第28話 義兄弟
修介が焦るのには訳があった。
話は一ケ月ほど前に遡る。
ようやく訓練についていけるようになり、宿舎での生活にも慣れてきた修介はひとつの問題に直面していた。
有り体に言うと若返ったせいで性欲を持て余していたのだ。若い頃の旺盛な性欲を取り戻したことに最初こそ喜んだが、インターネットもないこの世界ではエロ画像を漁ることもままならず、日々悶々とするようになり困っていた。
そんなある日、修介はちょくちょく飲みに誘ってくるブルームに酔った勢いでそのことをポロっと言ってしまったのだ。
てっきり笑われると思っていた修介だったが、ブルームは予想外に真剣な表情で話を聞いてくれて、おまけにお薦めの娼館まで教えてくれた。
「神職の人がそんなところに行っていいの?」と尋ねる修介にブルームは「神は寛大だからだいじょーぶ」とやたらと自信満々に言ったものだ。
修介も前世では人並みに女性好きだったし、それなりに女性経験もあったが、転移してからの修介はもちろん童貞であった。この世界で童貞という称号が不名誉なのかどうかは知らないが、捨てられるものならさっさと捨ててしまいたかった。それにこの世界の西洋の顔立ちをした美女に興味があったし、ついでに言うとこの世界の娼館にも興味津々であった。
だが、実際に娼館に行くことにはかなりの抵抗があった。なんといっても病気が心配だったからである。この世界では前の世界ほど医学が発達していない。娼館での行為にはかなりのリスクがあると思っていたのだ。
酔いとは恐ろしいもので修介はそのこともブルームに聞いた。するとブルームは不思議そうな顔をしてから「そんな心配はいらん」と言った。
ブルームによるとこの街では公娼制度が導入されており、領主の許可を得た娼館には必ず性愛の神を信仰する癒しの術の使い手が常駐しているそうなのだ。それなりに高い料金が発生するが、万が一病気になっても金さえ払えば治療が受けられるのだという。
それを聞いて修介は驚いた。性愛の神は娼館を利用して性病にかかった人間の治療に力を貸してくれるというのだ。割と神様を冒涜しているような気がするのだが……修介がそう感想を述べると、ブルームはまたしても「神は寛大だからな」の一言で片づけてしまった。性愛の神はとても大らかな神様なのか、それとも人間の営みに興味がないのか、どちらかだろう。
一気にハードルが下がったことで、修介は俄然娼館に行く気満々になっていた。
訓練兵の身の上で娼館に行くことに多少の後ろめたさはあるが、聞けばブルームも訓練兵時代に普通に娼館に行っていたらしい。修介は偉大なる先人に倣うことにした。
そんなわけで、具体的な計画を立てる。
日中は訓練があるから無理。夜間の外出もおいそれとはできない。となると休みの日に行くしかないわけだが、訓練場での生活は自由時間が多い反面、決まった休みというものが存在していなかった。訓練が終わった後にダッシュで行くという方法もあったが、それだと体力的にきつそうだった。
そんな八方ふさがりの状況で降って湧いてきたのが郊外演習であった。郊外演習の前日は休みになるのが通例なのだ。
実戦が想定される郊外演習では可能性は低いとはいえ死ぬこともありえる。初めて郊外演習に参加する修介ならなおさらである。
(この世界で童貞のまま死ぬのは嫌だな)
そう考えた修介は郊外演習の前日に決行することを決めたのだった。
決行日当日。修介はアレサに内緒で宿舎を出た。いつもなら街に繰り出す時には必ずアレサを持っていくのだが、今回ばかりはそういうわけにはいかない。さすがにアレサを傍に置いたまま事を致すのは勘弁願いたかった。
とはいえ、さすがに丸腰だと心もとないので、訓練場の剣をこっそり拝借することにした。バレたら大目玉だが、気付かれないうちにそっと戻しておけば問題ないだろう。
街に入るとブルームに教えてもらった娼館への道を何気ない顔をして歩く。やや早歩きになってしまうのは気が逸っている証拠だった。
娼館の近くまできたところで、ふと前方の建物の陰に見慣れた背中を発見した。
ロイである。
同じことを考えた馬鹿がもうひとりいたのだ。
ロイはあからさまに挙動不審だった。必要以上にきょろきょろと周囲を見回しており、あのままだと衛兵に目を付けられかねない。
修介は声を掛けるかどうか迷ったが、放っておいてこちらに飛び火しようものなら目も当てられないので、近づいて行って声を掛けることにした。
「よう、奇遇だな」
声を掛けられた瞬間ロイは文字通り飛び上がって驚いたが、相手が修介だとわかるとほっとした表情を浮かべた。
「いきなり声を掛けるなよ、心臓が止まるかと思ったぞ……」
「お前、こんなところで何してるんだ?」
娼館にお忍びで遊びに行くという立場的にはまったく同等なのだが、先に声を掛けたことで精神的に優位に立っていた修介はあえて咎めるような口調で訊いた。
「そ、そういうお前こそ、なんでここにいるんだよ?」
