎士団からはランドルフ。グラスターの冒険者からはゴルゾ殿。そして王都の冒険者ハジュマ殿がそれぞれ槍を持つことになっております」


 ハジュマの名が出ると将兵からどよめきが起こる。この場にいる多くの者が事前にハジュマが槍を持つことを知っていたはずだが、それでもその名を聞いただけで思わず反応してしまうくらいに、ハジュマの勇名はグラスターの地にも轟いているのである。

 一方で騎士ランドルフ、冒険者ゴルゾもこの地では知らぬ者がいないほどの実力者であった。ゴルゾは人間性に難があることでも有名だったが、こと戦闘に関しては圧倒的な実績があり、実力という点において彼が槍を持つことに異議を唱える者はいなかった。

 ちなみに、エーベルトも槍を持つ候補者としてゴルゾと並んで名前が挙がっていたのだが、彼の小柄な体格では長大な槍の扱いは難しいだろうという理由から、オルダスは悩んだ末にゴルゾを選んだのである。


 槍を持つということは実力を認められた証であり栄誉なことでもあったが、万が一魔獣が槍の持つ力に気付いた場合、真っ先に狙われる可能性が高い危険な役回りでもあった。この場にいる誰もが最初に槍を持った三人で事が成せれば良いと願っていたが、それがいかに困難であるかも理解していた。

 だが、三本の槍をヴァルラダンに突き刺さない限り、戦いに勝利することは叶わないのである。仮に槍を持つ者が途中で倒れたとしても、他の誰かが代わりに槍を拾って突撃を続けることになる。戦いである以上、ある程度の犠牲が出るのはやむを得ないことだが、それだけに最初に槍を持つ三人にかかる期待は大きかった。


「――作戦の概要は以上である」


 カーティスがそう告げて一歩下がると、入れ替わるようにグントラムが前へ出た。

 従者達が将兵達に酒の注がれた杯を配っていく。

 全員に杯が行き渡ったことを見届けるとグントラムは口を開いた。


「我がグラスター領の命運はこの一戦に掛かっている。諸君らの奮戦に期待するや切である。必ずや魔獣めを屠り、命を落とした兵や民の仇を討つのだッ! 皆に神々の加護があらんことを!」


 グントラムは高々と杯を掲げた。

 将兵達は「おおっ!」と応えると、一気に杯を呷って中身を飲み干した。そして杯を床に投げ捨てると、慌ただしく天蓋の外へと出て行く。

 そんな将兵達のなかに、ひと際立派な体格を持った長身の騎士の姿があった。

 つい先ほど槍を持つ者のひとりとして名前を挙げられた騎士ランドルフである。

 普段あまり感情を表に出さないランドルフの目には、肉食獣を思わせる獰猛な光が宿っていた。

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