第64話 恋慕

 肩を怒らせながら去る父の背を見ながらシンシアはほっと息を吐き出した。

 これほどはっきりと父に逆らったのは初めてのことだった。


「カーティス殿、先ほどは助け船を出していただきありがとうございました」


 シンシアはカーティスに向き直ると頭を下げた。

 カーティスは満更でもないといった表情で手を振った。


「なんのなんの、こちらとしてもお嬢様のおかげで思っていたよりも楽に閣下を説得できましたからな、お互い様ですよ」


 カーティスの物言いにシンシアは微笑む。そして姿勢を正して目を閉じると、生命の神に短い祈りを捧げた。


「カーティス殿のご武運、お祈り申し上げます」


「ありがとうございます。ランドルフの参戦をもたらしてくれたお嬢様は我らにとっての勝利の女神です。必ずや勝利の報をお届けしましょう。ついでにランドルフの奴も必ず無事にお嬢様の元にお返しいたしますよ」


 そう言うとカーティスは一礼して去っていった。


 シンシアはランドルフを討伐軍に参加させる為に父に意見しに行くことは当然本人には告げていなかった。知られれば絶対に止められるとわかっていたからだ。謹慎になったことはすぐに知られるだろうから、結局ランドルフから叱られるのは避けられないだろうが、それで彼の願いが叶うのならば構わなかった。


 ランドルフがシンシアの護衛についてもう一年以上経つ。それ以前からも親交はあったが、この一年間、多くの行動を共にしてきたことでシンシアはランドルフを兄のように慕うようになっていた。生真面目で頑固で融通が利かないが、実直で誠実な人柄を好ましく思っていた。

 かつてシンシアはランドルフにどうして騎士になったのか聞いたことがあった。その時彼は「自分と同じ境遇の子供をこれ以上増やさない為です」と答えた。

 ランドルフの生い立ちやその願いを知るシンシアには、今の境遇が彼にとってどれだけ不本意なものか、よくわかっていた。それでもランドルフは嫌な顔ひとつ見せずに護衛任務を立派に果たしてきたのだ。

 シンシアは感謝すると同時に、自分の存在がランドルフを願いを妨げてしまっていることを知って苦悩した。自分が屋敷から出なければランドルフを自由にさせてあげられるのではないかと考えたことさえあった。

 だが、アルフレッドの死をきっかけに、弟の分まで前向きに生きると決めた。

 そのことをランドルフに話すと、嬉しそうに笑って応援してくれたのだ。

 そんなランドルフが、調査団敗北の報を聞いた時に今まで見せたことのないような苦渋に満ちた顔を見せたのだ。それを見てしまったシンシアには、これ以上彼を自分の元に縛り付けておくことはできなかった。

 ランドルフを危険な戦場に赴かせることは嫌だったが、それ以上に彼の願いを叶えたいと思った。だからシンシアは初めて父親に逆らったのだ。

 その結果、ランドルフは次の戦いで戦場に立つことになる。

 魔獣との戦いでランドルフが死ぬ可能性があることを考えると、自分のしたことがはたして正しかったのか自信がなくなる。ランドルフだけではない。父や多くの騎士達が恐ろしい魔獣と命懸けで戦うのだ。

 今さらながらに大切な人達を失うかもしれないという恐怖が棘の付いた鞭となってシンシアの心を縛り付けていた。


「お嬢様……」


 突然声を掛けられ驚いて顔を上げると、いつの間にか近くにメリッサが立っていた。

 その表情にはこちらを気遣うような色が浮かんでおり、どうやらすべての事情を知っているようだった。おそらく近くで見守っていてくれたのだろう。


「……お父様に謹慎を言い渡されました」


「さようでございますか」


「色々と迷惑かけてごめんなさい……」


「お嬢様のわがままには慣れておりますから」


 そう言われたシンシアは自分の不安を悟られないよう無理やり笑顔を浮かべたが、どうやらメリッサには通用しなかったようだ。

 メリッサは優しく微笑むと、そっとシンシアを抱き寄せ「大丈夫、きっと皆無事に帰ってきますよ」とささやいた。

 シンシアは小さく「うん」と頷くと、そのままメリッサの胸に顔を埋めた。そうすると決まってメリッサは髪を優しく撫でてくれる。

 母親を失ってから、シンシアは悲しいことや不安なことがあるとこうしてメリッサによく抱きしめてもらっていた。まるで母親の代わりとして扱っているようで、メリッサに対して申し訳ない気持ちはあったが、彼女はいつでもこうして優しく受け入れてくれた。




