第30話 遭遇
郊外演習は二日目に入り、遠征部隊は街道を外れて南下を開始。妖魔と遭遇することもなく順調にその日の行程を消化して予定通りに近隣の村へと到着した。
アレサとの関係は冷え切っていたが、遠征部隊の演習自体は順調に進んでいた。
村ではささやかながらも心のこもった歓迎を受けた。この村でも妖魔の目撃情報が増えているらしく、演習部隊とはいえ騎士の来訪は心強いのだろう。
三日目にはこの村からさらに南に一日ほど進んだところにあるハース村を訪れる予定となっていた。
修介はハース村がストルアンの故郷だという話を初日の夜に本人から聞いていた。「親と喧嘩して家を飛び出てから初めての里帰りだ。立派な騎士になって晴れて凱旋ってわけだ」と嬉しそうな顔で言っていたのが印象的だった。
そして迎えた演習三日目。
遠征部隊は目的のハース村まであとわずかというところまで来ていた。
最初に異変に気付いたのは先頭を行く一班に随伴している騎士だった。彼は視力が良く、見張り役として非常に優秀だった。
単独で少し先行して小高い丘の上から物見をしていたその騎士は、遠征部隊に近づいてくる集団の存在に気付いた。
「前方から複数の人影が近づいてきます! その数一〇以上!」
騎士は丘の上から大声でマシューに報告した。
それを聞いたマシューは素早く思考を巡らせる。街道から外れたこのような場所に村人や商人がいるとは考えづらい。一〇人以上の徒党を組んだ集団となると、野盗か妖魔の存在を想定すべきである。
マシューは馬首を返すと声を張り上げる。
「総員、戦闘準備!」
その声に反応して訓練兵達は慌ただしく動き出す。
マシューは騎士のいる丘まで馬を走らせる。
「ロルフ、人影の正体と正確な数はわかるか?」
ロルフと呼ばれた騎士は目を凝らして確認する。
「あれは……妖魔……オークです。数は増えています。二〇以上はいます」
その報告にマシューも目を凝らして前方を見る。ロルフの目は大したもので、マシューの目にはかすかに人の形をした黒い影にしか見えなかった。
「一班と二班で迎え撃つぞ! 三班は援護。四班は荷馬車の護衛だ。相手はオークだ。数は多いが訓練通りにやれば恐れる必要はない! 孤立しないようお互いの位置取りには気を使え!」
マシューは振り返って大声で素早く指示を飛ばすと自らも剣を引き抜いた。そしてあらためて近づいてくる妖魔の集団を見据える。
そこで初めてマシューは違和感を覚えた。
「何か妙だな……」
マシューのそれは独り言だったが、すぐ隣にいたロルフが頷いた。
「なんていうか、あれはこちらに向かっているというよりは、何かから逃げているように見えますね」
ロルフの言葉はまさに言い得て妙だった。妖魔の動きはバラバラでまるで統率が取れておらず、意気揚々と攻め込んでいるというよりは戦意喪失して逃げているようにしか見えなかった。
「まぁいい。どうせやることは同じだ。考えるのは暴れた後でいい」
マシューは不敵な笑みを浮かべた。
「総員、戦闘準備!」
隊長のその一言で修介の全身に緊張が走る。
相手はゴブリンではなくオークだと隊長は告げた。ゴブリン以外の妖魔と戦うのはこれが初めてだった。
(オークってどんな妖魔だったっけ?)
修介は頭の中の引き出しからオークについての知識を引っ張り出す。たしか豚面の低位妖魔だが、力はゴブリンよりはるかに強く脅威度も高い。
(大丈夫、今の俺ならやれるはず……)
修介はアレサの柄を握ると一気に引き抜いた。さすがにこの状況ではアレサも文句は言ってこなかった。
修介は自分の装備を確認する。身に付けているのは騎士のような金属鎧ではなく硬い革鎧だった。本来であれば鎧の下に鎖帷子を身に付けるのだが、鎖帷子は剣には有効だが打撃にはあまり効果がなく、妖魔は剣よりも打撃武器を好んで使う傾向があることから、今回は身に付けていなかった。他には金属製の籠手と脛当てを身に付けていたが、兜は視界が狭まるので装着していない。防御力より回避力に重点を置いた選択であった。背中には円形の盾を背負っていたが、アレサは普通の片手剣より少し重いので、修介は少し考えてから今回は盾は使わないことにした。
遠征部隊は小高い丘の上に陣取ると、妖魔の群れを迎え撃つ態勢を整える。
すでに妖魔は修介の位置からでもはっきりとその姿が確認できるところまで近づいてきていた。
修介は両手でしっかりとアレサの柄を握った。
「行くぞッ! 一班、二班は俺に続け!」
マシューの掛け声と共に、訓練兵達は
(死ぬなよ、レナード)
他人の心配をしている場合ではないのはわかっていたが、修介はそう願わずにはいられなかった。
オークと人間の集団はお互いに吸い込まれるように近づいていき、そして激しくぶつかった。
マシューは向かってきたオークを馬上からの一太刀で斬り捨てると、続けざまに二匹目のオークの脳天に剣を叩き込んだ。またたくまに二匹のオークが血煙を巻き上げながら大地に転がった。
少し遅れて徒歩の訓練兵達が到着すると、戦場はたちまち乱戦となった。
レナードが華麗な剣さばきで対峙したオークを圧倒する。全身を切り刻まれたオークは緑色の体液をまき散らしながら倒れた。
