第67話 決意
それから三日間、修介はもやもやする心を抱えたまま倉庫での仕事を続けていた。
倉庫で働いている作業員達の間でも魔獣の話題でもちきりだった。
このまま魔獣を放置していれば、いずれはこの街にも被害が及ぶかもしれないという不安が人々の間に渦巻いていた。
仕事を終えた修介はどことなく暗い街の雰囲気を肌で感じつつ、ギルドへと依頼完了の報告に訪れた。
依頼書が貼り出された当初は申し込みや問い合わせをする冒険者でギルドの受付はかなり混み合っていたが、三日も経つとだいぶ落ち着きを取り戻していた。
ハンナのいる受付に向かうと、修介は依頼が完了した旨を告げた。
「おつかれさまでした」
いつも通りの笑顔で迎えてくれるハンナだったが、その顔にはどことなく疲労の色が窺えた。ここ数日の混雑ぶりを考えるとそうなるのも仕方がないだろう。
修介は申し訳ないと思いつつも、手続きをするハンナに話しかけた。
「例の魔獣討伐軍参加の申し込み状況ってどんな感じです?」
ハンナは一瞬だけ手を止めたが、顔を上げることなく答える。
「具体的な人数は言えないけど、かなりの人が申し込みしてくれてるわよ」
「へぇ、そうなんですね」
ハンナの答えを修介は意外に感じていた。
いくら報酬額が高いとはいえ、完全成功報酬型である。魔獣を討伐しない限り何ももらえないのだ。おまけにあれだけの兵力を揃えた調査団を壊滅させるほどの力を持った魔獣である。噂に聞いた調査団の生還率の低さは、そのまま今回の討伐軍の生還率に当てはまる可能性だってあるのだ。それがわかっていながら多くの冒険者が参加を希望していることが信じられなかった。
「……やっぱり報酬が高額だからなんですかね?」
ハンナは今度は顔を上げて修介を見た。
「もちろんそれもあるだろうけど、それだけじゃないと思うわよ?」
「……というと?」
「シュウスケさんはこの街に来てどのくらい?」
「えっ……よ、四カ月くらいですかね」
いきなり関係なさそうな質問が飛んできたことに修介は戸惑う。
「そっか……それなら仕方がないのかもしれないわね」
「どういうことです?」
「冒険者が妖魔や魔獣を討伐するのって、もちろんお金の為や、単に戦うことが好きってこともあるだろうけど、それだけって人は少ないと思うの」
「はぁ……」
「今度現れた魔獣はとても恐ろしい魔獣よ。放っておけば次はこの街が襲われるかもしれないわよね?」
「……そうですね」
修介は神妙な顔で頷いた。
「冒険者って根無し草みたいな印象があるかもしれないけど、長く活動する間に友人や恋人といった大切な人がこの街にできるのよ。家族を持った人も当然いるわ。仮にいなくても長く住んでいればそれなりに街に愛着が湧くものだしね。だから彼らはそういった大切な物を守るために割に合わない危険な依頼でも志願してくれるのよ」
ハンナのその言葉は修介の心に大きな波紋を起こした。
修介にとって冒険者の仕事とは単に金を稼ぐ為の手段でしかなかった。冒険者の仕事に限らず、前の世界で働いていた時もそうだった。仕事にやりがいや生きがいを感じたことなど一度もなく、働かなければ生きていけないからやむなく働いていた。ただそれだけだった。
その価値観から言えば、今回の魔獣討伐依頼は条件面で折り合いがつかないから受けないのが当然だった。いくら人の為になる仕事がしたいと言っても、死んでしまっては意味がないからだ。
だが、この世界の冒険者達はそうではないという。大切な物を守る為に割に合わないのを承知の上で危険な戦いに赴くのだ。それは当たり前のことのように思えて、言うほど簡単なことではない。懸けるのは自分の命なのだ。
「……ちなみになんですが、もし俺が参加を申し込んだら、俺は参加できますかね?」
修介の問いにハンナは驚いたような顔をした。
「えっ、シュウスケさん参加するの?」
「あ、いえ、仮に申し込んだらどうなるのかなーって思っただけでして……」
修介は慌てて否定したが、ハンナは少し嬉しそうな表情を浮かべて机の横にある名簿を手に取った。
「そうねぇ……やっぱりそれなりに実績のある冒険者じゃないと参加できないことになっているわ。でも、シュウスケさんは一級賞金首を討伐した実績があるし、薬草採集の記録保持者でもあるから、実績的には申し分ないのかも? 最終的に決めるのはギルド長だから、なんとも言えないわね」
「そ、そうですか……」
てっきり門前払いになると思っていた修介からしてみたら、ハンナの回答は予想外だった。一級賞金首の討伐というのはそれだけ大きな実績なのだろう。
「参加を希望するならこのまま受付してあげるけど、どうする?」
上目がちに問いかけてくるハンナに、修介は慌てて手を振った。
「い、いえ結構です」
「そう? あと三日くらいは受付してるから、気が変わったら言ってね」
ハンナはそう言って立ち上がると、書類を持って扉の向こうへと姿を消した。
修介はあらためて壁際の掲示板に目をやった。
大きく貼り出された魔獣ヴァルラダン討伐の依頼書。
魔獣討伐に参加しようとする冒険者達は、おそらくこの依頼をただの仕事だとは考えていないのだろう。少しでも勝算が高そうな討伐軍に参加して本気で魔獣討伐を成し遂げようとしているのだ。自分の事だけではなく、大切な人や大切な場所を守る為に、命懸けの戦いに赴こうとしているのだ。
この世界に来て日が浅い修介には、まだこの街にそこまでの愛着はなかったが、得体の知れない自分に世話を焼いてくれた恩人や、共に旅をした仲間がいた。
(はたして俺はその人達の為に、恐ろしい魔獣との戦いに赴けるのか?)
