第31話 死線

「うわぁぁ!」


 勝利の余韻は唐突な悲鳴によって引き裂かれた。

 声のした方へ振り向くと、フィンがオークに組み敷かれていた。

 オークの手はフィンの首に伸び、容赦なく締め付けていた。

 フィンは必死に抵抗しているが、まだ一四歳のフィンではオークの力に抗しきれるはずもなく、その抵抗は徐々に力を失っていく。

 修介は慌ててフィンの元へ走る。


(ちくしょう! また俺は自分のことしか考えていなかった! フィンはこれが初めての実戦だったんだ。俺以上に緊張していたはずなのに! わかっていたはずなのに!)


 オークと、そして自分への怒りで頭がどうにかなりそうだった。


「フィンから離れろクソがぁっ!!」


 修介はフィンの元へたどり着くや否や力いっぱいオークの横腹を蹴りつける。

 蹴られたオークはもんどり打ってそのまま地面を転がる。


「フィン!」


 修介は倒れたままのフィンに駆け寄ろうとするが、目の端でオークが起き上がろうとしている姿を捉えた。

 介抱するのは後回しだ――そう判断した修介はオークが完全に体勢を立て直す前に勝負をつけようとアレサを構えて飛び掛かった。


「くらえッ!」


 上段からの一撃はオークの肩から胸にかけて深々と食い込んだ。


(よし!)


 修介は自分の勝利を確信した。

 だが次の瞬間、オークは肩に剣が食い込んだまま修介に向かって凄まじい勢いで飛び掛かってきた。

 咄嗟のことで避けることもできず、修介は押し倒された。

 馬乗りになったオークは修介の首に手を伸ばす。

 両手で剣を持っていた修介はわずかに反応が遅れた。

 ものすごい圧力が首に掛かる。


「が、あッ!」


 修介はアレサから手を離しオークの手を引きはがそうとその腕を掴む。だが、オークの力は致命傷を負っているとは思えないほど強く、引きはがすことができなかった。

 喉が圧迫され呼吸がままならず、視界が端から徐々に暗くなっていく。顔中の血管から血が噴き出しそうだった。

 修介はオークの腕から手を離すと、再びアレサを掴み、そのままありったけの力を込めて押し込んだ。オークの傷口からは大量の血があふれ出る。

 だが、オークは死ぬどころか、さらに体重をかけて圧し掛かってくる。


(なんで……なんで死なないんだよッ!?)


 修介は必死にアレサを押し込む。

 オークは自ら剣を受け入れるかのようにさらに体重をかけて修介の首を絞めてくる。オークの顔は修介の顔の至近にまで迫っていた。下顎から生えた長い牙から血の混じった涎が垂れ、修介の頬に落ちる。それを汚いと思う余裕さえ修介にはなかった。

 オークと目が合った。その目は狂気に彩られ、自分の死を厭わず相手を殺すことしか考えていない獣のような目だった。

 修介はその目に恐怖した。

 その時点で修介の負けだった。

 意識が朦朧とする。


(俺はここで死ぬのか……)


 初勝利で調子に乗ってしまったのだ。だから油断した。

 昔から自分は調子に乗りやすい性格だった。異世界に転移しても人間はそうそう変われるものではなかった。お調子者の自分にふさわしい最期だと思った。

 アレサを掴む手から力が抜けていく――


『マスター!』


 アレサの声が響く。

 その声に失われつつあった修介の意識がわずかに覚醒する。


(……前にもこいつの声に救われたっけな……でも今回ばかりは無理っぽい……ごめんな、俺が死んだら良い奴に拾ってもらえよ……)


 修介は心の中でアレサに詫びた。

 だが、そこで唐突にアレサの仕様を思い出した。


(……まて、俺が死んだらこいつはどうなるんだ?)


 以前聞いた話では、アレサはマスター登録を行った人間としか意思の疎通ができないとのことだった。つまり、修介が死ねばアレサはこの世界でひとりぼっちになるのだ。

 完全に消えていた修介の闘志に小さな火が灯る。


(……そんなのダメだ……ダメだダメだ!)


