第49話 いざこざ
「てめぇ、なに邪魔してくれてんだよ!」
男が酒臭い息を吐きながら修介の襟首を掴む。
小説や漫画ならいかにもやられ役のような男だが、実際に目の前に立たれてみると身体は鍛えられており、そこから発せられる暴力の気配には逆らい難い迫力があった。「怖っ!」というのが修介の率直な感想であった。
「ちょ、ちょっとお客さん、困りますよ」
主人がそう声を掛けるが、本気で止めるつもりはなさそうだった。
「別に邪魔した覚えはないが?」
修介は精一杯平静を装ってそう答えた。
「てめぇ後から入ってきた分際で、俺があの女を口説いている最中に割って入っただろうがよぉ!」
「後からって……ここはキャバクラじゃねーんだから、後も先もないだろう」
「キャバ? なにわけわかんねーこと言ってんだ、舐めてんのかコラッ!」
襟首を締め上げる男の手にさらに力が入る。
そりゃこの世界にキャバクラの概念はないわな、と修介は納得しつつ、目の前の怒れる男をどうしたものかと思案を巡らす。
すると男は視線を修介からサラに移す。サラの体を舐めまわすように視線を巡らせるといやらしく口元を歪める。
「こっちの女が俺たちの相手をしてくれるっていうなら――」「嫌よ。鏡見て出直してきて」男の言葉を遮るようにサラは即答した。
「このアマぁ……」
「おいおい、フラれたんだから大人しく引き下がれよ。顔が悪いのはもうどうしようもないじゃないか」
男の怒りの矛先がサラに向かいそうになったので、修介は仕方なく挑発するように言った。
「てめぇ」男の顔が真っ赤に変色する。
(これは二、三発殴られる程度で済めばマシかな)
修介は腹を括った。ここで派手に喧嘩しては店に迷惑がかかるし、下手にやり返すと収拾がつかなくなって後に禍根を残すことにもなりかねない。そもそも修介は喧嘩が苦手であった。
だが、男の行動は悪い意味で修介の予想の上を行った。
「このガキが! 舐めたこと言ってくれるじゃねぇか!」
男は修介の襟首から手を離すと、腰の剣を引き抜こうと柄に手を掛ける。
いきなり相手が剣を抜くとは考えてもいなかった修介は咄嗟に反応できなかった。
代わりに反応したのはエーベルトだった。音もなく男の傍に近づき、剣を抜こうとする男の手首を掴んで止めていた。
「それを抜いたら洒落じゃ済まなくなる。その覚悟はあるんだろうな?」
エーベルトの鋭い視線を受けて、男は「うっ」と一瞬怯んだが、すぐに気を取り直すと乱暴にエーベルトの手を振りほどいて「上等だコラァ!」と叫びながらあらためて剣に手をやる。
エーベルトはすかさず修介と男の間に割って入る。その立ち姿は獲物を狙う野生の獣のようなしなやかさと危険な気配を併せ持っていた。
「この野郎……」
男はエーベルトに気圧され半歩下がる。
だが、それ以上の後退はプライドが許さなかったのか、その場で踏みとどまると腰を落としていつでも剣を抜けるよう身構えた。
室内の緊張が一気に高まる。
「――やめておけ」
別の男の声が響いた。大きくはないが、やたらとよく通る声だった。
修介は中央のテーブルに目をやった。どうやらフードを目深にかぶった男が、その声の持ち主のようであった。
剣を抜こうとしていた男は、フード男の声でぴたりとその動きを止めた。
「これから大きな仕事があるんだ。つまらんことで騒ぎを起こすな」
フード男はそう言うと席を立った。他の男達もそれに倣う。
剣を抜こうとしたまま固まっている男に「いくぞ」と声を掛けると、フード男はカウンターにいる主人に「騒がせたな」と言って金貨を放った。
店を出て行こうとするフード男は修介とすれ違う際に一瞬だけ足を止めた。
目深にかぶったフードの奥にある目と修介の視線がぶつかった。
爬虫類を思わせる、底冷えするような目だった。
修介は見えない糸で絡めとられたかのように身動きが取れなくなる。
同時にその男の顔にどこか見覚えがあるような気がした。
この世界にきて間もない修介には知人の類はほとんどいない。勘違いの可能性が高かったが、そのまま勘違いで済ませてはいけないと脳が警告を発していた。
フード男はすぐに視線を外すと、そのまま店を出て行った。連れの男達も修介達を睨みつけながらも大人しくそれに従った。
「ふぅ……」
修介は男達が出て行った入り口を見ながら息を吐きだした。
「まったく、あんなやつさっさと畳んじゃえばいいのに」
他人事のようにサラが言う。
「いや、やめておいて正解だった」
エーベルトが椅子に座りなおしながらそう言った。
「どうしてよ?」
「あいつらはかなりの手練れだ。特にあのフードの男は只者ではなかった。戦っていたらこちらもただではすまなかっただろう」
「それにひとり魔術師も混じっていたしの。かなり実戦経験を積んでいるパーティじゃろうて」ノルガドがそう付け加える。あの状況にも拘わらず、まったく同じ姿勢でパンを頬張っていた。「ま、なんにせよ何事もなくてよかったわい」そう言って豪快に笑う。
「おやっさん、なんもしてないじゃん……」
自業自得とはいえ、助けようという素振りすら見せなかったノルガドに修介は非難がましい視線を向けた。
「若いうちは喧嘩くらい好きにやったらええんじゃ」
「喧嘩じゃすまなくなったらどうすんだよ」
「その時はその時じゃ。それにほら、エーベルトが止めたじゃろう」
それは結果論じゃん、と修介は思ったが、そもそも勝手にトラブルの種を蒔いたのは自分なので、ノルガドを責めるのはお門違いというものである。
それにノルガドのようなベテランの冒険者になれば、こういったトラブルにも慣れているはずで、おそらく向こうのリーダーが荒事になる前に止めることを予想していたのかもしれない。目の前で旨そうにパンを頬張るノルガドを見てると、とてもそうは思えなかったが。
「そういや、助けてくれてありがとな、エーベルト」
修介はエーベルトに向かって素直に礼を言った。
「……別にあんたを助けたつもりはない。依頼人をいざこざに巻き込むわけにはいかないから止めただけだ」
「それはわかってるけど、一応な」
修介はエーベルトの素っ気ない物言いに苦笑しつつ、自分も椅子に座る。
「いやいや、シュウスケさんは勇気がおありだ。お若いのに立派なものです。私なんて怖くて何もできませんでしたから」
席に着いた修介に向かってイアンが感心したように言った。
「いや、そんな大層なもんじゃないですよ……それに下手をしたらイアンさんも巻き込んでしまうところでしたから、本当に申し訳ないです」
「そうですぞ。あまり褒めんでください。若い奴はすぐ調子に乗りますからな。それにこやつの場合は勇気ではなく、ただの考えなしじゃからの」
そう言ってノルガドは修介の頭を小突いた。
ノルガドの指摘は正鵠を射ていたので、修介は何も言い返すことができなかった。
いくら人を思いやっての行動だったとしても、自分の身勝手な行動で危うく仲間や依頼人を無用なトラブルに巻き込むところだったのだ。今回はたまたま相手が引いてくれたから大事にならなかったが、次もそうなるという保証はない。自分の行動に後悔はなかったが、これからはもう少し考えて行動しようと修介は肝に銘じるのであった。
その後、静けさを取り戻した店内でしばらくの間くつろいでいると、どこからともなく旨そうな匂いが漂ってきた。
さっきの女の子が豪勢な肉料理が乗った大きな皿を修介達のテーブルの上に運んできたのだ。むろん修介達は頼んでいない。
「さ、先ほどはありがとうございました。これはそのお礼ですっ」
女の子はぺこりと頭を下げた。おそらく厨房の陰からこっそりと事の顛末を見ていたのだろう。顔を上げると耳まで真っ赤にして小走りで厨房へと戻っていった。
頭を下げた相手が修介ではなくエーベルトであったことに修介は世の理不尽さを感じいていた。
「そりゃまあ、エーベルトはイケメンだからな……」
修介は手のひらに顎をのせながら愚痴をこぼす。
「まぁまぁ、そんなむくれないの」
サラが料理を小皿に取り分けて修介の前に置いた。そして修介の顔を見ながら「さっきのあなた、悪くなかったわよ」と片目を閉じてからかうように言った。
「……サラに言われてもなぁ」と修介はぼやいたが、決して悪い気分ではなかった。
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