第16話 ブルーム

 どういう流れでそうなったのか、気が付くと修介は目的地であった高い尖塔の建物のそばにある酒場でブルームとふたりで杯を交わしていた。

 ブルームによると、あの高い尖塔の建物は戦いの神の神殿とのことだった。この街は妖魔と戦うことを生業とする兵士や冒険者が多いため、戦いの神を信仰する者が多いのだという。

 騎士であり戦いの神の神官でもあるブルームは非番を利用して神殿に赴こうとしていたところ、修介の姿を見つけたので声を掛けたのだそうだ。

 偶然にしては出来すぎなタイミングであった為、もしかしたら監視されているのかもしれないと修介は疑ったが、そもそも探られて痛むような腹を持ち合わせていないので、特に気にしないことにした。


 まだ日の高い時間帯のはずだが、酒場にはそこそこ人が入っていた。いかにも大衆居酒屋という感じの薄汚れた店だったが、商人風の男や鎧を着た冒険者風の男達が各々テーブルで酒を飲んでいる。

 この店は行き付けなのか、ブルームは店主と親しそうに言葉を交わすと、給仕の女性に案内される前に勝手に空いている席に座っていた。


「いやー非番の日に飲む酒はうまい! なぁ勇者殿、そうは思わんか!」


 最初の一杯を一気に飲み干し、ブルームは機嫌よさそうに修介に同意を求めてきた。


「俺は働いてないからなんとも言えませんね。……あと勇者殿と呼ぶのはやめてもらえませんか? そんなたいそうなもんじゃないですから」


「そう固いこと言うな、勇者殿!」


 修介は黙ったままジト目でブルームを睨む。


「わかったわかった。では親しみを込めてシュウスケと呼ぶことにしよう」


「……それで構いません」


 一気に呼び捨てかよ、と修介は思ったが、見た目はどう見てもブルームの方が年上だから言うだけ野暮だろう。中身は修介のほうが年上だが、そこは気にしないことにした。

 最初に会った時から感じていたが、このブルームという男は距離を詰めるのが早い。普通に考えて昨日ちょっと会っただけの男とふたりで飲みには行かないだろう。それともこの世界ではこの距離の詰め方が普通なのだろうか。

 修介は馴れ馴れしい人間が苦手であったが、目の前のこの男に対しては不思議と嫌な感情を抱かなかった。


「ところでなんで俺を誘ってくれたんですか?」


 修介としては純粋に気になっていたので素直に聞くことにした。


「ん? 特に深い理由はないが、強いて言うなら神の御意思……かな」


「はい?」


 修介はブルームの言っている意味がわからず首を傾げた。


「いたいけな少女を妖魔から救った勇者と酒で親交を深めよ、という神の御意思だ」


「……ようするに昼間から酒を飲む口実が欲しかったんですね?」


「そうとも言うな」


 ブルームはがははと声を立てて笑う。

 見た目の印象通り、豪快で愉快な人物のようだった。


「ところで、傷の具合はどうだ? ちゃんと塞がってるか?」


 上機嫌でブルームは問いかける。


「おかげさまで、この通りです」


 修介は袖を捲って腕を見せる。薄く傷痕が残っていたが傷口は塞がっていた。

 あれだけの怪我をわずかな時間で治してしまう魔法の力に修介は感動を覚えていた。自分でも扱えればかなり便利に違いない。


「それは良かった。おぬしはなぜか魔法のが悪くてな。途中で魔力が尽きてしまい、情けないところを見せてしまったわ」


 ブルームは新しくきたジョッキをあおって豪快に笑う。


「初めて魔法を見ましたけど、すごい便利ですね。癒しの魔法があれば怪我をしてもすぐに自分で治療できますしね」


 なぜ魔法の効きが悪かったのか、修介はその理由を知りたかったが、そこを深く掘り下げると藪蛇になりそうだったので、あえて触れないようにした。


「そう都合よくぽんぽん魔法は使えんよ。神聖魔法……癒しの術は己の体内の魔力を神の御力を借りて他人に分け与え、その者の体内のマナに働きかけることで、治癒力を増幅させる術なんだが、知っての通り使いすぎるとすぐにマナが枯渇する」


