第43話 緊急依頼

 翌朝……というよりも昼前に修介は目覚めた。

 実に一二時間くらい寝ていたことになる。

 しばらく毛布にくるまったままうだうだと幸せな時間をひとしきり楽しむと、街に散策に出ることにした。スマホもパソコンもないこの世界にはひとりで楽めるような娯楽はないに等しく、散歩以外に特にすることがないのである。修介は元々散歩好きなのでそれで特に問題はなかった。


 ぶらぶらと適当に市場をうろつき、朝食代わりに屋台で適当に買い食いする。

 広場の噴水で遊ぶ子供たちをベンチに座って眺めながら「まるでリストラされたサラリーマンみたいだな」と呟いてはダラダラと日光浴に勤しむ。木々の間から差し込む日差しも九月に入ってだいぶ和らいでいた。

 せっかくだから娼館にでも行こうかな、という考えが一瞬頭をよぎったが、腰にアレサがいることを思い出して断念した。

 それならギルドへ受付嬢の顔でも見に行こうかと修介は思い立った。せっかくだから妖魔討伐について相談という名目でお近づきになるのもいいかもしれない。といっても本気で口説くつもりは毛頭なく、単に生活に潤いが欲しいだけであった。


 この世界に来てから生きることに必死で余裕がなかった修介だが、本来は人並み以上に女性好きなのである。中年になって女性に相手にされなくなったことから心がすっかり枯れていたが、転移して肉体が若返ったことにより若干ではあるが心に潤いが戻ってきたような気がしていた。

 ちなみに修介の好みは知的で包容力のある三〇歳以上の大人の女性で、シンシアの屋敷にいたメリッサはかなり修介好みであった。最近では知的な見た目で物腰の柔らかいギルドの受付嬢もお気に入りである。

 残念ながら肉体が一七歳まで若返ったせいで、若すぎて彼女達から相手にされていないというのが現状で、肉体年齢的にはシンシアやサラといった若い女性のほうが釣り合いが取れそうだが、中身が四三歳の修介からすると自分の娘といってもいいような年齢の女の子に手を出そうという気にはなれなかった。


 そんな益体やくたいもないことを考えていたらいつの間にかギルドに到着していたので、修介は無遠慮に扉を開けて中に入った。最初に入る時に緊張していたのが懐かしく感じる。

 ギルドに入ると正面のカウンターに座っている禿げ頭の職員と目が合ったので、修介は軽く目礼をしてからギルドのなかを見渡す。

 昼過ぎという時間帯だけにギルドのなかは閑散としていた。この時間だと冒険者達はそれぞれの依頼に勤しんでいる時間だろう。


「あっ! シュウスケさん、いいところに!」


 修介の姿を見た受付嬢が大声で呼び止めてきた。

 普段はこちらからカウンターに近づかないと声を掛けてこないのに、今日は珍しく向こうから声を掛けてきたのだ。嬉しくなって修介は年甲斐もなくウキウキしながらカウンターに近づいた。


「呼びました?」


「はい。いいところに来てくださいました。シュウスケさん、今お暇ですか?」


 女性からそんな台詞を言われたのは何年ぶりだろうか、修介はそんなことを思って密かに感動で打ち震えた。


「ちょうど暇してたんで、あなたの顔を見に来ました!」


「ありがとうございます。それでですね、折り入ってご相談があるのですが……」


 あっさりとスルーされたが、そのショックを顔には出さないようにして修介はにこやかに応じる。


「相談、ですか?」


「はい、実は緊急の依頼が一件入ったのですが、この時間帯だと受けてくれそうな冒険者の方がほとんどいなくて……」


 受付嬢は頬に手をあててさも困ったような表情で見つめてくる。

 飛んで火にいる夏の虫、という言葉が修介の脳裏に浮かんだ。


「……ちなみにどんな依頼ですか?」


「ゴブリン討伐の依頼です」


「マジで?!」


「え、何? マジデ?」


 お馴染みになりつつある翻訳されないの修介の口癖に、受付嬢は戸惑ったように首をかしげた。


「あ、いえなんでもないです。独り言です」


 このタイミングでまさかの妖魔討伐の依頼である。しかも緊急で。

 ゴブリンは低位妖魔ということもあってそれほど討伐報酬が高いわけではない為、人気のある依頼とはいえないが、緊急ということは相場よりも少し報酬が高くなる。初めての討伐依頼としては申し分ないと言えた。

