第60話 化け物

 マシュー率いる調査団はグラスターの街を出発した二日後にハース村に到着した。

 そこであらためて村の被害状況の確認やドラゴンもどきの痕跡が残っていないかの調査を行った後、近くにある見晴らしの良い平原に陣を敷いた。

 ソルズリー平原の周辺には多くの村や集落が存在しており、ドラゴンもどきはおそらく次もこの付近に出現するのではないかと予測されていた為である。


 陣を敷いてから三日目の昼。その予測は的中した。

 見張りの兵士が遠くの空に巨大な影が浮かんでいるのを発見したのだ。

 その巨大な影は左右に伸びた両翼をはためかせながら徐々に近づいてきているようだった。

 マシューはすぐさま兵士達に戦闘準備を指示する。

 中央の部隊には前方に傭兵と民兵を置き、後方には各種兵器とそれを扱う工兵、治療を行う神聖騎士が配置された。指揮は神聖騎士ブルームが執っている。

 そして左右両翼には騎士団が二手に分かれて配置された。

 投石機カタパルト固定式大型弩砲バリスタでドラゴンもどきを地面に落とし、そこへ騎士団が突撃して止めを刺すという単純明快な作戦であった。


 全軍の陣形が整う頃には巨大な影の姿は目視でもはっきりと見える位置にまで近づいてきていた。

 その姿を見た兵から次々とざわめきが起こる。

 ちょっとした屋敷ほどもある巨大な体躯は黒い鱗に覆われ、長い首の先には爬虫類を思わせる顔があり、背中には蝙蝠のそれに似た一対の巨大な翼が生えていた。

 たしかにシルエットだけならばドラゴンと見間違えたとしても仕方がなかった。この国では誰もが幼い頃に絵本や絵画でドラゴンの姿を知り、親から子へとその存在は語り継がれているのだ。絶滅したとはいえ、この国の人間にとってドラゴンとは畏怖の対象であり、力の象徴でもあった。

 だが、この化け物はあきらかにドラゴンではなかった。

 その理由の最たるものが、醜悪な顔に並んだ怪しく光る六つの目だった。左右に三つずつ、賽の目の六のように配置されたその目は眼下に蠢く人間どもを今にも食い殺さんと獰猛な光を放っていた。そしてその下にある口は鰐の様に根本まで大きく裂け、上下の顎にはひと噛みで人間の体などいともたやすく喰いちぎるであろう鋭い牙が並んでいた。さらに後頭部から長い尾の先にかけて黒光りする棘がびっしりと生えており、その凶悪さを際立たせていた。

 それはまさしく異形の存在であった。


「ば、化け物……」


 誰かがそう呟いた。

 多くの戦場で数多の妖魔と戦ってきたマシューでさえ、このような異形の怪物は見たことがなかった。

 不覚にも化け物の異様な姿に一瞬だが思考を奪われ、部下への指示出しが遅れた。


 戦端は唐突に開かれた。

 恐怖に駆られた兵士がマシューの指示を待たずに弓矢を放ってしまったのだ。その矢は当然化け物には届かなかったが、それが呼び水となってさらに多くの兵が錯乱して矢を放ち始め、なし崩し的に戦闘が始まってしまったのだ。

 空中で静止していた化け物はゆっくりと高度を下げると、放たれた矢を意にも介さず中央部隊の先頭に向けてその凶悪な口を開く。

 次の瞬間、化け物の口から炎の塊が吐き出された。

 突然の出来事に避ける間もなく数人の兵が炎に巻き込まれ、一瞬にして黒炭と化した。

 それを見届けた化け物はゆっくりと上昇して再び元の位置に戻る。そしてまるで嘲笑うかのように左右の翼を動かして体を上下に揺らした。

 炎のブレスの威力を目の当たりにした調査団は完全に浮足立った。


「落ち着けッ! 次に奴が降りてきた時がチャンスだ! 近づいてくるその面を思いっきり叩いてやれッ!」


 マシューの指示によって部隊はなんとか落ち着きを取り戻す。やるべきことがはっきりすれば、実戦慣れした兵士達の動きは素早かった。

 二度目の化け物の降下に合わせて投石機カタパルト固定式大型弩砲バリスタが一斉に放たれる。

 投石機カタパルトから放たれた巨大な石が見事に化け物の片翼に命中し、化け物は奇声を上げながら地面に墜落した。兵士達から「おおっ!」というどよめきが起こる。


「今だッ! 騎兵隊、突撃ーッ!!」


 両翼に展開していた騎士達がその号令で一斉に突撃を開始した。その手にはランスが握られており、馬の走力と合わさればたとえドラゴンの鱗でさえも貫通できる威力を持っていた。

