第42話 アレサ

 アレサは修介のヴァースでの生活を知識面でサポートする為に、システム管理者によって生み出された疑似人格を持った剣である。

 本業はあくまでも修介への生活支援であって、武器としての機能はおまけである。なので、剣としては『ちょっと出来の良い剣』でしかなく、特別な魔力が宿っているということもない。

 ただ、搭載されている頭脳はちょっとどころではない性能を有しており、人間と同じように思考し、会話による意思疎通が可能だった。さらに、『世界事典』へのアクセスが可能なことから、あらゆる知識を得ることができる、まさに生き字引といった存在であった。


 この世界にやってきたばかりの修介は、当然だが何も知らなかった。この世界のことどころかあらゆることに無知だった。火の起こし方も、動物の解体の仕方も、ナイフの扱い方も、薬草の種類も知らず、文字も読めず、貨幣の価値もわからず、およそひとりでこの世界で生活することが不可能なレベルであった。

 そんな修介に、アレサは知らないこと、できないことを、ひとつひとつ丁寧に教えていった。

 彼は無知だったが、無能ではなかった。教えたことは素早く吸収していった。血が苦手なのと手先が不器用なので、いまだに妖魔の討伐部位の採取は苦手そうではあったが。


 アレサの見たところ、修介はかなり早い段階からアレサを道具としてではなく、ひとりの人格として扱っていた。

 右も左もわからない異世界に放り出されて心細いということもあったのだろう。寂しさを埋める相手としてアレサしかいなかったのだから、そうなるのはある意味仕方のないことだった。

 なによりこの世界で唯一アレサだけが修介が別世界から転移してきた、という事実を知っていたことが大きかった。彼は前の世界で不幸な事故で死に、すべてを失い、そしてこの世界に半ば強制的に転移させられたのだ。どんなに強靭な精神を持った人間でも、心に影響が出ないはずがない。

 修介はアレサに話しかけることで心のバランスを取っていたのだろう。

 アレサにはそれがわかっていたから、彼との会話には積極的に応じていた。

 よく相談を持ち掛けられ、雑談の相手にもなった。

 それがこの世界での自分の役割だと思ったからである。




「そろそろ薬草採集以外の仕事をしようと思うんだけど、どう思う?」


 その日、いつものように薬草採集の仕事をこなし、日課である素振りも終えた修介は、宿の部屋でアレサの手入れをしながら、おもむろにそう問いかけてきた。


『なぜそうしようと思ったのか、理由を伺ってもよろしいですか?』


 理由を聞かれて修介は気まずそうに視線を横に外す。


「いや、そんな大層な理由はないんだ。ただなんとなくな……」


 修介はそう言葉を濁したが、アレサにはその理由がわかっていた。

 冒険者となってから毎日、修介は薬草採集の依頼をこなしてきた。その甲斐あってか、彼の薬草採集の効率は当初に比べて格段によくなり、それに比例してささやかだが収入も上がっていた。

 だが、それによって先日彼は他の冒険者に絡まれ暴力を振るわれたのだ。おまけにその日以降、他の同業者から『薬草ハンター』と呼ばれるようになっていた。それが名誉ではなく揶揄に類する称号であることはアレサにもわかった。

 彼はそのことを思いのほか気にしているのだ。

 人間は、個人差はあれど体面や自尊心を大事にする。人工知能であるアレサにはそれは無意味なことに思えたが、彼にとってはそうではないのだろう。

 アレサの立場からすると、マスターである修介の死がもっとも避けねばならない事態なので、このまま薬草採集で生計を立てることが望ましいと思っていた。


『今の薬草採集の仕事で、充分な採算は取れています。より収入を上げたいのであれば、途中で遭遇するゴブリンを積極的に倒して、討伐報酬を得ればよろしいのではないでしょうか』


