第52話 死闘の始まり

 村の入口に駆け付けた修介の目に飛び込んできたのは、血だまりに倒れている人影だった。

 すぐさま駆け寄ろうとして、近くに人の気配を感じて立ち止まる。

 すぐ近くには家があり、そこから火の手が上がっていた。燃え盛る炎が闇夜を赤く照らし、ゆらゆらと怪しく地面に影を落としていた。

 その家の出入口にフードを被ったひとりの男が立っていた。

 男の手には血の付いた剣が握られており、もう片方の手にはおそらく村人であろう男が襟首を掴まれ引きずられていた。村人は頭から血を流してぐったりとしている。

 修介はフードを被ったその男の姿に見覚えがあった。


「お前、あの時の宿にいた……」


 数時間前に修介達が休憩の為に立ち寄った宿にいた、あのガラの悪い一行のリーダー格の男だった。

 修介の声に男は一瞬だけ視線を修介に向けたが、特に何も答えず村人を引きずって家から離れようとする。


「お、おい待てッ!」


 再び声を掛けられた男はゆっくりと顔を上げ、今度は値踏みするように修介を見る。


「なんだ、もしかして俺に声を掛けたのか?」


「お前以外に誰がいるんだよ!」


「こいつの事かと思ったんだが?」


 そう言うと男は引きずっている村人の襟首を強引に引き上げて修介に見せる。引き上げられた村人は苦しそうに呻き声を上げた。


「ふざけんなッ! とにかくその人を離せッ!」


「なぜだ?」


「なぜって……いいから離せッ! その人をどうするつもりだ!?」


 修介は男との噛み合わない会話に苛立ちを感じながらも問いかける。


「どうするって、殺そうとしてたんだよ。それとも何か? これから俺がこいつとダンスを踊るとでも思ったのか?」


 揶揄するようにフードの男は言った。

 男が放った言葉の意味を修介は咄嗟に理解することができなかった。


(何を言ってるんだこいつは? 殺す? 村人を? なんで?)


 修介が戸惑いのあまり黙っていると、男は村人の頭髪を掴んで強引に顔を上げさせ、もう片方の手に持った剣を村人の喉元に突き付けた。村人は恐怖に引きつった顔で「た、たすけて……」と弱々しく修介の方に手を伸ばす。

 男の顔が残忍な笑みで歪んだ。


「――お、おいやめろッ!」


 だが、修介の静止の声もむなしく、男はまるでチェロを弾くかのように優雅に剣を真横に引いた。

 村人の喉から真っ赤な鮮血が飛び散ると「があッ」という声とともに村人は力なく地面に崩れ落ちた。村人の周囲に瞬く間に赤い泉が広がっていく。

 伸ばしかけた修介の手がわなわなと震えたままむなしく宙を彷徨う。

 男は剣を軽く振って血を払うと悠然と鞘に納めた。そしてゴミでも見るような目つきで地面に倒れた村人の死体を軽く蹴った。


「な、なんてことを……」


 修介はなんの躊躇いもなく喉を切り裂いた男に言いようのない恐怖を抱き、ただ剣を構えたまま呆然と立ち竦む。


「そんなに怖がるなよ、小僧」


 フードの男は修介の内心を見透かしたかのように言った。

 目の前の男の狂気に飲み込まれないよう修介は必死に敵意を掻きたてる。


「お前、あの時宿にいた奴だろう。なんでこんなことするんだ……」


 だが、フードの男は修介の質問を無視し、屈みこんで村人の死体をまさぐりはじめた。そして財布らしき袋を取り出すと、さも自分の物のように懐に入れた。


「シュウッ!」


 その時、背後から駆け寄ってくる足音と共にサラの声が聞こえてきた。


「大丈夫!? 怪我はない!? これはいったいどういう状況なの!?」


 サラはやってくるなり矢継ぎ早に質問を繰り出してきた。

 修介はそれには答えずじっと目の前の男を睨みつける。

 フードの男はサラの姿を見て肩をすくめた。


「やれやれ……あの宿で貴様らを見た時にまさかとは思ったが、本当にこの村が雇った冒険者だったとはな。おかげで計画が台無しだ」


 そう言うと男はフードを外した。

 現れた顔を見てサラは愕然とした表情を浮かべると「……私、こいつのこと知ってるわ」と小声で修介に告げた。

 サラの言葉に修介は振り返る。


「あの宿にいた奴だろ?」


 サラは首を横に振る。


「そういう意味じゃないわ。ギルドの手配書で見たのよ。たしか名前はジュード……隊商の襲撃や複数の殺人事件の犯人として領主から生死を問わずで高額な懸賞金が掛けられているお尋ね者よ……」


 その言葉に修介ははっとする。あの宿で目が合って以来ずっと抱いていた既視感の正体がようやくわかったのだ。どこかで見たことがある顔だと思ったのは、ギルドの掲示板に貼られている手配書を見ていたからだった。たしかに面長で残忍な顔は記憶の中の手配書の絵にそっくりだった。


「ほう、俺を知っているのか……それじゃあこのまま生かしておくわけにはいかんな」


 ジュードは嗜虐的な笑みを浮かべながらサラの方へと一歩近づいた。

 修介はサラを庇うように体を移動させるとアレサを構えて立ち塞がる。


「そのお尋ね者がここで何をしているんだ!?」


 だが、ジュードは修介の敵意の籠った視線を意に介さず、逆におどけた口調で問いかけてきた。


「何をしてるっていうのは、この場合どっちの答えが正解かな? この村に火を放って村人を殺したことか? それともゴブリンに村を襲わせたことか?」


「……ゴブリンに村を……襲わせた?」


 修介の言葉にジュードはにやりと口元を歪める。


「ゴブリンは頭の悪い連中だが、強い者には従順でな。ちょっと力で脅してやれば、ほいほいと言うことを聞くのさ」


 ジュードはそう言うと懐から何かを小さい物を取り出すと修介の足元に放った。

 足元に落ちたそれを見て修介は愕然とした。

 それはゴブリンの耳だった。

 修介は先ほど自分が倒したホブゴブリンの右耳がなかったことを思い出した。


 知能の高い妖魔のなかには稀に人間と手を組んだりする妖魔がいるというが、逆に人間の中にも低位妖魔を手懐けたり、力で支配して悪事に利用しようとする輩が存在しているということを訓練場の座学で習っていた。

 修介は心のどこかで、妖魔の脅威に晒されているこの世界でそんなことをするような人間がいるはずがないと高をくくっていた。だが、目の前にそれを平然とやってのける人間がいたことに頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。


「わざわざゴブリンどもを手懐けて村を襲わせ、全滅させた後に悠々と村の財産を手に入れようと思っていたのにな。まさかこれほど早く冒険者を雇ってくるとは想定外だったな……」


「な、なんでわざわざそんなことするんだ……?」


 震える声で修介は問う。


「そうすれば村の全滅はゴブリンの仕業ってことにできるだろう。わざわざ村人を殺す手間も省けるしな。それにほら、そのほうが面白いだろう? ゴブリンから必死に逃げ惑う村人達の滑稽な姿を特等席で見物できるんだぞ?」


 ジュードは芸を披露するかのように両手を広げた。


「面白い……?」


 修介は目の前の男の言っていることが理解できなかった。

 いくらこの世界の常識に疎い修介でも、それを面白いと感じる人間はそうそういないということだけは確信できた。

 前の世界でも平気で他人を傷つけたり、インターネット上で匿名なのをいいことに他者を誹謗中傷したりする人はたくさんいた。なぜそんなことをするのか、その理由も心理も修介には理解できないものばかりだった。

 人は誰しも自分が正しいと思う価値観を持っている。それが人によって異なることも修介は理解していたが、そのなかにはどうしても理解できない価値観というものも存在していた。この世には理解不能な行動を取る人間なんていくらでもいるのだ。

