第58話 豪遊

 夕刻、再びギルドに集合した一行がサラの先導で向かった先は、ギルドの近くにある酒場だった。

 サラによるとこの酒場は冒険者がよく利用する酒場らしく、依頼を無事に終えたパーティはここで打ち上げするのが定番らしい。修介も以前に一度だけ来たことがあったが、その時に運悪くゴルゾに絡まれたので、それ以降は利用していなかった。

 修介がよくブルームと飲みに行く酒場と違ってかなり広く、テーブル席とカウンター席を合わせれば五〇人くらいは座れそうだが、まだ早い時間帯のせいか店内の客はまばらであった。

 頼んだ酒と料理が揃うのを待ってから、ノルガドの音頭で乾杯した。


「それにしても……何をするのかと思いきや、ただの打ち上げかよ」


 修介は杯に口を付けつつ対面に座ったサラに言った。


「ふふん、ただの打ち上げだと思っていると痛い目みるわよ」


 不敵な笑みを浮かべるサラ。

 その隣の席ではノルガドがさっそくジョッキを空にしており、すぐに次の酒を注文していた。どうやらこの世界のドワーフも修介の知識にあるドワーフ同様、かなりの酒好きな種族のようだった。

 サラの反対側の隣にはイアンが座っており、場違いな空気に不安げな表情を浮かべながらも料理に手を付けていた。

 一方、修介の隣に座ったエーベルトは明らかに不機嫌な表情でちびちびと杯を傾けていた。むしろよく大人しくついてきたものだと修介は感心していた。


 打ち上げの肴は主に修介の無謀っぷりについてだった。

 サラ曰く「魔術師との連携も考えずに複数のゴブリンに真っ向から突っ込んでいくわ、パーティから勝手に離れて行動するわ、仲間の到着を待たずに敵に飛び掛かるわで、まったくもって無茶してくれるわよ」だそうで、修介としても自覚があるだけに反省することしきりだった。

 ノルガドは最初のうちはサラを宥めつつ修介に自身の経験談を交えて様々なアドバイスをしていたが、酒が回って面倒になったのか、途中からは「若いうちは好きにやればいいんじゃ」としか言わなくなっていた。

 そんな風に修介を甘やかしているのが気に入らないのか、サラの標的はいつの間にかノルガドに切り替わっていた。「私には口煩いくせにシュウには甘い」「店に顔を出してもいつもいない」「何かあるとすぐにおばあさまに言いつける」とまくし立てていた。

 サラの矛先がノルガドに向いたので、修介はこれ幸いとばかりにふたりの様子を眺めつつも、手持無沙汰なイアンとのんびりと杯を傾けることにした。


 修介はふと前の世界のことを思い出す。

 前の世界ではサラリーマンだったので、忘年会や歓送迎会などといった会社の飲み会には参加していたが、あまりそういった飲み会の類は好きではなかった。むしろ時間の無駄だと考えている節さえあった。元々酒があまり好きではないというのもあるが、どうせ飲むならひとりでのんびり飲みたいと考えるタイプだった。

 一方で、会社の同僚や後輩と個人的に飲みに行くことは嫌いではなかった。やはりそこには仕事で苦楽を共にしているという連帯感や仲間意識があるからなのだろう。

 酒の力を借りて会社への愚痴を言ったり、きつい業務を乗り越えたことを互いに称え合ったりするのは、ある種の禊のような行為なのだ。

 仲間と酒を酌み交わすという行為の持つ価値は、どこの世界にいようとも変わらないのだな、とアルコールに侵食された脳で修介は考えるのだった。



 酔ったイアンの娘自慢を聞かされているうちにすっかり日は暮れ、気が付けば店内は席が埋まるほどに混雑してきていた。

 依頼を終えた冒険者達の活気で店内の温度が一気に上昇したのか、店内は蒸し暑く感じるほどだった。冒険者達の間で飛び交う怒号や歌声によって店内は騒然となり、お互いの会話もかなり声を張り上げないと聞き取れないくらいであった。


 ふと近くに人の気配を感じて振り向くと、修介のすぐ後ろにギルドの受付嬢が私服姿で立っていた。

 受付嬢は驚く修介の耳元に顔を寄せて「サラさんにご招待いただいたので来ちゃいました」と言った。そして修介の隣の席に視線を向けると「お隣いいですか?」と聞いてきたので、修介はこくこくと頷き、喜んで椅子をずらした。

