第四章
第37話 冒険者
修介が郊外演習から帰還して二週間ほどが経過していた。
ランドルフが自分に疑念を抱いていることなぞ露知らず、修介は新しい拠点となった宿のベッドの上で呑気にくつろいでいた。
その宿は街の東端に位置する小さな宿屋だった。
意外なことに宿の主人と知り合いだというランドルフが話を付けてくれたようで、通常よりも安い料金で長期の宿泊が可能となったのだ。
自分がきっかけで修介が宿舎を出て行くことになってしまったことへのランドルフなりの罪滅ぼしのつもりなのかもしれない。修介としてはまったく気にしていないのだが、勝手の知らない街で宿を探す手間が省けたのは正直助かった。
さらに、宿舎を出て行く際にランドルフから幾ばくかの金銭を渡された。散々世話になった挙句に金銭まで渡されるのはさすがにサービス過剰だと修介は受け取ることを遠慮したのだが、ランドルフに「郊外演習で空飛ぶ影を最初に発見した功績に対する報奨だと思え」と言われてしまっては受け取らざるを得なかった。
元々持っていた資産はいざという時の為に残しておきたいと考えてので、当面の活動資金が得られたことは素直にありがたかった。
宿舎を出るにあたって、修介はシンシアの元にも赴いた。
突然宿舎を出ることを申し出た修介にシンシアは驚き、翻意するよう説得してきたが、修介はそれを丁重に断った。
シンシアには当面はこの街を拠点とすること、そして何かあれば気軽に呼びつけてもらって構わないと伝えたことでなんとか納得してもらった。
ランドルフから訓練に掛かる費用の話を聞いたことはきっかけにすぎず、もとより修介はそれほど長く訓練場に留まるつもりはなかった。
訓練場での訓練を経て、妖魔との実戦も経験した今となっては、シンシアを救ったとはいえ、たかがゴブリンと戦った程度でこれほどの厚遇を受け続けるのはあまりにも不釣り合いであり、さすがにこれ以上彼女の厚意に甘え続けるわけにはいかなかった。
幸い三カ月に及ぶ訓練場での生活でこの世界で生きていく為の基礎は身に付けることができた。アレサのサポートがあればひとりでもなんとかやっていけると考え、修介は宿舎を出ることを決断したのである。
教官や他の訓練兵達からは突然のことに随分と驚かれた。
レナードからは「いつでも帰っておいで」と肩を叩かれ、ロイからは「すぐに野垂れ死にすんなよ」と嫌味を言われた。郊外演習で同じ班だったフィンやニールからも激励の言葉をもらった。
そして、ハーヴァルからはありがたい三つの訓示を授かった。
ひとつ、剣は己自身を移す鏡だ。大切に扱え。手入れも欠かすな。
ふたつ、剣の鍛錬は毎日欠かさず行え。
みっつ、信頼できる仲間を作れ。
「三つ目を手に入れる為にも一つ目と二つ目は欠かすな。自己研鑽を怠る者に信頼を寄せる奴はいないからな」ハーヴァルは最後にそう言って修介の肩に手を置いた。
この訓示を聞いたアレサは『実に良い事を言いますね。特に一つ目は是非守ってください』と感想を口にしたものである。
元々存在自体がイレギュラーだった修介だが、いつの間にか仲間として受け入れられていたことに喜びを隠せなかった。
訓練場での生活は修介にとって戦う術だけでなく、いくつもの貴重な知識や経験、そして大切な仲間を与えてくれたのだった。
こうして修介は多くの感謝を胸に新しい生活への第一歩を踏み出したのである。
新しい拠点に当面の活動資金も得た修介は、次なる職として冒険者を選んだ。
真っ当に商売することは最初から選択肢に入っていなかった。自分に商才がないことは前世で十分にわかっていたし、散々客商売をやってきて正直飽きていた。
一時期は訓練場でそのまま騎士を目指すのもありかなと思っていたが、色々考えた末に騎士の道は自分には合わないという結論に至った。
