第19話 訓練場

 アルフレッドの死で屋敷内はざわついていた。

 この二日間で修介の体調は回復していたが、また街に出ようという気にはなれなかった。

 アルフレッドの死に何の責任もないことは頭では理解しているのだが、どうしても自分がこの世界に来たせいで死んでしまったのではないかという罪悪感が拭えなかった。


「シンシア、悲しんでいるだろうな……」


 この屋敷に来てから結局一度もシンシアには会っていなかったが、あの心優しい少女が弟の死に心を痛めていることは想像に難くなかった。

 会って元気付けてあげたい気持ちはあったが、こういった場合、シンシアの心の傷が癒えるには時間が必要だろうと修介は思っていた。それは修介自身が四三年の人生で何度も悲しい別れを経験してきたからわかることであった。

 あるいはシンシアの気持ちに寄り添ってあげられる人がいれば、彼女が立ち直るきっかけになるのかもしれないが、それはこの世界に来たばかりで彼女のことをよく知らない修介には無理な話であった。

 時が経てばシンシアは自分の力で立ち直るだろう。自分は彼女が再び会いにきてくれた時に笑顔で迎えればいい。修介はそう考えていた。



 そんな修介に会いに来たのは、まったく別の人物だった。


「君の宿舎入りの日取りが決まった」


 部屋を訪れて早々、ランドルフはそう告げた。


「ありがとうございます。それでいつですか?」


「今日だ」


 アルフレッドの死からまだ間もないというのに随分と急だな、と修介は思ったが、逆に屋敷内がざわついているこの状況で、いつまでも異分子を置いておきたくないだけなのかもしれなかった。


「わかりました……でも随分と急ですね?」


「実のところ元々この日を予定していたのだが、アルフレッド様のことで屋敷内がごたついていてな、君に伝えるのが遅くなってしまったのだ。申し訳ない」


「いえ、大変な時にお手数をかけてしまい、こちらこそ申し訳ないです」


「……」


 ランドルフが不思議そうな顔で修介を見ていた。


「……何か?」


「いや、君は年齢の割に随分と大人びた話し方をするのだな、と思ってな」


「そ、そうですかね?」


 前にブルームにも似たようなことを言われたことを修介は思い出す。変に怪しまれないためにも少し砕けた話し方をしたほうがいいのだろうかと考えたが、長年染み付いた癖はそう簡単に直せそうもなかった。


「早速で悪いが、訓練場の宿舎まで案内するので、荷物を持って付いてきてくれ」


 そう言うとランドルフは部屋から出て行った。

 修介は慌ててまとめておいた荷物とアレサを手に取り部屋を出る。部屋を出る際に、短い間だったが快適に過ごさせてもらった部屋に向かって頭を下げた。


「わざわざランドルフさんが案内してくれるのですか?」


 修介はランドルフの後ろに付いて歩きながら声を掛ける。


「君のことは私にも責任があるからな。むろん不審な行動をしないよう監視する意味合いもあるが……実のところ単にお嬢様に頼まれたからだ」


 ランドルフはぶっきらぼうにそう言った。


「……お嬢様は大丈夫ですか?」


「君が気にかける必要のないことだ」


 ランドルフは冷たく言い放つ。だが、すぐに大人げないと思ったのか、咳ばらいをひとつしてから「今は部屋でお休みになられている」とだけ付け加えた。


 屋敷の中庭には馬車が用意されており、修介達はそれに乗り込んだ。わざわざ馬車を用意してくれたのは、おそらく修介が馬に乗れないことを知っての気遣いだろう。

 馬車は街の西門を目指し、ゆっくりとしたペースで進む。

 修介は窓の外を眺めながら考える。

 シンシアのことはもちろん心配だったが、今は他人の事より自分の事だった。

 これから本格的に身体を鍛えることになる。

 前の世界でも真剣にスポーツに打ち込んだ経験がない修介にとって、訓練場での訓練がどういったものなのか想像つかなかった。若返ったとはいえ、特に肉体を鍛えていたわけではない自分が訓練についていけるのかも未知数だった。


