第27話 行軍

 郊外演習当日の早朝、修介はアレサを伴って街の西門へとやってきた。

 空は昨日までの快晴が嘘のようにどんよりとした雲に覆われており、まるで今日からの演習にケチをつけられているようであまり良い気分がしなかった。

 西門の前にはすでに随伴する騎士達を始め、他の訓練兵達も大半が集合しており、いつもの穏やかな朝の風景とは違って物々しい雰囲気を醸し出していた。

 周辺には訓練兵の見送りと思しき家族の姿以外にも、不安げに様子を窺う住人の姿もちらほらと見受けられた。妖魔が増えているという噂は街の住人の間にも広まっているようで、気になって様子を見に来たといったところだろう。


「よし、演習に参加する訓練兵は集合しろ!」


 隊長の一言で修介たち訓練兵は西門の前で整列する。

 今回の遠征部隊を指揮する隊長はマシュー・アシュクロフトという名の貴族出身のベテランの騎士で、堅実な部隊指揮能力と面倒見の良さで部下からの信頼が厚いともっぱらの評判であった。

 前回の演習の指揮官は二〇代の若い騎士で、修介の目から見てもあまり頼りになる隊長とは言えなかったので、今回の隊長の人選には少し安堵していた。騎士団の上層部もそれだけ今の西の状況を憂いているのかもしれなかった。


「班長は自分の班の準備の最終確認を行え。出来た班から順次配置に付け。すぐに出発するぞ!」


 マシューの指示で四班の班長であるロイが班員たちに視線を向ける。修介はロイに向かって黙って頷くと、他の班員達もそれに倣った。


「よ、よし。四班準備完了です!」


 ロイは大声で隊長にそう告げる。緊張のせいかわずかに声が震えていた。

 ロイが班長ということに修介は若干の不安を覚えていた。ロイは四班の中では修介と同い年であり、演習参加経験も豊富であることから今回班長に選ばれたのだが、班長となったのは今回が初であった。彼は普段はお気楽なのだがプレッシャーに弱いという側面があり、模擬戦でも重要な試合ではたいていつまらないミスで負けていた。

 ちなみに修介が班長でないのは単に経験不足で頼りにならないからで、実は他人の事をとやかく言えるような立場ではなかった。


「あんまり緊張を表に出すなよ。年少組が不安になるだろうが」


 修介は小声でロイに耳打ちする。


「わ、わかってるよ。わかってても緊張しちまうんだから仕方ねーだろ。お前こそ前回の時のような無様は晒してくれるなよ? 今回は俺も自分のことでいっぱいいっぱいだからお前のフォローまでできねーぞ」


「安心しろ。同じ轍は踏まん。今回は入念に予習復習をしてきたからな」


 修介は親指を立てて自信ありげに言った。初めて参加した前回の郊外演習では勝手がわからず右往左往していた記憶しかなかった。火の起こし方から野営の準備に至るまで何一つ知らなかった修介は、同じ班だったロイに色々と面倒をみてもらってなんとか演習を乗り切ったのである。

 初めての郊外演習を恥辱にまみれながら終えた修介は、その後アレサに頼み込んで訓練後に密かに演習の為の練習をしていたのであった。


「そこまで言うなら初参加のフィンの面倒も見てやってくれよな」


「任せろ」


 そう言って修介は自分と同じ班になった訓練兵達に目を向けた。四班には修介とロイ以外にも二名の訓練兵がいる。


 ひとりは先ほど名前が出たフィン・ルーペルという一四歳になったばかりの少年で、郊外演習への参加は今回が初となる。彼もレナードと同じ下級貴族の出だが、六人兄弟の末っ子ということで、どこかおどおどした感じの大人しい性格の少年であった。


 もうひとりは小柄な体格の少年で、名をニールという。性格は明るく活発で剣の腕前も悪くないのだが、一五歳という成長期に入っても身体があまり大きくならず模擬戦でも体格負けすることが多いという不憫な少年であった。

 中身が四三歳である修介から見たら彼らは自分の子供といっても差し支えのない年齢である。前回はそんな余裕がなかったが、今回は年長者として少年達を可能な限り守ってやらねばならないと修介は考えていた。