 しばらくして落ち着くと、シンシアはメリッサを伴って自室へと戻った。

 ふたりで視察の為の準備で散らかっていた部屋の片付けを行う。

 ふと、父とカーティスが冒険者に槍がどうこうという話をしていたことをシンシアは思い出していた。

 冒険者と聞いてシンシアは修介の顔を思い浮かべる。

 修介が訓練場を出て行って以来、シンシアは一度も彼に会えていなかったが、メリッサやセオドニーから彼が冒険者になったという話は聞いていた。

 先ほどカーティスの口から冒険者という言葉が出たことで、シンシアの心の中に修介が討伐軍に参加するのではないかという不安が芽生えていた。


 シンシアの知っている修介はお世辞にも強い戦士とは言えない。

 大丈夫、いくらシュウスケ様でもそんな無茶はしないはず――そう自分に言い聞かせつつも、不安な気持ちが心の中でどんどん膨らんでいく。


「ねぇメリッサ、今度の討伐軍に冒険者の人たちって参加するのかな?」


 シンシアは傍で片づけをしているメリッサに問いかける。


「冒険者ギルドのオルダス様が会議に参加していらっしゃいましたから、おそらく参加することになるでしょう」


「やっぱりそうなんだ……」


 メリッサの答えを聞いてシンシアの不安は一層高まった。

 とはいえこの街にいる冒険者全員が参加するというわけではないだろう。まだ修介が参加すると決まったわけではない。

 だが、彼が一見落ち着いているように見えて、実はかなりの無茶をする人間であることを短い付き合いながらもシンシアはよく知っていた。


「冒険者の方がどうかされましたか?」


 メリッサが鞄から取り出したドレスをチェストにしまいながらそう問いかけてきた。


「……別に、ただなんとなく気になっただけ」


 シンシアはそう言ってごまかしたが、おそらくメリッサはすべてお見通しなのだろう。ドレスをしまう手を止めるとシンシアの方を見て言った。


「そんなに心配されなくても、今度の討伐軍にシュウスケ様が参加されることはまずないと思いますよ?」


「べ、別にわたくしはそういうつもりじゃ……でも、どうしてそう思うの?」


「こういった大きな作戦の時は、実績のある冒険者の方しか雇わないからです。シュウスケ様はまだ冒険者になって日が浅いですから、まず参加することはないでしょう」


「でもでも、シュウスケ様にはわたくしを助けたっていう実績があるわ……」


 真剣な表情のシンシアにメリッサは思わず苦笑した。 


「お嬢様、その件については公にされておりませんし、そもそもシュウスケ様が冒険者になる前の事ですから冒険者としての実績にはなりませんよ」


「し、知ってるわよ!」


 シンシアは自分の勘違いを指摘され思わず赤面する。

 シンシアが修介に助けられたという事実は、セオドニーによって公にならないよう情報が止められていた。「護衛責任者であるランドルフに責が及ばないように」というのがセオドニーの言い分だった。その点はシンシアも異存がなかったので、父親であるグントラムにも修介のことは話していなかった。むしろ生真面目なランドルフがすべて報告しようとするのを止めるのに苦労したくらいである。


「たしかにあの一件はお嬢様にとっては何物にも代えがたい大きな実績でしょうから、そう勘違いされてしまうのは仕方ないのかもしれないですね」


「もう、メリッサ!」


 からかうようなメリッサの言葉にシンシアは頬を膨らませた。

 それでも、修介が討伐軍に参加する可能性がほとんどないことがわかってシンシアは内心ほっとしていた。

 彼のことだから参加すればきっと無茶をするに違いない。できることなら彼には戦いとは無縁な平和な生活を送って欲しいと願っていた。


 シンシアは久しく会っていない修介のことを想う。

 黒い瞳に黒い髪を持つ少し変わった風貌の青年だったが、穏やかで優しげな表情や、必死に自分を守ろうとしてくれた後ろ姿を思い出すと、頬が熱くなるのを自覚する。

 シンシアは辺境伯家の長女としてそれなりに厳しく育てられたこともあり、一六歳という年齢の割に大人びてはいたが、まだ恋に恋する年頃でもあった。父親の厳しい目もあってそれを表には出さずにいたが、その内に秘めたる乙女心たるや相当なものであった。

