第38話 再会

「ど、どういうことだ?」


 今まで表情らしい表情を一切見せなかった受付の男があからさまに動揺していた。

 受付の男は修介の手首を掴むと水晶玉からどかして自分の手を乗せた。すると水晶玉は淡く光る。再び自分の手をどけ修介の手を乗せる。水晶玉の光はすっと消えた。

 男は真面目な顔でそれを二回繰り返した。もちろん結果は変わらなかった。

 修介は男のなすがままにされながら、その様子を諦めの境地で眺めていた。


「こんなことありえない……ちょ、ちょっと待ってろ!」


 そう言うと受付の男は再び扉の向こうへと足早に姿を消した。

 受付の男が動揺していたのがよほど珍しかったのか、周囲の人間がざわつき始める。

 隣の受付の女性がさも興味深そうにこちらを見ていた。

 修介はいたたまれなくなって思わず下を向いた。


 ――自分にはおそらくマナがない。


 ブルームの癒しの術の効きが悪かったのも、エルフの眠りの魔法が効かなかったのも、自分の体内にマナがないからなのではないか……修介はそう考えていた。

 修介は前の世界の肉体を再生されてこの世界に転移してきた。この世界の生まれではないのだからその可能性は十分にあった。それが奇しくも今日証明されてしまったというわけだ。

