第三章

第20話 訓練兵

 八月の日差しが容赦なく肌を刺激する。

 夏草で彩られた緑の大地を生ぬるい風が駆け抜けていく。その風はゆるやかに体を撫でるが、火照った身体から熱を奪い取るには少々力不足のようだった。

 手に持った剣の柄が汗で滑りそうになり、修介は剣を握る手に力を込めた。

 日本にいた時の夏と比べれば暑さはそれほどでもないとはいえ、日差しは十分に強く、額からは間断なく汗が流れてくる。それを手の甲で拭いたい衝動に駆られるが、集中を切らさぬよう目の前の男の一挙手一投足に意識を集中する。

 男が姿勢を低くした。


(来る!)


 男の鋭い突きが胸元をめがけ繰り出される。

 十分予想できていたその一撃を、左手に持った盾で弾き返すと、相手の剣が引くタイミングを見計らって右手の剣を叩き込む。

 男はいとも容易くその一撃を盾で受け止めた。

 ならばと続けざまに剣を繰り出すが、男は上体を捻っただけでそれを躱すと、今度は剣をすくい上げるようにして強烈な斬撃を放ってきた。


「ちっ!」


 修介は反撃を諦め、後ろに下がって体勢を立て直そうとした。

 だが、相手の男はそれを許さなかった。流れるような動きで一瞬にして距離を詰め、素早い連続攻撃を繰り出してくる。

 初撃を盾で受け止め、二撃目の突きはかろうじて剣ではじいた。だが三撃目の横払いは間に合わず、転がるようにして躱した。追撃を牽制するために起き上がりざまに剣を横なぎで振るうも、男にあっさりと躱された。

 修介は受け身に回ると不利だと判断して、今度は積極的に前に出た。そのまま五合ほど激しく打ち合う。刃を潰した訓練用の剣とはいえ、当たり所が悪ければ痛いでは済まない。恐怖で腰が引けそうになるのを、意志の力でねじ伏せる。

 力は自分の方が上だと判断した修介は、全身でぶつかるように剣を叩きつけた。

 その強烈な一撃を盾で受け止めた男は、勢いを殺しきれずにわずかだがバランスを崩した。


(チャンス!)


 修介はすぐさま追撃を試みる――が、それは罠だった。

 男はバランスを崩したように見せかけ、再びすくい上げるような一撃を修介の剣に向けて放った。

 好機に気が逸った修介の剣は軽く、男の巻き込むような払いに絡めとられると、あっけなく宙を舞った。

 次の瞬間には、剣の平でとんとんと肩を叩かれていた。




「くっそぉ!」


 修介は悔しさを隠そうともせずに空を仰ぐ。

 見上げた空は憎らしいほどに青く澄み渡っていた。


「残念だったね。これで僕の一六勝一敗だ」


 たったいま修介を打ち負かした男は剣を引いてさわやかな笑みを浮かべた。

 男、というよりはまだ少年といった顔立ちである。

 名をレナードと言い、修介よりひとつ年下の一六歳。グラスター領で内務を担当する男爵家の次男で、騎士になるべくこの訓練場で訓練を積む騎士候補生であった。幼い頃より剣の修練を積んでいるらしく、その腕前は先ほどの結果が物語っていた。下級とはいえ貴族の生まれだが、修介に対しても横柄な態度を取らず、色々と面倒を見てくれた数少ない人物でもあった。


「最後のフェイントに引っかかったのは勝負を急ぎすぎたね」


「罠だという可能性が頭の中になかったわけじゃないんだよ。でも目の前の好機につい反射的に飛びついちまった」


 修介ははじき飛ばされた剣を拾う。

 この剣はアレサではなく、刃を潰した訓練用の剣である。まさか訓練でアレサを使うわけにもいかないので、今は自室で留守番をしてもらっている。ここに来た当初は『つまらないです』と散々文句を言われたが、こればかりは仕方がなかった。


「でも、その前の連撃を全部いなされるとは思わなかったよ。相変わらず反応いいよね。まぁそれがわかっているから対策も立てられるんだけど……」


「悔しいが今回も完敗だな……やっぱ強いな、レナードは」


 言いながら、修介は近くに転がっている木桶を手に取った。模擬戦で負けた者は近くの湖まで水を汲みにいくというペナルティがある。それほど距離があるわけではないが、負けた悔しさを抱えながら水で満たした木桶を持って帰ってくるのは肉体的にも精神的にも堪える行為であった。


「なんだ、シュウスケ。またレナードに負けたのかよ」


 別の男が揶揄するように声を掛けてきた。

 修介と同じ訓練兵のロイであった。年齢は修介と同じ一七歳。レナードと違い平民の出で、実家はグラスターの街で武具などを作っている鍛冶屋だった。剣の腕前はレナードに比べると劣るが、訓練場に来るまでは王都の鍛冶屋で修行していたらしく、武具の知識や扱い方には長けていた。

 将来的には家業を継ぐつもりらしいが、一流の武具職人になる為には、まず武具の扱い方を知らなければならないという親の教育方針の元、こうして訓練場に送り込まれたとのことだった。

