第17話 喧嘩

 ブルームとは酒場を出たところで別れた。

 それほど量は飲んでいないように思えたが、ブルームの足取りはかなり怪しかった。豪快な性格と見た目の印象から酒に強いのだとばかり思っていたが、案外そうでもないようだった。

 支払いはブルームが持ってくれた。修介は半分出すと言ったが、ブルームは「次に飲みに行くときに奢ってくれればいい」と頑なに受け入れなかった。この世界の飲み代がいくらくらいなのか相場が知りたかったが、今となっては後の祭りである。いずれまた次の機会とやらもあるだろう。

 修介は昼間から少し酔っぱらってしまったことにわずかな後ろめたさを感じつつ、酔い覚ましも兼ねて付近をうろつくことにした。

 歩きながらアレサに話しかける。


「なぁ、この世界に神様がいるのはわかったけど『戦いの神』っていうくらいだから、戦争を推奨していたりする神様なの?」


『違います。戦いの神の教義は、人生そのものを戦いの場であるとみなし、難局に際しては己の内に潜む弱き心や邪な心に打ち勝ち、他者と競い合うに際しては公正に堂々と行うべし、と説いています』


「なるほどな。戦いの神なんていうくらいだからてっきり戦争を賛美しているのかと思ったけど、割とまともそうな教義で安心したよ。まぁブルームさんを見てればそうじゃないことくらいはわかっていたけど……」


 修介は他人の信仰に口を出すような人間ではなかったが、さすがに戦争をしたがる信者がはびこる街で暮らしたいとは思わなかった。


「ところで、この世界には『戦いの神』以外にも神様はいるの?」


『はい。確認されているだけで二〇を超える神が存在しています』


「他にどんな神様がいるの?」


『この国では先ほどの『戦いの神』以外では『生命の神』『秩序の神』『豊穣の神』『鍛冶の神』『知識の神』『芸術の神』『狩猟の神』『性愛の神』といった神々が主に信仰されているようです』


 呼び名からも想像できるが、この世界の人々の生活に密接した神が多いようだった。


「それぞれの神様に名前とかはないの?」


『この世界では神に固有の名前はありません。また、性別の概念もないようです』


「へぇ、じゃあ女神様とかいないのか……」


『いえ、民衆が勝手にイメージを作り上げている場合もあります。例えば『生命の神』はかつてこの地に降臨した際に、女性の姿で降臨したことから『女神』という扱いになっているようです』


「なんでわざわざ女性の姿で降臨したんだろ?」


『おそらくその儀式を行った高司祭が女性だったからだと思われます』


「ほー、女性の司祭が世界を救ったのかぁ。どんな人だったんだろうな」


 修介のイメージとしては一〇代の美少女で当然処女なわけだが、アレサの回答は違っていた。


『四〇代の女性だったそうです。結婚し二児の母親でもあったそうで、自分の子供を守るために命を懸けて『神降しの奇跡』を行ったと言い伝えられているようです』


 母は強し、と言ったところだろうか。イメージとは違ったが、自分と同じ世代の人間が活躍したことは修介にとっても素直に喜ばしいことだった。


『この街では『戦いの神』の信者が多いですが、そのような事情から、国全体で見ると『生命の神』の信者が最も多いようです』


「そりゃまぁ、世界を直接救った神様なわけだから当然だろうな」


 不信人者の修介でも世界を救った実績のある神様なら文句なしで信じるだろう。


「ちなみに『生命の神』ってのはどんな教義なの?」


『文字通り生命を慈しむことを教義としています。この世界の自然や命を大切にするよう説き、無益な殺生や自殺を禁止しています』


「なるほど、これもまぁ理解できるな。でも生命を慈しむってことは妖魔をむやみに殺すことも禁止しているの?」


『いえ、逆です。妖魔は積極的に排除することを推奨しています』


「え、それっておかしくない?」


『生命の神が慈しむのはこの世界の生命であって、異世界を起源とする妖魔はむしろこの世界の生命を脅かす存在として積極的に排除すべき対象となっているようです』


「い、意外と過激だな……も、もしかして異世界から転移してきた俺は生命の神様にとって積極的に排除すべき存在だったりするのかな?」


 もしそうなら今この瞬間にも天から雷が降り注ぐかもしれない、と修介は思わず空を仰ぎ見た。


『知りません』


 アレサの回答はそっけなかった。



 しばらくアレサと会話しながら適当に歩いていた修介だったが、路地が入り組んでいたことと、少し酔っていたせいもあって、どうやら道に迷ってしまったようだった。

 四三歳にもなって迷子とは情けない話だが、初めて訪れた異世界の街で迷うなと言うほうが無理というものだろう。いざとなればアレサに聞けばいいという気楽さも手伝って、修介は当てもなく散策を続けることにした。