そう自分に問いかけてみたが、答えは出なかった。
ゴブリン討伐の時でさえ戦いを前にして震えたのだ。相手が恐ろしい魔獣だとわかっている戦いに及び腰になるのは当然だった。
だが、ハンナの話を聞いて、ロイと会って以来ずっと心の中でくすぶっていたもやもやが熱い塊に変わったような、そんな気がした。
『マスター、なぜあんなことを聞いたのですか?』
ギルドを出て宿へ帰る道すがらアレサにそう問いかけられた。
「あんなことって?」
修介はそれが何を指しているのかわかっていながらとぼける。
『魔獣討伐軍への参加の可否を確認したことです』
「ああ……なんとなく、だよ」
修介はそう言葉を濁したが、それで誤魔化されるようなアレサではないことは、当の修介が一番よくわかっていた。
『なんとなくで危険な依頼を受けられても困ります』
「だから受けないって」
『でも迷っているのでしょう?』
間髪を容れずに返されて修介は言葉に詰まる。
確かに修介は迷っていた。
理屈や理性は依頼を受けてはいけないと警告を発していたし、感情面でも死の恐怖を感じて気後れしていた。
だが、心の奥底で何か別の感情が蠢いているのも確かだった。
友や尊敬する騎士が命懸けで戦った。
多くの同業者がこれから命懸けの戦いに赴こうとしている。
なら自分は? そう考えてしまう。
『……ところでマスター、街の郊外にある共同墓地に、先日の魔獣との戦いで亡くなった人達の為の石碑が建てられたそうですよ』
黙り込んだ修介に、アレサは唐突にそう言った。
「石碑?」
なぜアレサがそんな情報をこの状況で伝えたのかは謎だったが、情報そのものは修介の興味を引いた。
『調査団の犠牲者は、そのほとんどが遺体を回収できていませんから、おそらく遺族の為に領主が作らせたのでしょう』
「なるほど、慰霊碑みたいなものか……。そういえばこの世界の死後の概念ってどんな感じなんだろ?」
『マスターの住んでいた世界とそれほど大きな違いはないですね。人間には魂があって、その魂は死後、神の住む地に送られると信じられているようです。ただ、輪廻転生という考え方はないみたいですね』
「なるほどね……」
修介は実際に一度死んで、死後の世界みたいなところでシステム管理者を名乗る胡散臭い老人から世界の仕組みを聞かされた。死んだ人間の魂はまっさらな状態に戻され、再び新たな生命として元の世界に戻されるという。
それが真実かどうかは確認のしようもないが、実に淡々と作業のようにそれが行われているという話が現実だとするならば、慰霊碑の存在が途端に陳腐な物に感じてしまいそうになる。
だが、だからといって残された人達にとってそれが重要な意味を持つということに変わりはない。
「ちょっと行ってみるか……」
死んだストルアンの弔いをするにはそこに行くのがいいだろう。修介はそう考えて、街の郊外へと足を向けた。
夕方になると急に気温が下がったようで、吹き抜ける風は冷たく、季節が秋から冬へと移り変わろうとしているのを実感させられる。アレサから聞いたところでは、この国は夏は短く冬は長いらしく、冬の寒さはなかなか厳しいらしい。
共同墓地は街を守る二重防壁の間の土地に設けられていた。防壁と防壁の間にあるなだらかな丘に、多くの墓が規則正しく並んでいた。
傾き始めた太陽の光によって墓から長い影が伸びており、遠くから眺めると、まるで緑の大地に大量の黒い剣が刺さっているように見える。
少し歩くと、墓地の奥に少し広い場所があり、そこにいくつかの石碑が並んで建てられていた。
石碑はこの地の妖魔との長い戦いの歴史そのものなのだろう。そんなことを考えながら修介は石碑に近づこうとして、そこに先客がいることに気付いた。
三人の人影が石碑の前で長い影を作っていた。
ひとりの婦人と、ふたりの子供だった。
修介は子供達の顔を見て愕然とした。
その子供達はハース村の近くの森で保護したトビーとアニーだった。
トビーはアニーの手をしっかりと握りながら、きつく唇を噛みしめている。アニーは事情がよくわかっていないのか、そんなトビーの横顔をただ不思議そうに見つめていた。
修介はふたりの子供から目が離せなかった。
その姿が、事実をわかりやすく修介に突き付けていた。
あんな小さな子供達が唐突に親を奪われただけでなく、新しくできた家族まで奪われるという過酷な現実に向き合わされているのだ。
必死に涙をこらえ目の前の石碑を睨みつけるトビーの表情は、修介の心に特大の刃となって突き刺さった。