 受付嬢は報酬額等の条件を提示した後、不安げな表情で修介を見る。


「それとも、やっぱりシュウスケさんは薬草採集以外には興味ないですか?」


「いやいや、あなたの中で俺はどんだけ薬草採集好きになってるんですか……」


 たしかにそう思われても仕方ないくらいには日々薬草採集漬けではあるが。


「とりあえずどんな内容の依頼か詳しく聞いてもいいですか?」


 修介の質問に受付嬢は嬉しそうに頷くと詳細を説明した。


 依頼主はつい先ほど冒険者ギルドに駆け込んできた、ここから西に二日ほど行ったところにあるリーズという名の村から来た男だった。

 村の近くの森で狩りをしていた村人が、ゴブリンの集団を見かけたというのだ。ゴブリンの数は二〇匹以上はいたらしく、人口が五〇人程度で老人や女性の多いリーズ村ではそれだけの数の妖魔と戦える戦力は当然ない。


「リーズ村は昨年もゴブリンの集団に襲われて酷い被害を受けたらしいの。幸い今はまだゴブリンは村の傍には来ていないらしいけど、このままだと間違いなく村を襲うだろうから、今回は襲われる前に冒険者を雇って対処しよういうことになって、急いで馬車を飛ばしてきたそうよ」


 受付嬢は最後にそう補足した。

 ゴブリンは力が弱く頭も悪いが、その分狡猾で慎重な妖魔である。修介は訓練場の座学でそう習った。

 ゴブリンは村を襲う際には必ず下見を行う。効果的な奇襲ルートを見つけたら、人が寝静まった深夜に夜襲を掛けるというのが奴らのやり口であった。

 修介の脳裏に焼け落ちたハース村の光景がよぎる。あんな光景はもう二度と見たくなかった。

 まだ村の傍に来ていないというなら、急げば間に合うだろう。それにちょうど妖魔討伐について相談しようとしてところにこの依頼である。まさに渡りに船と言えた。


「わかりました。引き受けます」


「本当ですか? ありがとうございます!」


 受付嬢が嬉しそうに修介の手を取って感謝の意を表した。思わず頬が緩む修介。腰に下げたアレサがガタガタ震えているが、気にしないことにする。おそらく休むといったのに勝手に依頼を受けたことを怒っているのだ。


「ところで依頼を受けるのって俺だけですか? さすがにひとりというのは不安なんですが……」


「いえ、すでにシュウスケさんの他に三名の方が依頼を受けてくださっています。ギルドの規定で妖魔討伐の依頼は最低四人からとなってますから。なのでシュウスケさんで四人目ということになります」


 受付嬢は安心させるようににっこりと微笑む。


「それはよかった……」


 さすがに初めての妖魔討伐でひとりというのは心細い以前に戦力として不足がありすぎるので、修介は胸を撫でおろした。


「この時間帯だとなかなか手の空いている冒険者さんはいないから、ギルドのコネも駆使して急いでメンバーを集めたんです。そのおかげでなかなか豪華な面子になったと思いますよ」


 受付嬢は自信ありげにそう言った。


「それで、その他のメンバーというのは?」


「二階の応接室で依頼人と一緒に待ってもらっています。案内しますのでついてきてください」


 受付嬢に手招きされて、奥の扉を入ったすぐ横にある階段で修介は二階へと上がる。階段を上がったすぐ傍にある部屋の前で立ち止まると受付嬢は「こちらです」と言って扉をノックした。すぐに「どうぞ」と女性の声で返事がある。

 気のせいか、その声に聞き覚えがあった。嫌な予感が修介の脳裏をよぎる。

「失礼します」と言って部屋に入る受付嬢に修介も続く。


 部屋は想像していたよりも広く、中央に低い長方形のテーブルとそれを挟むようにソファーが置かれていており、あとは壁にいくつか書棚がある程度で他に目立つものはなかった。応接室というわりには殺風景なのはここが冒険者ギルドだからだろうか。

 先客は四人。壁に寄りかかって目を閉じている男に、書棚に飾られている工芸品を手に取って眺めている背の低い男。そしてソファーに向かい合って座っている男女が一組。

 落ち着かない様子でソファーに座っている中年の男がおそらく今回の依頼人だろう。面識のない複数の冒険者に囲まれて平然としていられる人はそういないだろうから気の毒ではあった。

 問題はその向かいに座っている女だった。

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