第50話 恐怖
宿で十分な休息を取った一行は、その後は特にトラブルに見舞われることもなく、予定通り夕刻前にはリーズ村に到着することができた。
どうやらゴブリンの襲撃前に到着できたようで、イアンは出迎えた家族と抱擁を交わしていた。
リーズ村は人口五〇人程度の小さな村だが、寂れた印象はなく広い畑と野山に囲まれた自然豊かな美しい場所だった。ただ、昨年ゴブリンに襲われた影響か、村を囲うように頑丈そうな柵が設けられていた。
修介達はイアンの案内で村長の家に向かった。
ゴブリンが出没したからか、すれ違う人たちの表情は暗く、挨拶しても目を伏せて足早に通り過ぎる人がほとんどであった。
家の窓から興味深げに様子を窺っている子供の姿が見えたので、修介は笑顔で手を振ってみたが、すぐに顔を引っ込めてしまった。
どうもゴブリン云々というより、冒険者という存在自体にあまり馴染みがないのかもしれない。
イアンが「みな悪気はないんですよ」と申し訳なさそうに言ったので、修介は「気にしてませんよ」と軽く応じた。
出迎えた村長は純朴そうな初老の男性で、修介達を家の中へ招き入れると詳しい状況を説明してくれた。その内容はギルドで受けた説明とほとんど差異はなかった。
リーズ村には宿などの宿泊施設はないそうなので、修介達の滞在中は村長が部屋を提供してくれることとなった。
部屋に荷物を置くとさっそくノルガドが「村の周辺の様子を見てくる」と言って部屋を出て行こうとした。修介は慌ててそれに付いて行く。長い旅路で疲れていたが、この依頼の最中は可能な限りノルガドから冒険者としてのノウハウを学ぶつもりだった。
「ゴブリンは襲撃前に必ず偵察を出すのじゃ。暗くなる前に昨晩ゴブリンがやってきたかどうか確認しておく必要があるじゃろう」
付いてくる修介にノルガドはそう説明した。
ふたりは設置された柵を越え、村を大きく一周するように移動しながら、草むらや岩陰にゴブリンの足跡がないかどうか丹念に調べていく。
太陽がそろそろ山間に隠れようかという時刻になったところで、突然ノルガドが足を止めた。
修介が「どうかしたの?」と声を掛けると、ノルガドは「これを見てみろ」と地面を指さしながら手招きする。覗き込むと地面に多数の小さな足跡があった。大きさからいって人間の子供の足跡に見えるが、この村にこれほどたくさんの子供はいない。
その足跡は少し離れた森へと続いていた。
「これって……」修介が顔を上げると、ノルガドは黙って頷いた。
足跡はゴブリンがこの近くまでやってきていることを物語っていた。
修介には依頼を受けてからゴブリンと戦うという事態をあまり現実的に捉えられていない節があったが、足跡を見たことで戦いが近いことを嫌でも実感させられた。
「思ったよりも足跡の数が多いの。これだけの規模の群れとなるとホブゴブリンが統率している可能性が高いな。さすがにバルゴブリンということはないじゃろうが……」
ノルガドは顎に手を当てながら独り言のように呟く。
「それで、これからどうするの?」
修介は遠慮がちに聞いた。
「休む」
ノルガドの答えは簡潔だった。
「休むの?」
「休む。わしらは歩き詰めで疲れておる。そんな疲れた体で多くのゴブリンと戦うのは得策ではなかろう」
「来るとわかってるなら罠とか仕掛けた方がいいんじゃないの?」
修介のその言葉の裏には罠の作り方や設置するところを直に見てみたいという気持ちが混じっていた。
だがノルガドはゆっくりと首を横に振った。
「そんな物は用意しとらんし、そもそもこれだけの広範囲に罠を設置する時間はない」
「それもそうか……」
「やつらが来るのは深夜じゃ。それまではゆっくりと休むとしよう」
そう言うとノルガドは踵を返して村への道を戻っていく。
「……わかった」
修介はそう返事をしたが、本当はもっと事前にやるべきことがあるのではないかと不安を抱いていた。だが、ベテランの冒険者であるノルガドが休むというのであれば、おそらくそうするのが一番良いのだろう。修介は不安を振り払うように駆け足でノルガドの背中を追いかけた。
「急いできた甲斐があったというものね」
報告を受けたサラは長い髪を片手でくるくると弄りながら呑気にそう言った。
もし到着が一日でも遅れていたら、到着した時には村が全滅していたという展開も十分にあり得たのだ。サラは気軽に言っていたが、その事態を想像すると修介はとても呑気に構えてはいられなかった。
「一応、ゴブリンを目撃したという人に話を聞いたけど、目撃されたのはゴブリンでほぼ間違いなさそうね」
「ところで、エーベルトはどこに行ったんだ?」
「さあ? さっきまでその辺にいたと思うんだけど……」
