第五章

第59話 グラスター領

 今から時を遡ることおよそ三〇〇年。魔神の脅威が去ってから長らく続いた人間同士の戦乱の時代は、ひとりの英雄の登場によって終わりを迎える。

 地方の小国の王であったエリオドア・ルセリアは並外れた知勇によっていくつもの国を硬軟交えて次々と併合し、瞬く間に大陸中央部の統一を成功させ、自身の名を冠したルセリア王国を建国した。

 ルセリア王国は以降三〇〇年に渡ってストラシア大陸屈指の強国として君臨することになる。

 だが、ルセリア王国は建国当初から決して順風満帆というわけではなかった。

 特に国土の最南端にある「大森林」の存在は王国にとって最大の頭痛の種であり、不定期に現れる妖魔によって南方の街や村は幾度となく甚大な損害を被っていた。

 当時のエリオドアは山積する周辺諸国との外交問題の対応に追われ、大森林の対策にまで手が回っていなかった。

 そこで、エリオドアは最も信頼する配下である、ヴァレイグ・ライセットに南方のグラスター領に跋扈する妖魔の掃討を命じた。

 ヴァレイグは自ら軍を率いて南方の地に赴くと、瞬く間に妖魔を掃討し治安を回復させエリオドアの期待に応えた。

 喜んだエリオドアはヴァレイグに広大で肥沃なグラスターの地と辺境伯の地位を与え、大森林に対する王国の盾として防衛の任に就かせた。王国暦一〇年のことであった。


 それから約三〇〇年。グラスター領の歴史はその地で暮らす人間と大森林から出現する数多の妖魔や魔獣との死闘の歴史であった。数十年に一度の頻度で発生する妖魔の大侵攻によって領地が蹂躙されかけたことも一度や二度ではなかった。

 時の領主は常に陣頭に立ち兵を鼓舞し、自ら剣を振るい妖魔どもを撃退し続けてきた。それ故に多くの領主が短命の内にその人生を終えることが多かったとされる。

 三一五年の王国の歴史において、現ルセリア国王が第一五代国王なのに対し、グラスター領の領主は二三代目であることが、その戦いの熾烈さを物語っていた。


 現領主であるグラスター辺境伯グントラム・ライセットは今年で四五歳となる。

 早世した父親の後を継いで若くして領主となったグントラムは、多くの戦場で妖魔と戦い、そのすべてに勝利してきた生粋の武人でもあった。長年の実戦で鍛え上げられた肉体はいまだ衰えを知らず、その鋭い眼光は、頬にある傷と相まって見る者を委縮させるだけの迫力があった。

 グントラムの頬の傷は、彼が若かりし頃に上位妖魔との壮絶な一騎打ちの際に負った傷であると領内では噂されていた。彼自身は傷の由来については一切口にしなかったが、噂を否定しなかったことからそれが真実なのだと民衆は信じていた。

 実際は若い頃に女遊びが過ぎて人妻に手を出して刃傷沙汰になったことが原因なのだが、その真実を知る者は極一部に限られており、グントラムはその噂を自身の領地運営の役に立つと考え、そのまま捨て置いていた。彼はそれがどんなものだろうが、利用できるものならば何でも利用する強かな男でもあった。

 そんなグントラムは領主としては短気で思慮に欠ける部分もたしかにあったが、その治世は公正公平で、強さと裏表の少ない人柄もあって領内での人気は高く、グラスター領の運営は安定していた。