「質問に質問を返すなよ。お前、ここがどういう場所か知ってるのか?」
当然知っているだろうが、あえて修介は尋ねる。
「さ、さあ?」
ほっとしたのもつかの間、自分がこれから成そうとしていることを思い出したのか、ロイは明後日の方を向きながらごまかそうとした。
「こんなところに入ろうとしているところを衛兵に見つかってハーヴァルのおっさんに報告でもされた日にはどうなるんだろうな?」
ロイは想像したのか、みるみる真っ青な顔になって修介にしがみついてくる。
「お、お前まさかチクるつもりじゃないだろうな? そんな
修介はさすがに脅かしすぎたかと反省し、苦笑しながらロイの肩に手を置いた。
「アホか。よく考えてみろ。どうして俺がここにいると思う?」
しばらくきょとんとした顔をしていたロイだが、修介の言わんとすることを理解したのか、突然声を荒げる。
「もしかしてお前もか!?」
「シーッ! でかい声を出すな」
修介は慌ててロイの口をふさぐと周囲を見渡した。どうやら誰も修介達のほうを注視してはいないようだった。
「同志よ、どうやら目的は同じらしいな。であるならば共に参ろうではないか」
修介はロイの肩に手を回すとにやりと笑った。
「そんなこと言うけどお前、こんなところに行っていいのか? シンシアお嬢様と良い仲なんじゃないのか?」
「……」
その名前は修介が今一番聞きたくない名前だった。別にシンシアとは恋人でもなんでもないわけだから修介が娼館に行くことになんら問題はないはずなのだが、シンシアの好意を知っているだけに罪の意識はゼロではなかった。
が、それはそれこれはこれである。
「いやいや領主様のご令嬢と俺ごときがそんなことあるわけないだろう? アホなこと言うな……でもこのことは絶対に秘密だぞ?」
「わかってるよ。正直言うと、俺もひとりで入るのは少し怖かったんだよ。一緒に行ってくれるなら助かるよ」
「わかるぞ。誰だって最初はビビるよな」
ロイの言葉に修介はうんうんと頷いた。
「お前、こういったところに来たことあるのか?」
修介の態度にロイは疑問を口にした。
「え、ないよ? 今回が初めてだ」
「それにしては随分と余裕だな?」
修介はこの世界で娼館に行くのは初めてだったが、前の世界では普通に風俗くらい行っていたので、精神的な抵抗感は皆無であった。四三歳の独身貴族を舐めないでもらいたいと胸を張りたいところだが、よく考えなくても自慢できるようなことではなかった。
「まぁこういうのは勢いだからな。深く考えずにぱぱっと行こうぜ」
修介は軽い口調でそう言うと、ロイと肩を組んだまま娼館の入り口を目指して意気揚々と歩いていく。
「お前たち、こんなところで何をしている?」
突然の背後からの声に修介達の足が止まる。
修介がブリキ人形のような動きでゆっくりと振り返ると、そこには見慣れた格好の衛兵が立っていた。
修介とロイは今度は蝋人形のように固まって動けなくなった。
「お前たち訓練兵だな。ここがどういうところかわかっているのか?」
衛兵は厳しい表情を浮かべながら、ついさっき修介がロイにした質問と同じことを聞いてきた。まさに因果応報である。
(最悪だ――)
修介は己の迂闊さを呪った。
別に娼館に行くことが罪なわけではないのだが、かといって堂々と行って褒められるような場所でもない。ハーヴァルの耳に入れば相応の罰が下されるだろうし、万が一シンシアに知られようものなら大惨事になりかねなかった。目の前の衛兵が職務熱心な人物なら屋敷に報告くらいは入れるかもしれない。
純粋なシンシアがこのことを知ったら間違いなく修介は不興を買うだろう。最悪宿舎を追い出されるかもしれない。ランドルフが知れば喜々としてそうするだろう。それがわかっているのなら娼館なんぞに行くなよと自分でも思うが、若いリビドーは時に正常な思考を奪い去るのだ――と修介は偉そうに開き直る。
いやそれどころじゃない。
修介は頭をフル回転させてこの場をどう凌ぐか考えるが、すぐにこの状況では言い逃れのしようがないことに気付く。
(詰んだな……)
修介はため息をついて、衛兵に素直に頭を下げようとしたその時――
「あーすいません、彼らは僕の連れです」
いつのまにかロイの隣にひとりの男が立っていた。
「レナード!? お前なんでこ――」
ロイが驚いて声を上げるのを片手で制してレナードは衛兵に話しかける。
「僕の連れが何か失礼を働きましたか?」
「きさま……い、いやあなたは確かフォークナー男爵の……」
「はい、フォークナー家の次男、レナードです」
品の良い顔立ちに年齢の割に落ち着いた物腰のレナードは、柔和な笑みを浮かべて衛兵に名乗る。
「こ、これは失礼致しました。それで男爵のご子息がこのようなところで何を?」
「今日は訓練が休みなので、父の仕事を手伝っているのです。彼らにはその手伝いをお願いしていたんですよ」
「お仕事……ですか?」
衛兵の目はあからさまに怪しんでいる目だった。
「ええ、街の治安に関することで少々……お疑いのようでしたら父に確認を取っていただいても結構ですよ」