修介の問いにサラは興味なさそうに答える。
「奴なら屋根の上におったぞ」
ノルガドが天井を指さしながら言った。
「屋根の上? なんでそんなところに……。サラと二人きりで居心地が悪かったのか?」
「失礼ね! 私だって村の人に話を聞いたりしてたんだから、あいつとずっと一緒にいたわけじゃないわよ!」
「それはさておき、エーベルトに襲撃が今夜だって伝えた方がいいよな?」
修介は両手を前に出してサラを宥めながらノルガドの方を見た。
「まぁそうじゃの。じゃが奴なら言わなくてももうそのつもりでおるだろう。伝えるのは戻ってきてからで良いじゃろ」
そう言ってノルガドは部屋の隅に移動すると「どっこらせ」と横になった。宣言通り休むつもりのようだ。
「私も時間まで休ませてもらうわ」
サラも部屋にひとつしかないベッドにさも当然の権利だと言わんばかりにさっさと潜り込んだ。
休むと決めたらすぐに行動に移すあたり、やはり彼らはこういった状況に慣れているのだと修介は実感した。
しばらくするとふたりの規則正しい寝息が聞こえてきた。
ふたりの寝つきの良さに呆気にとられながら、修介も部屋の隅で横になってみる。身体は疲れていたが、いつまでたっても睡魔は訪れなかった。休んだ方がいいということは頭では理解していたが、不安と緊張でとても寝られそうにはなかった。
仕方がないので修介は気分転換に外に出ることにした。そのまま村の入り口あたりにまで移動し、張り巡らされた柵の上に座って何気なく村の外を眺める。
空はすでにうす暗くなっており、遠くの森の木々が風に揺られるその姿はまるで魔物の群れのように見えて余計に不安を煽る。まったく逢魔が時とはよく言ったものだ、と修介は思った。
「俺、これから戦うんだよな……」
修介は誰に向かって言うでもなくそう呟いた。
この世界に来てから修介が体験してきた戦いは、遭遇戦だったり巻き込まれたりといった受け身の戦いがほとんどであった。
だが、今回は違う。初めて自分の意志で妖魔と戦うことを選択したのだ。それが自ら命を危険に晒そうとする行為だと今更ながらに実感し、自分はとんでもないことをしようとしているんじゃないかと不安に陥っていた。
今までは突発的な戦闘だったからこそ、その場の勢いでなんとか乗り切れただけで、修介は自分が勇気のある人間だとはこれっぽっちも思っていなかった。そして、これから戦いに赴く自分の感情を冷静にコントロールできるほど、戦士としての経験があるわけでもなかった。
気が付けば手が震えていた。それが武者震いではないことは自分自身が一番よくわかっていた。
「
震える声でそう呟く。
「何が、死を怖がるあまりそれを恐れて何もできなくなるのは嫌だ、だよ。こんな震えていてよく偉そうに言えたもんだ……」
郊外演習で実戦を経験したにもかかわらず、いまだにゴブリンと戦う程度のことでこの様である。だが、修介はほんの三カ月前までは平和な日本で暮らす平凡なサラリーマンだったのだ。たしかにこの三カ月はかなりの努力をしたし、軟弱坊やではなくなったと自分では思っていたが、それでも怖い物は怖かった。
もっと意義のあることをしたい――そんなふわっとした理由で命を懸けられるほど、自分は心の強い人間ではなかった。
修介はこの世界に来てから節目節目で色々と考えた上で進むべき道を選んできたつもりだった。だが、ゴブリン討伐の依頼を受ける時に、自分が命懸けの戦いに赴くという事実を真剣に考えていただろうか。
答えは否だった。
自身の浅慮にただ呆れるしかなかった。
修介は腰に下げたアレサを見る。
アレサはずっと沈黙していた。普段なら『だから言ったじゃないですか』くらい言いそうなものだが、アレサは何も言わなかった。
この戦いは修介が自分の意志で選択した。
だからアレサは何も言わないのだろう。
この恐怖は、この世界で剣を手に取ったからにはいつかは越えなければならない壁だった。
もう望んでも前の世界には戻れないのだ。
「……やるしかないか」
修介は絞り出すように呟く。
自分の意志で選択したからには、その選択に最後まで責任を持つのが大人というものだ。
勇気がないなら、恐怖を乗り越えることも、向き合うことも放棄して、いつも通り深く考えずに流れに身を任せようと思った。
「とりあえず死なない程度に頑張ってみるか……」
そう言って柵から降りる。
たとえ眠れなくても、とりあえず体を休めよう。それが今の自分にできることだ。修介はそう考え、それを実践するべく部屋へと戻るのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます