第61話 正体

 会議室は重苦しい空気に支配されていた。

 化け物との戦いの凄惨さに誰もが言葉を失っていた。会議に参加していたほとんどの者が、調査団がここまで無残に敗北するとは予想もしていなかったのだ。

 報告を終えたブルームにグントラムは下がって休むよう言った。ブルームは力なく頷くと、一礼して会議室を出て行った。

 グントラムはそれを見届けると、会議に参加している者たちの顔をゆっくりと見回してから口を開いた。


「……化け物の正体が判明した」


 その言葉に沈黙が支配していた会議室が一瞬にして騒然となる。


「そ、それは真ですか!?」


 騎士長のひとりが立ち上がって声を上げる。そして直後にはっとして「も、申し訳ございません、失言でした」と頭を下げた。君主の言葉を疑うような言動は本来であれば厳罰ものであった。

 だが、グントラムは鷹揚に頷き、その罪を咎めようとはしなかった。

 再び会議室が静まり返る。誰もが固唾を呑んで領主の次の言葉を待っていた。


「かの化け物の正体は魔獣……種族名で言うならヴァルラダンという種の魔獣だ」


「魔獣……ヴァルラダン……?」


 騎士団長のカーティスが戸惑ったような声を出す。カーティスに限らず、この場にいる全員が初めて聞いたという反応だった。それも当然のことだろう。グントラムですらつい三日前に知ったのだ。


「皆が知らぬのも当然だ。我が領地はおろか、長い王国の歴史でもこのような魔獣が出現したことは一度もないのだからな」


 妖魔と魔獣は二足歩行かそれ以外か、という形態の違いで便宜上呼び方を分けているに過ぎない。つまりドラゴンのような見た目と凶悪さを持ったあの化け物は、実はただの妖魔の一種に過ぎなかったということになるのだ。その事実に一同は少なからぬ衝撃を受けていた。


「し、しかし、二〇〇名を超す戦力をたった一匹で壊滅させるほどの力を持った魔獣が存在するとは考えられませぬ……。上位妖魔でさえ我ら騎士団の一軍で当たれば討伐できるのですぞ」


 カーティスが信じられないといった表情でそう言った。


「実際に存在していたのだから仕方なかろう。それに上位だの下位だのといった等級は我らが勝手に定めたものだ。より上位の化け物がいたとしてもなんらおかしなことはないだろう。現に魔神という化け物も存在しているのだからな」


 グントラムの言葉にカーティスは悔しげな表情を浮かべ押し黙った。

 代わりに口を開いたのは長男のフェリアンだった。


「それで父上、そのヴァルラダンという魔獣は具体的にどのような存在なのですか?」


「うむ、奴の正体は王都の書庫にある、かの古代魔法帝国時代の資料のなかに書かれてあった。以前より王都には情報の打診を行っていてな、先日その情報が届いたのだ」


 王都に保管されていた資料には当時の魔法帝国に仕えていた魔術師が残したという貴重な記録が残されていたのである。

 周囲の重臣達から領主の手際の良さに対して「おおっ」という感嘆の声が上がった。唯一、フェリアンだけは真にその情報をもたらした者が誰なのか見当がついたのか、露骨に顔をしかめていた。

 グントラムは重臣達に静まるよう片手を上げて制すると手元の資料を読み上げた。


 およそ六〇〇年前に起こった魔法帝国イステールと異界の魔神との戦争――。

 その戦争に際し魔神の王が世界各地に開けた七つの巨大な穴は、元々魔神がいた世界と繋がっていると言われており、そこから多くの魔神や妖魔、そして魔獣がヴァースの地に召喚された。

 だが、当初そのなかに魔獣ヴァルラダンは存在していなかった。

 魔神にとってヴァースで最も脅威となったのは魔法帝国の魔術師ではなく、その当時まだストラシア大陸に存在していたとされるドラゴンであった。

 ヴァルラダンがヴァースに現れたのは、戦争にドラゴンが介入するようになってからだった。


 当時、魔法帝国とドラゴンは相互不可侵の状態を保っていた。その為、ドラゴンは人と魔神の戦争に干渉するつもりはなかったのだが、そんな事情を知る由もない魔神は、ドラゴンの住処にも容赦なく侵攻した。

 ドラゴンの力は強大で、多くの魔神や妖魔を返り討ちにした。特に数千年の時を生きたドラゴンの力は神々にも匹敵するとまで言わており、一三体いた上位魔神のうち、二体はドラゴンによって滅ぼされたと伝承に残っているくらいである。