 自分にマナがないことで今後どのようなメリット、デメリットが発生するのかはわからないが、とりあえず今はこの状況を無事に乗り切ることができるよう祈るしかなかった。


 受付の男はすぐには戻ってこなかった。

 すっかり手持無沙汰になってしまった修介は、周囲からの視線を感じながらも、不安を紛らわせる為に部屋の中をきょろきょろと見回す。


「あなた、興味深いわね」


 突然、背後から声を掛けられた。

 椅子に座ったままの修介は首だけを動かして声の主を見やった。


「「あっ」」


 ふたりは同時に声を上げた。

 赤みがかった長い髪に白いローブと特徴のある木製の杖。そして見覚えのあるその顔は以前修介が筋肉達磨から助けようとしたローブ女であった。


「お前はあの時の性悪ローブ女!」


 修介は思わず立ち上がる。勢いよく立ち上がったせいで椅子が倒れた。


「あなたはあの時の軟弱坊や!」


 ローブ女も負けじと声を張り上げる。

 お互いの言い様にどちらがより傷ついたかは定かではないが、あからさまに気分を害した表情を浮かべてふたりは睨み合った。


「お前、なんでこんなところにいるんだよ?」


 椅子を元の位置に戻しながら修介が挑むように言うと、ローブ女は目を吊り上げた。


「ちょっと! お前呼ばわりはやめてくれる? 私にはサラ・フィンドレイという立派な名前があるんだから!」


「それは……すまん」


 思った以上の剣幕に若干気圧されて修介は素直に頭を下げた。

 だが、サラ・フィンドレイと名乗った女性は相変わらずきつい目つきで修介を睨んだままだった。


「な、なんだよ?」


「私は名乗ったんだけど?」


「……そうだな。よろしくサラ」


「そうじゃないでしょ! あなたの名前を聞いてるの! な、ま、え!」


 サラは大声でそう言った後、「なんて察しの悪い男なの」と小声で付け加える。


「俺の名前は修介だ」


 そういえばあの時も名乗った覚えはなかったな、と修介は今更ながらに思い至る。


「シュウ、スケ? 随分と変わった名前ね、呼びにくいからスケって呼んでいい?」


「なんで後半部分なんだよ! 略すならせめてシュウにしてくれ」


 どこぞのご隠居様のお付きの人みたいになってしまうだろ、と修介は思ったが言っても絶対に通じないだろうから口には出さなかった。


「じゃあシュウって呼ばせてもらうわ」


 修介は「そうしてくれ」と投げやり気味に答えた。

 サラは人差し指を頬に当てながら、口の中で修介の名前を反芻しはじめた。どうやら本当に呼びにくいらしい。


「それで?」


 修介は話を進める為にため息混じりに続きを促す。


「はい?」とサラは首を傾げた。


「いや、はい? じゃねぇよ! さっきの俺の質問の答え! なんでこんなところにいるんだよ?」


「なんでって、私が冒険者だからに決まってるじゃない」


 サラはそう言うと一枚の小さな薄い金属板を取り出して修介に見せた。免許証サイズのその板には文字が彫り込まれている。


「何これ?」


「冒険者の登録証よ。見たことないの?」


 修介は黙って頷いた。ようするにギルドのメンバーカードみたいなものだろう。おそらくこれがこの街での身分証の代わりになるのだ。


「そんなことよりも、あなたのことよ!」


 サラはそう言うと凄い勢いで顔を近づけてきた。

 その勢いに思わず身を引く修介。


「お、俺がなんだっていうんだよ」


「これよこれ!」と机の上の水晶玉を指さす。「あなたが触ってもまったく光らなかったでしょう!?」


「こ、壊れてるんじゃないの?」


「古代魔法帝国産の魔道具がそんな簡単に壊れたりしないわよ!」


 そう言ってサラは乱暴に自分の手を水晶玉の上に置いた。

 すると水晶玉はまばゆい光を放つ。その輝きに修介は思わず目を背ける。先ほどの受付の男の時とは比べ物にならないほど強烈な輝きだった。


「ほら、壊れていないでしょ?」


 サラは水晶玉から手を離すと得意気な顔で修介を見た。どうやら水晶玉が壊れていないかどうか確認したというよりも、自分の魔力の強さを誇示したかっただけのようだ。


「ねっ、もう一回あなたも手を置いてみてよ」


 サラは修介の手を取って勝手に水晶玉の上に置こうとする。


「なんでだよ!」


 修介は手をひっこめる。


「別に減るもんじゃないでしょう」


「俺の尊厳がなくなる気がするから嫌だ」


「そんなもの最初からないでしょ!」


 酷い言われようである。

 サラは強引に修介の手を取ろうと腕を伸ばしてくる。修介はそれを躱そうと必死に手を動かす。傍から見たらイチャついている恋人同士に見えなくもない光景だった。


「仮に俺が手を置いたとして、水晶玉が光らなかったら絶対に笑うだろ」


「笑わないわよ」


「信用できん」


「私は魔法を学ぶ者として、水晶玉が光らないあなたの体に興味があるだけよ」


 それはそれで嫌な興味だな、と修介は思ったが、サラの表情を見る限りどうやら嘘は言ってないようだった。


「この水晶玉が光らないってことはどういうことなんだ?」


 この際、魔法に詳しそうなサラに色々と聞いてみるのもありかもしれない、と修介は考えて質問をぶつけてみることにした。

 修介の質問にサラは手を止めて思案顔を浮かべる。


「そうね……普通、人間の体内には必ずマナが宿っているから、光らないということはありえないわ。でも、魔法を使いすぎてマナが枯渇した時に触れば、もしかしたら光らないかもしれないわ。あなたここに来る直前に魔法を使ったりした?」


 サラの問いに修介は首を横に振って「俺、魔法使えないし」と言うと、サラは「たしかに魔法が使えるほど利口そうには見えないわね」と皮肉っぽく言った。修介はむっとしたが、サラは気にせず話を続ける。


「となると、あなたの体にはマナが宿っていないことになるわ。そんな人間がいるなんて聞いたことないけど、もしかしたらあなたはそういう特異体質なのかもしれない。実に興味深いわ」


 そう言うとサラは素早く修介の手を取ってじろじろと見始めた。そしてそのまま水晶玉の上に持っていく。修介は抵抗を諦め、なすがままにされた。

 水晶玉はやはり光らなかった。


「本当に光らないわね……」


「光らないのはそんなに珍しいことなのか?」


「少なくとも王都にいた時でさえそんな話は聞いたことないわね。どんなに魔力が弱い人間でも水晶玉は淡く光るはずだもの。さっきの禿頭もそうだったでしょ?」


「言い方な? それで仮に俺に魔力がなかったとして、俺はこれからどうなるんだ?」


「さあ? 珍しい生き物として王都に搬送されて魔法学院で解剖されるかも?」


「嘘だろ?!」


「嘘よ」


「……おい」


 いたずらっぽく笑うサラを修介はジト目で睨みつける。サラは両手を上げて「ごめんなさい」と素直に謝った。


「その手の冗談は今は笑えないからやめてくれ……。それにしても受付のおっさん戻ってこないな」


 修介はカウンターの奥の扉を見ながらそう呟く。


「たぶん、ギルド内にいる魔法に詳しい人を探しているんだと思うわ。でも、その詳しい人が見つからないんじゃないかしら」


「ギルド内の魔法に詳しい人?」


「大きな街の冒険者ギルドには魔法に長けた人が王都の魔法学院から派遣されていることが多いのよ。持ち込まれた魔道具について調べたり、登録に来た人のなかに魔力が高い人がいたら勧誘したりするためにね」


