第35話 噂
ハース村全滅の報はグラスターの騎士団に衝撃をもたらした。
たしかにここ最近は妖魔の目撃情報が増え、それに比例して襲撃事件も増えていたが、ここまで大きな被害は出ていなかったのだ。事の深刻さに騎士団では日増しに緊張感が高まっていた。
もたらされた情報に関しては
街は不穏な空気に包まれ、街道を行き来する人の数も以前とは比べるまでもなく減っていた。
演習部隊の帰還から一週間後、事態を重く見た領主は本格的な調査を行うべく、領地の南西に調査団を派遣することを決定した。
「調査団に選ばれたんだって?」
テーブルの向かいに座ってうまそうに酒を飲むブルームにランドルフはそう話しかけた。
「ああ。お前の部隊は……行くわけないか」
「私の隊は残念ながら選ばれてない。近々、北の視察に赴かれるお嬢様の護衛として同行することになっている」
ブルームの空になった杯に酒を注ぎつつ、ランドルフはそう答えた。
今日は珍しくふたりの非番が重なった日だった。滅多にない機会なのでこうしてランドルフはブルームを自宅に招いたのだ。
ふたりは所属する部隊こそ異なるが、ランドルフは騎士長、ブルームは神聖騎士というお互い特殊な立場にいることから何かと顔を合わせる機会が多かった。序列で言えばランドルフのほうが上だが、年齢は五歳ほどブルームが上だった。立場も年齢も性格も異なるふたりだったが、不思議と気が合うことから頻繁に酒を酌み交わす間柄になっていた。
「まぁお前の部隊はそうだろうな」
ランドルフを見るブルームの目には若干気遣うような色が含まれていた。
ブルームの言葉にランドルフの表情がわずかに翳る。
領主の娘への溺愛ぶりはこの街に住む者なら知らぬ者はいないと言われるほどに有名であり、領内最強の呼び声高いランドルフを護衛に付かせるほどである。そのことは上層部内でも常々問題視されていたが、領主は頑なに譲ろうとしなかった。
西の妖魔問題への対応に追われている領主の名代として、シンシアは精力的に領地の視察を行っており、その護衛は重要な任務である。ランドルフとてそのことは十分に理解していたが、やはり同僚の騎士達が危険な前線に赴こうとしているのに、自分はそれを見送るだけというのは思うところもあった。
そんなランドルフを見て、ブルームはテーブルの上に置かれた皿からパテを一切れナイフで刺して口に運ぶと、おもむろにランドルフに尋ねる。
「このパテは奥方のお手製かな?」
突然話題を変えたブルームに怪訝な顔をするランドルフだったが「そうだ」と律儀に答える。
「うまいな。ワインによく合う」
「妻に伝えておくよ」
そう言ってランドルフもパテを一切れ口に放り込んでワインで胃に流し込む。
妻の料理を褒められて悪い気はしなかったが、それがブルームなりの気配りだということはわかっていた。あっさりと内心を見抜かれているようでは自分もまだまだ未熟だなと心の中で苦笑した。
「……ところで、例の噂についてはどう見ている?」
ランドルフは声を落としてブルームに尋ねた。自宅の居間にいるので誰かに聞かれるようなことはないだろうが、それでも大声で口にしていい話題ではなかった。
「郊外演習に赴いた部隊がドラゴンらしき影を目撃したっていう話か?」
「ああ」
「最初は無責任な噂話の類だと思っていたんだが、たしか演習に同行した騎士のなかにはロルフもいたんだったよな? だとしたら無視できない話だな」
ブルームの言葉にランドルフは頷いた。
ロルフの視力の良さは騎士団でも有名だった。もしその彼が目撃者の中に含まれていたとなれば、仮にそれがドラゴンではなかったとしても、それに類する何かを目撃したことは間違いないと言えた。
「私もそう思う。ドラゴンかどうかはさておくとしても、襲撃を受けたハース村には一〇〇人近くの住人がいたんだ。それをわずかな時間で全滅させるのは並の妖魔にはまず不可能だろう」
「そういえば、村の子供を保護したという話があったよな。その子からは何か情報はなかったのか?」
「保護した騎士からの報告によると、村が妖魔に襲われてすぐに近くの森に逃がされたらしく、何も見ていないらしい」
「そうか……それにしても、村を丸ごと焼き払うなど、むごいことをする……その子供も親を殺されてさぞショックを受けていることだろうな……」
ブルームはテーブルに視線を落とし首を横に振った。
「何者かはわからないが、早いところ対処しなければ、第二第三の被害が出てしまうだろうな……」
「その為に俺ら調査団が調査に赴くわけだ。ドラゴンだかなんだか知らないが、きっちり正体を暴いて、あわよくば裁きの鉄槌を食らわせてやるさ」
そう言うとブルームはにやりと笑った。
「そういえば、調査団の指揮は誰が執るんだ?」
「当初は怒り心頭の領主様が自ら指揮を執るとおっしゃられていたんだがな、さすがに上層部全員から止められたらしい」
「それは当然だろうな」
ランドルフも領主が領内の村を焼き払われたことに相当腹を立てているという話は聞いていた。そもそも西に妖魔が頻出するようになってから、領地の視察と称して自ら何度も妖魔討伐に赴くほどの武闘派である。一方的にやられて黙っていられるような人物ではなかった。
