第18話 白いハンカチ
背の低い男だった。体つきはがっちりとしており、まるで酒樽の上に顔が乗っているようだった。丸っこい顔には髪の色と同じ赤銅色の髭が生えており先端は綺麗に揃えられていた。
「ドワーフだ……」
修介は初めて見るドワーフの姿を、男の足にまとわりついたまま呆然と眺めていた。映画やアニメで見たドワーフのイメージそのままだった。
ドワーフの乱入でローブの女が慌てて魔法の詠唱を止める。
宙に輝いていた文字はまたたくまに掻き消えた。
突然の出来事に場にしばしの沈黙が訪れる。
最初に口を開いたのは、やはりドワーフだった。
「こんな往来で魔法を使うやつがあるか! 何を考えておるんだ!」
ドワーフはローブの女を睨むとそう言った。
「だってこの男が――」
「だっても何もない。街なかで癒しの術以外の魔法を使うことが禁じられているのはおぬしも知っておろうが、この馬鹿者が!」
ドワーフの怒声にローブの女はびくっと身体を竦めた。
「ノルガドか……」
男がドワーフを睨みながら苦々しく呟いた。
ドワーフは今度は男に視線を向けると、大きくため息をついた。
「ゴルゾ、またおぬしか……。あまりつまらぬ騒ぎを起こすな。事情はあえて訊かんが、暴れたりぬと言うのであればワシが相手をしてやってもよいが、どうするかの?」
ドワーフは目を細め、いつでも動けるように足を軽く開いた。
それを見て修介は巻き込まれないよう慌てて男の足から離れた。
男は黙ってドワーフを睨んでいたが、しばらくすると「チッ」と舌打ちをした。
「やめとくわ。この女にてめぇとやりあうだけの価値はないだろうからな」
「なんですってぇ!」
男の言葉にローブの女が激昂しかけたが「やめんか!」というドワーフの一言で渋々と振り上げた杖を下ろす。
男は修介を一瞥すると「ふんっ」と鼻を鳴らしそのまま去っていった。
男が角を曲がりその姿が見えなくなって、ようやく修介は息を吐いた。
安心した途端、全身が焼けるように痛んだ。かなり派手に蹴られていたのだから当然だろう。またしても人に助けられてしまったことに情けなさを覚えたが、逆に危険な目に遭う度に助けが入るというのは幸運なことなのかもしれなかった。
「えっと、助けていただきありがとうございます」
修介はドワーフに向かって座り込んだまま頭を下げた。
「お若いの、喧嘩を売るなら次からは相手をよく見てからにするんじゃな。ついでに言うとな、助ける
「ちょっと!」
ドワーフの言葉にローブの女が抗議の声を上げるが、そのあとの言葉は続けず、すぐに修介の傍に駆け寄ってきた。
今までじっくり見る余裕がなかったので気付かなかったが、あらためて見ると綺麗な女性だった。年の頃は二〇歳前後だろうか。涼やかな目元に、すっと通った鼻筋、薄いがみずみずしい唇、調和のとれた顔立ちは間違いなく美人のそれであった。結っていない赤みがかった艶やかな長い髪は、ローブの女の動きに合わせ美しく波打っていた。
「大丈夫?」
ローブの女は屈みこんで修介の顔を覗き込む。上目遣いのその表情にはかなりの破壊力があったが、修介は四三年の人生で培った意志力を総動員して顔に出ないようにした。
「とりあえず、これ使って?」
そう言ってローブの女は白いハンカチを修介に差し出した。
修介はシミひとつないハンカチを汚してしまうことに一瞬躊躇したが、ここで断るのも変だと思い直し素直に受け取った。
「どうも……」
修介は頭を下げ、ハンカチを顔に当てる。すぐに白いハンカチに赤いシミができた。
それを見たローブの女はすまなさそうな表情を浮かべる。
「……ごめんね。まさかこんなことになるとは思わなかったの。だって、あなたってばあんなに颯爽と近づいてきて、しかも良さそうな剣を下げていたから、てっきり腕が立つんだとばかり思って……」
修介はグサッと特大の剣が自分の胸に刺さる音を聞いた。たしかに自分でも身の程を考えずに軽率な行動を取ったと反省していたが、まさか助けようとした相手にそんなことを言われては黙っていられなかった。
「いやいやいや! こっちは紳士的に話し合いで解決しようとしたんだよ! それなのに君があんなこと言うからこんなことになったんじゃないか!」
実際のところ修介はノープランで近づいていったので、そんな偉そうなことが言えた義理ではないのだが、それをわざわざ正直に言う必要はない。
「あんなことって?」
ローブの女は首を傾げる。
「うぉい! 君が俺のことを恋人で強いとか適当な嘘を吐くから、あの男が憤慨してこっちに絡んできたんでしょうが!」
修介の言葉にドワーフが「そんなこと言ったのか」と呆れたように呟く。
「私は嘘は言ってないわよ」
「どこが!」
「あれは『将来恋人になる可能性がわずかにでも存在している男』を略しただけよ」
