第70話 白の魔術師

 振り向いた先には修介の予想通りの人物が立っていたが、その恰好は修介の予想とは大きく違っていた。


「……お、お前、もしかしてサラか?」


 思わずそんな間の抜けた質問が出てしまうくらいに、サラは美しく着飾っていた。

 いつもの野暮ったい白いローブではなく、金色の刺繍がふんだんにあしらわれた深紅のドレスを身にまとっていた。赤みがかった髪はいつもと違って頭の後ろで結い上げられており、ドレスの色と合わさって彼女の美しさをより引き立たせていた。さらに薄く化粧をしているようで、普段と異なる大人の色気があった。


「ふふん、見惚れちゃったでしょう?」


 してやったりという顔でサラが言った。


「ああ、凄い綺麗だったから思わず言葉を失ったわ……」


「そ、そう?」


 そこまで直球で褒められるとは思っていなかったのか、サラは一瞬戸惑うような仕草を見せたが、表情はすぐに満足そうなものに変わった。

 だが、修介の口はそこでは止まらずさらに捲し立てる。


「いや、驚いたわ。いつもローブ姿しか見たことなかったから、ドレス姿はすごい新鮮だな。よく似合ってるし、いやマジで綺麗だわ。元が良いから何を着ても似合うんだろうけど、正直ここまでとは思わんかった。部屋に飾っておきたいくらいだ」


「わ、わかったからっ! もういいからっ!」


 サラは耳まで真っ赤になって修介の口をふさいだ。

 修介が本当の一〇代の若者であったならば、照れくさくてとても素直に褒めることなど不可能だったろう。しかし、中身が中年の修介にとって女性の容姿を褒めることになんら抵抗はなく、恋の駆け引きと長らく無縁な生活を送っていたことから、単に指名したキャバ嬢の容姿を褒めるようなノリだった。ただ、褒め方がおっさん臭かったのは修介の素が出ている証拠で、サラを綺麗だと思ったのは本心である。


「そ、それで? どうしてあなたがここにいるのよ?」


 恥ずかしさを誤魔化すためか、サラは睨みつけるように修介に問いかけた。


「どうしてって、俺も討伐軍に参加するからに決まってるだろう」


「なんで!?」


「なんでって言われても……」


 サラの剣幕に押されて思わず後ずさる修介。


「ついこの間あんな目にあったばかりなのをもう忘れたの!? こんな危険な依頼を受けて死んじゃったらどうするのよ!? 身の程をわきまえて大人しく薬草採集してればいいじゃない!」


 散々な言われようだったが、今の発言がサラなりに修介の身を案じてのことなのは修介にも理解できたので特に腹は立たなかった。


「い、色々考えた末に決めたんだよ……。そ、そういうサラこそ討伐軍に参加するつもりなのか?」


 サラは自分が興奮していることに気付いたのか、軽く息を整えてから答えた。


「私はこの街で数少ない魔術師だからね。ギルドから参加の要請があったのよ」


「あ、普通に参加要請されることがあるのね……」


 無論、修介に要請は来ていない。


「腕の立つ冒険者にはギルド長からそれぞれに要請があったはずよ。ノルガドにも要請があったみたいだし、エーベルトにもたぶん行ってると思うわよ」


「……そういえば、おやっさんやエーベルトはここには来てないの?」


 ふたりの名を聞いて修介は周囲にその姿を求めて視線を巡らす。


「ノルガドはこういう社交場は苦手だから来てないわよ。エーベルトは……言うまでもないでしょ?」


 修介は苦笑しながら「たしかに」と頷いた。

 あらためて参加者を見渡してみると、騎士の人数と比べて明らかに冒険者の数は少なかった。やはり冒険者はこういった場をあまり好まないのかもしれない。修介は高級料理目当てにいそいそと参加した自分が少し恥ずかしくなった。




