第55話 本性
目を開くと見慣れぬ天井があった。
柔らかい布地の感触から、修介は自分がベッドに寝かされていることに気付く。
顔は動かさずに視線だけで周囲の様子を窺う。窓から入る月明かりに照らされた薄暗い部屋は、いつもの見慣れた宿の部屋ではなかった。
(……そうか、俺はゴブリン討伐の依頼でリーズ村に来ていたんだっけ……)
それからどうなったのか、混乱する頭を整理しようとして、修介は酷く喉が渇いていることに気付いた。
視線を枕元に向けると脇のテーブルに水差しが置いてあった。これ幸いとばかりに反射的に腕を伸ばすと、激しい痛みが全身を襲った。思わず「うぐっ!」と呻き声が漏れる。
視線を自分の体に向けると上半身は包帯だらけであった。
「……目が覚めたようだな」
「――ッ!」
暗い室内から突然声が聞こえたことに修介は驚いて思わず身体を動かしてしまい、再び苦痛に喘ぐことになった。痛みが治まるのを待ってから、あらためて声のした方へと視線を向ける。
声の主はエーベルトだった。彼は扉のすぐ横の壁に背を預けて座っていた。片膝を立ててその上に肘を置くといういかにもな座り方に修介は思わず苦笑した。
「……えっと、これはどういう状況だ?」
修介はゆっくりと身体を起こしながらエーベルトに訊ねる。
エーベルトは顎をしゃくって「あんたは怪我人で、ベッドで寝てる」とだけ言った。
「それくらいはわかる。そうじゃなくて、俺がベッドで寝ることになった過程を聞いてるんだ」
「……むしろどこまで覚えているんだ?」
エーベルトのその問いに修介はすぐには答えず、そっと腕を伸ばして水差しを手に取り水を一口含んだ。少しぬるめの水が乾いてひりついた喉を優しく撫でていく。
少し落ち着くことができたので、あらためて頭の中を整理する。
「えっと……ゴブリンとの戦いの最中に、村に火の手があがって……それで、俺は走ってそこに向かって……そこでお尋ね者の男と遭遇して……そいつと戦う羽目になって……それで俺は……」
それで俺はどうしたのか――思い出そうとして強烈な眩暈に襲われた。くらくらする頭を片手で押さえる。まるで心がその記憶に触れるようとするのを拒絶しているかのようだった。
だが、修介は自分が何をしたのか、はっきりと覚えていた。自分の決断から逃げないと誓った以上、そう都合よく忘れるわけにはいかなかった。
「……俺は、そいつを殺した……だけど、俺も大怪我を負って倒れたんだったな……あの時はてっきりそのまま死ぬと思ったんだけどな……」
修介のその言葉にエーベルトはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「あんたが生きているのは、そこのふたりのおかげだ」
そう言ってエーベルトは顎をしゃくって今度は床を指し示した。
修介が指し示された場所に視線を向けると、そこには毛布にくるまって静かに寝息を立てているサラと、大の字になっている寝ているノルガドの姿があった。
「……このふたりが?」
「ああ、ふたりで大騒ぎしながら魔法を使って治療していたようだったが、俺は関わってない。詳しいことはふたりが起きたら聞けばいい」
「わ、わかった。そうする」
修介はあらためて自分の体を見てみる。数えると実に七か所も包帯が巻かれていた。自分の体は癒しの術の効きが悪いことを考えると、治療にどれだけの労力がかかったのか想像もつかない。
「……ちなみに、あんたが倒れてから丸二日経っている」
おもむろにエーベルトはそう告げた。
「丸二日!? つまり俺は二日間ずっと寝ていたってことか?」
「そうなるな」
「じゃ、じゃあふたりはその間ずっと俺の治療を?」
「言っただろう、俺は関わっていないから知らん」
冷たく言うエーベルトだったが、少し間をおいてからあらためて口を開く。
「……あんたが倒れた時、文字通り瀕死だった。マナがないという体質を考えれば、それをたった二日でそこまで回復させるのは並大抵のことじゃないだろうな」
「そうか……」
修介はそう呟くだけで精一杯だった。