修介はこの世界に来てからまだ人を殺していないが、この世界で生きていれば、この先そういう機会が訪れる可能性は十分にあった。
だが、修介にはまだ人を斬る覚悟はなかった。
修介の人を殺すことへの忌避感は相当なものだった。人を殺したらほぼ人生が終了する前の世界で長年生活していたのだから当然と言えるだろう。
それに比べて、この世界の人間は人の死に対する忌避感を自分ほど持っていないと感じていた。前の世界に比べたら治安も悪く、街道で野盗や妖魔に襲われたり、別の領地では隣国との戦争も行われていたりと、日常的に死が近いところに存在しているのだ。まさしく住んでいる世界が違っていた。
そんな世界で騎士になった場合、命令で人を殺さなければならない局面に立たされる可能性は当然あるだろう。環境に流されやすい自分は、おそらく「命令なのだから仕方がない」という理由で人を殺すかもしれない。修介はそれが嫌だった。
どうしても人を殺す必要があるのなら、それは命令されたからではなく、自分の意志でそれを選択するべきだと修介は考えていた。
もちろん今はまだそんな覚悟はないし、実際にそんな場面に遭遇した際に自分がどういった選択をするのかはわからない。だが、自分にとって大事なことは自分の意志で決めたかった。そう考えると、騎士よりも自由な冒険者になるのが良いと思ったのだ。
それに前世で散々サラリーマンという宮仕えをやってきたので、もういい加減命令されることにもうんざりしていた。自己責任大いに結構。とりあえずは自由に生きたいという思いが強かったことも修介が冒険者になることを後押しした。
一口に冒険者と言っても、この世界の冒険者には大きく分けてふたつのタイプが存在している。
ひとつは様々な依頼を受けてそれを達成することで報酬を得る依頼達成型冒険者。
もうひとつは古代魔法帝国の遺跡に潜って貴重な魔道具を発掘して一攫千金を狙う宝物探索型冒険者。
比率としては依頼達成型冒険者が多いようだが、依頼をこなして資金を貯めてから遺跡に潜って一攫千金を狙う者もいれば、貴族や大商人といった金持ちからの支援を受けて専門的に遺跡の発掘を行う者もいて、冒険者ごとに様々なスタイルを確立しているようだった。
修介もいずれは遺跡探索に赴きたいと考えてはいるが、当面は依頼をこなして冒険者としての経験を積んでいくつもりであった。
冒険者は『冒険者ギルド』という組織に登録を行うことで誰でもなることができる。登録を行うことでその街での身分を保証してもらえる代わりに、毎月一定の登録料を支払う必要があるのと、報酬から税金等が差っ引かれる仕組みとなっている。
この世界の冒険者ギルドは民営ではなく、ルセリア王国が管理運営する組織であり、本部は王都ルセリアに存在している。大きな街には支部が存在しており、グラスターの街にも当然支部があった。
ただ、支部同士の横の繋がりはほとんどないようで、冒険者の登録や管理などは各支部ごとで独自に行われており、冒険者は依頼を受ける為には街ごとに登録を行う必要があった。
冒険者ギルドが国営なのはある意味当然で、王国としては地方領主が独自に冒険者を雇って勝手に戦力を強化されては困るからである。その為、貴族が冒険者を独自に雇うことも原則として禁止されていた。あくまでも冒険者ギルドを通じて雇う必要があるのだ。また、雇う際にも様々な制限が設けられていた。
ちなみに『冒険者ギルド』という名称は修介の脳内にある言語ツールがそう翻訳しただけで、冒険者ギルドの看板に並べられた単語を直訳すると「冒険者、雇用、促進、場所」となる。イメージとしては日本でいう職安に近く、言語ツールの翻訳センスが光った感じである。