「魔力を他人に分け与えるってことは、自分で自分の治療はできないんですか?」


「できなくはないが、効果が薄くなる。神の御力による治癒力の向上分しか上乗せがないからな」


 他人に自分の魔力を譲渡することで威力を上乗せしているということなのだろう。修介は昨日のブルームの消耗ぶりに得心がいった。


「おまけに対象となる者の状態も左右するからな、絶対に治るというわけでもない」


 ブルームのその言葉に、シンシアの弟、アルフレッドの病気が癒しの術では治らなかった、という話を修介は思い出していた。


「……なかなか思うようにはいかないものなんですね」


 修介が率直な感想を述べると、当のブルームは苦笑いを浮かべた。


「だからこそ奇跡の力なのだ。好きな時に好きなだけ使えたらとても奇跡とは言えんだろう。軽い怪我なら癒しの術を使わんでも、薬草と自然治癒力で十分だ」


 修介は黙って頷く。治療の為に気を失ったブルームを見て、魔法の力は便利だからといって無制限に使っていいような力ではないと感じていた。


「ブルームさんはいつから魔法が使えたのですか?」


「いつから……たしか二〇歳くらいの時だから、かれこれ一〇年くらい前になるか」


 当時のブルームは騎士になり立てで、南の大森林を監視する任についていた。

 グラスター領は領土の南に巨大な森林を擁しているが、この森には多くの妖魔が生息しているとされ、人の手が及んでいない未踏の地となっていた。一説では六〇〇年前に魔神の王によって開けられた七つの巨大な穴のひとつが南の大森林にあるのではないかと言われていた。

 グラスター領では領地の南に三つの砦を築き、そこを拠点にときおり森から現れる妖魔の群れに対処していた。

 ブルームが神の声を初めて聞いたのは、森から溢れ出た妖魔の群れを迎え撃っていた時のことだった。これまでにない規模のおびただしい数の妖魔の群れに、ブルームたち騎士団は苦戦を強いられていた。

 仲間たちは次々と妖魔に倒され、騎士団は後退を余儀なくされた。

 その時、ブルームを庇って騎士のひとりが重傷を負った。

 その騎士はブルームの友であった。

 悲鳴と怒号が飛び交う戦場のなかで、ブルームは自分を庇って倒れた友を抱えて必死に剣を振い、何度も心の中で神を呼んだ。

 すると突然、頭の中に神の声が聞こえた。その声は人の言葉ではなく、まるで天から降り注ぐ光のせせらぎのような音であった。

 ブルームはそれを神の声だとなぜか確信できた。友を救いたいという祈りが神に届いたのだと思った。

 ブルームの祈りは友の傷を癒し、その魔法の光は戦場での希望の光となった。

 神の加護があると知った騎士団は士気を取り戻し、戦いは隣の砦からやってきた援軍の登場により、勝利で終わった。


「……まぁ結局そいつも、その半年後の妖魔との戦いで死んでしまったんだがな……。あれだけの奇跡が起きようとも、人間死ぬときはあっさりと死ぬんだな、と思ったよ」


 ブルームは明るく話していたが、その目は笑っていなかった。陽気に見えるこの男も、先ほどの話のような危険を何度も掻い潜り、大切な人を失い、そうして今を生きているのだな、と修介は思った。そして同時にこの世界の厳しさをあらためて思い知らされたような気がした。

 この世界は前の世界とは比べ物にならないほど死が身近に存在している。現にこの世界にきたその日に修介は妖魔に殺されかけたのだ。あの時の恐怖を思い出し修介の表情は無意識に強張っていた。

 修介の表情の変化に気付いたのか、ブルームは努めて明るい声を出して話題を魔法の話に戻す。


「神の声はある日突然聞こえるのだ。そこに法則性などなく、信仰していれば誰にでも聞こえるわけでもなければ、神と距離を取っている者が突然神の声を聞くこともある。ゆえに神聖魔法は選ばれしものだけが扱うことができる奇跡の力、と言われるわけだな」