 魔獣ヴァルラダンは魔神にとって相性の悪かったドラゴンに対抗する為に召喚された魔獣なのではないかという推論が資料には記載されていた。

 実際、その戦争によってドラゴンは絶滅しているのだ。それがヴァルラダンによるものかは資料に明記されてはいなかったが、何十、何百という数のヴァルラダンの群れがストラシア大陸の空を埋め尽くしたという記述が残されていた。


「……ようするに我々は、強大な力を誇ったドラゴンを滅ぼしたかもしれない魔獣と戦わなければならないということだ」


 グントラムの言葉に、その場にいたほとんどの者が戦慄し、言葉を失っていた。


「ヴァルラダンが南西のヴィクロー山脈の方向へ飛び去ったことから、彼奴はヴィクロー山脈を根城にしているのだろう。ここ最近の妖魔の大量発生の原因は、おそらく彼奴がそこに住み着いたことで今までそこに生息していた下位の妖魔や魔獣が山から追い出されたからだろうな」


 グントラムがそう付け加えると、重臣達の何人かは得心がいったという表情を浮かべた。


 グントラムは再び資料に目を落とす。

 ヴァルラダンは刃を通さない強固な鱗に、鋭い鉤爪と牙、そして口から放たれる炎のブレスというドラゴンに似た特徴を持っているが、最も脅威とされていたのは口から発せられる咆哮であった。


 古来、ドラゴンの咆哮にはそれを聞いた生物の精神を打ち砕く効果があるとされている。どうやら魔獣ヴァルラダンの咆哮にも同様の効果があるらしく、精神力の弱い人間や動物は恐慌状態となり、一瞬にして戦闘能力を奪われるという。

 調査団の敗北もこの咆哮によって馬が恐慌状態に陥り、騎兵隊の突撃が阻まれたことが直接の敗因だった。人間にはほとんど効果がなかったようだったが、騎兵の突撃がなければ魔獣に有効打を与えられないことから、この咆哮への対処がヴァルラダン討伐においての最重要の課題となる。

 資料によると魔法帝国時代の魔術師達は高い魔力と精神力を持っていた為、ヴァルラダンの咆哮はそれほどの脅威とはならなかったという。また、魔法が効かなかった上位魔神とは違い、ヴァルラダンには攻撃魔法が有効であったとされ、当時の魔術師が二、三人もいればヴァルラダンの討伐は可能だったとまで記載されていた。

 それが事実だとするならば、人とドラゴンが共闘していれば戦争に勝てたのではないかと思えるだけに、当時の魔法帝国が如何に驕っていたのかがわかる話でもあった。


「では、我らも魔法で討伐するのですか?」


 文官の問いかけに、グントラムは首を横に振った。


「当時と今とでは魔法技術に差がありすぎる。今の魔法ではおそらくヴァルラダンを倒すことなど到底不可能だろう」


「となれば、やはり直接彼奴に刃をくれてやるしかありませんな」


 若い騎士長のひとりが拳を握りながら力強く言い放つ。


「ですが、彼奴は空を飛ぶのですぞ。先の戦いで兵器を失った今、どうやって彼奴を地面に引きずり下ろすのですかな? いくら騎士団が勇猛でも攻撃が届かなければ無意味でしょう」


 別の文官が揶揄するように口を挟む。


「もう一度、王都から兵器を取り寄せればよいではないか!」


「簡単に言ってくれますな。兵器は無料ただではないのですよ。その資金はどこから捻出されるおつもりですかな?」


「領地の存亡が掛かっているのだ! 金のことなど気にしている場合かッ!」


「領の財政を軽視されるような発言は慎んでもらいたいものですな。せめて調査団が兵器をいくつか持ち帰ってくれていれば良かったんですがね」


「貴様ァ! 命懸けで戦った兵達を愚弄するつもりかっ!」


「そのようなつもりは毛頭ございません。ただ事実を申し上げただけです」


「おのれッ!」


 騎士長が激昂し立ち上がって腰の剣に手を掛ける。


「やめぬか! まだ閣下の話は終わっておらんぞ。控えよッ!」


 カーティスの鋭い声が会議室に響く。

 その声で若い騎士長は冷静さを取り戻し、悔しさを滲ませつつも「失礼しました」と頭を下げて席に着いた。得意げな顔をしていた文官も慌てて口を噤んだ。

 カーティスが視線を向けると、グントラムは頷いた。

 グントラムにはふたりを咎めるつもりは毛頭なかった。元をただせば情報が不足した状態で兵の派遣を決定した自分の落ち度なのだ。責を負うべきは調査団ではなく自分であるとグントラムは考えていた。


