第68話 マナを持たぬ者

 修介が討伐軍への参加を決めた数日後、ギルド長オルダスは討伐軍に参加する冒険者を選ぶべく、執務室で受け取った申込書の束を捲っていた。

 領主から依頼を受けた人数は八〇名だったが、参加希望者は二〇〇名を超えていた。この中から恐るべき力を持った魔獣ヴァルラダンを討伐する冒険者を選抜し、さらに戦いの神の加護を受けたという槍を持つ者の人選も行わなければならない。

 職員にまとめさせた資料を見ながら、実績のない者、経験が少ない者を次々と不参加に振り分けていく。

 ふと、見慣れぬ名前にオルダスの手が一瞬止まった。


「シュウスケ……」


 最近冒険者になったばかりの新人の名前だった。しかし、新人ながらも薬草採集に非凡な才能を発揮し、直近では一級賞金首を討ち取るという手柄も立てていた。実績としては十分に思えたが、いかんせん経験が圧倒的に足りていなかった。


「まぁ、不参加だな」


 まだ若く伸びしろもある冒険者をあえて危険な戦いに赴かせることはない。オルダスはそう考えて、修介の申込書を不参加へと振り分けようとしたところで、唐突に屋敷でのグントラムとの会話を思い出した。

 あの時、なぜグントラムは修介に槍を持たせるかを確認してきたのか。そもそもなぜ領主が名もなき新人冒険者のことを知っていたのか。

 たしかに珍しい名前だし、オルダスは直接の面識こそなかったが、聞いた話では見た目も黒い瞳に黒い髪という珍しい特徴があるという。だが、それだけで領主が気にするとは到底思えなかった。


「うーむ……」


 オルダスの手は完全に止まっていた。

 いつもであれば迷わず不参加にするはずだが、どうにもあの時のグントラムの態度が気になって仕方がなかった。

 そんなオルダスの思考は扉をノックする音によって中断させられた。


「失礼します……あの、頼まれていた資料を持ってきました」


 そう言って入ってきたのは受付のハンナであった。

 資料を受け取りながら、ちょうどいい機会だと思い、オルダスは修介についてどのような人物なのか尋ねてみた。


「シュウスケさんですか? とても良い人ですよ」


 屈託のない笑顔でそう答えるハンナに、オルダスは自分の質問の仕方が悪かったと反省した。


「いや、そういうことではなくてだな……君の目から見て彼に冒険者としての資質はあると思うかね?」


「うーん、そうですね……あまり冒険者に向いている性格とはいえないですね。野心や功名心はほとんどないみたいですし、他人を押しのけてまで手柄をあげようとする人ではないですね。でも、温厚で人当たりも良くって、依頼も真面目にこなしてくれるので、冒険者を派遣する立場からすると、とても良い人材です」


「そうか……」


 ハンナの語る人物像に特筆するような点があるとは思えなかった。むしろ性格から言えば、とても大成するような人物とは言えないだろう。


「でも、新人なのに話題に事欠かない人なんですよね」


 ハンナは楽しそうに手を合わせながらそう付け加えた。その様子からハンナが随分と修介という人物を気に入っていることが窺えた。


「話題?」


「だって、たった一週間でギルドの薬草採集の記録を塗り替えるし、初めて受けたゴブリン討伐の依頼でなぜか一級賞金首を討伐して帰ってくるし、それに冒険者登録に来た時だって――」