 そして気が付くと周囲には人がほとんどいない場所まで来てしまっていた。薄暗く細い路地が多いこの場所はあまり治安が良さそうには見えなかった。


(引き返したほうがいいか……)


 修介がそう考えたその時、少し離れた路地から人の言い争う声が聞こえてきた。ものすごい嫌な予感がしたので修介は回れ右をしようとしたが、言い争う声の片方が若い女性の声で、しかも「離して!」とか言っているものだから、もう諦めるしかなかった。


 おそるおそる路地の角から覗き込んでみると、案の定ガタイのいい男に女性が腕を掴まれていた。遠目からなのでわかりづらいが、女性はまだ若く、白いローブのような丈の長い服を身につけており、手には木製の杖を持っていた。杖の長さは女性の背丈ほどもあり先端の部分が妙な形に歪んでいた。

 近くに酒場があるのだろうか、ジョッキを持って遠巻きに様子を見ている者が何人かいるようだが、女性を助けようとする者はいなさそうであった。


「二日続けてよくまぁこんなテンプレイベントが起こるな……」


 修介はひとり嘆息したが、見てしまった以上放っておくわけにはいかなかった。

 よく考えれば大声で助けを呼ぶなり、衛兵を探して連れてくるなどの方法もあったのかもしれないが、今日の修介の感覚はどこか狂っていた。酔っていたということもあるが、転移初日に妖魔と戦ったことで「妖魔は危険」という認識はできていたが、その反面人間に対しては警戒心が働かなくなっていたことが最大の要因だった。

 そういうわけで、修介はあまり深く考えずに男を止めようと近づいていった。


 二メートル付近まで近づいたところであらためて男を見る。身長は修介より高く、腕の太さは倍はありそうだった。顔もヤクザ顔負けの迫力があり、そこで初めて修介は「やばいかも」と思った。