「……発見した資料には幸いにも魔術師の魔法以外にも対抗策が記載されていた。これは魔法帝国崩壊後にヴァルラダンに戦いを挑んだ戦いの神の神官が資料に追記したものと思われる」


 グントラムはそこで一旦言葉を区切ると、手元の杯に入った水を一口含んで口を湿らせてから再び口を開く。


「戦いの神の加護が与えられし三本の槍をヴァルラダンに突き刺すことで、その咆哮の力を封じることができるらしい。その槍の作成方法も一緒に記載されてあった。すでに戦いの神の神殿に資料を渡して槍の作成を依頼してある」


 グントラムの言葉に場にいる騎士達が「おおっ」という歓声が上がった。咆哮さえ無力化できれば騎兵隊の突撃が可能となるのだ。騎兵隊の突撃が封じられたことで敗れた調査団の仇を討つのにこれ以上ない対抗策であった。


「で、ですが先ほども申し上げましたが、兵器を失った我らは彼奴をどうやって地面に引きずりおろすのですか? おそれながら今一度兵器を取り寄せるのは時間的にも財政的にも難しいかと……」


 先ほどの文官がおそるおそるといった様子で意見を口にした。

 水を差される形となった騎士達が再びいきり立つが、グントラムは片手を上げてそれを制した。


「おぬしの言うことはもっともだが、次の戦いでは兵器を使う予定はない。報告にもあったが、先の戦闘で彼奴が真っ先に兵器を狙ったことからも、彼奴にもそれなりの知恵があるようだからな。おそらく同じ手は二度も通じぬだろう」


 その言葉に何人かの騎士が頷いた。

 グントラムは鋭い視線で一同を見渡してから言葉を続ける。


「……俺の考えはこうだ。まず先の戦いで置き去りにされた兵器を可能な限り回収、補修して、それを中央の部隊に配置して囮とする。彼奴は真っ先に兵器を破壊しようとするだろう。近づいてきたところを魔術師の一団が魔法で地面に落とすのだ。そして彼奴が落ちたところを総力を挙げて三本の槍を突き刺し、騎兵の突撃を以って止めを刺す」


「兵器ではなく、魔法で落とすというのですか?」


「そうだ」


「しかし、それだけのことができる魔術師がこの領内におりますでしょうか?」


「領内にはいないだろうな。だが、王都の魔法学院にはいるだろう。すでに魔法学院のベラ・フィンドレイとその門下の魔術師に協力の要請を行い、条件付きで了承を得ている」


「た、たしかに、かの高名な魔法学院の賢者であれば可能かもしれません……。しかし、その条件というのはどういったもので?」


 不安げに問いかける文官の顔には「高額な報酬は出せませんぞ」という考えが露骨に見えていてグントラムを苦笑させた。


「討伐したヴァルラダンの死体を引き渡すことだ」


 三〇〇年の王国の歴史で初めて姿を見せた魔獣である。死体といえどもそこから得られる情報の価値は計り知れず、魔術師からしてみれば宝の山に見えるのだろう。一方でグントラムとしては死体ごときで協力が得られるのであれば安い物であった。


「な、なるほど、そういう条件であれば……」


 安堵の表情を浮かべて文官は引き下がった。

 代わりに騎士団長のカーティスが口を開く。


「おそれながら閣下、先の調査団の敗北で騎士団の戦力が不足しております。魔獣と直接戦うことは我らも望むところではありますが、あれだけの魔獣が相手となればこちらも相応の戦力が必要になるかと存じますが……」