 親からは一端の剣士になるまでは帰ってくるな、とも言われているようで「そのまま騎士になって帰ってこなかったらどうするつもりなんだろう」と修介は思ったが、他所様の家庭の事情に口を出すつもりはなかった。


「うるせーよ、ロイ。またとはなんだ。この前は俺が勝ったっての!」


 修介はロイを睨みつけながらそう言った。


「この前って、あの大雨が降った翌日のやつだろ? レナードが泥に足を取られて体勢を崩したところを容赦なく狙ったっていう」


「地形を利用した高度な戦術だ。そもそも実戦では、泥に足を取られたから負けた、なんて言い訳は通用しないんだからな!」


「それはまあその通りだね」


 修介の言葉にレナードが真面目な顔で頷いた。


「その一勝以外は全敗のくせに」


「お前も似たようなもんだろうが!」


 実際、修介はロイがレナードに勝ったところを見たことがなかった。


「へっ、いいからさっさと水汲んでこいよ」


 ロイはしっしと追い払うように手を振った。

 修介は、お前から声かけてきたんだろうが、と言い返そうとしてやめた。向こうで教官が怖い顔をしてこちらを睨んでいたからである。

 仕方なく両手に木桶を持ち、湖に向かって小走りで移動を開始した。のんびり歩いたりしようものなら教官に何を言われるかわからなかった。




 ――修介が訓練場の宿舎に身を寄せてから二か月以上が経っていた。

 訓練場に来た当初の修介はその過酷な訓練内容にまったくついていくことができなかった。なかでも鎧を身に付けての長距離走やロープを使った登攀、湖での水泳などの基礎体力訓練はことごとく途中で力尽きては教官の怒声を浴びた。いくら若返ったとはいえ、元々の体力不足は若さだけで補えるものではなかった。

 訓練用の剣を使った模擬戦でも連戦連敗。負けるたびに木桶を持って湖との往復を強いられる為、余計に身体がきつかった。

 おまけに突然訓練に参加し始めた謎の人物という特殊な立場と、独特な外見が周囲に壁を作ってしまっていた。直接的な嫌がらせこそ受けなかったものの、積極的に声を掛けてくる者もおらず、完全に浮いてしまったことから精神的にもきつかった。

 唯一の救いは、全員ができるまでは訓練が継続される、といった連帯責任制ではなかったことだ。もしそうであったのなら、足を引っ張る修介は間違いなく虐められただろう。身分の差があるこの世界で貴族の子弟に目をつけられたらと思うと背筋が凍る思いであった。

 そして教官であるハーヴァルも話に聞いていた以上に厳しかった。劣等生の修介に対しては特に厳しく、訓練課目が終わらない修介を罵倒し、時には文字通り尻を叩き、吐こうが泣こうがわめこうが一切容赦しなかった。

 後で聞いた話だが、ハーヴァルにはこんな逸話があった。


 その昔、訓練の厳しさに耐えかねた貴族の子弟が、自分の父親の地位を笠にきてハーヴァルを脅したことがあった。元々その貴族の子弟は尊大な発言が多く、訓練中の態度も良くなかった。父親の存在をちらつかせればハーヴァルは自分を恐れ、言うことを聞くだろうと考えたのだ。

 だが、ハーヴァルの反応は想定とは大きく異なるものだった。


「いいだろう、きさまの御父上に好きに言うがいい。だが、きさまの大好きな御父上は、これからこの場できさまが直面する危機にいったい何をしてくれるんだ?」


 ハーヴァルは凄みのある笑顔を浮かべると、その貴族の子弟を容赦なく叩きのめした。相手が抵抗できなくなっても殴り続け、数人がかりで止めなければならないほどだったらしい。

 ハーヴァルの恐ろしさを身をもって知ったその貴族の子弟はすっかり大人しくなり、以降はまじめに訓練を行うようになったという。

 ハーヴァルは相手の身分に応じて態度を変えたりしない男だった。誰に対しても公正で容赦がなかった。また、自分が領主に信頼されており、いくら貴族でも簡単に自分に手を出せないことを知った上で立ち回れる強かさも持ち合わせていた。


 そんなハーヴァルの元、修介は毎日の訓練で身も心もぼろぼろになり、何度も逃げ出そうかと考えた。

 そうしなかったのは、見ず知らずの自分に世話を焼いてくれたシンシア達への恩義と、アレサの投げやり気味な励ましの言葉、そしてわずかだが心に芽生えた充実感だった。

 修介がここまで何かに必死になったことは前世でもなく、若い肉体が徐々に訓練に適応していくことも、わかりやすくモチベーションにつながっていた。

 最初の数日を根性だけで乗り切ると、一週間が経った頃には身体も慣れ、なんとか訓練についていくことができるようになっていた。

 だが、訓練にはついていくことができるようになってきたが、相変わらず修介は周囲から孤立していた。元々それほど社交的な性格ではないということもあるが、この世界の一般常識に疎く知識が不足していることから、ボロが出ることを恐れて積極的に他の訓練兵に話しかけなかったことも要因だった。

 唯一、当初からレナードだけは修介のことを気にかけてくれたが、それ以外の訓練兵とはまったく交流がない状態であった。


 そんな状況の修介に転機が訪れたのは、訓練開始から十日ほどが経ったある日のことだった。


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