第63話 愛娘

 その後、グントラムは秘書官を伴い執務室に戻るべく席を立った。そして扉を開けたところで、待ち構えていたカーティスに呼び止められた。

 先ほどの件で苦言を呈するつもりなのだろう。そうなることはグントラムも予想していたが、当たったからといって別に嬉しくはなかった。


「カーティスよ、此度のことは申し訳ないと思っている」


 グントラムは先手を打った。


「……その件に関してはもう良いのです。若い騎士達を宥めるのにさぞ苦労するでしょうが、それについては後日あらためて閣下にご相談させていただくとしましょう」


 意外にあっさりとカーティスが引いたことにグントラムは拍子抜けする。


「そ、そうだな、必ずこの埋め合わせはすると約束しよう。それで、ここで待ち構えていたということは何か用があるのだろう?」


「はっ、騎士団からの人選についてなんですが――」


 カーティスがそこまで言ったところで突然「お父様!」という声が廊下に響いた。

 声のした方を見ると、そこにはグントラムがこの世で最も大切にしている最愛の娘――シンシアが思いつめた表情で立っていた。


「おお、このようなところにどうしたのだ、シンシアよ。今、騎士団長と重要な話をしている最中だ。少し待っておれ」


 そう言いつつも、グントラムの頬は明らかに緩んでいた。グントラムの娘への溺愛ぶりはこの領では知らぬ者はいないほどである。

 シンシアはちらりとだけカーティスに目を向けたが、すぐに視線をグントラムに戻すと、すぐ傍まで歩み寄る。


「カーティス殿もいらっしゃるのでしたら好都合です。お父様に折り入ってお願いがあって参りました」


 普段と違い硬い口調で話すシンシアにグントラムは戸惑いを覚える。

 その様子にカーティスはただ事ではないと察して「私の用は後で構いませんので」と小声でグントラムに言うと一歩下がった。

 グントラムは視線でカーティスに詫びると、シンシアに近づいて目線を合わせるように腰をかがめて優しく問いかける。


「それで、お願いとはなんだ?」


 シンシアはグントラムの目をまっすぐに見つめながら言った。


「はい。明日からのわたくしの視察の護衛からランドルフ卿を外してほしいのです」


「なっ……!」


 予想もしていなかったシンシアの要求にグントラムは言葉に詰まる。


「な、なんだ? あやつが何かお前の不興を買うようなことでもしたのか?」 


「いいえ、そんなことはありません」


 シンシアは首を横に振ってはっきりと否定する。


「ではなぜだ?」


「次の戦にランドルフ卿を参加させてほしいからです」


 シンシアの言葉にグントラムの頭の中は真っ白になった。まさか娘からそんな要求が出てくるとは思ってもいなかったのだ。

 おそらく多くの者がそれを望んでいるであろうことはグントラムも承知していた。それでもグントラムはランドルフをシンシアの護衛から外すつもりは毛頭なかった。最強の騎士を護衛に付けることがシンシアが街から出る際の絶対条件だからである。


 グントラムは娘のシンシアを溺愛している。

 だが、だからといって箱入り娘にするつもりはなかった。シンシアが望むことはなんでも叶えるつもりでいた。シンシアが修道院に通いたいという願いも聞き入れたし、一五歳になった時に領民の為に働きたいと言い出した時にも視察に赴く許可を出した。大事な娘を危険な街の外に出すのは嫌だというのが本音だったが、娘の幸せを誰よりも考え受け入れてきたのだ。

 その分、娘の安全には一切の妥協をせず最大限の配慮をしてきた。娘の立ち寄る先には先んじて騎士を派遣して大規模な妖魔狩りまで行う徹底ぶりだった。さらに、初めて遠方の視察に赴むく際には随員として騎士五〇名を含む計一〇〇人ほどの護衛をつけようとして重臣達から全力で止められたことまであった。散々揉めに揉めた挙句、最強の騎士ランドルフを専属の護衛に据えることでなんとか話がまとまったのである。