マナがないという体質が怪我をした際に大きなマイナスになるであろうことは事前に予想してはいたが、実際にこうして仲間に負担を掛けた事実は修介の心に大きな影を落としていた。
これは今だけに限った話ではない。医学が前の世界よりも発達していないであろうこの世界で、回復魔法の効果が薄いというのは致命的だった。今後、誰とパーティを組んでもこの問題が大きな障害を生むことは明白だろう。
今回の一件で、妖魔討伐の依頼にはパーティが必須だということはよく理解できた。だが、この体質を知ってまでパーティを組んでくれる物好きがはたしているだろうか。自分がこのまま冒険者を続けていくことができるのか、不安は尽きなかった。
「ゴブリン討伐の依頼は完了した」
「……えっ?」
自分の考えに没頭していた修介はエーベルトの唐突な言葉に驚いて顔を上げる。
「どういう状況か知りたかったんじゃないのか? 必要ないならやめるが……」
「あ、いや聞きたい」
エーベルトは頷くと、現在の状況を語ってくれた。
村の損害は入口付近の家が一軒全焼。犠牲者は三人で、遺体は村の共同墓地へと埋葬された。ジュード以外の残りの野盗はエーベルトとノルガドの手によって倒され、死体は森の入口付近に埋められた。大量のゴブリンの死体はエーベルトの指示の元、村人達によって一か所に集められ焼却したとのことだった。
「――依頼は完了したが、こちらに怪我人が出たことから村長の厚意でそのまま部屋を使わせてもらっている、という状況だ」
「……村に三人も犠牲者が出たのか……」
「村の犠牲者については俺達の責任ではない。野盗の襲撃は依頼とは関係ないからな。むしろそういった意味ではこっちも被害者みたいなものだ」
肩を落とす修介にエーベルトは平坦な口調でそう告げる。
「それはわかってるけど……」
元々今回の依頼に村人にひとりの犠牲者も出さずに、という条件があったわけではないのだ。依頼されたのはゴブリンの討伐である。無論、村人の安全については最大限に考慮する必要はあるが、それと今回の野盗の襲撃は関係ない。だからといって、修介としてはそこまで簡単に割り切れるようなものでもなかった。
「……なんにせよ、その怪我が治るまでは村から出られない。さっさと横になって休むことだ」
そう言うとエーベルトは音もなく部屋から出て行った。こんな夜更けにどこへ行くのか一瞬気になったが、おそらく屋根の上だろう。
ふと、修介は彼がこの部屋にいたのは、サラとノルガドが休んでいる間に自分の様子を見ていてくれたからではないかと思い至った。実際のところは不明だが、なんだかんだで根は優しい子なのだろうと勝手に思うことにした。
再び静寂が支配することとなった部屋で、修介はあらためて床で横になっているふたりを見た。
自分の体にマナがないことで癒しの術の効きが悪いことはサラもノルガドも当然知っていた。それを知っていて、必死に命を繋いでくれたのだ。ここまで回復させるまでにどれだけの魔法を使ったのか想像すらできなかった。
ふたりとも優秀な冒険者だ。そんなふたりに自分が役に立てることがあるかどうかわからなかったが、もしこのふたりが困っていたら絶対に力になろう、修介はそう誓った。
エーベルトの言う通り、傷が癒えないとグラスターの街に帰ることができない。さっさと寝て回復に努めるべきだろう。
修介はゆっくりとベッドに体を横たえた。
だが、あまりに多くの出来事が起こったせいで、色々な思考が頭の中をぐるぐると駆け巡って眠ることができそうになかった。そもそも丸二日間も寝ていたのだ。睡魔が訪れる気配は全くなかった。
修介は唐突に外の空気が吸いたくなった。新鮮な空気を吸って頭の中をすっきりさせたかった。
しばしの逡巡の後、ゆっくりと身体を起こすと、そっとベッドから出た。動く度に体のあちこちから痛みが発したが、我慢できないほどではなかった。
視界の端に壁に立て掛けられたアレサの姿を捉える。
修介はアレサに手を伸ばそうとしてやめた。
そのままアレサを持たずに外套だけ羽織ると静かに部屋を出た。後で絶対に文句を言われるだろうが、今は本当の意味で独りになりたいと思った。
