第53話 魔術師
「だめっ! シュウ!」
サラのその叫び声に、エーベルトはちらりとだけ視線を向けた。
修介が対峙している男に斬りかかるも、あっさりと返り討ちに遭っていた。どうやら死んではいないようだが、今の立ち合いだけで修介と男の力量差がはっきりと理解できた。
あの男の実力はかなりのものだった。素人に毛が生えた程度の修介の腕ではまず勝つことは不可能だろう。
エーベルトにとって修介がどうなろうが感情が動くことはないが、パーティの人間が死ぬことは、自分の力不足が原因に思えて我慢ならなかった。
(俺がなんとかしなければならない)
エーベルトはいつだって己の力のみでどんな苦境も切り抜けてきた。
それは今回も変わらない。
目の前には三人の手練れの戦士と魔術師がひとり。対してこちらは自分とノルガドのふたりだけ。人数でいえば絶対的に不利だったが、それでもエーベルトは自分が負けるとは思っていなかった。それだけの実力が自分にはあると絶対の自信を持っていた。
エーベルトは自分の目の前に立ち塞がるふたりの戦士に目を向ける。
戦士のうち一人の顔に見覚えがあった。宿で修介相手に難癖をつけてきたあの男だった。
(なるほどな……)
エーベルトはなんとなく状況を察した。
次の瞬間、敵の魔術師が大きく体を動かし、魔法を詠唱を開始した。
同時に周囲の空気にかすかな変化が生じる。
自分が魔法の対象となっていると気付いたエーベルトは、牽制するように二本の小剣を大振りして目の前の戦士と距離を開けると、体内の魔力を高めて魔法に備える。幼いころに何度も母親から叩き込まれた魔法への対抗策であった。
突然、全身に強烈な痺れが生じる。
(麻痺の術か!)
抵抗に失敗すればしばらくはまともに動けなくなる魔法である。下手をすると麻痺が心臓まで到達しそのまま死に至ることさえある。たとえそこまでいかなくとも、身体が動かなくなれば目の前の戦士たちになで斬りにされるだろう。
エーベルトは目の前の戦士たちを睨みつけて牽制しながら、必死に魔法への抵抗を試みる。全身の魔力を活性化させて侵入してくる魔力に抵抗する。
咄嗟に魔法への備えができていたことで、エーベルトは魔法への抵抗に成功した。
だが、猛烈な疲労感が全身を襲う。魔法への抵抗は体力に負担が掛かる。抵抗には成功したが、何度も喰らえばいずれ抵抗しきれなくなるのは間違いなかった。そうなる前に決着をつける必要がある。
エーベルトは剣を持つ手に力を込めた。
修介とジュードの戦いは一方的な展開となっていた。
修介は訓練場で教わった剣技の全てを駆使し、時にフェイントを織り交ぜ、意表をついて蹴りを繰り出したりと、あらゆる戦法を使った。
だが、そのどれもが軽くいなされた。
双方の技量には圧倒的な差があった。二〇合ほどは何とか打ち合うことができたが、気が付けば修介は防戦一方となり、完全に追い込まれていた。
体のあちこちに切り傷ができており、動くたびに血が飛び散る。
それでも修介は己の運命に抗うように必死に剣を振るい、懸命に抵抗した。
いまだに致命傷を負っていないのは奇跡としかいえなかったが、そう遠くない未来にそれは現実のものとなるだろう。
サラは目の前で繰り広げられるその戦いを、絶望的な気持ちで見守っていた。
魔法で援護したくても、修介には魔法が効かないのだ。ジュードを狙って弱体化の魔法を使ってみたが、相手は相当な手練れの戦士らしくあっさりと抵抗されてしまっていた。
これだけ激しく動き回られると攻撃魔法は誤射の可能性があり、万が一修介に当たってしまった場合、どのような結果を招くのかわからない為、おいそれと使うことはできなかった。
やはり無理にでもあの時に検証しておくべきだったとサラは後悔したが、今となっては後の祭りである。
だが、このまま何もしなければ修介がそう長く持たないことは明白であった。
(考えるのよ、サラ!)