「よし。君たち四班は荷馬車の護衛だ。配置につくぞ」


 傍で様子を見ていたひとりの騎士が修介達に声を掛けてくる。ストルアンという若い騎士だった。

 遠征部隊には随伴として騎士五名が参加しており、各班には騎士がそれぞれ一名ずつ付き、有事の際にはこのストルアンが修介達四班の指揮を執ることになる。

 演習には水や食料、野営の為の荷物等を運搬する荷馬車が二台用意されており、修介達四班は主に荷馬車の管理や護衛を担当することになっていた。

 修介達はストルアンの後に付いて荷馬車の傍へと移動する。

 準備を終えた各班も所定の位置についていく。

 隊列は成績優秀な一班と二班が先行して、その後ろを二台の荷馬車とそれを護衛する四班が続く。最後尾で三班が後方の警戒を行うという配置になっていた。馬に騎乗するのは騎士の五名だけで訓練兵達は徒歩での行軍となる。


「かいもーん!」


 マシューの掛け声で閉ざされていた西門が大きな音を立てて開いていく。

 開かれた西門から見える街道の景色はいつもと同じはずなのに、曇り空のせいかどこか不気味な気配が漂っているような気がした。

 修介は軽く頭を振って嫌な気持ちを振り払う。


「よし、出発!」


 マシューの号令で遠征部隊は街の住人達からの激励の声を背に受けながら西を目指して街道を進み始めた。

 修介にとって二度目の、そして生涯忘れられない郊外演習が始まった。




 グラスターの街から西に五日ほど旅をするとアルベスト領があり、いま修介達が進んでいる街道はキルクアムの街と繋がっている。

 キルクアムの街はトラウエン湖という巨大な湖のほとりに作られた街で、湖からとれる湖魚を使った料理が有名であった。

 グラスターの街とキルクアムの街は街道が繋がっていることから盛んに交易が行われており、普段であれば街道を行きかう行商人達の姿を頻繁に見かけるはずなのだが、街を出てから数時間ですれ違った行商人は片手で数えられる程度であった。


「道行く行商人の数が少ないのは、やっぱり妖魔が増えているっていう噂が影響してるんだろうな」


 修介は先を行くロイの背中に向かって声を掛ける。


「だろうな」


 ロイは前を向いたままそっけなく答える。その様子からかなり緊張していることが伝わってくる。

 そんな調子では五日間も持たないと思うのだが、かく言う修介も同様に緊張していて、ロイに声を掛けたのもそれを和らげたかったからだった。

 修介はそれ以上ロイに声を掛けることを諦めて周囲を見渡した。部隊全体からもどことなくピリピリとした空気が感じられる。

 視線の遥か先に森の姿が見えるが、あの森の中にももしかしたら妖魔は潜んでいるのかもしれない。そう思うと緊張で手に汗が滲んでくる。


「そんなに緊張しなくても、街にほど近いこんな場所で妖魔はそうそう現れないさ。油断していいわけじゃないが、気を張りすぎると五日間も持たないぞ」


 修介達の様子を見かねたストルアンが苦笑いしながら声を掛けてくる。


「不安なのは村や集落で暮らす人々だ。その人たちを安心させるために赴くのに、俺達が必要以上に緊張していたら村人たちが安心できないだろ?」


 ストルアンの言葉に修介達は生真面目に頷いた。


「俺達の仕事は至って簡単だ。現地に行って、そこに妖魔がいたら斬る。いつもと何も変わらないさ」


 ストルアンはそう言うと馬の速度を少し上げて隊列の前の方に移動していった。


 遠征部隊はこのまま一日ほど街道を西に進み、そこから南へと方向を転じてソルズリー平原へと向かう予定となっていた。

 ソルズリー平原は広大で肥沃な土地で、いくつかの村や集落が点在して農耕を営んでいる。遠征部隊はそういった村や集落を廻りながら妖魔に関する情報収集や治安維持を行うのだ。

 途中で何度か休憩を挟みながら街道を西に進み続けた遠征部隊は日暮れ前にその日の行軍を終え野営の準備に入った。

 街道から少し外れた平原に天幕を張り、かがり火をたく。夜番は各班が交代で行う予定となっており、修介達四班は一番最後だった。


 簡単な夕食を終えた修介達は天幕の外でたき火を囲むようにして休んでいた。

 休憩を挟みながらとはいえ緊張しながら丸一日歩いたため体は疲れていた。明日以降のことを考えれば早めに休むべきなのだろうが、すぐに眠れるような気分でもなかった。

 すでに日は落ちていて、野営地の周辺は闇が支配する世界となっていた。

 今にもあの闇の向こうから妖魔が襲い掛かってくるのではないかという妄想が頭にこびり付いて離れない。


 この世界の夜は深い。灯りが途絶えることがなかった現代日本での生活に慣れていた修介にとってこの世界の夜は暗すぎた。特に今日のような分厚い雲が覆った空では星の光も大地には届かず、頼りはかがり火と目の前のたき火の炎だけだった。