日々の勉強のおかげで少しずつ文字の読み書きができるようになってきた修介は、ことあるごとに文字の直訳と言語ツールの翻訳のニュアンスの違いを比較するのが最近お気に入りの娯楽となっていた。修介は昔、大好きなSF映画を日本語字幕で繰り返し見て内容を覚えた後に、英語字幕で見直して翻訳のニュアンスの違いを楽しんだことがあったが、それに近い感覚の遊びだった。
一時期は看板を見る度にそれをやってアレサに相当うざがられたので、最近はあまりやれていなかった。
翌日、修介は冒険者登録を行う為に、街の北東にある冒険者ギルドのグラスター支部にやってきた。
以前この近くで筋肉達磨に絡まれていた女性を助けたことがあったが、どうやらこの辺は冒険者ギルドが近くにあることから冒険者がよくたむろしている地域らしい。
冒険者雇用促進所と書かれた看板を掲げた大きな建物を見上げながら、修介は緊張をごまかすためにアレサに小声で話しかけた。
「よし入るぞ、いいな?」
『外ではあまり話しかけないでください。不審者に見えますよ』
マスターの心、剣知らず。
仕方なく修介は入口の両開きの大きな扉をそっと手で押す。扉が思ったよりも大きな軋み音を立てたので修介は驚いて扉を閉めそうになったが、それだと本当にただの不審者なのでそのまま思い切って入ることにした。
建物の中は思っていたよりも広く、正面に受付と思しきカウンターと、所々に大きな机が置かれただけの殺風景な部屋だった。壁一面の大きな掲示板には所狭しと紙が貼りだされていた。おそらく求人票みたいなものだろう。
カウンターには職員らしき四人の男女が並んで座っていた。そのうち二人の前には冒険者らしき恰好をした人が座って話をしている。
他には壁際の掲示板を熱心な様子で見ているローブ姿の女性や、手持無沙汰に佇んでいる鎧を着た男など数人がいるだけで、思ったよりも混雑していなかった。
修介はもっと怒声が飛び交う喧騒的な場所をイメージしていたのだが、騒いでいる者は誰もおらず、実に静かだった。
まんま職安の雰囲気だな、というのが修介の第一印象であった。
入口から一番近い正面の受付に座っている禿げ頭で体格の良い男が、呆けている修介を見て声を掛けてきた。
「何か用か?」
ドスの利いた声だった。あきらかに歓迎している雰囲気はない。
「ここは冒険者ギルドだ。用がないならさっさと出て行きな」
ここが営利団体ではなくお役所であることを知ってなお、現代日本の過剰な接客サービスに慣らされた修介にとっては信じられないような態度であったが、この世界ではこれが当たり前なのかもしれなかった。
「あ、いえ、その、冒険者登録をしたくて来たんですが……」
修介は受付にそろそろと近づきながら、しどろもどろに言った。
「ならそこに座んな」
受付の男はそう言うと、顎で自分の机の前にある椅子を指して座るよう促してきた。
修介はおずおずといった感じで椅子に座る。
受付の男は修介の顔をまじまじと見ながら、机の下から一枚の紙を取り出した。
「お前、字は書けるか? 代筆が必要なら俺が書くが」
「えっと、自分の名前くらいなら書けますけど……」
「ならここに名前を書け。後は俺が代筆する」
大きな街の識字率は高いと修介は以前聞いていたので、てっきり馬鹿にされるのかと思っていたが、受付の男は表情一つ変えずにペンと紙を差し出してくる。
修介はペンを受け取ると名前の一文字一文字を思い出しながら可能な限り丁寧に書く。この世界のペンと紙に慣れていないので、よれよれの字になってしまったが、そこはもう諦めるしかなかった。
書き終わった修介は紙をくるっと回して差し出すと、受付の男は無言で受け取って紙に目を落とす。
「シュウ……スケ? 随分と変わった名前だな」
「はぁ」
修介は間の抜けた声を出した。たしかにこの世界では変わった名前だろう。だが、受付の男の声に揶揄するような感じはなく、単に思ったことを口にしただけのようだった。