 重臣達からするとグントラムのシンシアの護衛への力の割き方は過剰を通り越して異常なのだが、それ以外は実に公明正大な統治者なので、シンシアへの過剰な護衛については必要経費と考えてやむなく受け入れている、というのが現状だった。

 いずれにせよ、シンシアの行動の自由はランドルフとセットが前提となっていた。

 先日、シンシアが視察を途中で中止し、わずかな護衛だけを連れて帰還する途中に妖魔に襲われたという報告を受けたことからも、グントラムとしてはランドルフを護衛から外すなど論外であった。


「……そのようなわがままが通るはずなかろう。ランドルフをお前の護衛から外すことはせぬ」


「でもお父様っ! 次の戦いはこのグラスター領にとって、とても重要な戦いになると皆が申しております。そのような戦いに参加できないというのは騎士としてあまりにも不憫でなりません!」


「すべての騎士が戦いに参加できるわけではない。ランドルフだけを特別扱いするわけにはいかん」


「わたくしの護衛はランドルフ卿でなくても務まります! でも、騎士としてランドルフ卿の代わりになる者はおりません!」


「なぜそこまでランドルフを参加させることにこだわるのだ? ……まさかとは思うが、ランドルフが私にそう言うようお前を仕向けたのではあるまいな?」


 口にしてからグントラムは後悔した。

 グントラムのその言葉にシンシアが顔を真っ赤にして怒りをあらわにする。


「お父様っ! いくらお父様でも今のお言葉は許せません! ランドルフ卿はそのような卑劣な行いをするような方ではありませんっ!」


「わ、わかっておる。今のは失言だった。すまぬ。……だがな、やはりランドルフを護衛から外すことはせん。それがお前を視察に行かせる絶対の条件だったはずだ」


 グントラムは娘を怒らせてしまったことに内心ショックを受けつつも、なんとか領主としての威厳を保って説得を試みる。


「……でしたら、わたくしは今回の視察を取りやめます」


「そのようなわがままは許さんぞ!」


 一転してグントラムは一喝した。父親としてだだ甘いグントラムではあったが、今のシンシアの言葉は領主として看過できるものではなかった。

 怒気を孕んだグントラムの言葉にシンシアは怯えたように体を竦ませた。


「領内の視察は気まぐれでやめていいような軽々しい物ではない。前回はアルフレッドのことがあったから大目に見たが、今回の視察には隣接するグルテール領のフォルコナー伯爵家への訪問も予定に組み込まれているのだ。先方にもその旨はもう伝わっておる。それをこちらの都合で一方的に反故にできるはずがなかろう!」


 普段優しい父親の滅多に見せない怒りにシンシアは心が折れそうになりながらも、必死に自分の思いを伝えるべく言葉を重ねる。


「でもっ、わたくしのせいで他の騎士のように民の為に戦うことができずに悔しがっているランドルフの姿をもう見ていられないのです! 調査団にはランドルフのお友達だってたくさんいたはずです。絶対に仇を取りたいと思ってるはずです! でも、ランドルフは馬鹿みたいに真面目で自分からは言えないから……だから、わたくしが代わりにお父様にお伝えしようと思って、それで……」