 勇んで出てきたものの、自分の戦闘能力では颯爽と助けられそうもないことに気付いて内心焦る。このままでは助けるどころか昨日の二の舞になりそうだった。

 とはいえ今更引き返すこともできないので、何食わぬ顔で横を素通りしようかと真剣に検討を始めたところで「あ? なんだてめぇは」と男にすごい顔で睨まれた。


「へ?」


 自分から近づいて行ったのに「へ?」はないだろうと思ったが、口から出てしまったものは仕方がない。


「なんだこの間抜け面の野郎は。てめぇの知り合いか?」


 男はローブの女に向かって聞く。

 修介もローブの女を見る。目が合った。

 女の目が光ったような気がした。


「そうよ。私の恋人よ。あなたなんかよりずっと強いんだからさっさと離してよ!」


 ローブの女のとんでも発言に修介は目が点になった。


「ああ? こんなひょろい野郎が俺より強いだぁ?」


 ローブの女の一言で男の標的が自分に切り替わったことを修介は悟った。

 男は修介の目の前までくるとお約束のように修介の襟首をつかんで引っ張った。それだけでもこの男が相当な腕力の持ち主だということがわかる。


「てめぇ、本当にこの女のツレなんだろうな? 嘘つくとタメになんねーぞ?」


 修介の脳内は「やばいやばい」という思考で一杯だったが、その一方で「こいつ酒くせーな」と冷静に分析している自分がいて不思議な感覚だった。


 修介は男の顔から視線を外し、横目でローブの女を改めて見た。

 ローブの女は修介を見ながら、拳を作って小さく殴るジェスチャーをしていた。


『やっちゃえ』


 口の動きでそう言っているのがわかった。

「アホか無理に決まってるだろうがっ!」と修介は叫びたかったが、目の前の男がそれを許さなかった。


「てめぇ無視すんじゃねぇ!」


 ゴンッ、という鈍い音と同時に目の奥で火花が散った。

 男が修介に頭突きを食らわせたのだ。


「あがっ」


 修介の鼻から液体が出て口の中に入る。見なくても鼻血だとわかった。 

 抜剣が禁止されているだけで暴力が禁止されているわけではないことにもっと早く気付くべきだった、と修介はクラクラする頭で思ったが後の祭りである。

 続けざまに男の膝が腹に突き刺さり、すさまじい吐き気が修介を襲う。

「ぐへっ」という声と共に、先ほど飲んだ酒と胃液が地面にぶちまけられた。

 そこからは一方的だった。倒れた修介に男はひたすら蹴りを入れた。

 修介は身体を丸くしてその衝撃にひたすら耐える。情けない姿だが、今の修介にはそれ以外になす術がなかった。


「おっ、てめぇいいもん持ってんじゃねーか」


 男の興味が修介の腰に下げられているアレサに向いた。


「ほう、てめぇみてぇな軟弱野郎には過ぎた剣だな。俺が有効活用してやるよ」


 男の手がアレサを奪い取ろうと修介の腰に伸びる。

 そこでようやく修介は動いた。アレサは修介にとってこの世界でなくてはならない存在である。死んでも渡すわけにはいかなかった。


「こいつに触んな!」


 修介は男の手を払いのけると足にしがみついて勢いに任せて押し倒した。そして馬乗りになって力いっぱい殴りつけた。人を全力で殴るなんて学生の頃に喧嘩して以来だった。肉を叩く嫌な感触が拳に伝わる。

 だが、修介の反撃もそこまでだった。


「ふざけやがって!」


 すぐさま男は修介を弾き飛ばし起き上がると、倒れた修介の腹に蹴りを入れる。

 再びうずくまる修介。だが、蹴られたダメージよりも、全力で殴ったのに男にまったく効いた様子がないことにショックを受けていた。先日のホブゴブリンはともかく、ランドルフといい目の前のこの男といい、この世界で出会う輩は暴力慣れし過ぎていて、とても勝てる気がしなかった。


 一方、男は雑魚と侮っていた相手から思わぬ反撃を受けたことで完全に頭に血が上っていた。


「この野郎、ぶっころしてや――」


 だが、男は最後までその台詞を言えなかった。

 背後からローブの女が手に持った杖で思いっきり男を殴りつけたのだ。

 杖の先端が後頭部に思いっきり入ったようで、男はその場に力なく倒れた。


「いい加減にしなさいよっ! 弱い者いじめなんて最低よ!」


 ローブの女の言葉に「お前が強いとか言うからこうなったんだろうが」と修介は思ったが、腹をしたたかに蹴られたせいで思ったように口が動かず言葉にするのは諦めた。


「……こ、この女ぁ、やってくれるじゃねぇか」


 男は頭を振りながらゆっくりと立ち上がってきた。


「うそ……今ので気絶しないなんて、あなたの頭、脳みそ入ってるの?」


 ローブの女は引きつった笑みを浮かべながら後ずさる。


「もう容赦しねぇぞ、このアマが」


 男は怒りに歪んだ表情を浮かべ、おぼつかない足取りながらもゆっくりとローブの女と距離を詰めようとする。


「こうなったら仕方がないか……」


 ローブの女は杖を両手に持ち前に掲げると、目を閉じて何かをつぶやき始めた。すると杖の先端が言葉に合わせるように淡い光を放つ。

 それを見た男は顔色を変える。


「ま、魔法だと!? お前、正気かッ!?」


 男は一瞬ひるんで後ずさったが、すぐに「させるか!」と叫び魔法の詠唱を阻止すべくローブの女に飛びかかろうとした。

 それを止めたのは修介だった。修介は男の足にまとわりつき、引きずられながらも懸命に男の邪魔をする。今の修介にできるのはこのくらいしかなかった。


「てめぇこのっ、離しやがれっ!」


 男はもう片方の足で修介に蹴りを入れるが、焦りのせいか蹴りにそれほどの威力はなかった。

 修介には魔法のことはよくわからなかったが、目の前のこの男を止めなければローブの女が酷い目に合うことだけは理解できた。だからこの男を離すわけにはいかなかった。

 ローブの女は淡く光る杖をゆるやかに動かす。その光は軌跡となって宙に何かを描いていく。それは見たことのない文字のようなものだった。そして口からは聞いたことのない言葉が紡がれている。

 宙に描かれる文字が増えるにつれ、杖から放たれる光が強くなっていく。

 修介にまとわりつかれた男の顔が恐怖に引きつる。

 そこで修介は気付いた。


(あれ? このままだと俺、巻き込まれるんじゃね?)


 そう思った直後だった。


「そこまでじゃ!」


 鋭い制止の声と共に丸い人影がローブの女と男の間に割って入った。

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