「ランドルフさんも訓練場で訓練した経験があるんですか?」


「ある。……というより、この領地の騎士であれば、ほぼ全員が訓練を受けたことがあるだろうな」


「であれば、どのような訓練をするのか、ぜひ伺っておきたいのですが……」


「不安か?」


「それはまぁ……」


「まぁ、気持ちはわかるがな」


 ランドルフはそう言うと訓練について簡単に説明してくれた。

 それによると、訓練場では剣術、槍術、格闘術といった戦闘訓練、走ったりよじ登ったりといった基礎運動訓練、そして乗馬訓練などを主に行うらしい。そのほかにも訓練に訪れている騎士たちの身の回りの世話や武具の手入れ、馬の世話などの雑用。街の巡回や街の外の哨戒なども活動内容に含まれているそうだ。


「最初のうちは大変だろうが、慣れてくれば楽にこなせるようになるはずだ」


「慣れるまでが大変そうですけどね……」


 そう言った修介を見て、ランドルフは唐突に顔を近づけると目を細めて言った。


「いいか、これだけは忘れるな。途中で逃げ出したりしたら君自身の恥というだけでは済まん。お嬢様の顔にも泥を塗ることになる。それだけは許さんからな」


「わ、わかりました」


 ランドルフの迫力に圧倒され、修介は神妙な面持ちで頷いた。



 西門から街を出た馬車は街道沿いを少し進み、途中で小さな森の小道に入る。

 森の中を進むと途中で木々が途切れ、大きく開けた場所に出た。

 そこにはこの場には不釣り合いな立派な屋敷が建っており、少し離れた場所には小さな湖もあった。

 馬車は屋敷の前で止まる。ランドルフに降りるよう促され、修介は荷物を手に馬車を降りた。


「随分と立派なお屋敷ですね。あまり宿舎という感じがしませんが……」


 修介は屋敷を見上げながら言った。


「元々は王族の方々を領地にお招きした際に利用していただくための別荘だったのだが、街から少し離れていることもあってあまり利用されなくてな……。領主様がそれならいっそのこと訓練場の宿舎にしてしまおうとおっしゃられて、今では宿舎として使われているわけだ」


「なんていうか豪快な話ですね。でも、湖のそばの別荘なんて景観が良さそうだから少しもったいない気もしますね」


「まぁな。だが、訓練場で預かる者のなかには貴族の子弟もおられるからな。宿舎があまり貧相な建物だとそれはそれで問題なんだ」


「なるほど……」


「宿舎の一階が訓練兵たちが寝泊まりする大部屋になっているが、貴族の子弟には二階に個室が用意されている」


 こういったところにも身分の差は顕著に表れるのだな、と修介は思った。


「ちなみに、今回はお嬢様の特別な計らいで、君には個室に入ってもらうことになる」


「えっ、いいんですか?」


「本来ならいいわけないんだが、事情が事情だからな。記憶もなく自分の出自も満足に説明できん男を大部屋に放り込むわけにもいくまい」


「なんか気を使っていただいて申し訳ないですね」


「そう思うのならさっさと腕を上げて出て行ってもらいたいものだな」


 ランドルフは本気とも冗談とも取れる顔でそう言った。


「……言われなくともそうなるよう努力しますよ」


 そう言い返した修介だったが、シンシアの心遣いに深く感謝していた。慣れない異世界でいきなり他人との共同生活は正直避けたいと思っていたのだ。色々と学ばなければならない身としてはひとりの時間が作れるのはありがたかった。

 とはいえ、ここまで特別扱いされてしまうことに後ろめたさを感じてもいた。いくら命の恩人とはいえ普通ここまでしてくれるものだろうか。何か裏に事情があるのかもしれないが、考えたところで答えがでるわけでもなかった。