 ゴブリン討伐の報奨金は高くはないが、数をこなせばそれなりの収入にはなる。アレサは修介の胸の内を知りつつも、自分が望む方向に考えを改めるよう誘導する。


「いやまぁ、それはそうなんだけどね……」


 修介はいつになく歯切れが悪かった。


 アレサから見た修介は、善良だが自分本位で、よく考え込むが思考は短絡的、威勢は良いのに決断力に乏しく、温厚で優しいがそれは単に自信のなさの表れである、といった人物評であった。

 この人物評だけを見ると散々な評価だが、彼の持つ欠点は別の見方もできるのだ。

 自分本位ではあるがそれを自覚しているからか、他人を思いやる優しさも持ち合わせていた。短絡的だがしっかりと反省もするし、決断力の乏しさは他人の意見を素直に受け入れられる下地があるということだった。そして自分に自信がない分、努力ができる人間でもあった。


『マスターが周囲の評価を気にされているのは理解していますが、それは気にしなければ良いだけです。他人にどう評価されようがマスターはマスターです』


 修介は胸に手を当てて「気にしていることをズバッと言うね、お前……」と苦々しげに言うと、アレサは『恐縮です』とだけ答えた。


「たしかに薬草ハンターなる不名誉な称号を他人に付けられたことを気にしてないと言えば嘘になるが、薬草採集以外の仕事をしようと思った理由はそれだけじゃないんだ」


『伺いましょう』


「まだうまく頭の中でまとまっていないんだけど……」修介はそう前置きをしてから自分の考えを口にした。


「俺はわけのわからないままこの世界に転移してきて、最初はどうやってこの世界で生きていくか、みたいなことしか考えていなかった。だけど、最近になってようやくそれ以外のことも考えられる余裕ができたから、何か生きる以外に目標とか目的みたいなものを持った方がいいのかなと思えるようになったんだ。そもそも冒険者になったのだって、もっと自由に生きたいと思ったからだし、ただ生きるだけじゃなく、もっと意義のあることをしたいと思ったんだ」


 修介は一気にそう言うと、反応を窺うようにアレサを見つめる。


『その意義のあることというのが、薬草採集以外の依頼をすることなのですか?』


「薬草採集も人の役に立つ仕事だとは思うけど、もっと自分の力を役立てる仕事もあると思うんだ」


『例えばどんな仕事ですか?』


「よ、妖魔討伐とか……」


 その答えを聞いてアレサは『やっぱりそうなるのか……』と心の内で呟いた。彼がそう言い出すであろうことは予想がついていた。妖魔討伐は彼の目的意識と名誉回復を同時に満たせる仕事だからである。

 だが、アレサは修介が妖魔討伐などの戦闘が主となる依頼を受けることには反対であった。

 修介がまだまだ戦士として未熟であるということもあったが、それ以上に彼の資質に問題があるとアレサは思っていた。


 彼は妖魔は斬れるが、人は斬れない。

 人を斬る覚悟がまだないのだ。

 戦士としてそれは致命的であった。

 妖魔討伐であれば人は斬らなくてすむ、そう修介は考えているはずである。

 だが、それは甘えであり、その甘さを抱えたまま戦闘に赴くことは彼にとって大きな災いを生む原因になりかねないとアレサは考えていた。

 冒険者として生きていくからにはいずれは直面する問題である。そのことは修介も理解しているだろうし、悩んでいることもアレサにはわかっていた。

 だからこそ、そのことを修介に伝えるかどうかずっと迷っていたのだが、遅かれ早かれ答えを出さねばならないのなら、今はその良い機会であると判断し、アレサは修介に自身の考えをストレートに告げた。


 修介はしばしの沈黙の後、口を開く。


「アレサの言う通り、俺には人を斬る覚悟はないよ。でも、頭で考えていても一生覚悟なんて持てないと思うんだ。人を殺すことには抵抗あるし、それはすぐには変わらない。変えていいかもわからない。だったらもう可能な限り避けながら、いざという時に出たとこ勝負するしかないだろう?」