「へぇそうなんだ」


「私のことなんだけどね」


 修介は思わずサラの目を見た。冗談を言っているのかと思ったが、どうやらそういうわけでもなさそうだった。


「……つまり、受付のおっさんは今サラのことを必死に探していると?」


「そうかも」


 サラはそう言うと舌をちょろっと出した。元が良いだけになかなか可愛らしい仕草だった。中身は最悪だがな、と修介は心のなかで付け加える。


 ちょうどその時、奥の扉から受付の男が「ったくこんな時にどこへ行ってやがるんだ」とぼやきながら姿を現す。そのすぐ後ろに別の職員らしき年配の男もいた。

 受付の男とサラの目が合った。サラが「どうも~」と軽い調子で手を振ると、受付の男は盛大にため息をついた。


「どこに行ってたんだよ」


「どこも何もずっとここにいたわよ」


 サラは悪びれた様子もなく平然と言ってのける。

 何か言い返そうとする受付の男の肩を押さえて後ろの年配の職員が前に出てくる。


「サラさん、ここにいるということは事情はもうご存じですね?」


「ええまあ、大体はね」


「なにせこんなことは私も初めてのことでして……我々としてもどうしたらいいのか判断がつきません」


 年配の職員はさも困ったような顔でわざとらしく額の汗をハンカチで拭った。


「今までにこの人みたいに水晶玉が光らなかった人はいなかったの?」


「……たしか、何十年か前にひとりいたという話は聞いたことがあります」


「その人の時はどう対応したの?」


「さあ、その時はまだ私はここで働いておりませんでしたので……」


「あ、そう」


 サラはそっけなく言うと、ちらっと修介の方へ視線を向ける。


「わかったわ。この人の件は私が預かるわ。私の方から魔法学院には報告しておくから、あなた達は以後この件については関わらなくて大丈夫よ」


「そうですか! そうしていただけるとこちらとしても助かります!」


 あからさまに安堵した表情を浮かべる年配職員。


「あと、このことは他言無用でお願いね。大事にしたくないでしょ?」


 年配の職員は「もちろんです」と何度も頷いた。

 ここまで散々騒いだ後で他言無用も何もないよな、と修介は思ったが、積極的に吹聴されても困るのでサラの配慮はありがたかった。


「じゃあとりあえず、この人の冒険者登録をさっさと済ませてあげて」


 サラの言葉に年配の職員は「えっ」と声を上げた。


「登録しちゃっていいんですか?」


「この件以外に何か問題があったの?」


「いえ、特に問題はありませんでしたが……」


「じゃあ別に登録しても問題ないでしょ?」


「しかし何かあった時に責任が……」


 どこの世界もお役所仕事は変わらないんだな、と修介は他人事のようにそのやりとりを眺めていた。


「責任なら私が取るから、さっさと手続きして!」


 サラの立場でそんな命令をする権限があるのかどうか知らないが、苛立ちを隠そうともせず、年上相手に容赦なく命令するあたりなかなかの女傑ぶりである。

 年配の職員は「わ、わかりました」と言うと、受付の男に「君、登録証の発行を」と指示を出す。小娘にいい様に扱われることが不満なのか、言われた受付の男は不承不承という体で再び奥の部屋へと姿を消した。


「そ、それではくれぐれもよろしく頼みましたよ? あと、こういったこともありますので、あまり勝手に席を離れないでいただけますか?」


「可能な限り善処するわ」


 サラは鷹揚に頷いてみせる。

 こいつ絶対にまたいなくなるな、と修介は確信した。


 年配の職員が立ち去るのを見届けてから、修介は小声でサラに話しかけた。


「俺のこと魔法学院とやらに報告するのか?」


「え、しないわよ? そんなことしたら本当に連れて行かれちゃうかもしれないでしょ?

 それよりも私がここであなたを調べたほうが面白――効率が良いじゃない」

 言い間違えが若干気になったが、報告しないでもらえたほうが助かることは事実なので言及しないことにした。


「俺のことを調べるのか?」


「あなただって自分の身体のことなんだから気になるでしょ?」


「それはまぁ……解剖とかしないよな?」


「ご希望ならしてあげてもいいわよ?」


「……遠慮しておく」


 こいつならやりかねないと修介は本気で思っていた。


「あなたは自分の身体のことがわかって、私は知的好奇心を満たせる。どちらにとっても悪い話じゃないでしょ?」


「ま、まぁそうだな……そうなのか?」


 なんかいい様に言いくるめられている気がしないでもないが、魔法の知識に長けた人間と知己になっておいて損はないだろう。修介はそう前向きにとらえることにした。


「ところであなた、どこに住んでいるの?」


「どこって、街の東の端にある宿だけど」そう言って修介は宿の名を告げた。


「わかったわ。私はこのギルドにいることが多いから、何か気付いたことがあったらここに顔を出してちょうだい」


「お、おう、わかった」


「それじゃ私はこれで失礼するわ。冒険者のお仕事頑張ってね、シュウ」


 サラはそう言うと手をひらひらと振ってカウンター奥の扉ではなく建物の入り口から外へと出て行った。


「席から離れないでって言われたばかりだろうに……」


 修介は呆れたようにそう呟いたが、とりあえず無事に登録ができそうなことにほっと胸をなでおろした。

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