第36話 疑惑

「あいつと話していると面白いんだ」


 唐突なブルームの言葉に「面白い?」とランドルフは怪訝な顔で問い返す。


「ああ。なんていうか、うまく言えないんだが……あいつと飲んでいるとよく質問攻めにあうんだが、質問の内容がなんというか社会常識的な物ばかりでな。神や魔法についてだったり、歴史や地理についてとか。あとは娼館についてもかなり根掘り葉掘り聞かれたっけな」


「娼館?」とランドルフが小声で呟くと、ブルームは、しまった、という表情を浮かべたが、ランドルフは深くは追及しないでおくことにした。お嬢様が聞けば間違いなく修介の立場が悪くなる類の話であろうが、告げ口のような真似はランドルフの好むところではなかった。

 ブルームはひとつ咳ばらいをすると話を続ける。


「でだ。俺はあいつの質問に丁寧に答えてやるわけだが、その回答に対する反応が新鮮なんだよ。あいつは魔法や神について驚くほど無知なくせに興味津々でな、子供のように目を輝かせて話を聞き入るし、質問もやたらとしてくる。かと思えば、大人顔負けに社会制度や経済といった小難しい質問もしてくるんだ。でもそれについてはわからないから質問しているというよりは、まるで答え合わせをしているかのような態度でな。おまけにこっちが思ってもいなかったような奇抜な意見を言ってきたりもするんだ。面白いだろ?」


「それは面白いのか?」


 ランドルフからすると面白いというよりは興味深い話だった。それはかねてより抱いていた疑念をさらに強めるような話でもあった。


「面白いだろう。次は何を聞いてくるのか、どんな感想を言うのか、ワクワクするぞ」


「そうか……私には理解できんな」


「俺はな、あいつはこの国の人間ではないと思う。別の国どころか別の大陸から来たのかもしれん。見た目もそうだが、考え方や価値観が我々とはだいぶ違う気がする」


 ランドルフは思わずブルームの目を見る。


「別の大陸から来たというのはさすがにないだろう。そんなことがあれば噂にならないはずがない」


 別の大陸からの移住者は三〇年前に大陸の東に漂着したという数人だけで、さらに現在生存しているのはひとりだけのはずだった。

 そのひとりは今は王都で名を馳せている冒険者で、名前はたしかハジュマといった。だが、彼はもう四〇を過ぎているはずだから、修介と同一人物ということはないだろう。息子という可能性もあるが、ハジュマに子供がいるという話は聞いたことがない。


「どうかな。あいつと出会ったのは南の森なんだろう? もしかしたら大森林を通って大陸の南から来たのかもしれんぞ?」


「それこそありえない話だろう。あの森は六〇〇年以上にわたって人の侵入を拒絶している魔の森だ。あの森を縦断できるような人間がこの世にいるとは考えられん」


「まぁ俺もさすがにそれはないと思っているがな」


 ブルームは笑いながらあっさりと自論を取り下げた。どちらかというと冗談の類だったのだろう。ランドルフはむきになって反論してしまったことを少し恥じた。

 同時にちょうどいい機会だと思い、ランドルフは自分がずっと抱いていた疑念を思い切って話すことにした。


「さっき貴殿は彼をこの国の人間ではないと言ったな。私はそもそも彼が記憶喪失というのが嘘なのではないかと思っている」


「嘘?」


「ああ、私には記憶喪失がどういうものかはわからんが、彼の立ち居振る舞いは記憶を失っているというよりも、何か隠し事をしている者のそれだと思うのだ。さっきの貴殿の話でますますそう感じた。……それに申し訳ないとは思ったのだが、前に一度彼の不在時に荷物を検めたことがある」


「ほう。品行方正な騎士様が盗人の真似事か?」


 ブルームがからかうような口調でそう言うと、ランドルフは「これもお役目だからな」と真面目な顔で返す。

 ブルームは肩を竦めると先を続けるよう促した。


「彼の背負い袋に入っていた荷物にはまったく使われた形跡がなかったんだ。あの剣の腕前で南の街道をひとりで旅していたというだけでもおかしいのに、道具を使った様子すらないというのは誰だって不審に思うだろう?」


「確かに……」


「あと、これが一番怪しいと思ったのだが、彼の荷物の中には大量の金貨や高価な宝石がいくつもあったんだ。おそらく合計すると金貨四〇〇枚分に近い額になるはずだ。貴族でもないただの平民が真っ当に働いて稼げる額ではない」


「……それはまた景気のいい話だな」


 ブルームはヒュゥと口笛を吹いた。


「彼はおそらく何かを隠している。それがどういう物なのかはわからないが、間違いないと思っている。彼がお嬢様やこの領に対して悪意を抱いているとは私も思っていないが、やはり素性がはっきりするまではそう簡単に彼を信用するわけにはいかない」


「ふむ、なるほどな……」


 ブルームは顎に手をやり考え込む。だいぶ酒が回っているのか、そのままテーブルに突っ伏しそうな感じだが、すぐに顔を上げるとランドルフの目を見て言った。


「お前があいつを警戒する理由はよくわかった。たしかに胡散臭いところが多々あるようだが、俺はあまり神経質になりすぎなくて良いと思っている。俺からしたらあいつの正体なんてどうだっていいんだ。俺も一応は長年神職を務めているからな。それなりに人を見る目はあるつもりだ。その俺の目から見てもあいつは悪人じゃないし、そもそも大それた悪事を働けるような器ではないさ」