 倒れたまま動かない化け物に向かって横一列になって突撃する騎士達の姿を見て、マシューは勝利を確信した。

 だが、その確信は一瞬にして崩れ去った。


 化け物は長い首をもたげると空を見上げて咆哮をあげた。

 その断末魔の叫びにも似た咆哮は、戦場にいた兵士達を震え上がらせるに十分な迫力があったが、歴戦の騎士達は臆することなく突撃を続けようとした。

 だが、その化け物の咆哮はさらに予想外の効果を戦場にもたらした。

 突如、騎士達の乗っていた馬が走るのを止め、いななきをあげて暴れだしたのだ。

 突然の出来事に多くの騎士が馬を御せずに落馬した。

 恐慌状態に陥った馬は騎士達の制御もきかず、ただひたすらに暴れた。なかには馬に蹴られて絶命する騎士すらいた。

 化け物はゆっくりを体を起こすと、混乱する騎士達に向かって炎を吐いた。その炎で左翼から突撃した騎士五名が馬ごと炎に巻かれて一瞬で絶命した。

 次いで化け物は長い尾を振り上げると、右翼の騎士達に向かってそれを薙ぎ払うようにして振りぬいた。まるで枯れ枝のように数人の騎士が吹き飛ばされる。

 化け物はその巨体からは考えられないほどの速さで中央の部隊に向かって突進すると、進路上にいた兵士達は避ける間もなく吹き飛ばされた。

 化け物の向かう先には二台の投石機カタパルトがあった。

 マシューは化け物の意図を悟って戦慄した。この化け物はただ見境なく暴れるのではなく、真っ先に兵器を標的にしようとしているのだ。つまりそれだけの知能があるということだった。


「弓箭隊、応戦しろッ!」


 中央部隊の指揮しているブルームが声を上げた。その声に応じて弓兵達が慌てて前に出て矢を射る。

 だが、そのほとんどは化け物の硬い鱗ではじかれてほとんど効果がなかった。


「目を狙えッ! 六つもあるんだから当て放題だぞッ!」


 ブルームは再び弓兵にそう指示を出す。

 ふざけた言い方だったが、その指示は的確であった。

 目を狙われた化け物は一瞬嫌がる素振りを見せたが、その程度では化け物の速度を落とすことさえできず、応戦していた弓兵達はその突進を止められないと悟ると悲鳴をあげて左右へと散った。

 逃げる人間達には目もくれず、化け物はそのままの勢いで投石機カタパルトに向かってその巨躯をぶつけた。

 投石機カタパルトは一撃の元に粉砕され、近くにいた数名の兵士がそれに巻き込まれた。

 化け物はすぐさまもう一台の投石機カタパルトに視線を向けると、獰猛な唸り声を上げながら再び突撃しようと姿勢を低くする。

 そこへようやくマシュー率いる本隊と、左右に展開していた残りの騎士達が到着する。騎士達は馬を早々に諦め、徒歩で駆けつけていた。

 だが、たった今目の前で見せられた化け物の破壊力を目の当たりにして、騎士達は二の足を踏んだ。その圧倒的な暴力を前に自分たちに本当に勝ち目があるのか……そんな思いに囚われていた。


 その時、突然後方から飛来した太矢が化け物の肩口に命中しその強固な鱗を貫いた。

 化け物は体を捩りながら苦痛に喘ぎ、傷口からは血と思しき体液があふれ出る。


「効いているぞッ!」


 誰かがそう叫ぶ。

 攻撃が通用するとわかって兵士達はにわかに活気づいた。

 マシューは矢が飛んできた方角を見た。そこには一台の固定式大型弩砲バリスタがあり、若い兵士がその射手を務めていた。

 あの者はたしか郊外演習に参加していた訓練兵だったな、とマシューは記憶を辿る。名は覚えていなかったが、この状況下でたいした腕と度胸だった。

 マシューはこの機を逃してはならないと力の限りに叫ぶ。


「臆するな! 見ろ、彼奴の傷ついた体を! そこから流れる血を! 血が流れるという事は殺せるということだ! 勇敢なるグラスターの戦士達よ、戦えッ! これ以上我らの土地でこの化け物の好きにさせるな! いま、この場で、こいつを討ち取るのだッ!」


 マシューの檄に周囲の騎士達が「オオォォッ!」と応じる。

 騎士達は化け物を囲うようにして一斉に攻撃を開始した。


「傭兵共も聞けッ! 彼奴を倒せば報奨は思いのままだ! この俺が間違いなく保証してやる!」


 その声で幾人かの傭兵たちが雄叫びをあげながら戦いの場へと加わった。

 兵士達は化け物の周囲を囲み、立て続けに攻撃を加えていく。

 だが、騎兵の突撃ならいざ知らず、手で振るう剣では化け物の硬い鱗には傷一つつけられなかった。鱗のない箇所にいくつか傷を負わることはできたが、それだけでは致命傷には程遠かった。

 逆に傷つけられた化け物は怒り狂って容赦なく両腕の鉤爪と牙の生えた顎で次々と兵士達を血祭りにあげていく。化け物が鉤爪を一振りするごとに断末魔の悲鳴があがり、兵士達の命がひとつまたひとつと失われていく。