 そこまで言ったところでハンナははっとして口を閉ざした。


「冒険者登録に来た時?」


「い、いえなんでもありませんっ!」


 ハンナは慌てて否定したが、その態度は明らかに何もない態度ではなかった。登録の時に何か問題が起こったという報告をオルダスは一切受けていなかった。


「ハンナ」

 静かな、それでいて逆らい難い迫力が込められたオルダスの口調に、ハンナは諦めたようにため息をつくと、修介が登録を行った際に起こった出来事をすべて話した。


「――マナがない、だと……?」


「そ、そんなことをサラさんが言ってたんです……」


 報告を怠ったことを叱責されると思ったのか、ハンナは怯えたようにそう言ったが、オルダスの頭の中はそれどころではない程に混乱していた。

 人間にはマナがある。それは世界の常識である。

 だが、その常識を持たない者が彼の記憶の中にひとりだけいた。

 オルダスは今でこそ冒険者ギルドの長を務めているが、若い頃は冒険者であった。駆け出しの頃はこのグラスターの街を拠点に多くの依頼をこなし、妖魔討伐に明け暮れた。

 その最中に出会い、意気投合した冒険者のひとりに、まさにマナを持たない特殊な体質を持った人間がいたのだ。

 遠い過去の記憶の中に埋もれていたその男の存在をオルダスは思い出していた。


 その男の名前はジュンといった。

 記憶にあるジュンの容姿もたしか黒い髪に黒い瞳だった。そして、マナがないという体質の持ち主でもあった。それが一体何を意味するのかオルダスにはわからなかったが、少なくともグントラムが修介の存在を気にする理由の一端はわかったような気がした。

 ジュンは間違いなく一流の冒険者であり、戦士であった。マナがない為、魔法の類は一切使えなかったが、それを補ってあまりある剣技を持っていた。特に反応速度の凄まじさは常識を超えていた。オルダスも現役時代はそれなりに名の通った冒険者であったが、彼には一度として勝てたことはなかった。


 もし修介という新人冒険者にジュンと同等の能力があるとするならば、ジュードを討ち取ったというのも頷ける話だった。

 ジュンと修介には何か関係があるのだろうか。確認したいところだが、一〇年前、ちょうどオルダスがこのグラスターの街のギルド長として赴任してきたのとほぼ同時期に、ジュンはこの地を去っていた。それ以来連絡はなく、消息も不明だった。

 ジュンはその高い実力の割にほとんど無名の冒険者だった。街を拠点としていなかったことや、ギルドを介さずに勝手に活動していたということもあるが、本人が有名になることを拒んでいる節があった。おそらく今の若い連中は彼のことを知らないだろうし、古参でも覚えている者はもうほとんどいないだろう。

 だが、ジュンはオルダスにとっては決して忘れられない存在だった。命を救われたのも一度や二度ではない。見た目の印象もそうだが、風変わりな発言が多く、稀に訳の分からない言葉を口にしてはオルダスを困惑させたものだ。短い付き合いではあったが、何度も共に死線をくぐりぬけた戦友であり、生意気な弟のような存在でもあった。


「あの、ギルド長……?」


 遠慮がちなハンナの声で、オルダスの思考は中断された。


「ああ、すまない。つい考え事をな……」


「それでその……シュウスケさんは大丈夫なんでしょうか?」


「ん? どういうことだ?」


「だって、もしギルド長が魔法学院にこのことを報告したら、冒険者として活動できなくなってしまうかもしれないじゃないですか……」


 ハンナは不安そうな顔を浮かべる。自分のせいでそうなってしまったら、と責任を感じているのだろう。


「その件を預かると言ったのはサラなんだろう?」


「は、はい……」


「なら、我々が関知することではないな。責任は彼女に取ってもらうさ」


 その言葉にハンナは露骨にほっとしたような表情を浮かべた。


「良かった……それじゃあ私はこれで失礼します」


 そう言ってそそくさと出て行こうとするハンナの背に、オルダスは無慈悲に告げる。


「それはそれとして、報告を怠った件については後日きっちりと罰を与えるから、そのつもりでいるように」


 言われたハンナは肩を落として部屋から出て行った。

 その背中を見送ったオルダスは、手にしたままだった修介の申込書に視線を戻す。


「なるほど……そういうことなら、彼を参加させない手はないな」


 領主との関係など不可解な点は多々あったが、それ込みでもこのまま放っておくのはもったいない。オルダスはそう考えた。

 そして、手にした申込書を参加の方へと振り分けたのだった。

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