第71話 修羅場

「……ところでシュウスケ様?」


「はっ、なんでしょうか?」


 シンシアの呼びかけに修介は畏まって答える。


「先ほどからお隣にいらっしゃる女性の方は、一体どちら様でしょうか? 随分と親し気なご様子ですが……」


 言葉のひとつひとつが鋭利な刃物となって修介の突き刺さった。シンシアの顔は先ほどと変わらぬ笑顔のはずなのに、そこからは言葉にできないほどの強大な重圧が発せられていた。


「えっ!? あっ、えっと、こいつはですね――」


 修介はしどろもどろになって答えようとしたが、「こいつって何よっ」とサラの肘が脇腹に入ったことで最後まで言い切ることができなかった。

 その様子を見たシンシアのこめかみに青筋が浮き上がるのを見て、修介はこれ以上余計なことをしないよう釘をさすべくサラを睨んだ。

 だが、サラは今までに見たこともないような愉悦の表情を浮かべていた。


(こ、こいつ、わざとやってやがるっ!)


 修介の心は絶望感で埋め尽くされた。


「初めまして、シンシアお嬢様。わたくしはサラ・フィンドレイと申します。魔法学院所属の魔術師で、今はこの街のギルドで冒険者兼相談役をしております。以後、お見知りおきを……」       


 サラは上品な微笑みを浮かべながら、完璧な礼儀作法で挨拶をしてみせた。


「フィンドレイ……? ということはもしかして――」


「はい、ベラ・フィンドレイの不肖の孫娘です」


「そうだったのですか! フィンドレイ伯爵夫人のお孫様でいらっしゃったのですね。フィンドレイ伯には幼少のみぎりに何度かお会いしたことがございます。フィンドレイ伯やあなたのような優秀な魔術師に協力いただけることは、とても心強く思っております」


「ありがとうございます。祖母共々、微力ながらお力添えさせていただきます」


 サラは恭しく一礼した。

 ふたりの間には穏やかな空気が流れていた。シンシアの表情からも先ほどの重圧は消えており、修介はほっと胸を撫でおろした。

 だが、その平穏は一瞬のまぼろしに過ぎなかった。

 サラはおもむろに修介の腕を取ると、まるで恋人のように身を寄せながらとんでもないことを言い放った。


「それと、こちらのシュウとは、一緒に、冒険をした仲でございます」


 ピシッ――と空気が凍るような音が聞こえた気がした。

 一緒に、の部分を強調したところに修介はサラの悪意を感じ取る。


「シュウ……? 一緒に……?」


 シンシアは言葉の意味を確認するかのように反芻しながら、ゆっくりと視線を修介に向けた。


「シュウスケ様?」


 シンシアは笑顔こそ浮かべていたが、その目は明らかに笑っていなかった。


「ただ同じ依頼を受けただけでございます。ただの仕事仲間であります」


「そのわりには随分と親しそうに見受けられますけど?」


 シンシアの視線はサラの手が添えられた修介の腕へと注がれていた。


「恐れながら、お嬢様の勘違いにございます」


 修介は少々乱暴に腕を振ってサラの手を振りほどく。サラは「やんっ」とわざとらしく悲鳴をあげて離れた。


「サラ様からはシュウ、と呼ばれているのですね?」


「こいつが勝手にそう呼んでいるだけです」


「でも、こいつ呼ばわりする程度には親しいのですね?」


「ぐっ……! そ、その一応、共に戦った仲間ではありますので……」


 修介は旗色の悪さを感じつつも必死に弁明した。

 だが、実はどうして自分が弁明する立場に追いやられているのか納得がいっていなかった。傍から見たら修羅場に見えなくもない状況だが、ふたりとは恋仲でもなければ手すら出していないのだ。何も得た物がないのに支払いだけが増えていく理不尽な状況に修介は身悶えしそうになる。