(ああ、もうダメだこれは……)
修介にはもう心の奥底にあった塊が大きくなっていくのを止めることができそうになかった。
怒りが限界を超えていた。
こんなことが許されていいはずがなかった。
ストルアンの命を奪い、ロイの夢を奪い、子供達から家族と笑顔を奪った、ヴァルラダンという魔獣が許せなかった。
修介は黙ってその場を去る。
自分がここに来るのは今ではない。やるべきことをやり遂げた後だ。
向かう先は冒険者ギルドだった。
「悪い、アレサ。俺やっぱり討伐軍に参加するわ」
修介は小声で、だがはっきりとそう告げた。
『そうですか』
アレサの反応はいつも通り平坦だった。
「反対しないのか?」
『もちろん反対ですが、やめるつもりはないのでしょう?』
「まぁな……」
修介はこれが一時の激情であることを理解していた。いつも自分では深く考えて物事を決断してきたつもりで、じつはそうではないことも知っていた。この判断を後悔する可能性が高いこともわかっていた。
だが、一度決めた以上逃げるつもりはなかった。
『ひとつだけ伺ってもよろしいですか?』
「なんだ?」
『私にはマスターが生き急いでいるようにしか見えないのですが、なぜですか?』
アレサの問いに、修介はそうかもしれないなと思った。
たしかに修介にはこの世界での自分の命を軽く考えている節があった。
修介にとってこの世界は、前の世界で果たせなかった想いや、選べなかった選択肢、そういった様々な後悔をやり直す為の言わばボーナスステージみたいなものだった。
前の世界は、口では強烈な個性を求めておきながら、暗黙のうちに従順や協調を求められた。出る杭は打たれるし、出過ぎた杭はむしろ打ちのめしても良いという風潮すらあった。
周囲からの同調圧力を気にし、赤の他人からの誹謗中傷に怯え、他者と自分を比較して勝手に悲観する……そんな生き方をしていた。
それでも、そういった理不尽やストレスを我慢してさえいれば、安全で平和な暮らしを享受できる世界だった。
それは、危険なこの世界に住む人々からしてみたら羨ましい環境なのかもしれない。
だが、修介はその世界で四〇年以上暮らしてきて、ヘドロのようにドロドロとした感情を長い年月を掛けて心の奥底に積み上げてきたのだ。
この世界で数か月暮らしてみて、前の世界と違い、この世界は努力がわかりやすく報われる世界だと思った。自分の信じたい物を信じ、誰かの為に戦えるこの世界に、どこか胸がすくような爽快感があるのは確かだった。だからこそ、命の危険を冒してでも後悔しない選択肢を選ぼうと無理をしていた。
一度死んで前の世界で積み重ねてきたすべてを失ったことで自棄になっている部分も確かにあるだろう。
だがそれ以上に、環境のせいにしたり、空気を読んで遠慮したり、自分に自信がないと言って多くのことから逃げ、小さな後悔を幾重にも積み重ねるような生き方をもう二度と繰り返したくないと思ったのだ。
今、様々なことから目を背け、戦いから逃げることは、新しい自分の人生では決してやってはいけないことだった。
どうせ一度死んだ身なのだから、無理をしてでも思い通りに生きてみたい――その想いに修介が突き動かされているのは間違いなかった。
「……それにな、もし参加しなかったら、討伐軍が勝っても負けても、俺はきっとその場にいなかったことを一生後悔し続けるような気がするんだ。そんな後悔を抱えたままこれからまた何十年と生きるのはごめんだ」
こんな答えでは、おそらくアレサを納得させられないかもしれない。
だが、これが修介の偽らざる本音だった。
『……わかりました。マスターがそう決めたのでしたら、私からは特に何も申し上げることはありません』
いつも通りのアレサの反応だったが、気のせいかそこには少し嬉しそうな気配が混じっているような気がした。
ひょっとしたら石碑の事を教えてくれたのも、背中を押す意味合いがあったのかもしれない。
「いずれにせよ、俺がこれからどこで何をしようとも、お前には付いてきてもらわないといけないわけだから、苦労を掛けるとは思うけど、これからもよろしく頼むな」
修介がそう言って鞘をぽんっと叩くと、アレサは軽く震えてからこう言った。
『私はマスターを補佐するために作られたソード型ガイドですから、できる範囲でサポートをするだけです』
返ってきたいつも通りの答えに修介は嬉しそうに頷いた。
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