 サラに視線を向けると「感謝しなさいよね」と目で主張していたので、修介は心の底からの感謝の念をサラに送った。


「普段はこうして冒険者さんの打ち上げに参加することはないんですけど、今回はシュウスケさんの大活躍を祝う会だってサラさんに聞いたものですから……シュウスケさん、おめでとうございます!」


 そう言って受付嬢は自分の杯をそっと差し出す。修介は「ど、どうも」と恐縮しながら自分の杯を軽くぶつけた。


「シュウスケさんのことは登録の時の騒動とか、たった一週間で薬草ハンターと呼ばれるようになったとか、色々と話題に事欠かない人だったからずっと注目はしていたんですよね。それに私はシュウスケさんが新人の頃から担当してきたので、今回の活躍は自分の事のように嬉しかったんですよ」


 受付嬢は微笑みながらそう言った。


「あの、新人の頃からって、俺まだ冒険者になって二週間なんですが……」


 そう言いつつもまんざらでもない様子の修介に、サラは「鼻の下伸びてるわよ」と意地悪く言ったが、すっかり上機嫌になった修介はまったく気にならなかった。


 受付嬢のお酌によって飲むペースが明らかに早くなった修介は、だいぶ酔いが回ってきていた。

 すっかり気分が良くなってしまい、酔った勢いで自分の活躍ぶりを受付嬢に語りだす。頭の中ではその行為はやめるべきだと黄色いランプが点灯していたが、キャバクラで仕事自慢をする中年サラリーマンよろしく、その凶行を途中で止めることはできなかった。

 それに対し受付嬢は「さすがですねー」「すごいですねー」「そうなんですかー」といった男を虜にする”さしすせそ”をプロのキャバ嬢並に使いこなす完璧な対応ぶりを披露するのだった。

 ちなみに修介はこの時初めて受付嬢の名前が「ハンナ」であることを知ったのである。



 良い感じで楽しんでいる修介の様子を見てサラは、そろそろかな、と判断する。

「真の狂宴はここからよ」そうほくそ笑んでおもむろに立ち上がると、そこからさらに椅子の上に乗った。そして大きく息を吸うと、

「ちゅうもーくッ!」と叫んだ。

 だが、その声は大騒ぎする冒険者達の声によってかき消され、誰もサラの方を向かなかった。

 サラはこめかみを引くつかせながら、テーブルに立て掛けてあった杖を手に取ると、今度は小声で何かを呟き始める。

 それに気づいたノルガドが慌てて止めようと手を伸ばしたが、それよりも先にサラの詠唱が完了していた。

 サラが杖を上空に突き出すと、そこから光の玉がゆるゆると上昇し、天井付近まで上がったところで、突然「バンッ!」と大きな音と派手な光を放って飛び散った。

 その大きな破裂音で一瞬にして店内が静まり返る。

 その結果にいたく満足したサラはあらためて、

「はい、ちゅうもくっ!」と叫んだ。

 店内の視線を一身に集めたサラは「こほん」とひとつ咳払いすると、スッと修介を指さした。


「みんな聞いて。ここにいる駆け出し冒険者のシュウスケが、なんとあの一級賞金首のジュードの首を討ち取ったわ!」


 サラが声高に言い放つと、一瞬の静寂の後、店内の冒険者達から「本当かよ」「あの薬草ハンターが?」「エーベルトじゃないのかよ」「信じられん」といった騒めきが起こり、遠慮のない視線が修介に集中する。

 突然自分が注目を浴びたことで修介は混乱し思わずサラを見る。

 サラはいたずらっぽく笑うと「ほら、あなたの出番よ」と告げた。

 そこでようやく修介はサラの意図に気付いた。どうやらこれがサラの言っていた賞金の使い道なのだろう。

 隣の席のハンナが小声で「頑張って」と応援してくる。

 修介はあらためて騒然とする店内を見回す。好奇の視線の数々に思わず逃げ出したくなるが、このままじっとしていても埒が明かないと腹を括った。

 そして意を決してサラと同様に椅子の上に立つと、手にした賞金の袋を高々と掲げて高らかに宣言した。


「今日は俺の奢りだぁーッ! みんな好きなだけ飲んで食べてくれッ!」


 修介のその言葉で店内の冒険者達が「ウオオオオォォォ!」と歓声を上げた。誰が言い出したのか「薬草ハンター!」というコールまで沸きあがる。


 そこから店内は蜂の巣をつついたかのような大騒ぎだった。次々と冒険者が修介の元へとやってきては乾杯を求め、酒を注いでいった。普段ほとんど交流のなかった冒険者達と肩を組み、馬鹿騒ぎをし、酒を酌み交わした。