 そんな修介の思いを知ってか知らでか、サラは再び修介にしな垂れかかると、さらなる一撃を加えた。


「そんな一応、なんて他人行儀なこと言わないで。私が悪漢に絡まれていた時、シュウは体を張って私のことを庇ってくれたじゃない」


「それは単に巻き込まれただけだっ!」


「私が妖魔に襲われそうになった時も、命懸けで私のことを守ってくれたじゃない」


「向かってくる妖魔を迎え撃っただけだっ!」


「夜の川辺でふたりっきりで並んで月を眺めたじゃない」


「ちょっ――それは……」


 自身の悩みを聞いてもらったという負い目があるせいで、修介は思わず言葉に詰まってしまった。


「……ふたりっきりで?」


 シンシアの口から幽鬼のような呟きが洩れた。

 修介はおそるおそる様子を窺うと、シンシアは両手でスカートの裾をぎゅっと握りしめながら、じっと修介の方を見ていた。その目にはうっすらと涙が滲んでいる。


(やばいやばい!)


 修介はなんとかフォローしようと必死に言葉を探すが、動転して何も思い浮かばない。助けを求めようと後ろに控えているメリッサに視線を向けたが、メリッサは超然と佇んだまま、関与するつもりはなさそうだった。その後ろにいるランドルフに至っては、助けてもらうどころか下手をするとこの場でなで斬りにされかねないほどの形相でこちらを睨んでいた。

 ちなみに、ものすごい形相で睨んでいるのはランドルフだけではなかった。周囲で様子を窺っている騎士達も修介に対して怒気がみなぎらせていた。忠誠を誓う大切なお嬢様が得体の知れない冒険者に声を掛けただけでも面白くないというのに、それがあたかも痴話喧嘩の様相を呈してきたとなれば、なおさら穏やかではいられないだろう。

 このままでは怒れる騎士達によって街中を歩いているだけで無実の罪で投獄されかねないと思った修介は、せめて誤解だけでも解こうと必死に頭を回転させる。

 だが、先に口を開いたのはシンシアだった。


「――わたくしだって……」


 震えながら小さくそう呟く。


「お、お嬢様……?」


 ただならぬ様子のシンシアに修介は思わず手を伸ばそうとしたが、それよりも早くシンシアはサラの方をキッと睨んだ。


「わたくしだって、シュウスケ様に助けていただいたことくらいあります!」


「お嬢様、それは言ったらダメなやつ――」


「シュウスケ様は黙っててくださいっ!」


「は、はいっ!」


 ピシャリと言われ、修介は黙った。

 代わりにサラがシンシアの視線を物ともせずに余裕の笑みを浮かべて言った。


「シンシアお嬢様は冗談がお上手なんですね。このシュウにシンシアお嬢様を助けるような甲斐性があるはずないじゃないですか」


 言いながらサラはより修介との密着度合いを高めようとさらに体を押し付ける。

 今のサラの発言は先ほどまで庇っただの守っただのと修介を持ち上げていたことと完全に矛盾しているのだが、興奮しているシンシアはそのことに気付かない。むしろ仲睦まじい様子を見せつけられたことで、さらに語気を強める。


「そんなことはありません! シュウスケ様はわたくしが領主の娘であると知らなかったのに、命懸けで守ろうとしてくださった立派な方です!」


「ふうん、それだけですか?」


「ほ、他にもたくさんあります! わたくしが落ち込んでいた時には優しく励ましてくださいましたし、お茶会では楽しいお話をたくさんしてくださいました。あと、どんなにご自身が大変な時でもいつもわたくしの事を気にかけてくださる素敵な方です!」


 そう口にしながらも、シンシアは自分と修介との間に共通の思い出が少ないことに気付いて悲しい気持ちになっていた。おそらく共に冒険をしたというサラの方が修介の色々な面に触れ、同じ物を見聞きし、思い出もたくさんあるに違いなかった。その事実が無数の針となってシンシアの心に突き刺さる。


 一方で、サラはシンシアの言葉に素直に感心していた。

 修介が女性に甘いことは自身の経験や宿屋での一件で知っていたが、それだけで聡明で知られるシンシアがここまで言うことはないだろう。どうやら修介は本当に命懸けで彼女を守り、誠実に向き合ってきたのだと理解した。