魔法使いはどんな状況でも常に冷静でなければならない。サラは自分と同じ魔術師であり師でもある祖母からそう教わった。
この状況を打開する方策を考えるのは自分の役目だ。
サラは素早く周囲を見渡し、戦況を分析する。
ノルガドは大柄な戦士と対峙していた。
背の低いドワーフだと子供と大人のような身長差があり、傍目には絶望的な組み合わせに見える。現にノルガドは敵戦士の猛攻に晒され、手に持った戦斧で攻撃を受けるだけで精一杯に見えた。
だが、ノルガドは歴戦の戦士である。その強さをサラはノルガドのかつての冒険者仲間である祖母から何度となく聞かされていたし、何度も自分の目で見てきた。
ドワーフの戦い方は一撃必殺。
ノルガドは敵戦士の隙をじっと窺っているのだ。
サラはノルガドの勝利を疑っていなかったが、修介の窮状を救うには時間が掛かりすぎると判断した。
一方、エーベルトは両手に持った小剣を巧みに操り、ふたりの戦士を同時に相手にしても圧倒していた。
その若さに見合わぬ卓越した剣技は、すでに領内の冒険者のなかでも一、二を争うとまで言われている。おそらくジュードを倒すことができるのはエーベルトだけだろう。彼をいち早く勝たせることが、この戦いを勝利に導く最善手であるとサラは考えた。
だが、それと同じことを敵の魔術師も考えているのだろう。さきほどから敵の魔術師はエーベルトを執拗に狙っており、今もまさに新たな魔法の詠唱を開始していた。
「させない!」
サラは素早く杖を掲げると魔法への抵抗力を高める対抗魔法をエーベルトに掛けるべく体内のマナを操り詠唱を開始した。
サラの魔法の詠唱の早さや正確さは敵の魔術師よりも遥かに優れていた。
対象との距離があり、後追いの詠唱であるにも拘わらず、サラの詠唱は敵の魔術師よりも早く完了していた。
エーベルトの周囲のマナが変異し、そのまま体内に吸い込まれていく。
その直後に敵の魔術師の魔法がエーベルトを襲うが、サラの魔法の効果によってエーベルトは易々と抵抗に成功する。
敵の魔術師は己の魔法が失敗したことを知ると、すぐさま対象をノルガドに変えて再度魔法の詠唱を始めようとする。
それを見たサラは素早く頭を回転させる。
このまま後追いで魔法を使い続けていても勝負が長引くだけである。この厄介な敵の魔術師を無力化させるには、どこかで一度魔法を無駄撃ちさせる必要があった。
そしてサラにはひとつだけ、敵の魔術師の魔法を無効化できる策があった。
危険な賭けだが、この状況ではそれ以外に方法はないと考え、即座に決断した。
サラはノルガドに対抗魔法を掛けるべく詠唱を始める。タイミングを計り、敵の魔術師の詠唱が終わる直前を狙って詠唱を完了させる。
絶妙なタイミングで敵の魔術師の魔法はまたしても効果を発揮できずに終わる。
その結果、敵の魔術師は憤怒の表情を浮かべてサラを睨みつけてきた。
サラは「お前の相手は私だ」と言わんばかりに高く杖を掲げると、これ見よがしに自分自身に対抗魔法を掛けるべく詠唱を始める。それが魔術師同士の戦いのセオリーだからである。
だが、それを見た魔術師はにやりと笑うと、サラを無視して修介を対象にして魔法の詠唱を開始した。
ジュードを勝たせさえすれば、無防備になった女魔術師などいともたやすく倒せる。その間に敵の魔法を喰らったとしても即死はしないと計算したのだ。その思い切りの良さは、この魔術師が豊富な実戦経験を持つ証だった。
魔術師が詠唱しているのは麻痺の術だった。
麻痺の術は彼のもっとも得意とする魔法であり、その危険さ故に魔法学院では禁術とされている魔法である。彼はその禁を犯して魔法学院を追放されていた。
勝利を確実にするならば、抵抗される可能性のある麻痺の術ではなく、ジュードに強化魔法を使ったほうが良いのだが、彼は麻痺の術に並々ならぬこだわりがあった。麻痺に侵され身動きの取れなくなった人間が、絶望の表情を浮かべながら抵抗できずに殺されていく瞬間を見るのが何よりも好きだった。他者の生殺与奪の権を握った瞬間の圧倒的な征服感は何物にも代えがたい愉悦をもたらすのだ。
魔術師は最後の一文字を宙に描く。女魔術師の邪魔は入らない。
麻痺の術は発動し、変換された魔力が相手の戦士の体へと吸い込まれていく。
彼は魔法の成功を確信した。
だが、吸い込まれた魔力は何の効果も発揮せずに霧散した。
「そ、そんな馬鹿なッ!」
魔法は確かに発動していた。あの戦士には対抗魔法は掛けられておらず、抵抗する素振りすら見せなかった。にもかかわらず、まったく効果が表れなかったのだ。こんなことは初めてだった。
驚愕のあまり彼は冷静さを失い、慌ててもう一度魔法の詠唱を試みようとする。
だが次の瞬間、女魔術師から異様な魔力を感じて振り返った。
そして彼は絶望した。
サラはすでに対抗魔法の詠唱を破棄して、別の魔法の詠唱を開始していた。
杖からはとてつもない魔力が形成され、そこから信じられないような数の魔法文字が紡ぎだされ、詠唱が進むごとに杖の先からは白い稲妻のようなものが迸る。
それは師である祖母から滅多なことで使ってはならないと言われ、魔法学院でも一部の導師にしか使用が許可されていない魔法――マナを
サラの手持ちの魔法のなかで、魔法の抵抗に長けた魔術師を相手に確実に一撃で倒せる威力を持った魔法はこれしかなかった。
桁違いのマナの使用量と、とてつもない詠唱時間の長さが欠点であり、一度は敵の魔術師に魔法を無駄撃ちさせて時間を作る必要があった。
修介を利用することに良心の呵責はあったが、彼に魔法が効かないことは自分自身で散々検証したのだから自信はあった。唯一、攻撃魔法を使われた場合の効果が未知数なのが不安の種だったが、誤射の危険があることからその可能性は低いと判断していた。それでも危険な賭けであることに変わりはなかったのだが。
サラは意識を己の魔力に集中する。
詠唱は完了し、膨大な魔力が一気に杖の先に集束する。
一瞬の静寂の後、杖の先から大気を揺るがす轟音と共に一筋の雷が迸ると、次の瞬間には魔術師の胸を貫いていた。
「こ、こんな……ばか……な……」
胸に空いた穴を信じられないといった眼差しで見つめながら、魔術師は絶命した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます