第46話 実験
遥か前方を行く調査団の後ろを、修介達一行はイアンの乗る馬車を囲うようにして歩いていた。
リーズ村までは通常なら徒歩で二日ほど掛かる距離だが、馬車があるおかげで荷物を持たなくてよく、さらに交代で荷台の上で休むことができ、周囲への警戒は前方に調査団がいるおかげで不要と、かなり時間を短縮できそうであった。
途中で調査団が街道を外れ南下したところで、一行は更に歩くペースを上げた。ゴブリンが夜襲をすることを考えると、どうしても明日の夜までには村に到着したいとイアンからの申し出があったからである。
調査団がいなくなってからはエーベルトが率先して先頭を歩き、周囲への警戒を行っていた。あれは真面目だからというよりも他者をまったく信用していないからだな、と修介は見ていて思った。
エーベルトは行動を共にしてからほとんど喋っていなかった。
最初の頃はサラが気を使って色々と話しかけていたようだったが、そのことごとくに塩対応されたらしく、頬を膨らませながら修介のところにやってきて「相変わらずの不愛想なんだから! あいつ愛想って物を母親のお腹の中に忘れてきたんだわ、絶対そうよ!」と文句を言うほどであった。
一方の修介はというと、熟練の冒険者であるノルガドから様々な話を聞いていた。
ノルガドは元々が世話好きらしく、修介に頼まれるとまるで孫にせがまれた祖父のように嬉しそうに自らの経験談を語ってきかせた。その内容はゴブリンとの戦い方のコツから旅に役立つ豆知識まで多岐に及んだ。どれも修介にとっては役立つ話ばかりで、わずかな時間で修介はすっかりノルガドに懐いていた。
ちなみにドワーフは人間の倍の寿命を持っているらしく、ノルガドの年齢は八〇歳とのことだった。
修介は実年齢が四三歳ということもあって、この世界に来てから出会う人は年下ばかりで頼りにくかったのだが、そこに来てノルガドの登場である。
ノルガドは肉体的にも精神的にも修介より年上で、修介はようやく安心して頼ることのできる存在と出会えたのである。インプリンティングされた動物のごとくノルガドに懐いてしまうのも当然の結果といえた。
幸いなことにノルガドも素直な修介のことを気に入ったらしく、気が付けば「おやっさん」「坊主」と呼び合うほどの仲になっていた。
そんな急速に仲良くなっていくふたりをサラは呆れた様子で眺めていたのだった。
順調に旅を続けていた一行は、かなりの距離をハイペースで歩いてきた為、途中で一度休憩を取ることにした。
歩きなれている修介でさえ疲労を感じるほどの強行軍だっただけあって、それぞれが思い思いの場所で体を休めていた。
ノルガドは足が短い分ほとんど小走りで移動しており、さぞ疲れているだろうと思ったが、見たところまだまだ余裕がありそうで、ドワーフの底なしの体力に驚嘆する修介であった。
エーベルトは少し離れたところにある岩に背を預けて座っている。
一方で「私は体力ないから」と道中のほとんどを馬車の荷台の上で過ごしたサラは元気があり余っているようで、わざとらしい微笑みを浮かべながら休んでいる修介の元へと近づいてきた。
「ちょっといいかしら」
「な、なんだよ」
サラの露骨に作られた笑顔に警戒心を抱いた修介は反射的に腰を浮かす。
「せっかくの機会だから、ぜひあなたの体質についての調査がしたいなーって思ったんだけど」
「きゅ、休憩中なんだが?」
「すぐに済むから、少しくらい付き合ってよ。それにあなただって気になるでしょ? 自分の体のことなんだから」
たしかに体内にマナがないという特性が魔法に対してどういった効果をもたらすのか、実戦を前に知っておく必要はある。それによっては魔法での援護の仕方も変わるかもしれないのだから、サラにとっても大事なことなのだろう。
修介は仕方なく立ち上がると、少し離れた何もない場所へサラと共に移動した。
「それで、具体的には何をどうするんだ?」
「私があなたに魔法を掛けるから、どういった効果が表れたかを確認してほしいの」
「……なるほど、わかった」
修介はサラから五メートルほど離れた場所に立つと、緊張した面持ちで正面から向かい合う。
「それじゃいくわよ」
サラは杖を構えると体内のマナを魔力に変換し魔法の詠唱を開始した。詠唱に合わせて杖を振るい、何もない宙に古代魔法文字を描いていく。