 修介は次々と注がれる酒を処理しながら、酔った頭で先ほど自分が口にした台詞を反芻する。


「今日は俺の奢りだ、か……」


 そんな物語の中でしかお目に掛かれなさそうな台詞をまさか自分が口にするとは思わなかったのだ。

 先ほどの台詞は「ここは俺に任せてお前は先に行け」「ここを通りたければ俺を倒してから行け」に続く人生で一度は言ってみたい台詞の第三位であった。一位と二位は言ったらほぼ間違いなく死ぬので実際には言いたくないわけだが。

 こうして店にいる冒険者達全員に酒を振舞ったことで、おそらく冒険者としての修介の知名度は上がるだろう。それほど大きな影響はないだろうが、少なくともこの中の数人は修介のことを記憶し好意を持つはずだ。


 冒険者に限った話ではないが、仕事をする上で”箔”というのは大事である。何もない冒険者よりも、一級賞金首を取った冒険者を選ぶ依頼人のほうが当然多いだろう。

 冒険者になって二週間程度で、まだ知己と呼べる同業者がほとんどいない修介にとっては、こういったことで名を売ることは決して悪いことではない。サラがどういった意図でこの状況を作り出したのか、その本心はわからないが、少なくとも修介にとってプラスになると考えたからなのは疑う余地がなかった。

 だがそれとは別に、今回の豪遊には修介にとって別の価値があった。


 前の世界の修介は豪遊とは縁のない人生だった。店を貸し切ったり、高級店で赤の他人に酒を振舞ったりといった豪遊をするのは金持ちのすることで、その行為を無駄だとさえ思っていた。アリとキリギリスよろしく、自分はアリのように真面目に将来に備えて貯金をしていた。

 それが悪いことだとは今でも思っていないが、今回自分がその立場になってみて、初めて豪遊する人の気持ちが少し理解できたような気がした。

 修介は文字通り命懸けの仕事を終えた。

 それだけに魂が消耗していた。

 その消耗した魂を充電する為には、それ相応の対価が必要だった。命懸けで戦った分、命懸けで遊ばないと釣り合いが取れないのだ。

 毎回こんな豪遊をしていたら金も体も持たないだろうが、初めて人を殺したという重荷を背負った今、これくらい羽目を外して心をリセットしないと、おそらく先に進めない。

 そう思ったからこそ、修介は浴びるように酒を飲み、心行くまで羽目を外した。

 ……とはいえ、次から次へとやってくる冒険者達の相手をし、注がれ続ける酒を飲み続けるのにも限界があった。途中から注がれる酒はそのままノルガドに渡して処理させていたが、すでに許容量を大きく超えるアルコールを摂取していた。

 後のことを考えずにこれほど酒を飲んだのは二〇年ぶりくらいだった。

 優しく背中をさすってくれるハンナの心配そうな顔と、サラの「なさけないわね」という辛辣な声を最後に修介の記憶は途絶えたのだった。



 こうして、得た賞金のほとんどはその日の飲み代で消えた。

 翌朝目覚めた修介の手にあった袋の中には申し訳ない程度の金貨が残っているだけだったが、そのことを修介はまったく後悔していなかった。後悔したのは二日酔いでしばらく動けなくなったことくらいである。

 アレサの『マスターはアホですか』という言葉が痛む頭にさらに追い打ちを掛けた。

 またしばらくは薬草採集の日々だな、そんなことを二日酔いで痛む頭で考える。

 それが修介にとっての日常だった。


 ……だが、その日常は早々に打ち砕かれることになる。

 修介達が饗宴にふけっていた頃、街の西門にひとりの傷だらけの騎士が現れた。

 その騎士は息も絶え絶えに出迎えた衛兵にこう告げた。


 調査団が敗北した――と。

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