「超絶嘘っぱちじゃねーか!」
「確かに、強い、の部分は大嘘になってしまったわね……その点は悪かったわ」
再び修介の胸に特大の剣が突き刺さる。
修介は大人げないと自覚していたが、マグマのように湧き上がる怒りを制御することができなかった。
「だいたい何が、将来恋人になる可能性、だよ! そんな可能性微塵もあるわけないだろうが! 頭の中がお花畑なんじゃないのか?」
「なによその言い方! こっちだってあんな脳筋馬鹿に負けるような軟弱坊やは願い下げよ!」
「あんな筋肉お化けに普通勝てるわけないだろうが!」
「少しは頭を使いなさいよ! あんな脳筋、いくらでも倒す方法があるでしょ。あなたこそ頭の中に蝶々でも飼ってるんじゃなくって?」
頭を使え、の一言で修介は大事なことを思い出した。
「そうだ、あの魔法! あれ俺も巻き込もうとしてなかったか?!」
修介の言葉にローブの女が一瞬「あっ」という表情を浮かべた。
「そ、そんなことあるわけないでしょ! ちゃんと対象から外してたわよ」
「なんでどもるんだよ!」
「うるさいわね! 男のくせにいちいち細かいこと気にしてるんじゃないわよ!」
「なんだと!」
「なによ!」
「あーもうやめんかみっともない!」
ドワーフが強引にふたりの間に割って入る。
「そもそもわしがちょっと目を離した隙におぬしが勝手にいなくなったのが悪いんじゃろうが」
ドワーフはローブの女を睨む。
「だって、珍しい毛色の猫がいたからつい……」
猫を追いかけるのに夢中になるとか子供か、と修介は心の中でツッコミを入れる。自分が迷子だった事実は遥か遠くの棚の上に放り投げていた。
「だいたいなんでゴルゾの奴に絡まれたんじゃ。あやつは粗野で粗暴だが、理由もなく人に絡むような奴ではない」
「そ、それは……」
ローブの女は言いよどむが、ドワーフの無言の圧力に耐えられなくなったのか、仕方なく口を開いた。
「私が猫を追いかけるのに夢中になってたら、杖があの男の持っていた杯に当たっちゃって、そのせいでお酒がこぼれちゃったのよ」
「……それだけか?」
「で、私は謝ったのに、あの男がいやらしそうな顔でお詫びに酒に付き合え、とか言ってくるもんだから、つい『あなた自分の顔を鏡で見たことある? 生まれ変わって出直してきなさい』って言っちゃったの……」
ドワーフはもう何度目かわからないため息をついた。
修介は「この女アホだ」と思ったが、それとは別に「あ、この世界にもちゃんと鏡があるんだな」と全然関係ないことも考えていた。
「おぬしはもう少し思慮深く行動することを学ばねばならんな」
「……わかってるわよ」
ドワーフの言葉にローブの女は不貞腐れたように口を尖らせてそっぽを向いた。その表情は普通に可愛らしいな、と修介は思った。
ドワーフは修介のほうに向きなおると、手を差し伸べてきた。
修介は一瞬、握手と勘違いしたが、自分が座り込んだままだということに気付いて、慌てて差し出された手を掴んで立ち上がる。
「どうやらおぬしには迷惑を掛けたようじゃの。こんな娘じゃが、こやつの祖母から面倒を見るよう頼まれておってな、助けてくれて感謝する」
「い、いえ、助けたというか助けられたというか、微妙なところですが……」
「そうよ、どっちかというと私が助けた側よ!」
「おぬしは黙っておれ!」
ドワーフの怒声にローブの女は首を竦める。
「仮にも身体を張っておぬしを守ろうとした男に対してその言い方はないじゃろう。たとえ弱くてもその勇気は称えられるべきものじゃ」
「あの、その言い方も地味に傷つくんですが……」
修介は情けない声で主張した。
「おっと、すまんかったな。とにかくあらためて礼を言うぞ」
「いえ、なんとなくやられ損だった気がしないでもないですが、淑やかで見目麗しい女性を守ることができて満足ですよ」
ローブの女への皮肉のつもりでそう言ったのだが、当のローブの女は『見目麗しい』の部分にまんざらでもなさそうな表情を浮かべており、「やっぱりこいつアホだ」と修介は思った。
「ところで、怪我のほうは大丈夫かの?」
ドワーフの言葉に修介はあらためて身体を触って確認しようとしたが、動かそうとした部位に痛みが走り、思わず「いてて」と声が出てしまった。
それを見たローブの女が「ねぇ、この人に癒しの術を掛けてあげたら?」と言い、それを受けたドワーフは「うぅむ」と唸る。
このドワーフもブルームと同じ癒しの術を使えることに修介は驚いた。ブルームは選ばれし者だけとか言ってたが、意外と使える人は多いのかもしれない。
「仕方がないの。本来であればむやみやたらに使うものではないのだが、おぬしの恩人だし、やむを得んか」
ドワーフはそう言うと修介に向かって手をかざそうとした。