 修介がこの世界に来て二ケ月以上経つが、夜の深い闇だけはいまだに慣れることができずにいた。

 落ち着かないのは修介だけではないようで、他の訓練兵達もどこか不安げな様子で黙ったまま座っていた。


「なんだ、随分と静かだな。俺らが訓練兵だった頃は郊外演習の夜は馬鹿話で盛り上がったものだったけど、最近はそうでもないのか?」


 ストルアンがいつの間にかやってきて「よっこらせ」とたき火の前に座り込んだ。


「いや、なんと言いますか、そういう気分になれないというか……」


 ロイが抱えた膝の上に頭を乗せたままの姿勢で歯切れの悪い返事をする。騎士に対して失礼な態度であったが、ストルアンは特に気にしていないようだった。


「まぁ気持ちはわかるけどな。こんな状況下での郊外演習なんだ、緊張しないほうがおかしいよな。俺もこう見えて結構緊張してるんだぜ? 緊張のあまり整列するときに思わず訓練兵の列に並んじゃったくらいだからな」


 ストルアンはおどけたような口調でそう言ったが、余裕のない修介達はそれが冗談だと気付くのにかなり時間が掛かってしまった。

 訓練兵達の反応がいまいちだったのが気に入らなかったのか、ストルアンは自分の過去の失敗談や騎士団での面白話を身振り手振りを交えながら次々と披露していった。

 ストルアンはなかなかの話し上手で、いつの間にか修介達は彼の話に聞き入っていた。フィンやニールも時おり声を出して笑い、ロイも本来の調子が出てきたのか、ストルアンの話に乗っかっては冗談を言って場を盛り上げる。


 修介はストルアンの気配りに感心していた。若いのに周囲がよく見えている。二〇歳だった頃の修介では到底できない芸当だった。というより今の修介でも無理だろう。

 ロイに年少組のフォローを任されておきながらこの体たらくである。今も昔も修介は自分のことだけで精一杯だった。四三歳の自分にない余裕が目の前の二〇歳そこそこの若者にはあるのだ。比べたところで意味がないとわかってはいるのだが、こうしてこの世界の人間との差を実感する度に、自分の前の人生が無価値なものだったのではないかと、そう思えてくるのだ。


(あーいかんいかん、すぐに自分を卑下するのは俺の悪い癖だ。深く考えずに、俺は俺にできることをやろう)


 修介は下がっていく一方の気持ちを無理やり上向きに修正する。それがこの世界に来てからの何十回と繰り返してきた思考パターンだった。


 気が付くと場の話題はストルアンが酒場の看板娘にフラれた話からの流れで女の話題に移り変わっていた。若い男連中が車座になっているのだ。そうなるのも当然であった。

 ロイは鼻息荒く、フィンやニールも顔を赤らめながらも興味津々といった様子で話に聞き入っている。

 そして話がストルアンが初めて娼館に行った時の話になったところで、修介の頭の中に警報が鳴り響いた。


(これはまずい……)


 修介にとってこの話題はとてつもない地雷だった。

 この流れだと、間違いなくお調子者のロイはをこの場でするだろう。それは修介にとって非常にまずい事態を引き起こすことになる。


「――それでしたら俺の話も聞いてくださいよ!」


 ストルアンの話が終わったところで、案の定ロイが手を挙げた。


(こいつやっぱり言うつもりだ!)


 修介はロイを止めようと手を伸ばしかけたが、場の空気がそれを躊躇わせた。

 せっかく緊張が和らいで良い雰囲気になっているのだ。ここで修介が話を止めるようなことをすれば、せっかくの雰囲気が台無しになる。

 用を足すとでも言って中座するという選択肢もあったが、このタイミングでそれをするのも感じが悪いだろう。

 こうなったらなんとか話が軟着陸するよう上手く誘導するしかない。修介は祈るような気持ちでロイの話に耳を傾けた。

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