第72話 不健全の極み
門番からアレサを受け取ると、修介は足早に屋敷を後にした。
出自も体質も特殊な修介としてはあまり公の場で目立ちたくはなかったのだが、シンシアとの会話はそれなりに衆目を集めていたはずである。シンシアがいなくなった後にまであの場に残り続ける勇気はなかった。
屋敷からだいぶ離れたところでようやく歩く速度を落とすと、修介は大きく伸びをした。
宴に参加していた時間は短いものだったが、とても有意義な時間だった。シンシアに会うこともできたし、なによりもハジュマという一流の冒険者と知り合えたことは、この世界に来てからコネというものの重要性を強く認識した修介にとって大きな収穫と言えた。
人通りのほとんどない夜の街路を修介はのんびりと歩く。
吹き抜ける夜風はだいぶ冷たくなってきていた。
そろそろもっと厚手の毛布を買うべきだろうか……そんなことを考えながら歩いているとアレサが話しかけてきた。
『宴はいかがでしたか?』
ここまで一言も発しなかったことから、てっきり置いてけぼりにされたことを根に持っているのかと思っていたが、声を聞く限りそういうわけでもなさそうだった。
変な話だが、長い間アレサと会話を重ねてきたことで、修介はアレサの声に含まれる感情がなんとなくわかるようになってきていた。
「……人生で初めて修羅場というものを経験したよ」
『どういうことですか?』
修介は宴の席で起こった出来事を包み隠さず話した。わりと恥ずかしい内容なので本音を言えば話したくなかったのだが、娼館の一件がばれて以降、失われた信頼関係を取り戻すべく、隠し事はしない方針でアレサと接するようにしていた。
『……マスターが見栄を張っていないという前提で話を聞いた限りですと、どうやらあの小娘はマスターに恋愛感情を抱いているようですが、マスターはどうなさるおつもりなのですか?』
「どうっていうと?」
『端的に言いますと、攻略するおつもりなのですか?』
「攻略て……」
修介の脳内知識をベースにしている影響なのか、言葉の選択に大いに問題があるようだった。
「なんでそんなこと気にするのさ?」
『小娘との関係性はマスターの安全に関わる重要事項のひとつと考えています』
「え、どういうこと?」
『ここの領主は娘を溺愛しているともっぱらの評判です。もしマスターが小娘を手籠めにしようものなら領主に命を狙われる可能性があります』
「そ、そういえばそんな話もあったな……」
領主がシンシアを溺愛しているという話はロイ達から聞いて修介も知っていたが、訓練場にいた時も領主の姿を見たことがなかったことから、領主は雲の上の存在という認識のままで、あまり真剣にその可能性を考えてはいなかったというのが正直なところだった。
だが、宴の席で偉丈夫たる領主の姿を見た今は違った。娘を傷物にされ怒り狂った領主が剣を振り回して追いかけてくる姿が容易に想像できる。実際、領主がその気になったら一介の冒険者に過ぎない修介など簡単に闇に葬ることができるだろう。アレサが危機感を覚えるのも当然と言えた。
「……さすがに一介の冒険者が領主の娘をどうこうできないだろ。この世界の恋愛事情はよく知らんが、身分が違いすぎて成就するとは思えないし、俺自身もそんな大それたことをするつもりはないよ」
『それなら結構ですが……身分の問題はさておき、マスターご自身のお気持ちはどうなのですか?』
「……やけに食い下がるね?」
『人間の感情の機微……特に恋愛感情について学習中ですので、今後の参考までにぜひ教えていただきたいと思っています』
「本当かよ……」
なぜ人工知能相手に恋愛話をしなければならないのかいまいち腑に落ちなかったが、修介にとってアレサはただの人工知能ではなく大事な相棒だと思っているので、これも信頼関係を構築する為の投資だと考えて話すことにした。
「シンシアに好かれて悪い気はしていない。いや正直嬉しい……というよりシンシアに限った話じゃなくて、若い女の子に好かれて嫌な気分なる男なんていないだろ?」
『一般論としてはそうだと思います』
「でも、俺はこの世界で――というか今回の人生で、誰かと本気で恋愛するつもりはまったくといっていいほどない」
『なぜですか?』
「一言でいうと、若返ったから、だな」
『……おっしゃっている意味がわかりません』
混乱するアレサに修介は「だろうな」と苦笑すると、「自分で言うのもなんだけど、今の俺は存在自体が特殊だからあまり参考にはならないぞ」と前置きした上で自分の考えを話しはじめた。
修介は外見こそ一七歳と若返ったが、中身は四三歳の中年のままだった。
若い頃にはそれなりに青春を謳歌し、それに伴う悲喜こもごもを散々味わってきた。だが、中年になってからは好きだの惚れただのといった感情と疎遠になっていたこともあって、恋愛については「もういいや」という心境に達していた。
ようするに、肉体は若返っても四三年の人生ですり減った心が元に戻ったわけではないのだ。