 化け物の黒い鱗は兵士達の返り血で赤く染まっていた。

 それでも騎士達はわずかな時間で化け物との戦いに適応しはじめた。騎士達はいくつかの小集団に分かれると、化け物の注意を引く班と攻撃する班とで巧みに連携することで被害を最小限に食い止め、効率良く攻撃を当てられるようになっていた。

 傷ついた騎士は民兵が後方へと連れて行き、神聖騎士が癒しの術で治療する。空いた穴は傭兵や他の騎士が埋める。それの繰り返しでなんとか包囲網を維持していた。

 だが、騎士達の劣勢は誰の目から見ても明らかだった。

 騎士達は勇敢に戦っているが、騎兵の突撃が封じられた今、このまま戦い続けても化け物に致命傷を負わせることは不可能だった。

 これ以上は犠牲者が増えるだけだ――マシューはそう判断せざるを得なかった。


「団長……」


 いつのまにかブルームが傍に立っていた。片腕は血に染まり、力なく垂れさがっている。彼は中央の部隊を下がらせた後は癒しの術で騎士達の治療を行っていたが、途中でマナが尽きた為に前線にまで出張っていたのだ。

 マシューには彼の言わんとしていることがわかっていた。


「……退却しろというのか?」


「それが賢明でしょう」


「ここで我らが退いたら奴はこの地でさらなる殺戮を繰り返すのだぞ」


「我々が全滅することで奴の命が奪えるのでしたら俺も喜んで残りますがね、どう足掻いてもそうはならんでしょう」


「……」


「ここは可能な限り多くの兵を帰還させ、情報を持って帰り、作戦を練って再戦を期すべきでしょう」


「……わかった」


 マシューにとっては死ぬよりもつらい決断だったが、誰かが生き残って化け物の情報を持ち帰る必要があった。生きていればこそ再戦の機会も得られるだろう。そうでも思わなければ己を納得させることができそうになかった。


「ブルーム、すまんが民兵や工兵達の退却の指揮を頼む」


「……それは構いませんが、団長はどうするので?」


「全員が一斉に逃げては後背を突かれるだろう。俺はここである程度時間を稼ぐ」


「ならば俺が残ります」


「貴様のその腕では無理だな」


 マシューはブルームの腕の怪我に目をやりそう言った。


「……了解しました」


 ブルームは悔しそうな表情で頷くとすぐに後方へと駆け出した。

 ここで問答する無意味さをブルームは理解しているのだ。彼らしいその潔さに、マシューは彼なら安心して退却の指揮を任せられると思った。


 ブルームは走りながら「退却ッ、退却だッ! みんな全力で逃げろッ!」と叫んだ。

 逃げろ、と臆面もなく言ってのける彼の姿はおよそ戦いの神に仕える神官には見えなかったが、戦いの神の神官が逃げろと言ったことで、兵士達は躊躇せずに逃げる選択肢を選ぶことができた。

 ブルームが後方へ下がるのを見届けてから、マシューは周囲の騎士達を見た。

 無傷の者はほとんどいなかったが、この場から去ろうとする者もいなかった。ここで死なせるにはあまりにも惜しい者達だった。それでもマシューは彼らにここで死ねと命令しなければならない。

 だが、口にしたのは真逆の言葉だった。


「時間を稼ぐだけ稼いだら俺達も退却するぞ!」


 マシューの言葉に騎士達は黙って頷いた。

 全員が覚悟を決めた者の顔をしていた。自分たちの生存が絶望的であるとわかっているのだ。マシューは己の不甲斐なさに対する怒りを無理やり押し殺すと、にやりと笑ってこう付け加えた。


「無事に帰還したら全員に浴びるほど酒を奢ってやるぞ。ついでに閣下の秘蔵のワインコレクションからも何本かいただくとしよう」


 幾人かの騎士から場にそぐわぬ笑い声が漏れた。


「よしッ、俺に続けーーッ!」


 マシューの号令で残った騎士達は化け物の注意を引く為に全員が雄叫びを挙げながら最後の突撃を敢行した。


 騎士団は最後まで勇敢に戦い、その奮戦によって多くの兵士たちが無事に戦場から離脱できた。

 マシューの隊は逃げ遅れた兵士達の為に最後の最後まで化け物と戦い続けたが、化け物によって吹き飛ばされた死体がマシューを直撃。重傷を負ったマシューは他の騎士達の奮闘によってなんとか戦場からの離脱に成功したが、この退却戦で多くの騎士が命を落とした。

 化け物は執拗に騎士達を追撃したが、ある程度殺したことで満足したのか、突然動きを止めると、そのまま空に飛び上がって南西の空へと飛び去っていった。


 こうして調査団は敗北し、戦いが終わり静寂を取り戻したソルズリー平原には、破壊された兵器の残骸と多くの屍が取り残されたのだった。

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