この世界の魔法は大きく三つに分類される。
神に祈りを捧げその奇跡の力のほんの一部を使う『神聖魔法』。
精霊に語り掛けその力を借りる『精霊魔法』。
そして古代魔法文字を使う『古代語魔法』。
サラが扱うのはその『古代語魔法』であった。古代語魔法は『最初の魔術師』と呼ばれたイステールが発見したという古代魔法文字を、体内のマナを使って正しく詠み上げながら宙に描くことで様々な現象を引き起こす魔法である。
ちなみに他の魔法使いと差別化する為、古代語魔法を扱う者は『魔術師』と呼ぶのが一般的となっている。
古代魔法文字は現在判明しているだけで一〇三二文字あるが、魔法帝国時代の最盛期にはその数は一万文字を超えていたとも言われている。
文字にはそれぞれ独自の発音と意味があり、その文字を複数組み合わせることで任意の効果を持った魔法を行使することができるのだ。文字の組み合わせや、込める魔力の量によって効果や威力が変わる為、古代魔法文字の知識に、文字を組み合わせる知恵や精密な魔力操作が必要となる高度な技術である。
サラは二一歳という若さにして最大一三文字まで同時に扱うことができる導師級の魔術師であった。
詠唱が進むにつれてサラの手に持った杖の先端に光が集まっていく。
修介はサラの魔法詠唱を見るのはこれで二度目だったが、前回は発動する前にノルガドに止められていたので、実際に見るのはこれが初めてということになる。
そういえば――修介はサラがどのような魔法を唱えるのか事前に確認していなかったことに気付いた。
「ちょっと待っ――」
修介が止めようとした時にはすでにサラの詠唱は完了していた。
サラが修介に向かって杖を突きだすと、その先端から光の矢のような物が勢いよく放たれた。
「マジかよッ!」
修介は反射的に身を捻って光の矢を躱した。
「ちょっと! なんで避けるのよ!」
サラが抗議の声をあげる。
「避けるわッ!」
修介は唾を飛ばしながら叫んだ。
「当たってくれないとどのくらい耐性があるのかわからないじゃない!」
「耐性がわかる前にあんなん喰らったら死ぬわ! お前馬鹿なの? いや馬鹿だろ? もう間違いなく馬鹿の女王様だな!」
「失礼ね! 馬鹿馬鹿連呼しないでよ!」
「そもそもなんでいきなり攻撃魔法なんだよ! 普通最初は眠りの魔法とかそういう命に関わらなさそうな軽い魔法で試すだろ!」
「それだと効率が悪いじゃない。最初に強力なので試して先に限界を知っておいたほうが無駄を省けるでしょ。私のマナは有限なのよ!」
「俺の命も有限なんだが?!」
修介の心臓は爆発しそうなくらいに派手に脈打っていた。よもやゴブリンとの戦いを前にして仲間に殺されそうになるとは夢にも思わなかった。
「そんな大怪我するほどの魔法は使ってないわよ。それにもし怪我してもノルガドの癒しの術で治せるでしょ」
「そっちの方がマナがもったいないし、そもそも魔法が効かないっていう話なのに癒しの術が前提っておかしいだろ!」
そこまで言ってから修介は癒しの術が自分には効果が薄いことをサラに話していなかったことに気付いた。
修介は大きく深呼吸をして気持ちを落ち着けると、過去に癒しの術の効きが悪かったことや、エルフから眠りの魔法を掛けられたが自分には効かなかったことなどをサラに話した。
サラは「エルフってことは精霊魔法? それはまた珍しいわね……」などと感心していたが、修介の話を聞き終わると思案顔を浮かべてぶつぶつと呟き始める。
「なるほど……精霊魔法は効果がないのに、神聖魔法は効きが悪いだけでまったく効果がないわけじゃないのね……興味深いわ……」
「おーい、実験はもういいのかー?」
自分の世界に入り込んだサラに修介は声を掛ける。
「……そうね、とりあえず精霊魔法で効かなかったという眠りの魔法が、古代語魔法の場合は効果があるのか確認したいわね」
サラはひとりで勝手に今後の方針を決めると再び杖を掲げた。
修介は慌てて腰を落としていつでも躱せるようにと実戦さながらに身構えた。
「……どうしてそんなに警戒してるのよ?」
「お前のことだから、そんなこと言っておいてまた攻撃魔法使うかもしれないだろ。信用できん」
「そんなことしないわよ……」