 その火は徐々に大きくなり、やがて炎となった。


(それに俺は、まだこの世界で何もやりたいことをやってない! こんなところでオークごときに殺されてたまるかァッ!)


 修介は残った力の全てをアレサを持つ手に込めると、文字通り死ぬ気で押し込んだ。

 刃がオークの心臓にわずかに届いた。


「ブボァ!」


 オークの口から緑色の血が噴き出し修介の顔に掛かる。それと同時に首を絞めていた手の力がわずかに弱まった。


「フィ……ンッ!」


 絞り出すように修介は仲間の名を叫ぶ。それはほとんど声になっていなかった。


 ――ドンッ!


 突然、修介の手に衝撃が伝わってきた。

 ふいに掛かっていたすべての圧力が消える。

 覆いかぶさっていたオークの体が、スローモーションのように横に倒れていく。

 代わりに現れたのは、半泣き状態のフィンの顔だった。その手にはオークの血で汚れた剣が握られていた。

 修介は何かを言おうとしたが、全身が酸素を欲していてそれどころではなかった。肺に空気を送り込もうと必死に息を吸ったが、オークの血の匂いでむせてしまい余計に苦しくなった。


「だ、大丈夫ですか?!」


 フィンが慌てて修介を抱え起こし、背中をさすってくれる。

 しばらくして、なんとか呼吸ができるようになった修介は片手を上げて大丈夫であることを伝えた。


「し、死ぬかと思った……」


 実際に死の一歩手前までは行っていただろう。


「よかった……間に合ってよかった……」


 フィンはそう言うと膝から崩れ落ちるように座り込んでしまった。


「……マジで助かったよ。ありがとうな」


「い、いえ、元はと言えば僕がやられそうになったことが原因ですから……僕の方こそ礼を言わせてください」


 フィンはまっすぐな目で修介を見てくる。


「じゃあ、お互い様ってことで、貸し借りなしだな」


 修介はにやりと笑うと、人差し指で自分とフィンを交互に指差しながらそう言った。


「はいっ!」


 フィンは修介の笑顔に釣られるように笑みを浮かべた。




「――複数の訓練兵が負傷しましたが、死者は出ませんでした。負傷者のうち一名は足に重傷を負い現在手当を行っていますが、命に別状はなさそうです。報告は以上です」


 マシューはロルフから部隊の被害状況についての報告を受けていた。

 二〇体以上のオークとの戦闘で死者がひとりも出なかったことは訓練兵にしては上出来すぎる戦果だと言えるだろう。


「重傷者は誰だ?」


「二班のフレッドです。しばらくは歩けそうもありません」


「よし、手当を終えたらフレッドは荷馬車に乗せろ。一班、二班は周辺の警戒。三班、四班には出発の準備を急がせろ」


 マシューの指示にロルフはほんの一瞬だが何か言いたそうな表情をした。マシューにはロルフの言わんとしていることがわかっていた。


「死体を処理する時間が惜しい。たしかに妖魔の死体を放置するのは好ましくないが、かといってここでぐずぐずしているわけにはいかん」


「何か気になることでも?」


「オークがやって来た方角には何がある?」


 ロルフは思案顔を浮かべるが、すぐに答えに気付いて顔をあげる。


「ハース村!」


「そうだ。急いで向かうべきだろう」


「はっ!」


 ロルフが足早に立ち去るのを見送ったマシューは、地面のあちこちに転がっているオークの死体に視線をやった。

 数の割に手応えがなかったのは、オーク達がほとんど統率が取れておらず、士気も低かったことがその理由だった。おそらくオークにとってもこの遭遇戦は想定外だったのだろう。当初のロルフの見立て通り、オークは何者かから逃げていたのかもしれない。敗色が濃厚なオークが途中で逃げずに全滅するまで戦ったのも、これ以上逃げる場所がなかったからではないか、マシューはそう考えていた。

 問題は何から逃れようとしていたのかということだった。

 マシューは嫌な予感をひしひしと胸の内に感じていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る