「この屋敷の裏の道から訓練場へ行けるようになっている。屋敷に荷物を置いたらさっそく教官のところへ行くとしよう」


 ランドルフはそう言うと屋敷へと入っていったので、修介も後に続いた。



 訓練場はだだっ広い平原だった。

 所々に訓練用の木偶でくや弓矢の的のようなものが立ててあったが、それ以外には特に目につくものはなかった。

 領主の息子が亡くなったからか、どうやら今日は訓練は行われていないらしく、訓練場に教官の姿はなかった。

 屋敷に戻って下働きの者に教官の居場所を確認したところ、今日は湖で釣りをしているという情報を得たので、ふたりは湖へと足を延ばした。

 確認もせずに訓練場へ修介を連れて行ってしまいバツが悪かったのか、ランドルフは移動中は終始仏頂面だった。

 小さいと思っていた湖は奥行きが結構あり、近くで見ると随分と大きかった。湖の向こう岸には木々が生い茂っており、さらにその奥には切り立った崖が見える。

 湖のそばに釣り糸を垂らしながら胡坐をかいて座っている男がいた。ランドルフは迷わずその男に近づく。どうやらその座っている男が目的の教官のようだった。


「ハーヴァル殿」


 ランドルフは男に声を掛けた。

 声を掛けられた男は体の向きはそのままに首だけで振り返った。


「おう、ランドルフか」


 男はいかつい顔をしていた。肌は浅黒く、長い年月をかけて深く刻まれた皺に、短く刈り込まれた灰色の髪とが相まって、歴戦の戦士といった風格を醸し出していた。年齢は不詳だが、生前の修介より年下ということはなさそうだった。


「先日お話しした例の若者を連れてまいりました」


「お、そうか。どれ……」


 ハーヴァルと呼ばれた男はゆっくりと立ち上がると、こちらに向かって近づいてくる。よく見るとわずかだが片足を引きずっているようだった。


「ん? この足が気になるか?」


 修介の視線に気づいたのか、ハーヴァルは片手でぽんと足を叩く。


「あ、いえ……」


「昔、妖魔との戦いで膝に矢を受けてしまってな」


 修介はそれを聞いて思わず盛大に吹き出しそうになったが、すべての精神力を使ってその凶行を食い止めた。


「ハーヴァル殿は長年ここで教官を務めておられるが、かつては騎士として妖魔との戦いでも活躍された歴戦の戦士だ」


「よせよせ、そんな昔の話。今はただ若い奴をしごくのが生きがいのじじいだよ」


 ランドルフの言葉にハーヴァルは笑って返す。

 ハーヴァルは自分の事をじじいと言ったが、服の上からでもその肉体は鍛え上げられていることがわかる。彼に軽く叩かれただけでも宙を舞ってしまいそうだった。修介はさっき吹き出さなくてよかったと心から思った。


「明日から訓練に参加させます。せいぜい鍛えてやってください」


「よ、よろしくお願いします」


 ランドルフの言葉に続いて修介は頭を下げる。

 ハーヴァルはそんな修介をじっと見据える。


「また随分と甘っちょろそうなやつが来たものだな……。まぁいい、口よりもこいつで訊いたほうが早いか」


 そう言うとハーヴァルはおもむろに腰から剣を引き抜いた。


「えっ?」


 修介はあっけにとられる。


「どうした? さっさと抜け。どんなものか見させてもらおう」


 突然のことに修介は慌てふためく。ランドルフに視線を向けると、ランドルフは黙って頷いた。どうやらここで立ち合いをしなければいけないらしい。まさかこんなところで人と剣を交えることになるとは思ってもみなかった。

 修介は仕方なくアレサを鞘から抜いて構えた。

 その姿を見て、ハーヴァルは奇妙な物を見たという表情を浮かべた。


「きさま、武芸の心得は?」


「あ、ありません……」


 修介の答えにハーヴァルは「なるほどな」と呟いた。


「名はなんという?」


「シュウスケです」


「変わった構えに変わった名前か……面白いな」


 ハーヴァルはくくっと笑うと、剣を肩に担ぐように無造作に構えた。


「よし、とりあえず思いっきり打ち込んでこい」


「えっ?」


 こっちは素人だし舐められるのも仕方がないと修介は思っていたが、アレサの切れ味は本物だ。ハーヴァルはかなり腕に自信があるのだろうが、万が一にも当たってしまったら痛いではすまされない。そう思うと、修介は打ち込むことができなかった。

 戸惑う修介にハーヴァルはにやっと笑うと「いいからさっさと打ち込んでこい」とはっぱを掛けた。

 これ以上ためらっていても状況は変わりそうもない。


(自己責任だからな!)


