第34話 生存者
「うわぁ!」
修介は驚いて思わずエルフの拘束を解いてしまいそうになるが、エルフは消耗が激しいからか、無理に逃げようとはしなかった。
木の陰からふたつの小さな人影がゆっくりと姿を現した。
人間の、それも子供だった。
一〇歳くらいの男の子と五歳くらいの女の子がおそるおそる近寄ってくる。
「子供? なんでこんなところに?」
生存者を探すという本来の任務をすっかり忘れて修介は呟いた。
「お兄ちゃん、そのひと殺しちゃうの?」
おずおずといった感じで男の子が聞いてくる。
「えっ?」
殺すとか随分と物騒なことを言う子だなと修介は思ったが、自分の今の体勢を見ればそう見られてもおかしくないことに気付く。
「あ、いや、殺さないよ? ちょっと懲らしめていただけだからね」
穢れなき目で見つめられて、修介は慌てたようにそう取り繕ったが、相手の喉元に剣を突きつけながら言っても説得力はなかった。
「なんだ、殺さないのか。腰抜けめ」
嘲るようにエルフが言う。
「んだとォ!」
この混沌とした状況に頭がついていかない修介は、エルフの挑発に乗ってしまい思わず声を荒らげてしまった。
すると目の前の小さな女の子が「きゃっ」と小さな悲鳴をあげて隣の男の子にしがみ付いた。女の子は修介を見て怯え、目からは涙がこぼれそうになっていた。
(しまった……)
修介は慌てて女の子に向けて作り笑いを浮かべたが、効果はまったくなかった。
そもそも怯える子供の目の前でいつまでも剣を抜いて相手を押し倒したままというのは色々とよろしくない。
修介はため息をつくとエルフの拘束を解いて立ち上がった。もう逃げられてもいいや、となかば自棄になってもいた。
「お前、この子達の知り合いか?」
剣を鞘に納めながらエルフに問う。
「……知らないね」
解放されたことを意外に思ったのだろう、戸惑いの表情を浮かべながらもエルフはぶっきらぼうにそう言って立ち上がる。逃走や攻撃の意思はなさそうだった。
「そ、そのエルフのお兄ちゃんは、僕たちが妖魔に襲われそうになっていたところを助けてくれたんだよぅ」
女の子を庇いながら男の子が泣きそうな声で言った。あきらかにエルフよりも修介に怯えているようで修介は少しばかり傷ついた。
「この子の言っていることは本当か?」
修介は悲しみを怒りに変えてぶつけるようにエルフに質問を投げつけた。
「そんな覚えはないな。たまたま通りかかったところに妖魔がいたから倒しただけだ」
エルフはそっけなく答える。
その答えに修介は内心困っていた。素直に「助けた」と認めてくれれば「どうもありがとうさようなら」で済む話なのに、素直に認めないから話の着地点が見つけられないのだ。
「なんで俺たちを襲った?」
「オークと間違えただけだ」
「ふざけんな、普通こんな豚面妖魔と人間を間違えるかよ」
「俺からしたら似たような物だ」
エルフは鼻で笑う。
「上等じゃねぇかこのやろう……」
またしても安い挑発に乗ってしまい、思わずアレサに手が伸びる。
「あ、あのっ、さっきエルフのお兄ちゃんがお兄ちゃん達のことを野盗かもしれないから僕たちに隠れろって……」
男の子のその一言で、修介は子供たちにとって自分達のほうが得体の知れない人間なのだということにようやく気付いた。修介もロイも正式な騎士の装備を身につけているわけではない。一応、革鎧にはよく見ればグラスター領の紋章が刻まれているのだが、ぱっと見はただの野盗に見えなくもない。
「俺……いやお兄ちゃんは、グラスターの街からやって来た演習部隊の訓練兵……って言ってもわからないか……。お兄ちゃんは街からやってきた兵隊さんなんだ。だからぜんぜん怖くないよ?」
取り繕うような笑顔を浮かべる修介。
「兵隊さん?」
女の子が小さな声で聞いてくる。
「そう、兵隊さん」