『問題を先送りにすることは推奨できません』


「今のまま考えていても答えなんてでないんだって。それにこないだの郊外演習でハース村の惨状を見ただろ?」


『……』


 村の家という家がすべて焼き払われ、平穏だった頃の面影を感じることすらできない凄惨な光景は、修介の目を通してアレサの記憶領域に完璧に記録されていた。


「あの光景は忘れられないほどの衝撃だったし、生き残ったあの子供達を見て、自分の考えや覚悟が甘いのは百も承知で、何かしたいと思ったんだよ。ああいった悲劇を繰り返させない為にも、妖魔討伐は意義のあることだと思うんだよ」


『妖魔との戦闘で死ぬかもしれませんよ?』


「それもわかってる。たしかに死ぬのは怖いけど、前にも言っただろ? 死を怖がるあまり、それを恐れて何もできなくなるのは嫌だって」


 修介が自身の考えを必死に言葉で紡いでいるのを聞いても、実のところアレサにその想いはよく理解できていなかった。合理性よりも感情を優先するのが人間であるなら、感情という不確かなものよりも合理性を追求するのがアレサの考え方であった。

 だが、同時にマスターの意志を尊重したいという不合理な思いが自分のなかにあることも認識していた。

 この世界に誕生してからずっと行動を供にしてきたことにより、修介だけではなく、もしかしたら自分も変化しているのかもしれない、そんなことをアレサは思った。


「そ、それともやっぱりまだ早いかな? やめたほうがいいと思うか?」


 修介はアレサを拭く手を止め、まるでご機嫌を伺うかのような顔で尋ねる。自分の考えが歓迎されていないのがわかっているから不安なのだろう。


『その質問には回答できかねます。マスターの行動を制限する権限は私にありません』


「散々反対しておいて、その答えはいじわるだな」


 修介は苦笑いを浮かべた。


『……ですが、マスターがお決めになったことを全力でサポートするのが私の役目です。マスターの決断を尊重します』


 アレサのその言葉でぱあっと修介の表情が明るくなった。

 そんな顔をする修介のことを、アレサは存外気に入っているのだった。




『ところでマスター、そろそろ休息を取ることを提案します』


 修介がベッドに入りいざ寝ようとしたところで、アレサがそう声をかけてきた。


「いや、今まさに寝ようとしてるんだが?」


『そういう意味での休息ではありません。丸一日休養することを提案しているのです。私の見たところ、マスターにはかなりの疲労が溜まっています。肉体は若返ったとしても体力は無限ではありません。精神的にも適度な休息は必要です』


「そういや、ここのところ休んでいなかったな……」


 アレサの提案を受けて修介は目を閉じながら考える。

 修介は冒険者になって以来、ずっと休みなく薬草採集の依頼をこなしていた。

 これは修介が働き者だから、というわけではない。むしろ前世では定時に会社を出ることを目標とし、休みの日を指折り数えて待つタイプで、社畜とは無縁であった。

 この世界にきてからは修介に労働しているという意識はなく、どちらかといえば生きる為に活動している、という感覚だった。その為、活動をやめてしまうとそのまま死んでしまうような、そんな錯覚に陥ってしまい、単に休むことが怖かったのである。それと、自分が元々勤労意欲に乏しい人間であることを知っているが故に、一度立ち止まったら二度と再始動できなさそうな気がする、ということもあった。

 とはいえ、さすがに連日往復五時間かけての薬草採集で身も心も疲弊しているのはたしかであり、アレサの提案は理にかなっていた。

 妖魔討伐の依頼を受ける前に一度休息を取ってリフレッシュしておくのも悪くない……そう修介は考えた。


「そうだな……それじゃ明日は思い切って休むことにするか。そういうわけだから明日は朝起こさなくていいぞ」


『了解しました、マスター。おやすみなさい』


「ああ、おやすみ」


 休むと決めたら急に心が軽くなったような気がした。


(明日は何をしようかな)


 そんなことを考えているうちに、修介はいつの間にか深い眠りの世界にいざなわれていた。

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