 それがわかっていて尚、目の前のこの男のそれは修介の理解を遥かに超えていた。面白いから、という理由で人が殺せる人間を修介は同じ人間だとは思いたくなかった。


「なんだ? お前は冒険者なんだろう? 冒険者なんて金の為に人を殺す仕事を喜んで引き受けるような連中じゃないか。俺たちと何も変わらないだろう?」


 さも心外だと言わんばかりのジュードのその言葉で、修介の頭の中で何かが切れた。


「――するんじゃねぇ……」


「ん?」


「てめぇと一緒にするんじゃねぇッ!!」


 修介は激昂してアレサを振りかぶるとジュードに向かって駆け出した。


「だめっ! シュウ!」


 サラの制止の声が聞こえたが修介は無視した。

 この時、修介を突き動かしたのは恐怖だった。

 自分が理解できない存在に対して抱く根源的な恐怖。その恐怖を誤魔化すために修介は怒りに身をゆだねたのだ。


 鬼気迫る顔で猛然と突っ込んでくる修介の姿をさも楽しげに見やると、ジュードは鞘に納めたままの剣を悠然と構える。

 その姿に舐められていると察した修介はさらに頭に血が上る。だが、怒りで冷静さを失っていても身体に叩き込まれた剣の振り方だけは忘れていなかった。

 右上段からの袈裟斬り――。

 全体重を乗せたその一撃は、たとえ受け止められたとしても相手のバランスを崩すだけの威力を持っている修介の最も得意とする攻撃だった。訓練場の模擬戦でもこの一撃のおかげで何度も勝利をもぎ取ってきた。

 今回もそうなるはずだった。

 だが、その自慢の一撃はいとも簡単に受け流された。それどころか、ジュードはまるで手品のように手元で剣をくるりと回すと、その剣先でバランスを崩した修介の腹に強烈な突きを喰らわせた。

 何が起こったかわからないまま、修介は後方に突き飛ばされ、背中を強かに地面に打ちつけた。すぐに激しい嘔吐感が襲ってきて修介は地面をのたうち回る。


「鞘がなければ死んでたな」


 ジュードは修介を見下しながら言った。


「シュウッ!」


 サラの叫び声が聞こえるが、それに答える余裕は修介になかった。

 追撃を恐れた修介は吐き気を堪えながらすぐさま起き上がってアレサを構える。

 だが、ジュードは追撃する素振りさえ見せずに悠然と構えたままだった。


「悪くない一撃だったが、もっともっと殺意を込めないと俺は殺せないな」


 まるで自分の覚悟のなさを見透かされたかのようで修介の心に戦慄が走る。

 だが、今の立ち合いで彼我の戦闘力の差を思い知った修介は、ある意味そのおかげで冷静さを取り戻すことができていた。


(ダメだ……俺ではこいつに勝てない……)


 実力もそうだが、人を殺すことに慣れているこの男と、そうでない自分とでは勝負にすらならないだろう。


 気が付けば修介は自分に人を殺す覚悟があるかどうか以前に、自分が生き残る為の戦いをしなければならない状況に追い込まれていた。

 殺されるかもしれないという恐怖が現実感を伴って身体を蝕む。今すぐにでも回れ右して逃げ出したかった。

 だが、背後にいるサラの存在が修介の折れそうな心をなんとか支えていた。自分が逃げたら、間違いなくサラはこの男に殺されるだろう。

 人を実験動物のように扱うわ、喧嘩ばかりで馬の合わない奴だが、それでも女である。女を見捨てて逃げるような男にだけはなりたくなかった。


(なんか前にもこんなことあったな……)


 こんな状況にも拘わらず、シンシアの顔が修介の脳裏に浮かんだ。

 少なくともひとり、自分が死んだら悲しんでくれるであろう少女のことを思い出し、修介は勇気を振り絞る。


(大丈夫、俺には頼もしい仲間がいる!)


 近くにエーベルトとノルガドがいる。彼らが来てくれるまで持ちこたえることができれば、きっと生き残れるはずだ。

 修介はちらりとエーベルト達が来るであろう方向に視線を向けた。


 だが、そこで修介が見たものは複数の男達に行く手を遮られているエーベルト達の姿だった。


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