あの戦いで修介が生き残ることができたのは、間違いなくアレサのおかげだった。だから修介はアレサに感謝していた。感謝はしていたが、今はどうしてもアレサに礼を言う気になれなかった。
本当なら死ぬのは自分のはずだった。
アレサの機転のおかげで自分は生き残り、ジュードは死んだ。だが、それはつまるところ自分が人を殺すきっかけを作ったのはある意味でアレサだということだった。
それがとんでもない言いがかりであることは百も承知だった。感謝の気持ちに嘘はなかったが、自分がどんな顔をしてアレサと話していいのかわからなくなっていた。
とにかく心の整理をする時間が欲しかった。
村長の家を出た修介は、村のそばを流れる川のほとりを目指してゆっくりと歩く。
電灯などないこの村の夜は、ほんのわずかな先の地面すら見えぬ闇の世界だが、空に浮かぶ月と、その周囲を彩る星々の瞬きが修介を目的の場所へと導いてくれた。
やがて川のせせらぎの音が聞こえてくる。
修介はふぅと一息つくと、適当な場所に腰を下ろした。怪我をした体でこんなところまで歩いてきたのは少し無謀だったかと今更ながらに思ったが、来てしまった以上すぐに帰る気にもなれなかった。
月明かりを受けてきらきらと輝く川をぼうっと眺める。
四三年の人生で初めて人を殺した。
前の世界ならそんな経験をする人自体が極少数だろう。まさか自分がそのうちのひとりになるとはほんの三カ月前には想像すらしていなかった。取り返しのつかない罪を犯したという自責の念に苛まれる。
あるいは自分が本当に一七歳の少年だったら何も悩まずに、仲間を守る為、正義を守る為と割り切って人を殺せたのだろうか。長年そういった荒事とは無縁に生きてきたからこそ、必要以上に自分を責めてしまっているのかもしれない。
目を閉じればあの時の光景が脳裏に浮び、手を握れば斬った瞬間の肉を断つ感触がまざまざと蘇る。
後悔はしていなかった。
ではなぜ自分はこれほど思い悩んでいるのか。
それは心の奥底にある、どろどろとした醜い自分の本性をあの瞬間にあらためて思い知ったからであった。
本当はあの時、殺さずとも無力化することができたかもしれなかった。その術は訓練場で習っていた。あの極限状態で正確にそれを実行できたかは怪しかったが、本当に人を殺すことを忌避するならば試すべきだった。だが修介はそれをしなかった。失敗して自分が殺されることを何よりも恐れたからだ。
そもそもが正々堂々たる一騎打ちで勝ったわけではないのだ。アレサの能力……言ってしまえばチート能力で騙し討ちしたようなものだ。
卑怯者め――死体となったジュードの目がそう弾劾しているように見えた。
そして極めつきが、剣を振るう直前にわずかに芽生えた『こいつを殺せば英雄になれるかも』という虚栄心の存在だった。それではまるで己が欲を満たすために人を殺すことを決断したようなものであった。
こいつを殺しても罪にならない。むしろ感謝される。だから自分は許される。
そう計算したからこそ、最後の一線を越えることができたのだ。
自分の命を守る為に、村人や仲間を守る為に、凶悪な犯罪者を野放しにしない為に、自分が信じる正義の為に、仕方なく殺した。そうやって言葉を飾れば他者に対してはいくらでも取り繕うことができるだろう。
だが、曲がりなりにも四三年生きてきたのだ。どう取り繕おうとも自分の本性は自分が一番よくわかっていた。
「宇田修介は人殺し、か……」
修介は手ごろな石を掴むと、水面の月を自分の心に見立て、それを破壊せんとばかりに投げつけた。全身の痛みが、まるで自分への罰のように感じた。
突然、背後で草を踏む音がした。
咄嗟に振り返り腰に手を伸ばすが、その手はむなしく宙を掴んだ。アレサを部屋に置いてきたことを思い出し自分の迂闊さに舌打ちをした。
だが、そこに立っていたのは、先端に光を灯した杖を手にしたサラだった。
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