 そして同時に、その事実を面白くないと感じている自分に気付く。

 サラはそんな自分の感情を誤魔化すように修介のほうをちらりと見る。こちらの内心に気付きもせず、修介は「もうやめて」と懇願するような視線を返してきた。それもまた面白くなかった。


「それに、シュウスケ様は――」


 シンシアがさらの言い募ろうとしたところで、背後に控えていたメリッサが音もなくシンシアの傍に立つと耳元に口を寄せて言った。


「お嬢様、そこまでになさいませ」


 メリッサの冷静な声でシンシアは我に返った。そして公衆の面前で自分が感情の赴くままに色々と口走ってしまったことに気付いて赤面した。


「サラ様、少々お戯れが過ぎます」


 メリッサは咎めるような視線をサラに向けた。


「ごめんなさい。あまりにもシンシアお嬢様がお可愛かったものだから、ついからかいたくなってしまいました」


 サラは悪びれずにそう返す。


「お嬢様がお可愛いことについては完全に同意いたしますが、これ以上はどうかお控えください」


 メリッサの言葉にサラは頷くと、シンシアに近寄ってそっと耳打ちした。


「シンシアお嬢様、ごめんなさい。さっきのは全部冗談です。私とシュウはただの冒険者仲間で、特別な関係ではありませんからご安心ください」


 サラの言葉を受けて、シンシアは上目遣いに修介を見やる。

 修介はコクコクと必死に首を縦に動かした。

 シンシアはまだ納得がいっていないという表情だったが、どうやら落ち着きは取り戻したようだった。


「それではわたくしはお邪魔のようですので、この辺で失礼いたしますね」


 サラはそう言って優雅に一礼すると、あっという間にこの場から立ち去った。

 散々かき回すだけかき回しておいて、後片付けをしないまま立ち去るところはさすがサラだと、修介は思うのだった。


 微妙な空気のなか取り残された修介はどうしていいかわからず、とりあえず頭を下げることにした。女と揉めたらとりあえず謝れ、は修介の四三年の人生で身に付けた処世術であった。ちなみに実戦で役に立ったことはほとんどない。


「なんかもう色々と申し訳ありません……」


「い、いえ、わたくしのほうこそ取り乱してしまい申し訳ありませんでした」


 シンシアも慌ててそう返す。


「……それで、その……本当なんですか?」


 シンシアは不安げな表情で修介に問いかける。


「なにがです?」


「その、サラ様とのご関係について……特別な関係ではないという、その……」


 最後のほうはごにょごにょとなって聞き取れなかったが、言わんとしていることは修介にも理解できた。


「サラは信頼できる仲間ですが、それだけです」


「……本当に?」


 上目遣いでシンシアは尋ねてくる。


「剣に誓って」


 当のアレサはここにはいないわけだが、このことを知ったら『そんなくだらないことを勝手に誓われても困ります』くらいは言うだろうな、と修介は思った。


「それに今は自分のことで精一杯で、とても恋人を作るような余裕はありませんから」


 修介は後頭部を掻きながらそう付け加えた。こう言っておけば今後の牽制にもなるだろうというセコイ計算をした上での発言だった。

 それでもシンシアはほっとしたような表情を浮かべていた。

 ちくちくと罪悪感が修介を責め立てていたが、とにかく微妙な空気を払拭すべく、修介はなるべく色恋から遠ざかるような話題を無理やり口にした。


「そういえば、お嬢様は謹慎なさっているというお話を伺っておりましたが、もうよろしいんですか?」


 修介の言葉にシンシアははっとなった。


「ど、どうしてそのことをご存知なのですか?」


「いやあの、先日セオドニー様にお会いした時にそのようなことをおっしゃられていたものですから……」


「もう、お兄様ったら……どうしてそんな余計なことを……」


 シンシアは小声でぶつぶつと呟いている。


「あの、シンシアお嬢様……?」


「た、たしかにわたくしはいまだ謹慎中の身なのですが、その……少しでもこれから戦いに赴かれる皆様のお力になりたくて、それでせめて激励の言葉だけでもと思って、お父様がいらっしゃらない時を見計らってこうして出てきたのです……」