 その日、グントラムは久々に気分が良かった。

 ここ最近はドラゴンもどきの出現や妖魔の大量発生の対応に追われ、私生活でも最愛の息子を亡くし、妻は気落ちして体調を崩したりと、心休まる時がなかった。

 ドラゴンもどきについては調査団を派遣したことで終息に向かうと考えていたが、被害にあった村への復興支援や、領内の妖魔への対処など、いまだ問題は山積みであった。

 そんな時に騎士団の詰め所から、長年領地の治安を脅かしていた一級賞金首であるジュードが討伐されたという報告がもたらされたのだ。

 聞けば討ち取ったのは冒険者になったばかりの若者だという。あらたなる若い才能の出現はこの領地の未来にとっても喜ばしいことであった。


 グントラムはその日の夜、秘蔵のワインを倉から出してきて、自室でひとりささやかな酒宴を開こうと画策した。

 だが、酒杯にワインを注いだところで、部屋の扉を叩く音と「閣下!」という声に邪魔された。

 軽く舌打ちをするグントラムだったが、こんな夜更けに部屋を訪れてくるということはよほどの事態に違いないと、急いで扉を開ける。

 扉の前には息を切らせた秘書官が立っていた。その表情は明らか吉報をもたらす者のそれではなかった。


「どうかしたのか?」


「はっ、つい先ほど西門に早馬があったと衛兵から報告がありまして、その……」


 言い淀む秘書官にグントラムは視線で続けるよう促す。


「……その者が申すには、調査団が敗北した、と……」


 その一言にグントラムは鉄槌で頭を殴られたかのような衝撃を受けた。

 自ら何度も現地を訪れ情報を集め、たとえ相手がドラゴンであろうと打ち勝てるだけの戦力を整え、その任を十二分にこなせる指揮官を据えた。万が一にも負けるとは思っていなかったのだ。


「……それでその者は今?」


 内心のショックを悟られないようあえて表情を殺してグントラムは問いかける。


「かなりの手傷を負っている為、現在は詰め所にて手当を行っているとのことですが、気を失っている為、すぐに話を聞くことは無理ではないかと」


「その者は間違いなく敗北した、と言ったのだな?」


「はっ。被害の程度はわかりませんが、その者が言うには生き残った将兵は現在街を目指して移動中とのことです……」


 グントラムは目を閉じ天を仰ぐ。信じたくない報告であったが、現実を直視しないわけにはいかなかった。見たくない物から目を背けていては領主など務まるはずもない。彼はすぐさま救援部隊の編制と怪我人の受け入れの準備を行う為、主だった重臣を叩き起こすよう秘書官に指示を出した。

 秘書官が下がったことを確認すると、グントラムは部屋に戻って荒々しくテーブルを蹴り上げた。ワインが注がれたままの酒杯が衝撃で倒れ、そのままテーブルの下へと転がり落ちる。零れたワインが絨毯に染みを作っている様子を憎々しげに睨む。

 一時的とはいえ怒りを発散したことで、グントラムは落ち着きを取り戻す。

 すぐに今後の対応策を考えなければならない。敗北した場合の対応について全く考えていないわけではなかったが、彼の性格では本気でそれを考えることは難しかった。


 だが、ただひとり……こうなる可能性を本気で考えていた男がいた。

 その男の顔をグントラムは思い出していた。その男はよりにもよって調査団出発の前日に調査団が失敗した場合の次善の策をわざわざ書面にして持ってきたのだ。

 あからさまに不機嫌な顔になったグントラムに、その男は平然とこう言った。


「父上、勝つために最善を尽くすことは何よりも大事ですが、負けた時の対応も考えておくに越したことはございません」


 言っている事は正しいのだが、その話を持ってくるタイミングに悪意があるように思えてならなかった。

 その男とは彼の息子でもあるセオドニー・ライセットであった。




 グントラムには先日亡くなったアルフレッドの他にふたりの息子がいる。

 長男のフェリアンと次男のセオドニーである。

 フェリアンは文武に優れ、次期領主としての自覚もあることから、グントラムも積極的に実務を経験させていた。少し型に嵌り過ぎるきらいはあるが、能力的にも人格的にも跡継ぎとして申し分なかった。

 だが、次男のセオドニーは母親に似て体の線が細く病弱だった。

 セオドニーが幼少の頃、グントラムは何度も彼を鍛えようとしたが、その都度体調を崩して寝込んでしまうほどの虚弱な人間だった。性格も内向的で慎重を通り越して臆病と、およそ戦士としての資質はないように思えた。

 結局、グントラムはセオドニーを戦士にすることを早々に諦めた。

 父親に見限られたセオドニーは文学や芸術に興味を抱いたようだった。グントラムは芸術には興味がなく、むしろ不要な物とさえ考えていたが、セオドニーが絵画や詩を嗜むことを咎めることはしなかった。亡き妻がセオドニーを溺愛していたことも影響していただろう。だが、芸術の素養がない彼から見てもセオドニーが創作した絵画や詩に芸術的価値があるとは思えなかった。


 やがて一五歳になったセオドニーは、母親の死をきっかけに「見聞を広げる為、旅に出たい」と言い出した。グントラムはそれも許可した。旅を通じて少しは逞しくなってくれれば、という親心もあった。

 旅に出てから三年ほどでセオドニーは帰還した。久々に会ったセオドニーは多少は逞しくなっていたようだったが、内面はそれほど変わっていないように見えた。グントラムは内心落胆したが、それは彼の思い違いであった。