「紆余曲折あってな、マシュー殿が指揮を執ることで落ち着いたらしい。まぁ彼は例の郊外演習の部隊長でもあったわけだからな。妥当なところだろう」
ブルームの言葉にランドルフも頷いた。
マシューはランドルフと同じ騎士長であり、実力も実績も十分だった。それにハース村の惨状を目の当たりにしているだけに士気も相当高いことだろう。
「……それにな、調査団と銘打っているが、おそらく領主様もマシュー殿も今回の遠征でケリをつけるつもりでいるぞ」
「どういうことだ?」
「近々、王都から大量の弓矢に
ランドルフは目を見張った。
騎兵の突撃は強力無比だが相手が空を飛んでいるとなると話は別である。今回の討伐対象は空を飛ぶ可能性が高い。その為の対空兵器を用意するのは当然だと言えるが、グラスター領は他国と隣接しておらず、城攻めを想定した攻城兵器などは常備されていない。それをわざわざ王都から取り寄せたというのだ。どれも一朝一夕に用意できるようなものではない。
「……つまり領主様はかなり早い段階から相手が空を飛ぶことを想定して動かれていたのだな」
「我らが領主様には先見の明がおありのようだな」
ブルームは感心したように言った。
「調査団の参加人数は?」
「たしか、騎士だけで五〇人。攻城兵器の技師や志願兵、傭兵などの歩兵を合わせると二〇〇人以上になる予定だ」
数を聞いてランドルフは眉を上げた。調査団としては異例の規模であった。それだけに先ほどのブルームの発言の信憑性が高まる。
「それで、出発はいつになる?」
「攻城兵器が届いても、その扱いに慣れる必要があるからな。早くても二、三週間後くらいになるんじゃないか」
「そうか……」
ランドルフは複雑な表情で頷いた。なんの対策もなしに空飛ぶ化け物と戦うことは無謀であるし、その対策に時間が掛かることも理解していたが、時間が経てば経つほど被害は増えるばかりである。どうしても焦る気持ちを隠すことはできなかった。
ブルームは唐突に何かを思い出したのか、楽しげな顔をして身を乗り出してきた。
「そういえば、郊外演習に参加していた訓練兵のなかには例の勇者殿もいたそうじゃないか。なんでも彼が一番最初に空飛ぶ影を発見したんだって?」
「……そうらしいな」
ランドルフは露骨に嫌そうな顔をする。修介の存在は彼の直近の頭痛の種のひとつであった。
「なんだ、相変わらず勇者殿のことを毛嫌いしているのか?」
「そういう貴殿は、彼と飲みに行ったりと随分と親しくしているそうじゃないか」
「なんだやきもちか?」
「なんで私が貴殿にやきもちを焼かねばならんのだ?」
ブルームの冗談に憮然とした顔で応じるランドルフ。
そんなランドルフの顔をさも愉快そうに眺めながら、ブルームはランドルフの杯に酒を注ぐ。
「この間、演習からの無事帰還を祝って飲みに行った時に聞いたんだが、あいつ近々訓練場を出ることにしたそうじゃないか。俺はてっきりこのまま騎士を目指すものだとばかり思ってたんだけどな」
「……それについては私に落ち度がある」
気まずそうな表情でランドルフは言った。
「どういうことだ?」
問いただすブルームの視線から思わずランドルフは目をそらす。
「……訓練場に入るには本来それなりの金が必要であるということを、うっかり本人を前にして口を滑らせてしまってな……おそらくそのことが訓練場を出るきっかけになったのだと思う」
訓練場は騎士を養成する為の施設であり、本来であれば貴族や騎士の子弟が対象となるのだが、今の領主になってから平民からも募集するようになった。ただ、誰彼かまわず入れるわけにもいかないことから、ある程度社会的地位のある者に限定するために、訓練に参加するにはそれなりの金銭が必要とされていた。そしてそのことはシンシアの指示で修介には教えていなかったのだ。
「お前のことだからわざとじゃないんだろうが、たしかにあいつならその話を聞いたら出て行こうとするだろうな」
「ああ……実は先日そのことがお嬢様にバレてな、ここ数日はまともに口もきいてもらえない状態だ」
「そいつは自業自得だな」
ブルームのその言葉にランドルフは深いため息をついた。
ランドルフの修介に対する感情は複雑であった。今でも素性が知れない不審人物で、お嬢様に近づく悪い虫だという扱いに変わりはないのだが、訓練に対する姿勢は至って真面目、剣の腕前も成長著しく、人柄にも問題はないという報告を受けており、自分が当初ほど彼を警戒しなくなっていることも事実であった。
何より目の前のブルームが彼と親交を深めていることがそのことを後押ししていた。ブルームの人を見る目は少なくとも自分よりは確かである。
だが、ランドルフは修介に対してある疑念を抱いていた。そのせいで修介を完全に信用することができないのだ。
その疑念をブルームに伝えるかどうか、彼はいまだに迷っていた。
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