 言いつけを破ったという罪の意識からか、シンシアは途中から俯いてしまっていた。

 たしかに領主は先ほどからハジュマと共に席を外していた。そのタイミングでシンシアが現れたのにはそういう事情があったのだ。

 とはいえ、おそらくこのことは事前に領主も承知しているだろうと修介は考えていた。まさか謹慎を言い渡した本人がシンシアの行動を見過ごすわけにもいかないから、あえて席を外して見て見ぬふりをしたのだ。どのみちこの件は後々領主の耳に入ることになり、シンシアは再び罰を受けることになるだろう。そのリスクを承知の上で、シンシアは公の場に出てきて、こうして騎士達を激励しているのだ。


(やっぱり、心優しい良い子だなぁ)


 修介は目の前で俯く少女を見て暖かい気持ちになった。思わずその美しい亜麻色の髪を撫でそうになって慌てて手を引っ込めた。そんなことをしようものなら周囲の騎士達が黙っていないだろう。


「シンシアお嬢様の励ましの言葉は千の兵力に勝ります。俺……私もお嬢様のご期待に応えられるよう精一杯頑張ってきます」


 修介は少しでもシンシアの気持ちが楽になればと、精一杯のキメ顔でそう言った。

 だが、シンシアの表情は浮かないままだった。


「……シュウスケ様、その……どうかご無理をなさらないでください。必ず無事に戻ってきてください……」


 懇願するようなシンシアの顔を見て、嬉しいという思いと、そんなことを言わせてしまう自分が情けないという思いが、修介の心のなかで複雑に絡み合った。

 修介は遠慮がちに顔を寄せると、シンシアだけに聞こえるよう声を落とす。


「ご安心ください。こう見えても逃げ足にはかなり自信がありますから、危なくなったらすぐに逃げ出しますよ。だから、俺は必ず生きて帰ってきます。……帰ってきたらまたお茶会に招待してください」


 そう言って顔を離すと、安心させるように微笑んだ。

 正直なところ足にそれほど自信があるわけでもないし、生きて帰ってこられる根拠など全くないのだが、目の前の少女を安心させる為ならこの程度の嘘は許されるだろうと修介は思っていた。


「……約束ですよ?」


 シンシアのその言葉に、修介はしっかりと頷いた。

 剣に誓うべきはこっちだったなと思ったが今更だった。


「……お嬢様、そろそろお時間です」


 後ろにいたメリッサがそっとシンシアに耳打ちした。


「わかりました……。それではシュウスケ様、わたくしはこれで失礼いたします。シュウスケ様に生命の神の御加護がありますように……」


 シンシアは潤んだ瞳で修介を見た。

 修介は黙って一礼した。

 ほんのわずかだが名残惜しそうな表情を見せると、シンシアは踵を返して先導するメリッサ達の後に付いて行く。


「あ、そうだ」


 修介はさも今思い出したかのように言うと、すすっとシンシアの背後に体を寄せた。


「はい?」


 きょっとんとした顔で振り返ったシンシアに向かって、修介はそっと耳元で囁いた。


「シンシア様のドレス姿、とてもお綺麗ですよ。そのお姿が見られただけでも、ここに来た甲斐があったというものです」


 修介は先導するメリッサ達が振り返る前に急いで体を離すと、何事もなかったかのように直立不動の姿勢を取り「それでは私もこれで失礼します!」と言って、何か言われる前にその場を後にした。

 今の修介の発言は、今回の一件で大きくマイナスに振れてしまったであろうシンシアの自分に対する心証を少しでもプラスへ戻せたら、というしょうもない理由から出たリップサービスだった。むろん、綺麗だというのは本心だったが、女性の服装はとにかく褒めろ、というのが修介が四三年の人生で掴んだ処世術である。

 だが、修介は完全に計算違いをしていた。

 男慣れしていない恋する乙女にとって、好きな男性から言われるその言葉は、たとえそれがリップサービスであっても強力な一撃となるのである。


 突然歩みを止めたシンシアを不審に思ったメリッサが振り返ると、そこには真っ赤な顔をしたシンシアが両手を頬にあてたまま硬直していたのであった。

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