サラはため息をつくと、修介に警戒心を与えないようにとの配慮なのか、今度はゆっくりと杖を動かし詠唱を開始した。
先ほどの魔法とは異なる文字が宙に描かれる。修介は周囲の空気が徐々に変質していくような感覚を覚える。そして詠唱が完了すると自分の周りに霧のようなもやが発生していた。そのもやはそのまま修介の頭の中へと吸い込まれていく。
修介は自分の頭の中になにか異物が混入してきたような違和感を覚えたが、その違和感はすぐに消えてなくなった。
「……」
「……どう?」
サラが様子を窺うようにゆっくりと近づいてくる。
「どうって……特に何も。頭の中に何かが入ってきた感じはあったけど、特に眠くはならなかったな……今の眠りの魔法なんだよな?」
「そうよ。他に何か気になることはない?」
サラの問いに修介はエルフの魔法を受けた時のことを思い出す。
「……強いて言うなら、前のエルフの時は一瞬だけ眠くなったんだけど、今回は全く眠くならなかったってことくらいか……」
「なんか私の魔法だけまったく効かないって言われているみたいで不愉快だわ」
サラは腰に手を当てると不満気な表情で言った。
「いや、そういう意味で言ったわけじゃないってば」
「わかってるわよ! ……とりあえず他の魔法も試してみたいわね。本音を言えば攻撃魔法でダメージを受けるのかがものすっごい気になるんだけど……」
「それだけは嫌だ」
修介は即答する。実のところその点は修介も気になっているのだが、痛いとわかっていて自ら率先してダメージを受けに行くほどマゾ気質ではない。
その後、ああだこうだと言い合いをしながらも、強化魔法や弱体魔法などの身体に影響を及ぼす魔法を一通り試した結果、どれも修介には効果がないことがわかった。
サラは最後まで攻撃魔法を試したがったが、修介が頑なに拒否し続けた結果、その実験については後日別の方法を考えるということでひとまずの決着をみたのであった。
ノルガドはそんな修介とサラのやり取りを離れた場所から眺めていた。
馬車の御者台の上から同じくその様子を見ていたイアンが「実に仲がよろしいようで結構ですな」と声を掛けてくる。
「いやお恥ずかしい限りで……」
イアンのその言葉にノルガドは恐縮したように答える。
ドワーフのノルガドには単にふたりがいがみ合っているようにしか見えなかったが、どうやら人間の価値観ではあれは仲良く見えるらしい。
ふたりが何をやっているのかはよくわからなかったが、とりあえず旅の途中にもかかわらずサラがマナを消耗していることについては後で注意せねばならんな、とノルガドは考えていた。このあと妖魔と遭遇する可能性もゼロではない。彼女自身の安全の為にも、いざという時に魔法が使えないという事態は避けねばならなかった。
ノルガドにはサラの安全を最大限考慮する責任があった。
それはサラの面倒を見るようサラの祖母――ベラ・フィンドレイから直々に頼まれていたからである。
ベラとノルガドはかつての冒険者仲間だった。多くの冒険を共にし、いくつもの危険を力を合わせて乗り越えてきた戦友でもあった。
ベラは今では王都の魔法学院で数少ない賢者と呼ばれる高名な魔術師である。その孫娘であるサラにも魔法の才能は受け継がれていた。
だが、その才能ゆえの無鉄砲さと好奇心旺盛な性格が原因で、サラは無用なトラブルを招くことが多々あった。そのことを憂慮したベラは、サラがグラスターの街へと派遣されることが決まった際に、ノルガドに面倒を見るようお願いしたのである。
赤子の頃から知っているノルガドにとって、サラは孫娘も同然だった。
今回のゴブリン退治に赴くサラに、銀細工師の仕事を放り出してわざわざついてきたのも、彼女のことを心配してのことである。
ノルガドは再びサラに目を向ける。まだ修介と何か言い争いをしているようだったが、その様子はイアンの言うように、いがみ合っているというよりはじゃれ合っているように見えなくもなかった。
「やれやれ、しょうのないやつらじゃ……」
ノルガドは呆れたように呟いたが、ふたりを見つめるその視線には孫を見守るような優しい光が宿っていた。
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