「そういえば、王都からも魔術師が派遣されるって噂を聞いたけど、本当なのか?」


「みたいね」


 修介の問いにサラは興味なさそうに答えた。


「それなら知り合いとかいるんじゃないの?」


「知り合いどころか、派遣されてくる魔術師って私のおばあさまよ」


「マッ――本当かよ?」


 思わず「マジで」と言いそうになって慌てて修介は言いなおした。


「ほら、あそこにローブを着た集団がいるでしょ。あれ、魔法学院に所属するおばあさまの門下の魔術師達よ」


 サラはそう言って中庭の端で固まっている白い集団を指さした。

 修介が視線を向けると、そこにはたしかに白いローブを着た魔術師風の集団がテーブルのひとつを独占していた。周囲を拒絶するかのように身を寄せ合う白い集団は明らかに浮いており、近寄りがたい空気を漂わせていた。


「な、なるほど、あれはなんていうか……実に近寄りがたいな……」


「別に悪い人達じゃないのよ? ただ、普段から学院に籠って研究ばかりしていて人と滅多に交流しないから、こういった場に興味はあるくせに、慣れてないせいでああなっちゃうのよ……」


 サラは残念なものを見るような目で白い集団を見ていた。

 つい先ほどまで自分も似たような状況だった修介からすると、魔術師達にある種の親近感を覚えていた。おそらく彼らは知り合いのほとんどいない結婚式の二次会に参加してしまった時のような気まずさを味わっているに違いなかった。


「俺は魔術師の知り合いがほとんどいないからよくわからないんだが、魔術師ってのはみんな白いローブを着てるものなのか?」


「そんなことないわよ。魔術師の多くは黒や灰色といった地味な色のローブを着ているわ」


「えっ、そうなの?」


「知っていると思うけど、魔法帝国時代に一部の魔術師が魔法の力で人々を支配していたでしょ? しかも異世界の魔神を召喚するっていう禁忌に手を出した挙句、失敗して人類を滅ぼしかけたということもあって、人々の魔術に対する忌避感は根強いわ。この領地では妖魔との戦いで魔術の有用性が実証されているからそれほどでもないんだけど、内陸や北の辺境とかに行くと、未だに魔術師に対する偏見や差別が強いらしいわ。だから魔術師達は地味な色のローブを着て目立たないようにしているわけ」


「……なるほどね」


 元々この世界の住人ではない修介にとっては、魔法は興味の対象であり、とても便利な力という肯定的な認識だったが、この地に住む人達にとってはそういった歴史的背景から魔法は畏怖の対象となっているのだ。便利だが一歩間違うと世界が滅びるという意味では、前の世界でいうところの原子力に近いものがあるな、と修介は思った。


「ただ、おばあさまはそんな魔術師達の立場を変えたくて、敢えて目立つ色のローブを着ているのよ。白いローブを着た魔術師の魔法が人々の役に立てば、いつかそんな偏見もなくなると考えてね。門下の魔術師達はそれに倣っているというわけ」


「へぇ、サラのおばあさんみたいな考え方をする人、俺は好きだなぁ」


 修介の率直な感想にサラは嬉しそうに微笑んだ。

 修介はあらためて白い集団に目をやる。


「ということは、白いローブを着ている魔術師はみんなサラのおばあさんの門下の魔術師ってことになるのか?」


「みんながみんなそうってわけじゃないわよ。それについておばあさまは強要したりしてないから、違う色のローブを着ている魔術師もいるわ。逆に門下じゃない魔術師がおばあさまの考えに共感して白いローブを着ていることもあるわね。あとは……おばあさまの評判を落とそうと、わざわざ白いローブを着て悪さをする暇な魔術師も稀にいるわ」


「なるほどねぇ……」


 世界が変われどつまらないことを考える奴はどこにでもいるんだな、と修介は呆れつつもなかば感心していた。


「サラが白いローブを着ているのは、おばあさんの為なんだな」


「さすがに言い出しっぺの孫が違う色のローブを着ていたら様にならないでしょう? 私としてはもっと派手な色が良いんだけど」


「例えば?」


「赤色とか」


 即答だった。躊躇なく血を想起させる色を選択するとは、さすがいきなり人に攻撃魔法をぶっぱなしてくるだけのことはあるな、と修介は感心した。無論、命が惜しいので口には出さないが。