レナードはまったく動じた様子も見せずに笑顔のままでそう言った。ちなみにレナードの父がこの領地で内政を担当しているというのは修介も知っていた。
「い、いえ、そういうわけではございません。場所が場所だっただけに念のため声を掛けただけでして……貴族の方のお連れ様とは知らずとんだ失礼を……」
慌てた様子で頭を下げる衛兵にレナードは鷹揚に頷いて答える。
「いいんですよ。若い訓練兵がこんなところにいれば疑いたくなるのも当然ですから。それに今は僕も一介の訓練兵ですから、そんなにかしこまらなくても大丈夫ですよ」
「い、いえそういうわけには……」
「それでは、僕たちはまだ用事の途中ですから」
「はっ! お仕事中に大変失礼いたしました!」
衛兵はびしっと音が出そうな敬礼をすると足早に去っていった。
衛兵の姿が角を曲がって見えなくなったところで、修介とロイは溜まっていた息を吐き出した。
こういった場面を目撃すると、この世界の身分制度の厳しさを実感するな、と修介は感心していた。貴族と平民とではこうも扱いが異なるのだ。
「さ、さすが貴族様だな……助かったよ、ありがとう。でもあんなこと言って大丈夫なのか? あの衛兵が本当にお父上に確認したら大変なことにならないか?」
本来であればこういう口を利くのも許されないのかもしれないが、修介が知っているレナードはあくまでも同じ訓練兵としてのレナードだけなので、いきなり口調を変えるのは無理だった。
「大丈夫だよ。貴族といってもうちは歴史の浅いしがない下級貴族だからね。仮に父上の耳に入ったとしてもそんな大事にはならないよ。そもそも僕は次男で爵位を継ぐわけじゃないしね」
レナードは軽い口調で言った。
「いや、助かったよレナード。一時はどうなることかと思ったよ……」
ロイはレナードの肩に気安く手をかけながらほっとした表情を見せた。
「それで、ふたりはなんでこんなところにいるの?」
ロイの手をさりげなくほどきながらレナードが問いかけてくる。表情こそ柔らかいが、そこには逆らい難い迫力があった。
事ここに至って嘘をついても仕方ないので修介は素直に話すことにした。
「い、いやな、郊外演習前に戦意高揚を目的としてだな、ここは一発景気よく童貞を捨てようかなと思ったわけでして……」
「そ、そうそう景気よくな!」とロイも追従する。
「なるほど、面白いことを考えるね」
レナードは興味深げに頷く。
「そ、そういうレナードこそどうしてこんなところにいるんだよ。まさか本当に仕事ってわけじゃないだろ?」
「ああ、ただ単に君たちがここ数日やけにそわそわしていたから気になっててね。そうしたらふたりとも同じような時間にいそいそと出掛けていくのが見えたから、つい興味が湧いて追いかけてきたんだよ」
「なんだそりゃ……」
こともなげに言うレナードだったが、普通はそんなことしないだろう。よほど暇だったのだろうか。レナードという少年にはどこか浮世離れした感じがあると修介は前々から思っていたが、ここまでとは予想していなかった。
そんな修介の困惑などどこ吹く風といった様子のレナードは、さらに修介を困惑させる一言を放つ。
「せっかくだから僕も一緒していいかい?」
「「はあ?」」
修介とロイの声は見事にハモった。このいかにも腐女子受けが良さそうな美少年がこともあろうに一緒に娼館へ行くと言うのだ。レナードも年頃の男子なわけだから別におかしなことではないのだが、イメージとあまりにもかけ離れ過ぎていた。この純朴そうな少年の純潔を娼館ごときで散らしてしまっていいのか、そんな無意味な葛藤まで生まれる始末であった。
とはいえ助けてもらった手前、無下に断るのも忍びない。
「お前、ここがどういうところかわかってるのか?」
「いやだから童貞を捨てる場所なんでしょ? さすがに何をするかぐらい知ってるよ」
「そ、そうか……」
「ほらほら、ぐずぐずしているとさっきの衛兵が戻ってくるかもしれないでしょ。さっさと行こう」
レナードはそう言いながら修介とロイの背中をぐいぐいと押してくる。その得体の知れない迫力に気圧されて、修介とロイはなし崩し的にレナードの同行を許すことになってしまった。
「三人で同じ日に童貞を捨てるなんて、まるで義兄弟になったようだね!」
嫌な義兄弟だな、と修介は思ったが、嬉しそうなレナードの顔を見て口にするのはやめておいた。
こうして三人はブルームお墨付きの娼館で無事に童貞を捨てることに成功した。
(いいのか? 本当にこれでいいのか?)
修介は事の最中も混乱したままだった。
身体はすっきりしたが、頭はすっきりしないままだった。そしてそれはロイも同じようだった。
だが、この日の出来事ををきっかけに修介とロイとレナードの三人は、まるで義兄弟のように急速に仲が良くなったのはたしかであった。
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