 修介は心の中でそう言うと、全力でアレサをハーヴァルに打ち込んだ。

 ハーヴァルはその一撃を片手で持った剣でいとも簡単にはじいてのけた。

 さらに修介は二度、三度と立て続けに打ち込んだが、どれも軽くいなされる。

 ダメ元でゴブリンを倒したバッティング戦法を使ってみたが、それもあっさりと防がれた。おまけにバランスを崩したところに足を払われて無様に地面を転がった。

 修介は追撃を恐れてすぐさま起き上がる。

 だが、ハーヴァルは悠然と構えているだけで、追撃する気はないようだった。


「はぁはぁ……」


 修介は早くも肩で息をしていた。


「なんだ、体力もないのか」


 呆れ顔でハーヴァルは言うと、今度はゆっくりと正面に剣を構えた。


「それでは今度はこっちから行くぞ。なに寸止めにしてやるから安心しろ」


 そう言うや否や、ハーヴァルは踏み込んで修介の胸元に鋭く剣を突き出す。

 修介は必死に身を捩りながらその一撃を躱した。

 突きを躱されたハーヴァルは驚いたように「ほう」と呟くと、今度は無造作に斬りかかってきた。

 修介は咄嗟にアレサで受ける。


「ぐぅっ!」


 ものすごい力で押し込まれ、そのまま片膝をついてしまう。たいして力を入れているようには見えないのに、押し切られないようにするだけで精一杯だった。

 すると突然ハーヴァルは素早く後ろに飛びのいた。掛かっていた圧力がなくなって修介はバランスを崩す。

 次の瞬間には喉元に剣が突き付けられていた。

 とても片足を引きずっている男の動きとは思えなかった。


「まぁこんなものか」


 息ひとつ乱さずにハーヴァルは言うと、剣を鞘に戻した。

 修介は両手両膝をついて「ぜぇぜぇ」と息を切らすだけで何も言えなかった。

 立ち合いの前に「万が一にも当たってしまったら」などと考えた自分が滑稽だった。万が一などあるはずがなかった。ハーヴァルと修介にはそれほどの実力差があった。

 自分の弱さを痛感して、修介は落ち込んだ。

 悔しいと思えるほど努力したわけでもないし、そもそもこっちは素人なのだから勝てるはずがない。そう頭では理解していても、情けなさで顔を上げることができなかった。


「剣の握り方すら知らない素人の割に、反応だけは悪くないな」


 そう言うとハーヴァルは釣り竿の元に戻り、再び胡坐をかいて座った。

 修介はようやく息を整えて立ち上がると、ハーヴァルに遠慮がちに「あの……」と声を掛ける。


「明日は早朝から訓練場に来い」


 ハーヴァルは振り返らずに、話は終わりだとばかりに手を振った。


「それでは自分はこれで失礼します」


 ランドルフはそう言って頭を下げると踵を返して屋敷の方へと歩き出した。


「し、失礼します」


 修介も慌てて頭を下げランドルフの後を追った。



 宿舎に戻る道すがら、ランドルフが修介の方を見ずに話しかけてきた。


「どうだった?」


「どうだったって言われても……まったく歯が立ちませんでしたよ」


「それは当然だろう。あの人は怪我で引退するまでは領内でも一、二を争う実力の騎士だったからな」


 そんなん勝てるわけないじゃん、と修介は心の中で文句を垂れる。


「まるで岩のようでしたよ。全力で打ち込んでもびくともしませんでした」


「それはあんなへっぴり腰の剣では仕方がないだろう」


 ランドルフのその言葉に修介は黙り込んだ。事実なのだろうが、あらためて言われると結構くるものがあった。この世界に来てから修介は最初にゴブリンを倒して以降、連戦連敗だった。

 元々自信なんてなかったが、こうまで無力だと男としてのプライドに傷がつくのは当然のことだった。


「だが、ハーヴァル殿の初撃を躱したのは見事だった。ただの素人ならあの一撃は普通は躱せない。しっかり鍛えればそれなりの戦士にはなれるかもしれんな」


 ランドルフは今度は修介の方を向いてそう言った。

 修介は思わず立ち止まってランドルフを見た。その顔は少なくともお世辞を言っているようには見えなかった。

 どうやらまったく才能がないというわけでもないらしい。

 調子に乗りやすい性格の修介は、褒められたことで早くも気持ちが上向いていた。


「わかりました。お嬢様に恥をかかせないよう頑張ります」


「ぜひそうしてくれ」


 修介の立ち直りの早さを見てランドルフは軽く笑った。

 修介はアレサの柄を握りながら決意を新たにしていた。

 自分がどこまでやれるかわからないが、この世界で生きていく以上、ここで戦い方を学ばなくては何も始まらない。

 やられっぱなしなのも癪だから、せめてここを出ていく時には、あのハーヴァルから一本取るくらいはしないと気が済まなかった。


「よし!」


 修介は両手で頬を叩くと、前を向いて歩き出した。

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