 だが、そんな彼女に近寄ってくる貴族の子弟や若い騎士は、彼女自身ではなく、父親が持つ権力を見ている者がほとんどであった。幼いころからそういう男性ばかりを見てきたこともあって、シンシアは軽い男性不信に陥ってさえいた。

 ところが、そんなシンシアの危機に突如現れた黒髪の青年は、彼女が辺境伯家の娘であるということを知らずに、ひとりの女の子として命懸けで守ってくれたのだ。

 シンシアは普段から護衛の騎士達に守られてはいたが、それは彼女が辺境伯の娘だからであり、それが彼らの任務だからであった。そして騎士達は強さを誇るがゆえに、力を誇示するかのように振舞うことが多く、彼女にはそれが少し怖かった。

 だが、修介はそうではなかった。

 修介の纏う雰囲気は柔らかく、傍にいるとほっとした。時おり見せる大人びた言動や寂し気な表情は、それまでシンシアの周囲にいた男性達にはない魅力があった。

 そして、泣きながら妖魔と戦う姿はお世辞にも恰好良くはなかったが、それが逆に彼女の母性をくすぐった。彼女は生命の神の熱心な信者でもあり、生命の神は母性も司っているのだ。

 さらに、あわや殺されそうになったところを、ふたりで力を合わせて(と彼女は思っている)乗り切ったという吊り橋効果まで発動していた。

 おまけに修介の独特な風貌ながらも整った顔立ちはシンシアの好みでもあった。

 ようするにありとあらゆる要素が、修介に恋をするように仕向けられていたのだ。


 修介が訓練場にいた頃は、気を利かせたメリッサが「訓練の成果を報告してもらう」という名目で週に一度は修介を屋敷に来させていた。

 実際はただのお茶会だったのだが、そのお茶会で修介と過ごす時間はシンシアにとって新鮮で心躍る時間だった。こんな時間がずっと続けばいいと本気で思っていた。

 だから、修介が突然訓練場を出て行くと言い出したのは想定外の事態だった。

 訓練場での生活にも馴染んでいたようだし、訓練態度や人となりにも問題がないとの報告も受けていた。記憶が戻ればそれに越したことはないが、仮に戻らなかったとしても、そのまま屋敷で働いてもらおうと考えていた矢先の出来事だっただけに、シンシアの受けた衝撃は大きかった。その原因がランドルフが口を滑らせたからと知った時は本気で怒って、しばらく口を利かなかったくらいである。

 修介が冒険者になってからは当然お茶会もなくなった。そして、お茶会が自分と修介を結ぶ唯一の接点であったことに遅まきながら気付き、シンシアは焦っていた。

 故にメリッサの放った次の一言は、シンシアにとって神の啓示に等しかった。


「そんなにシュウスケ様のことが気になるのでしたら、いつの日か彼が一流の冒険者になったあかつきには、お嬢様が護衛として雇って差し上げてはいかがですか?」


「それだわ! わたくしがシュウスケ様を護衛に雇えば、ランドルフも自由にさせてあげられるわ!」


 シンシアは目を輝かせた。メリッサの提案は自分とランドルフの願いを同時に叶えられる最良の方法に思えた。


「お、お嬢様?」


 メリッサは戸惑いの声を上げる。彼女としては冗談のつもりで言ったので、まさかシンシアが本気にするとは思わなかったのだ。

 そもそも冒険者を護衛に雇うなど娘を溺愛する領主が認めるはずがない。そんなことはシンシアも理解しているはずだが、どうやら恋する少女にはその点に思い至るほどの冷静さはないようだった。

 当のシンシアは片づけもそっちのけでやるべきことを考えていた。


「冒険者のことなら、やっぱりセオドニーお兄様ね」


 次兄が冒険者ギルドと懇意にしていることをシンシアは知っていた。きっと相談に乗ってくれるはずだ。

 シンシアは自分が謹慎を言い渡されたことも忘れて自室を飛び出すと、メリッサの制止の声も聞かずにセオドニーの部屋へと向かうのだった。


 ……その後、シンシアはセオドニーの部屋で視察の件を伝えるべく訪れていたグントラムと鉢合わせとなり、大目玉を食らった挙句、目的を果たすどころかさらに謹慎が三日延びたのであった。

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