「……ところで、サラのおばあさんはどこにいるの?」


「あそこにいるわ」


 そう言ってサラは白い集団のテーブルから少し離れた別のテーブルを指し示す。

 そこには白いローブを纏った老婦人が、複数の男女に囲まれて談笑していた。


「おおっ、あれがサラのおばあさんかぁ」


 修介は感心したように呟いた。

 老魔術師というからにはとんがり帽子をかぶり、腰の曲がった枯れ木のような魔女の姿を想像していたが、サラの祖母は少しふくよかな体型で背筋はピンと伸びており、凝った刺繍が施された白いローブを纏った姿は、魔女というよりは司祭といった印象だった。上品に笑うその顔にはどことなくサラの面影を感じさせる。


「優しそうなおばあさんじゃないか」


 修介は軽い気持ちでそう言ったが、サラは真剣な表情で修介を見て首を横に振った。


「見た目に騙されたらダメよ。あの人はああ見えて私以上に好奇心旺盛なんだから。特に魔法が絡むと人が変わるわ。だから、間違ってもあなたはおばあさまに近づいちゃダメ。あなたの体質がおばあさまに知られたら、冗談抜きで王都に連れていかれるわよ」


「お、脅かすなよ……」


「脅しじゃないわよ……。まったく、周囲の迷惑も考えずに、いい歳してこんなところにまで来ちゃって。さっさと弟子に後を任せて隠居すればいいのに……」


 サラは恨めしそうに祖母のいるテーブルを見つめている。

 口では悪く言っているが、おそらくサラは祖母の身を案じているのだろう。いくら高名な魔術師とはいえ高齢である。身内として恐ろしい魔獣との戦いに参加して欲しくないと思うのは当然だろう。

 とはいえ、わざわざこうして出張ってきているということは、サラの祖母は相当な実力を持った魔術師なのだろうし、サラの言う通り好奇心が旺盛な性格で間違いがなさそうだった。それだけ凄い魔術師ならば、一目で修介の体質を見抜くかもしれない。

 修介は身震いするとサラの祖母から見えない場所に立ち位置を変えようとした。



 突然、中庭の一角から大きな歓声が上がった。

 何事かと修介が目を向けると、そこには白いドレスを身にまとったシンシアの姿があった。

 白を基調としたドレスには華やかな装飾が数多く施されており、大きく開いた胸元では宝石があしらわれた銀色のブローチが輝きを放ち、白い肌と相まって健康的な色気を醸し出していた。シンシアは辺境伯家の令嬢であって姫ではないのだが、シンシアの姿はそう呼んで差し支えのないほど美しく気品があり、そして可憐だった。

 シンシアは品のある微笑みを浮かべながら、周囲を取り囲む騎士達の声に手を振って応えていた。その背後にはメリッサが控えており、さらにその後ろではランドルフが鋭い視線を周囲に向けていた。


 修介は声を掛けたい衝動に駆られたが、公の場で一介の冒険者に過ぎない自分が貴族の令嬢に声を掛けられるはずもなく、遠巻きにシンシアの姿を眺めるだけで我慢することにした。それに、シンシアは討伐軍に参加する騎士達を激励する為にこの場にいるのだ。それを邪魔するのも憚られた。

 シンシアに声を掛けられた多くの騎士達は、感動に打ち震え、魔獣討伐を自らの剣に固く誓っていた。

 先ほどグントラムを見た時にも感じたが、騎士達の視線を釘付けにするシンシアの美しさを見て、修介は人の容姿というものの重要性をあらためて認識させられていた。

 指揮官がグントラムのような威風堂々とした容姿の持ち主であれば、多くの将兵は安心して戦うことができるだろう。そして守るべき対象がシンシアのような見目麗しい女性であれば、必死で守ろうとするに違いない。人を容姿で差別するのは決して良いことではないが、人に忠誠心を求める立場の者にとって容姿が如何に重要な資質であるかということがよくわかる。

 そういった意味で、シンシアの可憐な容姿は騎士達の忠誠心を大いに刺激しているようだった。


 しばらくの間、若干の寂しさを覚えつつも、修介は健気に頑張るシンシアを暖かい気持ちで見守っていた。


「シンシアお嬢様、相変わらず可愛いわねぇ」


 サラの言葉に修介は視線をシンシアに向けたまま「そうだな」とだけ答えた。

 シンシアは熱狂的な騎士達に笑顔を振りまきながらも、時おり誰かを探しているかのように周囲に視線を巡らせていた。


(何を探しているんだ?)