「随分とお気楽だな」


「お前が、真面目すぎるんだよ」


 ブルームはランドルフの鼻先に指を突きつけながらそう言った。酔いのせいかその目はだいぶ据わっているようだった。


「お嬢様を護衛する身としては当然だろう」


 ランドルフは突き付けられた指を邪険に振り払ってそう言い返したが、ブルームは今度は顔ごと近づけてきた。


「ようするに面白くないんだろう? あいつがお嬢様に気に入られていることが」


「そういう話ではない。……たしかにお嬢様はあの男を気に入っておられるようだが、お嬢様にもお立場というものがある。そう遠くない未来に他家との縁談の話もあるだろう。そうなった時のお嬢様のお気持ちを考えるとな……」


「その時はその時だろう。いつか別れが訪れるからといって今の気持ちをないがしろにする必要はないだろう。むしろ積極的に応援してやるくらいでちょうどいい。失恋もまた良い人生経験だ」


 ブルームは顔をひっこめるとうんうんと頷いた。


「貴殿の立場ならそうやって気軽に言えるんだろうがな。あいにく私はそういうわけにもいかないんだ」


「相変わらずつまらん男だな」


 ブルームはわざとらしく盛大にため息をついた。


「余計なお世話だ」


 ランドルフは空になった自分の杯に酒を注ごうとして、もうすでに瓶がからであることに気付いた。空になった杯を見つめながら、酒の代わりに自分の心情を杯に注ぐように呟く。


「だがな、貴殿の言うこともわからんわけではないのだ……。あの男の話をされている時のお嬢様のお顔は実に楽しそうで、美しいのだ。こういうお顔をされる年頃になったのだなと感慨を抱くこともある。お嬢様にそのような顔をさせるシュウスケという男に、私はたしかに嫉妬しているのかもしれんな……」


「美人の奥方と愛らしい娘を持った男としては最低の発言だな」


「黙れ」


 ランドルフは騎士として取り立ててくれた領主グントラムに恩義を感じていたし、忠誠も誓っていた。その娘であるシンシアも美しく聡明な娘であり、仕える相手として申し分なかった。特に護衛役を務めるようになってからは、シンシアの大貴族とは思えぬ気さくな人柄や領民を思いやる優しい心根に触れたことで、ただの護衛役以上の情熱を持って任務にあたるようになっていた。

 シンシアは年齢相応の幼さを残してはいたが、様々な経験を積むことで立派な大人に成長するだろう。ランドルフに妹はいなかったが、妹の成長を見守る兄のような気持ちで、彼女の幸せを強く願っていた。

 ゆえに、その幸せをわずかにでも脅かす可能性がある存在を見過ごすわけにはいかないのだった。


 気が付くとブルームはテーブルにつっぷしていびきを掻いていた。

 ブルームはその豪快な見た目とは裏腹に大して酒に強くないのだ。派手に飲んですぐに潰れる、そんな彼の扱いにはここ数年の付き合いでだいぶ慣らされていた。

 ランドルフは立ち上がると、窓を開けてすっかり暗くなった空を眺めた。

 修介への疑念についてはうやむやになってしまったが、どの道ここで話をしてどうこうなるような問題でもなかった。今まで通り注意して見ていればよいだろう。

 目下の問題は西の妖魔問題であった。

 もし、空を飛ぶ影の正体がドラゴンだとしたら激しい戦いとなるだろう。ひとりの騎士としてその戦いに参加できないことが悔しかった。領地の平和を脅かす悪をこの手で叩き斬ってやりたいと強く思っていた。

 自分はその為に騎士になったのだから。


 ランドルフはグラスター領の辺境に位置する小さな村の生まれであった。決して裕福な家庭ではなかったが、ランドルフは優しい家族に囲まれて幸せに暮らしていた。

 だが、彼が幼少の頃、村は妖魔の襲撃を受けて全滅し、家族は皆殺しにされた。

 母親が咄嗟に機転を利かせてランドルフを床下の収納庫に隠したことで、彼だけが運よく生き残ることができたのだ。

 ランドルフのような境遇の子供はこの領地ではさほど珍しくはない。いくら軍備を増強したとしても、南の大森林から絶えず出現し続ける妖魔を完全に排除することは不可能であり、辺境の村になればなるほど妖魔の脅威は増すのだ。


 家族を失い孤児となったランドルフを引き取ったのは引退した老騎士だった。

 老騎士の元でランドルフは騎士になるべく修練に励んだ。自らを厳しく鍛え、教えられた技の全てを習得した。

 数年後、老騎士が病気で亡くなったのをきっかけに訓練場に入った。老騎士はランドルフを訓練場に入れる為に多くの財産を残しておいてくれたのだ。

 ランドルフは訓練場で戦士としての才能を開花させ、わずか一五歳にして騎士に抜擢された。

 騎士になってからのランドルフは自身の願いを叶えるべく必死に戦った。どんな辺境の村でも、妖魔が出現したと聞けば彼は馬を飛ばして駆け付けた。圧倒的に不利な状況での戦いにも幾度となく勝利を収めてきた。その甲斐あって彼の実力は今や騎士団随一と言われ、その名声は王都にまで届くほどになっていた。

 ランドルフの願いは自分と同じような境遇の子供を生まないようにすることだった。

 だが、その実力と名声によってシンシアの護衛任務に就くことになってしまったのは皮肉としか言いようがなかった。

 仕方がないこととはいえ、妖魔から人々を守りたいという気持ちを他人に託さなくてはならないことが無念でならなかった。

 ランドルフはテーブルに突っ伏したままのブルームを見る。

 今はただ、彼らの作戦の成功と無事を願うことしかできなかった。

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