「前線の砦から兵を派遣させるわけにはいかないのですか?」


 若い騎士長がカーティスに問いかける。

 現在、大森林の北には三つの砦が存在し、それぞれに五〇名を超す兵士が常駐し南からの妖魔の侵攻に備えている。そこから戦力を抽出しようというのだ。


「砦の戦力は南の大森林からの妖魔の侵攻を阻止する要だ。妖魔がいつ大挙して侵攻してくるかわからぬのに、おいそれと砦の戦力を減らすわけにはいかんだろう」


 カーティスの言葉にグントラムも頷いた。

 相手が人間であればある程度行動の予測はつくが、妖魔の行動は予測がつかない。そもそも妖魔が生息しているという南の大森林については何もわかってないに等しいのだ。

 南の大森林には魔神の王が開けたという七つの穴のひとつがあると言われているが、実際にその穴を見た物は誰もおらず、その真偽すら定かではない。

 かつて先々代の領主が南の大森林を本格的に調査すべく、多くの騎士や冒険者を派遣したことがあったが、調査に出た者は三日と持たずに全滅、もしくは退却を強いられ、多くの犠牲者を出したことで調査は打ち切りとなった。唯一、奥に行けば行くほど危険な妖魔や魔獣が生息していることだけが判明したが、結局それ以外のことは何もわからなかったのだ。

 それほどの危険が存在する森を監視する砦の戦力を減らすわけにはいかないというのがグントラムの判断であった。


「それならばいっそのこと王都に援軍を要請してはいかがでしょうか?」


 文官のひとりがそう提案する。


「王都に援軍を求めるだと!? そんな恥知らずな真似ができるかっ!」


 若い騎士長が声を荒らげた。


「そうはおっしゃいますが今は非常事態ですぞ。一時の恥を忍んででも戦力を整えるべきでしょう。領地の存亡が掛かっていると先ほどおっしゃったのはどなたでしたかな?」


「ぐっ……」


 若い騎士長は痛いところを突かれて押し黙った。

 文官の言うことはもっともだったが、グントラムは王都に援軍を求めるつもりもなかった。正確には求めるわけにはいかないのだ。

 グントラムは辺境伯という地位にあるが、これは国境を守護する為に独自の戦力を持つことを許され、他の領地よりも高い独立性と強大な権限を与えられた地位なのである。現にグラスター領が保有する戦力は他の大貴族よりも圧倒的に多く、その特権故に王に対し叛意がないか、王国の盾として機能しているかを他の諸侯から厳しく監視されてもいるのだ。

 もしここで独力で問題解決ができずに王都に援軍を要請したとなれば、四大侯爵家を筆頭とした諸侯達は、グラスター領の持つ権限を減らすべく喜々として動くだろう。それを許すわけにはいかなかった。

 文官がそのことを知らないわけがないので、先ほどの発言はおそらく日頃から折り合いの悪い騎士団への当てつけなのだろう。騎士団と内政官との不和はグントラムにとって頭痛の種ではあったが、今はその問題にかかずらわっている状況ではなかった。

 結局、グントラムは前線からの騎士を呼び戻すことや、王都への援軍要請は行わず、領内から冒険者や傭兵を募集して戦力に充てることを決めた。財務を担当する文官の顔が掛かる費用を計算して青ざめていたが、グントラムは見ないふりをした。


 作戦の大筋が決まり、出陣は十日後となった。

 騎士達はぐずぐずしていてはまた領民に被害が出るのですぐにでも出陣したいと息巻いたが、戦いの神の三本の槍の完成には最低でも一週間は掛かると聞かされては大人しく引き下がるしかなかった。

 どのみち冒険者の手配や王都から魔術師達の到着を待たねばならないことから時間は必要なのである。

 また、今回の遠征軍の指揮はグントラム自らが執ることとなった。

 これには多くの重臣達が猛反対したが、グントラムは頑として聞き入れなかった。領の存亡が掛かった一戦の指揮を他者に譲る気はさらさらなかった。

 作戦にはフェリアンも同行する予定だったが、これもまた重臣達の反発にあった。現領主と次期領主がふたり揃って戦地に赴いて万が一のことがあったらどうするのか、というのが彼らの主張であった。

 ここで次男のセオドニーがいるから問題ない、と主張する者が誰もいなかったのはセオドニーの人徳のなさだが、そう言えば自分の意見が通るかもしれないグントラムでさえそれを口にはしなかったことが、グントラムとセオドニーの微妙な関係を物語っていた。

 結局、フェリアンが屋敷に残ることでどうにか重臣達は納得した。

 フェリアンは自分も参加したいと思っていたが、父親が絶対に折れないことも、自分が残らなければ重臣達が納得しないことも分かっていた為、自ら残ることを口にしたのである。


 会議はそこで終了となり騎士達や文官達は準備の為に慌ただしく部屋を出て行く。

 だが、グントラムはフェリアンとカーティス、そして冒険者ギルドの長であるオルダスに部屋に残るよう命じたのだった。

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