修介は慌ててそれを押しとどめた。
「いえ、大丈夫です! そこまでしてもらうほどではありません。唾でもつけときゃ治りますから!」
「唾?」
ドワーフが怪訝な顔をする。
どうやらこの世界には唾を付けとけば治る、という民間療法はないようだった。
「あ、いえ、ほんと大丈夫ですから。魔法はむやみに使っちゃいけません!」
修介は必死に断る。以前にブルームに癒しの術を使ってもらった時は、傷口を塞ぐために気絶までさせてしまったのだ。今回もそうなるとは限らないが、また同じ結果になってしまったら面倒なことになりそうなので、修介としては断らざるを得なかった。
幸い鼻も蹴られた箇所も骨折はしていなさそうだったし、痛みは我慢できるレベルだった。
「まぁそこまで言うなら無理にとは言わんが……」
ドワーフは怪訝な表情を浮かべながらもかざした手を引いた。
「お気持ちだけ、ありがたく頂戴しておきます」
「……代わりと言ってはなんだが、これを受け取っておいてくれ」
そう言ってドワーフは懐に手を入れると数枚の銀貨を取り出し、それを修介の手に握らせた。
別に金の為にやったわけではないが、この場合は素直に受け取っておいたほうが、あと腐れもなく終わりそうだと判断し、修介は大人しく受け取ることにした。お礼を言うのもおかしいと思ったので「どうも」とだけ言った。
「ほれ、おぬしも礼を言わんか」
ドワーフはローブの女に向かって促した。
「……悪かったわね。そ、その、庇ってくれたことにだけは感謝するわ」
ローブの女はそっぽを向いたままそう言うと、修介の返事を待たずに歩き出した。
「やれやれ……ではワシもこれで失礼する」
修介は黙って頷くと、ドワーフは足早にローブの女を追いかけていった。
気が付くと周囲に人影はなくなっており、薄暗い路地には修介がひとり取り残されていた。
「はぁ、なんだったんだよまったく……」
修介はため息をつくと、屋敷に戻るべく歩き出した。
『マスター、格好悪いです……』
アレサの一言が修介の心に止めを刺した。
アレサの道案内で最初に出た広場まで戻ってこられた修介だったが、まさか血まみれの顔のまま屋敷に戻るわけにもいかないだろうと、広場にあった噴水の水で顔についた血を洗い落とした。ついでにあのローブ女から借りたハンカチも洗ってみたが、噴水の水だけでは血は完全には落ちなかった。
修介は洗ったハンカチをしまおうとして、ふとハンカチにわずかなふくらみがあることに気付く。ハンカチにはよく見ると短い文字のようなものが刺繍されていた。
当然読めないので、アレサの柄を握って聞く。
「なぁアレサ、これなんて書いてあるかわかる?」
『サラ、と書いてありますね』
サラ……あのローブ女の名前かもしれない。名前の刺繍入りのハンカチは前の世界だと贈答品などで使われているイメージがあった。この世界でもそうなのかはわからないが、もしそうならこのハンカチは彼女にとって大切な物なのかもしれない。
もし機会があったらこのハンカチはあのローブ女に返すことにしよう、修介はハンカチをしまいながらそう考えた。問題は汚れが完全に落ちないことだったが、メリッサに頼めば綺麗にしてもらえるだろうか。
痛む体を引きずってなんとか屋敷にたどり着いた修介は門番に声を掛けた。門番は修介の顔を見てぎょっとしたが、慌てて門を開け中へ入れてくれた。
屋敷の玄関で出迎えたメリッサも修介の顔を見て同様に驚いたが、すぐに修介を部屋へ連れて行き、例によって手際よく手当てしてくれた。手当の最中に事情を聞かれたので「喧嘩に巻き込まれた」とだけ伝えた。
修介はハンカチを取り出し、洗ってもらえるかメリッサに尋ねると、メリッサは「承知しました」と言ってハンカチを受け取った。受け取る際に刺繍に気付いたのか「綺麗にしてお返ししないといけませんね」と言って微笑んだ。
メリッサが部屋から退出すると、修介は窓際に向かった。窓に映った自分の顔を見て「随分と男前になったもんだな」と呟く。顔はそれほどやられていないと思っていたが、蹴りの何発かは顔にも入っていたらしい。結構腫れていて、これはたしかに門番もぎょっとするな、と苦笑した。
窓の外を見ると日が暮れようとしていた。
夕食の前だったが、怪我と疲労のせいか食欲はなかった。
修介はベッドに移動すると身体を投げるようにして横になった。
蹴られた箇所が熱を持ったのか、全身が熱かった。
「あーこれはやばいかもなぁ……」
修介はそのまま気絶するように眠りに落ちた。
この後、修介は熱のせいでしばらく寝込むことになる。
修介がアルフレッドが亡くなったことを知るのは、これより二日後のことであった。
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