 帰ってきたセオドニーにグントラムは適当な役職を与えた。するとセオドニーは与えられた仕事を完璧にこなした。それどころか旅で得たといういくつもの有益な知識や情報を駆使して、期待以上の成果を上げてグントラムを驚かせた。

 おどおどした臆病な性格は鳴りを潜め、グントラムが相手でも面と向かって意見をするほどであった。セオドニーは見た目こそ変わっていなかったが、その内面は大きく変化していたのだ。


 だが、変化はそれだけではなかった。

 しばらくすると、セオドニーの元に旅の最中に出会った友人と称する商人や冒険者が屋敷を尋ねてくるようになった。そしていつの間にかセオドニーはそういった人脈を駆使して独自の情報網を持つようにまでなっていた。内向的だった幼少の頃の彼からは想像すらできない社交性を身に付けていたのだ。

 最初こそグントラムは、旅とは人をこれだけ成長させるものなのかと感心したものだったが、同時にセオドニーのあまりの変貌ぶりに気味の悪さも覚えていた。

 とはいえ、彼の変化は領地にとっては有益なことであった。長男であるフェリアンを失脚させて自らが次期領主の地位に付こうという野心を持っているようにも見えず、むしろ政治の中枢からは一定の距離を保っていた。やりすぎるようなら注意が必要だが、有用なうちは自由にさせておくつもりだった。

 それから四年が経ち、いまやセオドニーの人脈は王都の冒険者ギルドにまで及んでいるという。先日次善の策を持ち込んだ際に本人が事も無げにそう言ったのだ。

 自分の息子ながらグントラムはセオドニーという人間に対し、得体の知れない違和感と恐怖に近い感情を抱いていた。

 グントラムは執務用の机に向かうと引き出しを開けた。

 そこにはセオドニーが持ち込んだ次善の策が書かれた紙の束があった。


「まさか、これに頼らねばらなぬ事態になろうとはな……」


 グントラムは深くため息をつくと、椅子に座って紙の束を捲り始めた。




 最初の一報がもたらされた二日後に調査団は帰還を果たした。

 調査団の被害は想像を遥かに超えていた。参加した騎士は五三名。そのうち死者は四二名にも上った。傭兵、工兵、民兵などの歩兵一五六名のうち死者は六九名。投石器カタパルト固定式大型弩砲バリスタといった兵器類もすべて破壊、もしくは破棄されていた。

 調査団は出発した時の半数近くにまでその数を減らしており、そのあまりにも凄惨な姿を目の当たりにした人々は、起っている事態が自分たちの想像よりも遥かに深刻であることを理解した。

 だが、ドラゴンもどきと遭遇して生存者がいたのも初めてのことであった。

 調査団が帰還してすぐにグントラムは生存者から情報を集めると、その情報を元にドラゴンもどきの正体を調べるよう配下に命令を下した。


 その正体は意外なほど早くに判明した。

 グントラムが命令を下したその日のうちに、セオドニーが情報を持ち込んだのだ。そのあまりの早さにグントラムは舌を巻いた。

 だが、実際のところセオドニーは独自の情報網を駆使して早い段階からその正体についていくつか候補を絞り込んでおり、彼だけは情報の収集ではなく、帰還した調査団からの情報でその答え合わせをしただけの話だった。


「元々その化け物には目が六つある、という噂もありましたので、その線の可能性も考慮して王都の図書館に情報提供の打診を行っておりました」


 情報の出所を問われたセオドニーは自らの手柄を誇るわけでもなく、淡々と事実だけを述べた。


「……なぜもっと早くそのことを報告しなかったのだ」


 グントラムは憎々しげな表情でそう言ったが、言われた当の本人は澄ました顔のまま冷静に応じる。


「あくまでも噂話であって確証はありませんでしたから……まさか噂話の類を逐一父上に報告するというわけにもいかないでしょう」


 セオドニーはそう言いながら手にした書類をグントラムに差し出す。

 グントラムは乱暴な手つきでそれを受け取ると、退出するよう黙って手を振った。

 セオドニーは一礼すると優雅な足取りで部屋を出ようとし、扉を開けたところでゆっくりと振り返った。

 互いの視線が一瞬絡み合う。

 セオドニーの表情はまるで陶器でできた仮面のようで、グントラムにはその心の内を読み取ることはできなかった。


「父上、その報告書には私が考えた今後の対応策も書いてあります。その為に必要な手筈もすでに整えてあります」


「……わかった」


 グントラムはかろうじてそう応じた。

 セオドニーは再び一礼すると顔に薄い笑みを張り付かせたまま部屋を出て行った。彼には自分の案が採用されるという確信があるのだ。そして悔しいがおそらく自分はその通りにするだろう。グントラムは乱暴な手つきで報告書を捲った。それは先日渡された次善の策に最新の情報を加味して修正が加えられた物だった。