修介はゆっくりと頷いた。
「お兄ちゃん、兵隊さんなの?! だったら助けて! 村が妖魔に襲われたんだ! 村にはまだお父さんや村のみんながいるんだ!」
男の子の必死な訴えに修介は言葉に詰まってしまった。村はすでに全滅したという残酷な事実をこの状況で言えるはずがなかった。
「……君たちは、ハース村の子かい?」
「そうだよ! だからお願い、村のみんなを助けて!」
修介は涙ながらに訴えてくる男の子に何も言うことができなかった。嘘でもいいから「任せろ」と言うべきなのだろうか。だが、とてもそんな嘘はつけそうにない。なので誤魔化すしかなかった。
「と、とにかくここは危険だから、すぐに移動しよう。さぁおいで」
修介は子供たちに手招きをしたが、子供たちは修介の態度に不審な物を感じたのか、修介から遠ざかるように後ずさるとそのままエルフの後ろに隠れてしまった。
手招きした手がむなしく宙を彷徨う。
その様子を見ていたエルフが子供達を庇うように前に進み出た。
「貴様、本当にグラスターの兵士か?」
「……正確には違う。俺はただの訓練兵だ。訓練の途中で村に立ち寄っただけだ。本隊は今は村にいるよ」
「そうか……」
エルフはそう言うと、おもむろに小声で何かを呟いて手を空にかざした。
修介は思わず腰のアレサに手を伸ばしたが、すぐ傍に子供がいることを考えて手を止めた。腰を落としたまま様子を伺う。
すると不自然な風が修介の頬を撫でながら通り過ぎる。
「何をした?」
修介の問いをエルフは無視して空を見つめている。
しばらくすると再び風が吹いて、エルフの周囲を踊るように葉が舞い上がる。
エルフは何度か頷いてからゆっくりと手を下げた。
「……どうやら、貴様の言っていることは嘘ではないようだな」
「は? どういうことだ?」
「わからないならいい。……この子供たちは貴様に預ける。どうやら本物の騎士がこちらに向かってきているようだしな」
エルフはそう言うと、落ちている剣を拾って鞘に納める。
「エルフのお兄ちゃん?」
男の子が不安げにエルフに近寄ろうとするが、エルフはそれを手で制した。
「その人間は大丈夫だ。そいつに付いて行け。俺はもう行く」
男の子に向かってそう告げると、エルフは素早く身を翻して森の奥へと消えていった。あまりの素早さに修介は声を掛けることすらできなかった。
「なんだったんだよ、あいつは……」
子供たちの話を真に受けるならば、あのエルフは子供達を助ける為にオークと戦った英雄ということになる。だが、ごくごく個人的な感情で、どうしてもその事実を素直に受け入れられそうにない。修介は自分の狭量さに思わずため息をついた。
そのまましばらくエルフが消えていった方向を見つめていたが、子供たちが不安げな表情でこちらを見ていることに気付き、安心させるように笑顔を浮かべた。
とりあえずロイを起こしてストルアン達と合流しよう、そう修介が考えた矢先に、エルフが去った方向とは逆の方角から複数の足音が近づいてきていることに気付いた。
その足音の正体になんとなく察しは付いていたが、念のため修介は子供達を庇うように前に出るとアレサを鞘から引き抜く。
案の定、茂みから現れたのはストルアン達だった。
「ストルアン殿! フィン、ニール!」
修介はそう声を掛けると、アレサを鞘に納めた。
「シュウスケ、無事か?! ロイは――お、おいロイ! 大丈夫か?!」
ストルアンは地面に倒れたロイに気付いて慌てて駆け寄る。
「たぶん寝ているだけなんで大丈夫です」
修介の言葉にストルアンはロイの顔に耳を近づけると、規則正しい寝息が確認できたのか、ほっとしたように息を吐いた。
「こっちの方から戦闘の音が聞こえてな、慌てて駆け付けたんだが、お前たちが無事で――」
そこまで言ったところで、ストルアンは修介のすぐ後ろにいる子供達の存在に気付いたようだった。