 ブルームは三杯目をウェイトレスに身振りで注文しながら、そう締めくくった。


「ブルームさんはどうだったんですか?」


「当時の俺はもちろん戦いの神を信仰しておったが、熱心な信者だったかと聞かれたら、それほどでもなかったような気がするなぁ……。むろん今では毎日真摯に神と向き合っているぞ」


 ブルームは真面目くさった顔でひとりうんうんと頷いている。


「俺でも神聖魔法が使えるようになりますかね?」


「それはなんとも言えんな。そもそも神の声が聞こえたとしても、まともに癒しの術が使えるようになるまで何年も修行せんといかん。現に俺があの戦場で癒しの術が使えたのはまさしく奇跡で、それ以降はしばらく使えんかった」


「なるほど……」


 前の世界で修介は神や信仰とは無縁の生活を送っていた。日本人として初詣くらいは行っていたが、神に祈るのはソーシャルゲームのガチャを引くときくらいという不信心者であった。

 だが、この世界の神は奇跡という名の力でその存在を広く人々に信じられている。修介もその力を間近で見たのだ。この世界の神は修介が思っている神とは違うのかもしれないが、その存在は信じられそうであった。


「ま、一番いいのは癒しの術に頼らなくてもいいように、強靭な肉体と戦いの技を身につけることだな」


 にやり、とブルームは笑った。


「それはもちろんそうですね」


 修介も笑いながら頷いた。


「そういえば、おぬしは訓練場で訓練することになったんだっけな」


「はい。そう提案してくださったのは他ならぬブルームさんじゃないですか」


「そうだったな。だが、自分で薦めておいてなんだが、訓練場での訓練はきついぞ? 俺も騎士になる前に行った経験があるが、あそこの訓練は二度とごめんだな……特に教官が厳しくてな」


 ブルームは苦い表情を浮かべながら杯を傾ける。


「セオドニー様にも同じことを言われましたよ」


「おっ、あのボンボン息子に会ったのか」


「なぜかふたりきりで晩飯を食う羽目になりましたから」


 修介の言葉にブルームは愉快そうに手を叩いて笑った。


「なんだそれは! 相変わらずわけのわからんことをする御仁だな」


「たしかにちょっと変わった人ではありましたね」


「変り者ではあるが、あれでなかなか切れ者だぞ? 兄のフェリアン様がいるから領地の跡継ぎにはなれんだろうが、能力的には申し分ないはずだ」


 修介はセオドニーのあの感情の見えない笑顔を思い出す。たしかに頭は切れるかもしれないが、領民に慕われる領主になれるとは思えなかった。もちろんそんなことは口が裂けても言えないが。


「話をしてみて、何を考えているのかよくわからない感じの人でしたので、あまりお近づきにはなりたくないですね」


 修介の言葉にブルームは苦笑する。


「正直だな。まぁそもそも権力者なんて輩とは近すぎず遠すぎずで接するのがいい。近すぎると碌なことにならん」


 修介としてはその権力者に昨日から散々世話になっている手前、乾いた笑いを浮かべるしかなかった。


「そもそもなんでボンボンとふたりきりだったんだ? お嬢様がいるだろう」


「シンシア様とお母様はアルフレッド様の看病につきっきりで、領主様ともうひとりの兄君は急用で不在だったとかで……」


「なるほどな……アルフレッド様のことは……お気の毒としか言えん」


 修介は黙って頷く。

 さすがのブルームも沈痛な表情を浮かべていた。神聖魔法でも癒せないというアルフレッドの病に対し自身の力不足を痛感しているのか、杯を持つ手がかすかに震えていた。


「それにしても領主様とフェリアン様が不在とはな。三男とはいえ聡明なアルフレッド様を領主様はいたく可愛がっておられたのに、このような時に屋敷を空けるとは……やはり西で何かあったのか……」


 ブルームは深刻そうな表情でひとりでぶつぶつと何かを呟き始める。


「ブルームさん?」


「おっと、すまんすまん」


 ブルームははっとして取り繕うように杯を煽ったが、すでに杯は空になっていた。慌ててウェイトレスにお代わりの注文をする。

 修介はその態度が気になったが、追及できるような雰囲気でもなかったので、気にしないよう残り少なくなった杯の中身を一気にあおって、自分もお代わりを注文した。

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