 名前の後ろに卿を付けることも忘れ、いつの間にか口調も元に戻り、涙ながらに必死に訴えるシンシアの姿はグントラムの心を大きく揺さぶった。

 だが、それでもグントラムは心を鬼にして娘の要求を跳ねつけねばならなかった。個人の都合でいたずらに領主が一度決定したことを変えるわけにはいかないのだ。


「おそれながら閣下……」


 グントラムが口を開きかけたところで割って入ったのはカーティスだった。


「なんだカーティス! おぬしの話は後でと言ったはずだぞ!?」


 苛立ちを隠そうともせずグントラムはカーティスを睨みつける。


「はっ、しかし今のお嬢様のお話と私の話は無関係ではございませんでしたので……」


「どういうことだ?」


「騎士団からの人選について、閣下は私に一任されました」


「……そうだが、それがどうかしたか?」


「であれば、私が槍を持つに相応しいと考える騎士はランドルフです。そのことをお伝えすべくここで待っていた次第です」


「なっ……」


「カーティス殿!」


 思いもよらぬ助け舟に、シンシアが目を輝かせながらカーティスの方を見る。


「先ほどオルダス殿は冒険者の面子についておっしゃられていましたが、我々騎士にも面子はございます。三本の槍のうち二本も冒険者に奪われたとあっては騎士団の面子が保てませぬ。ならばせめて槍を持つ騎士には領内でも最強の騎士を充て、我が騎士団の強さを領の内外に知らしめるべきでしょう。そしてその任にはランドルフ以外の騎士は考えられませぬ」


「ぬぅ……」


 カーティスの言葉にグントラムは思わず唸る。

 先ほどカーティスがあっさり引き下がったのは、こちらに大きな借りを作ったと思わせておいて、騎士の人選について自分の要求を通す為だったのだ。おまけにしっかりと「必ずこの埋め合わせはする」と言質まで取られていた。

 ランドルフの優秀さはグントラムも当然知っている。だからこそシンシアの護衛を任せているのだ。一時はシンシアの結婚相手に、とまで考えてくらいである。もっともランドルフはあっさりと結婚してしまったのでその話は早々に立ち消えたのだが。


「閣下! 騎士団の為にもランドルフの登用をお認めください!」


「お父様! お願いします!」


 ふたりから同時に迫られ、グントラムは思わず半歩退いた。

 娘の安全を願う父親と領の未来を憂う領主。ふたつの思いが激しくぶつかり合う。

 だが、本来であれば悩む必要などないのだ。娘を屋敷に残し、ランドルフを参戦させれば良いだけの話である。それで失われるのは自分の面子だけだった。

 そもそも、グントラムはランドルフをシンシアの護衛に付けていることが自身のわがままであると自覚しているのだ。個人の都合云々など言えた資格がないことは自分自身が一番よくわかっていた。


「……シンシアよ、どうあっても領主の決定に逆らうと言うのだな?」


 グントラムはシンシアの目を見据える。


「はい」


 シンシアは目をそらさずにはっきりと答えた。

 グントラムは父親としてではなく、領主としてシンシアを威圧するように目に力を込める。だが、シンシアは一切臆することなくその目を見つめ返してきた。その目は亡き妻に良く似ていた。

 そういえばあやつも一度決めたらそう簡単には折れない頑固者だったな――グントラムは懐かしさを覚えると同時に己の敗北も悟った。

 グントラムは深くため息を吐くと、周囲に聞こえるように声を大にして告げた。


「領主の決定に逆らった罰として、シンシアには二週間の謹慎を命じる! 尚、謹慎中の護衛の騎士達の扱いについては騎士団長に一任する! 以上だ」


 その言葉にシンシアの表情がぱぁっと明るくなった。


「お父様……ありがとうございます!」


「罰を与えたのだ。礼を言われる筋合いはない!」


 グントラムは居たたまれなくなって、シンシアに背を向けると大股でその場を去る。


「お待ちください閣下! それでは視察の件はいかがされるおつもりですか?」


 傍で見ていた秘書官が慌ててグントラムの後を追いながら問いかける。


「屋敷で暇を持て余している奴がいるだろう! 奴に行かせればよい!」


 グントラムは乱暴に答えた。

 それがセオドニーの事を指していることは秘書官にもすぐにわかった。たしかに領主の次男であるセオドニーであれば格という点では問題ない。だが、人気という点では問題は大有りだった。シンシアはその美しさと気さくさな性格とで多くの領民から慕われていたが、セオドニーは人前にほとんど姿を見せないことから人望は皆無だった。訪問先の村人達はさぞやがっかりすることだろう。

 秘書官は突然の変更に頭を抱えながらグントラムの後を追うのだった。

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