 そう思ったと同時にシンシアの視線が修介の顔を捉えた。

 彼女は一瞬歓喜の表情を浮かべたが、それはすぐに怒りの表情へと取って変わり、最後にはふたつの感情が入り混じった名状しがたい表情となっていた。

 そして、突然ドレスの裾を掴むと、下品にならない限界の速度でツカツカと修介の方へと歩み寄ってきた。

 周囲の騎士達はシンシアの突然の行動に呆気に取られて立ち竦む。


「えっ、ちょっと、こっちに来るわよ?」


 隣にいるサラが戸惑ったように袖を引っ張って耳打ちしてきた。

 修介もサラに負けず劣らず戸惑っていたのだが、まさかここで逃げるわけにもいかないので、そのまま直立不動でシンシアを待つことにした。


「ご無沙汰しております、シュウスケ様。お元気そうでなによりですわ」


 修介の目の前に立つと、シンシアは優雅に、だが少し他人行儀にそう挨拶した。


「こ、こちらこそご無沙汰しております、シンシアお嬢様。おかげさまでこうして元気にやっております」


 修介はかしこまってなんとかそう答えたが、はっきり言ってこの応対の仕方で合っているのか全く自信がなかった。公の場での貴族に対する礼儀作法など知る由もない。隣でサラが「ぷっ」と噴き出しているのが聞こえた。

 修介はおそるおそるシンシアの顔色を窺う。彼女は先ほどまでとは打って変わり穏やかな笑みを浮かべていたが、それは明らかに騎士達に向けていた笑顔とは質の異なるものだった。


「……そ、それで、お嬢様、わたくしめに何かご用でしょうか?」


 修介の妙にへりくだったその物言いが気に入らなかったのか、シンシアの顔からほんの一瞬だけ笑みが消えた。修介はすぐに己の失敗を悟るも、今更発言は取り消せない。


「どうしてシュウスケ様がここにいらっしゃるのですか?」


 シンシアは再び表情を笑顔に戻すと、その表情とは裏腹に問い詰めるように質問を繰り出した。


「えっ……?」


 咄嗟に質問の意味がわからず修介は言葉に詰まる。

 冒険者がここにいる理由なんてひとつしかないわけで、それはシンシアも承知しているだろう。

 つまり問われているのは、なぜ修介が依頼を受けたか、ということだった。

 同じ質問をつい先ほどサラにもされたことで、修介は如何に自分が分不相応な場所にいるのかということを強く認識させられていた。サラもシンシアも修介を気遣ってのことなのだろうが、それだけ自分が彼女達から見て頼りない存在であるという証でもあるので、その胸中は複雑であった。


 だが、実のところ質問をしたシンシアの方が修介よりも複雑な思いを抱えていた。

 元々シンシアは修介がこの場にいないことを望んでいたのである。だが、多くの冒険者が宴に参加していることを聞いて、つい修介の姿を探してしまうくらいには、会いたいという想いが募っていたのだ。だからこそ修介の姿を見つけた時は心が躍ってしまったわけだが、同時に彼がこの場にいることの意味も理解してしまったので、つい詰問するような口調になってしまったのである。

 おまけに修介の他人行儀な態度もシンシアの神経を逆なでした。これに関しては他人のことを言えた義理ではなかったし、彼の立場上そうせざるを得ないことも理解していたが、それでも不満は拭えなかった。


 そんなシンシアの内心を知る由もなく、修介は直立不動で答える。


「じ、自分も冒険者としてきっとお役に立てることがあると思い、討伐軍に参加させていただくことにしました。微力ながら全力を尽くす所存であります」


「……そうですか。領民達の為にも、あなたの力を我々にお貸しください」


 シンシアは「危ないからやめて」と思わず本音が出そうになるのをぐっと堪えてそう言った。公の場でそんなことを言えるはずがないのは当然だが、それ以上にシンシアはもし修介が討伐軍に参加した場合にはその決断を尊重すると決めていたからである。

 もとより冒険者の参加は強制ではない。おそらく修介はたくさん悩み、必死に考えて決断したに違いないのだ。自分にその決断を咎める権利があろうはずもなかった。

 とはいえ、不満の一つも態度に出さないと気持ちが収まりそうもなかった。とりわけ、先ほどから寄り添うように修介の隣にいる美しい女性の存在がシンシアは気になって仕方がなかった。


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