 元々セオドニーは調査団が件の化け物と戦うことに反対していた。まずは相手の正体を突き止めるべき、というのがその主張だった。

 だが、グントラムはその意見を退けた。散々現地を調査してもその正体は掴めなかったのだ。実際に相まみえてみなければその正体はわからないと考えていたこともあるが、それ以上に自分の領地がこれ以上化け物に蹂躙されることが許せなかったのだ。

 結果としてグントラムは判断を誤ったことになる。セオドニーの態度には自分の言ったとおりになったと勝ち誇るような気配は皆無であったが、それもまたグントラムには腹立たしかった。自分が実の息子に意のままに操られているようで実に不快だった。だが、個人的な感情で領民をこれ以上危険に晒し続けるわけにはいかなかった。


 グントラムはその日から昼夜を問わずに対策の為に奔走した。滅多に使わない魔道具まで駆使して何度も王都と連絡を取った。

 その魔道具は『伝言箱』と呼ばれ、離れたところにいる相手に伝言を飛ばせるという貴重な物で、グラスター領には領主の屋敷に一台あるのみで、王都ですら王城やギルド本部、魔法学院といった主要な施設にしか置かれていない。

 見た目はただの黒い四角い箱だが、その箱に手を置いて念を込めると先方の伝言箱にメッセージを届けることができるのだ。魔術が隆盛を極めた魔法帝国時代には双方向で同時通信が行えたらしいが、現代の魔法技術では伝言を残すことしかできない。また、使用の際に膨大なマナを消耗することから、そう何度も使えない代物だった。この数日、グントラムと側近達はこの魔道具を使いすぎたせいで何度も気を失いかけていた。


 調査団帰還から三日後、グントラムは主だった将兵を集めて、今後の対策を協議する為の会議を開いた。

 屋敷内の会議室には領主であるグントラムの他、長男のフェリアン、騎士団長のカーティス、各騎士長や財務を担当する文官といった重臣達が揃っていた。唯一の部外者として冒険者ギルドの長、オルダスが参加していた。

 騎士長のひとりであるランドルフは翌日から北の視察に赴くシンシアの護衛任務に就くことが決まっていた為、会議には参加していなかった。

 また、次男のセオドニーの姿もなかったが、これはいつものことだった。セオドニーが公の場に顔を出したがらないことと、あまりセオドニーを表に出したくないというグントラムの意向が暗黙のうちに合致した結果である。


 会議室ではすでに帰還した調査団の騎士が報告を行っていた。

 報告しているのは指揮官のマシューではなく、ブルームという名の神聖騎士だった。

 指揮官であるマシューは重傷を負いながらも敗走する部隊の指揮を執り続け、失意の将兵達を叱咤激励し、そのほとんどを無事に生還させた。だが、その代償として現在は意識不明の重体となっていた。

 代わりに報告を行っているブルームの頭や腕には包帯が巻かれており、調査団の戦いがいかに壮絶な物であったかを物語っていた。

 調査団の激戦を思うと、その場に自分がいなかったことが悔やまれ、会議の最中だということも忘れてグントラムはつい舌打ちをしてしまった。傍に控える秘書官が驚いた顔でこちらを見たが、グントラムはそれを無視した。

 気が付くと報告は調査団の被害状況から戦闘の経緯へと移っていた。

 報告書を読み上げるブルームの表情は苦渋に満ちていた。 

 報告の内容自体はグントラムはすでに報告書を読んで知っていた。わざわざ会議の場であらためて報告させたのは、現場で起こった出来事を当事者の口からあらためて聞きたかったからである。そして、敗北した騎士達の失意や無念を参加しなかった将兵達と共有することで、戦意を高めることが目的であった。他の者がどう思うかはともかく、少なくともグントラムにとってそれは必要な儀式だった。

 だが、ブルームの口から語られた戦いの顛末は、会議に参加していた者達の心胆を寒からしめるものであった。

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