「つい先ほど保護しました。どうやらハース村の子供のようです」
修介は安心させるように男の子の頭を撫でる。
ストルアンはその男の子の顔をじっと見つめたまま動かなくなった。
先に口を開いたのは男の子のほうだった。
「もしかして……ストルアン兄ちゃん?」
男の子のその言葉にストルアンの体がびくっと震えた。
「お前……ジョナスさんのところの……トビーか?」
トビーと呼ばれた男の子は大きく頷いた。
「トビー!」ストルアンは一気に駆け寄るとそのままトビーの体を抱きしめた。
「よかった、無事だったんだな! よかった、本当によかった……」
「にいちゃぁあん!」
ずっと我慢していたのだろう。トビーはストルアンに抱きしめられると堰を切ったかのように大声で泣き始めた。すると、それにつられるように隣にいた女の子も大粒の涙を流して泣き始めた。
ストルアンは女の子を見ながらトビーに尋ねる。
「この子は?」
「いっ、妹だよぉ」
しゃっくりをあげながらも健気に答えるトビー。
「そうか……お前、兄貴になってたんだな。よく妹を守ったな、偉いぞ」
ストルアンはトビーの頭を激しく撫でまわした。そして女の子に向かって微笑むと目線を合わせるようにして顔を近づけた。
「名前は?」
「……アニー」
女の子は一度トビーの方を見てから小さな声で答えた。
「そうか、アニーか。いい名前だ。アニーもよく頑張ったな、もう大丈夫だからな」
そう言うとストルアンは両腕で抱えるようにして子供たちをもう一度抱きしめた。
修介は少し離れたところで黙ってその様子を見ていた。
この子達が生きていてくれたおかげで、どれだけストルアンの心の救いになったことだろうか。認めたくはないがこの子達を救ったあのエルフに感謝しないわけにはいかないようだった。
村に戻れば、この子達はつらい現実と向き合わなければならなくなる。そして、そのつらい現実を時間をかけて自らの力で乗り越えていかなければならないのだ。
修介にとってはしょせん他人事だったが、それでもこうして目の前で再会を喜び合うストルアン達を見て、この子供達の為に何か自分にできることはあるのだろうか、そんなことをぼんやりと考える。
それと同時に、先ほどのハース村の惨状を思い出し、今もまたこうしてこの世界の厳しい現実を見せつけられて動揺もしていた。はたして自分は妖魔が巣食うこの恐ろしい世界で本当に生きていけるのだろうか。そんな不安に押しつぶされそうになっていた。
「ふわぁぁぁぁ――あれ、なんで俺こんなところで寝てたんだ?」
大きな欠伸と共にロイが目を覚ました。
その様子を見て、ストルアンは呆れたように「まったく呑気なものだな」と苦笑いを浮かべる。
ロイはニールから差し出された手を掴んで立ち上がると、わけがわからないといった顔のまま再び大きな欠伸をした。そのだらしない顔を見て、フィンとニールはやれやれといった顔をしたが、子供達の顔には笑顔らしきものが浮かんでいた。
(とりあえずはこの子達を無事に本隊まで連れていくことからだな)
修介はそう考えながらも、まずはロイをからかうべく彼の元へと足を向けるのだった。
――その後、修介達は無事に本隊に合流。村の全滅を知った子供達は悲しみに打ちひしがれたが、ストルアンは自分が子供たちを引き取ると宣言する。
時間はかかるだろうが、ストルアンならきっと子供たちに笑顔を取り戻させることができるだろうと修介は思った。
翌朝、遠征部隊はグラスターの街へ向けて出発。
道中に妖魔と遭遇することもなく、二日後に無事帰還を果たした。
こうして修介の二度目の、そして最後となる郊外演習は幕を閉じたのだった。
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