他の一、二班の訓練兵もさすがに成績上位者だけあって個々の実力ではオークを上回っていた。
オークは次々と倒されていき、その数は着実に減っていた。
(この調子なら、俺の出番はないかも……)
修介は自分が戦わなくても済むかもしれないという事にわずかに安堵していた。この演習の目的を考えると本末転倒だったが、修介は命がけで戦うことへの覚悟を、まだこの世界の人間ほど強く持ってはいなかった。アレサが聞いたら「だから言ったじゃないですか」と言われそうだが、戦わなくて済むのならそれに越したことはなかった。
だが、そんな修介の都合などオークには関係なかった。
最初に突撃してきたオークの集団とは別の集団が戦場を大きく迂回して近づいてくるのが見えたのだ。
「べ、別の集団が背後に回り込もうとしています!」
フィンが悲鳴に近い声でそう報告する。
前線はすでに三班も巻き込んでの乱戦となっており、対処できるのは四班しかいない状況だった。
ストルアンは修介達に向かって不敵に笑ってみせる。
「よぉし、落ちこぼれの四班が大活躍するときが来たぜ。味方が背後を突かれないよう俺たちが対処するぞ」
その言葉に修介の心臓がどくんと大きく撥ねた。
「俺とロイ、それからシュウスケで突っ込むから、フィンとニールは援護だ」
「「はい!」」
本音を言えば自分が援護に回りたいところだったが、そんなことは口が裂けても言えなかった。修介にも年長者としての意地がある。
「心配しなくてもほとんどは俺が片づけてやるし、お前らも訓練通りにやれば勝てる。だが、無理だけはするなよ? 勝てないとわかったら逃げろ。騎士の誇りがどうこうなんてのは生き残った後でいい。お前らは何がなんでも生き残れ!」
ストルアンはそう言って訓練兵達を見回すと、安心させるように笑みを見せた。その表情には「この人がいれば大丈夫だ」と思わせてくれるような力強さがあった。
「よし、続けッ!」
ストルアンの掛け声に「おうっ!」と答えながら修介は全力で走り出す。
だがすぐに自分の体の違和感に気が付いた。
全身が妙にふわふわして力が上手く入らないのだ。
何度も模擬戦を繰り返し、何千回と素振りをして身体を鍛えてきたというのに、走っている自分の体がまるで自分の体ではないようだった。視野も極端に狭くなっていて周りがよく見えない。
(なんだよこれはっ!?)
このまま力を発揮できずに俺は死ぬのだろうか、そんな不安に駆られる。
『落ち着いてください。マスターなら大丈夫です』
手元からアレサの声がした。
アレサのいつもの通りの平坦な声。だが、その声のおかげで修介は少し落ち着くことができた。心なしか視界もクリアになった気がする。向かう先のオークの姿がはっきりと見えた。
一匹のオークが修介の接近に気付き、汚らしい雄叫びを挙げながら向かってくる。
(ここまできたらやってやる!)
修介も負けじとやけくそ気味な雄叫びを挙げて先頭のオークに斬りかかった。
オークは手にした棍棒でその一撃を受けると、力任せに押し返してきた。
修介は後ろに飛んでその勢いを殺す。
オークとの間に距離ができる。
修介は両手でアレサを正眼に構えると全力疾走で乱れた息を整える。
(大丈夫だ、俺は大丈夫だ)
心の中でそう繰り返す。
今度はオークが手に持った棍棒を大きく振りかぶって襲い掛かってくる。
だがそれはレナードの鋭い連続攻撃に比べたら欠伸が出そうなくらい遅かった。
(そんな大振りが当たるかよ!)
左のステップでその一撃を躱すと、棍棒を持つ右腕に狙いすました一撃を見舞った。何度も何度も訓練で繰り返しやった動きだった。
「プギャッ!」
オークは悲鳴をあげると棍棒を地面に落とした。
修介はそのまま動きを止めず、オークの横をすべるように駆ける。
(いけるッ!)
修介の脳内にこの世界にきてからの記憶が走馬灯のように流れる。
ホブゴブリンに殺されそうになり、ランドルフに一瞬で剣を飛ばされ、筋肉達磨にボコボコにされ、ハーヴァルに圧倒され、模擬戦では伝説の二五連敗を喫した。敗北に彩られたこの世界での短い歴史。だが、すべての敗北は今この瞬間の為にあったのだ。
(すべてはこの勝利の為にッ!)
すれ違いざまの横薙ぎ一閃――
修介の剣は正確にオークの首を捉えていた。
オークは首筋から緑色の体液を勢いよく噴き出すと、そのままゆっくりと仰向けに倒れた。
「――っしゃあッ!」
修介は思わずガッツポーズした。
ハーヴァルがその姿を見たらさぞ激怒したことだろう。戦場で気を抜いてはいけないことを頭では理解していた。生き物を殺して喜ぶことへの抵抗感もなくはなかった。
それでも、心の底から湧き上がってくる魂の咆哮を抑えることができなかった。
この勝利は世界になんの影響も及ぼさないささやかなものだろう。
だが、修介にとっては違った。
命をチップにし、自らの意志で挑み、努力して手に入れた力を駆使して勝ち取った、初めての勝利だった。
修介はこの世界に来て、初めて自分が生きていることを実感したような気がした。
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