それ故に今の修介には若返ったという認識はほとんどなく、「自分は一七歳のアバターを使っているおっさん」という認識だった。
これは修介がこの世界での人生をボーナスステージだと思っていることからもわかる通り、本気でこの世界の住人となったという意識がないことの証左でもあった。
そんな人間がこの世界の女性と恋愛をするのは詐欺だと修介は本気で思っていた。
そんなこと気にせず新しい人生で青春を謳歌すればいいと理屈ではわかっているのだが、おっさんが若い女の子に夢中になることへの生理的な嫌悪感と、相手を騙しているような後ろめたさがあって、とてもそんな気にはなれなかった。
そして、そう考える自分の心の裏側に「こんな自分でも受け入れてほしい」という身勝手な願望があることもさらに気持ちを萎えさせていた。
なので、修介はシンシアの好意を知りつつも、それを受け入れるつもりはなかった。存在自体が歪な自分にはその資格がないとも思っていた。
ちなみに、そう思っていながら修介がシンシアの好感度を上げようとしたり、さっさとフッて次の恋へ行かせようとしないのは、単に可愛い女の子にモテている状態をもうしばらく堪能していたいから、というろくでもない理由である。
この世界への帰属意識のなさや、肉体年齢と精神年齢の
とりあえず肉体的な欲求は娼館で発散すればいいし、精神的な支えには人工知能だが人と変わらない会話が可能なアレサがいた。傍から見れば不健全の極みだろうが、今のところそれで問題はないと修介は考えていた。
『……なるほど、色々あってマスターの性根が捻じ曲がってしまったのですね』
話し終えて一息つく修介に向かってアレサの放った最初の一言がこれだった。
「いやまぁ概ねその通りなんだけど言い方な?」
修介としては色々と真剣に悩んでいるつもりなのに、『性根が捻じ曲がっている』の一言で片づけられては立場がなかった。
『とりあえず、マスターが今のところ小娘を攻略する気がないことはわかりました。ですが、もし小娘が権力を使って強引にマスターを手に入れようとしてきたら、その時はどうなさるおつもりですか?』
「は? いやいや、シンシアに限ってそれはないだろう。……ただまぁ、もしそんなことになったらこの街を出て行くことにするさ」
そのパターンはさすがに修介も考えていなかった。
たしかに権力者が権力に物を言わせて市井の娘をかどわかす、などという話は物語などではよく目にするが、現代日本で暮らしていた修介にとっては現実味のない話である。この世界の実情は知らないが、この件に関してはシンシアの人柄を信じるよりほかはなかった。
『いずれにせよ、マスターは色々な意味で危うい存在なので、あまり目立つような行動は控えるようにしてください』
「わかったよ……」
宴で目立ってしまったのは俺のせいじゃない、と修介は思ったが、それを言ったところで詮無いことなので大人しく頷いた。
『あと、小娘の好感度を上げるのは結構ですが、それに伴うリスクも考えてからやってください』
「こ、好感度言うな……」
自身の「モテ状態をキープしたい」というしょうもない欲求を自覚しているだけに、修介の語気は弱かった。
『安心してください。マスターが人として正常な心を取り戻すまでは、私がマスターの面倒をみますので』
「言い方は気に入らんが、よろしく頼むよ……」
現状、修介の生活はアレサ頼みの部分が多い。アレサがいないと薬草採集はままならないし、文字もまともに読めないのだ。アレサに見捨てられたら本気で野垂れ死にしかねなかった。依存度で言えば長年連れ添った嫁クラスである。
少なくともアレサに頼らなくても立派にひとりで生きていくことができるようにならない限りは、とてもではないが他人の人生にまで責任は持てそうになかった。
早く一人前の冒険者にならねば、そう考える修介だった。
その為にもまず目の前にある脅威を取り除かねばならない。
「いよいよ明日出発か……」
修介は夜空を見上げながら呟いた。
満天の星が視界いっぱいに広がる。あの美しい空の下に恐ろしい魔獣が存在しているとはとても信じられなかった。
だが、魔獣の脅威は確実にこの街にも迫ってきている。それを防ぐ為に多くの人間が戦いに赴こうとしているのだ。
『……本当によろしいのですか?』
何が、とは聞き返さなかった。
修介が討伐軍への参加を決めた日から、幾度となく繰り返された会話だった。
「ああ……俺なりに覚悟は決めたからな」
修介はアレサに手を添えて、いつも通りの答えを口にした。
魔獣と戦うことに恐怖はあったが、不思議と気持ちは落ち着いていた。
何度か実戦を経験し、死にそうな目にあったことで、死に対する感覚が鈍くなっているだけなのかもしれない。だが、それで恐怖を克服できるのであれば十分だった。
今回の魔獣との戦いで生き残ることができたならば、その時には自分が大きく変われるような、そんな気がしていた。
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