「いくつか質問をするが、すべて正直に答えろ、いいな?」
「はい」
修介は生真面目に頷いた。
「年齢は?」
「一七歳です」
本当は四三歳ですが、と心の中で付け加える。
「出身は?」
「ハース村です」
その名に受付の男の眉が一瞬動いたが、結局は何も言わなかった。
出身地については事前にランドルフからそう言うように言われていた。滅んでしまった村の名前を勝手に使うことに良心の呵責はあったが、ハース村なら一度行ったことがあるし、滅んでしまったことで嘘がバレる可能性も極めて低いからだ。
「武芸の心得は?」
「この街の訓練場で三カ月ほど剣の訓練を受けました」
これもランドルフから言っても良いと言われていたので、ありがたく使わせてもらうことにした。
「妖魔との戦闘経験は?」
「ゴブリンと、あとはオークを倒したことがあります!」
修介はちょっと得意気になってそう言った。オーク討伐は修介の数少ない輝かしい戦果である。少しドヤ顔になってしまったかもしれない。
「そうか」
だが、受付の男の反応は極めて平坦であった。
修介は求めていた反応が得られず落胆したが、よく考えてみればこの街の冒険者ならばオーク討伐なんて日常茶飯事なのだろう。
「他の街で冒険者登録はしているか?」
「していません」
「遺跡の探索経験は?」
「ありません」
「要人の護衛経験は?」
「ありません」
「武芸大会等で入賞した実績は?」
「ないです」
「犯罪歴は?」
「ないです」
質問が終わったのか、受付の男はじっと修介の目を見てくる。修介はなるべく目をそらさないように黙って見つめ返した。
「……いいだろう。しばらくそこで待て」
受付の男はそう言って立ち上がるとカウンターの後ろにある扉の奥へと姿を消した。
しばらくすると男はバレーボールくらいの大きさの水晶玉を手にして戻ってきた。
「王都の魔法学院からの要請でな、冒険者は登録の際に魔力を測る規則となっている。これでお前の魔力を測らせてもらう」
受付の男は水晶玉を机の上に布を敷いてからそっと置いた。
修介は戸惑いを隠せずに受付の男の目を思わず見つめてしまう。
その戸惑いを察したのか、受付の男は水晶玉の上に自分の手を乗せた。その手は節くれだってごつごつしており、修介の手より一回り大きかった。おそらく剣を握っていたことのある人の手だ、と修介は思った。
「こいつは魔力を測定できる魔道具だ。こうして手を乗せると、そいつの魔力の強さに応じて水晶玉が光るんだ」
受付の男がそう解説すると、水晶玉が淡く光った。
「人間には必ずマナがある。俺はマナの量が少なく魔力も弱いからこの程度の光だが、マナが多く魔力が強ければそれだけ強く光る。光が強ければそれだけ魔法を扱う素質があるというわけだ」
魔力とは体内のマナを扱う力のことである。以前修介はそうアレサに教わった。
魔法使いは体内のマナを魔力に変換して様々な魔法を扱う。修介の知識に当てはめるなら、マナは
修介は生唾を飲み込んだ。このタイミングで魔力を計測するようなイベントが発生するとは思ってもいなかったのだ。
いや、ラノベなんかではここで主人公のとてつもない魔力量が発覚して大騒ぎになるのがある種の王道だったな、と修介は思い出した。
「よし、お前も手を乗せてみろ」
そう言うと受付の男はすっと水晶玉を修介のほうに差し出してくる。
修介にはこの世界に来てから魔法にまつわる自分の体験を思い返して、ほぼ正確に次の展開が予想できていた。
(ええい、ままよ――)
修介は目を閉じて水晶玉の上に手を乗せた。
そしておそるおそる目を開ける。
――案の定、水晶玉はまったく光っていなかった。
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