第15話 散策

 翌朝、修介は朝食の後、メリッサに今後の予定について確認した。

 メリッサによると、宿舎への受け入れには準備に数日掛かるとのことで、シンシアからは足の怪我が治るまでは屋敷で養生してほしいと言付かっているとのことだった。

 養生といっても、足の怪我はかすり傷程度で行動に支障はない。せっかく時間があるのだから、少しでも早くこの世界の生活に慣れるために行動したいところだった。


 生前の修介からは考えられないほどポジティブな思考だったが、これは若返ったからなのか、異世界に来てテンションが上がっているからなのかはわからなかった。たぶん両方だろう。

『時間があるのならこの世界の文字の読み書きを学んではいかがですか?』という真っ当な提案がアレサから出されたが、散歩好きの修介としては、街を見たい、という思いのほうが強かったので街に出ることにした。

 早速その旨をメリッサに伝える。

 メリッサは一瞬考える様子を見せたが、表情を変えずに「かしこまりました」とだけ言った。

 修介が服を着替えようとすると、メリッサが音もなく近づき手伝おうとしたので、慌ててそれを止める。外で待っててもらうよう伝えると、メリッサは一瞬だけ不服そうな顔を浮かべたが、すぐに「部屋の外におりますので、準備が出来ましたらお声がけください」と告げて部屋を出ていった。

 服を見ると、昨日の戦闘で破れた箇所がいつのまにか修繕されていることに気付く。修介はメイドさんの仕事の早さに感動を覚えていた。


 着替えが終わると、準備の為に背負い袋を開けた。

 準備といっても街を散策するだけなので、荷物全部を持っていくわけではない。持っていくのはアレサと財布くらいなものだ。

 最初に確認した時には見落としていたが、修介の荷物の中にあったいくつかの小袋のひとつは財布だった。袋の中には見たこともない金貨や銀貨、それにいくつかの宝石が入っていた。

 アレサに確認したところ、おそらく生前に修介が持っていた資産に相当する額が入っているとのことだった。


 修介は比較的裕福な家庭で育ったことから金銭にはあまり執着しないタイプだった。そのせいで、金銭について老人と話をするのを完全に忘れていたくらいである。普通なら「億万長者にしてくれ」くらいの要求はしそうなものだし、それでなくとも生活するのに必要な金銭の確認くらいはすべきだろう。

 本来なら無一文で放り出されてもおかしくなかったわけが、なぜか言われなくても生前の資産をこちらの貨幣に替えてくれていたのだ。意外なところで気配りを発揮した老人には、不本意だが感謝せざるを得なかった。

 独身貴族だった修介は、酒やタバコにギャンブルといった金の掛かりそうな趣味は一切やっていなかった為、かなりの額を貯金していた。この世界でもおそらく数年は暮らしていけるはずだ。

 その全財産がこんな小袋に入っているという事実に修介は急に怖くなってきた。

 街なかを全財産持って歩くのはさすがにない。衛兵のいる貴族の屋敷で盗難される可能性より、街で不良にカツアゲされる可能性のほうが遥かに高いだろう。そう考えて、とりあえず宝石は持たずに金貨と銀貨だけ持っていくことにした。


「アレサ、この国の貨幣って、日本円に換算するとどのくらいの価値があるの?」


『質問が曖昧です。その質問には答えられません』


「そう言うと思ったよ」


『そもそも物の価値がこの世界と日本では異なりますから単純比較ができません。貨幣そのものの価値、という意味でしたら、金貨も銀貨も五グラム程度の重さですから、日本での金と銀のグラム単価を掛け合わせてください』


「金と銀の相場なんて知らないって」


『金貨一枚が三万円くらいで、銀貨一枚が三五〇円くらいでしょうか。ちなみにこの国では金貨一枚は銀貨一〇〇枚の価値があるとされています』


「ほ、ほう……」


 修介の財布の中には金貨だけで一〇〇枚近くありそうだった。金貨の価値が思った以上に高いと知ってわずかに声が震えた。

 結局、修介は金貨を二枚と銀貨を五〇枚ばかり持っていくことにした。街の散策ならこれくらいあれば充分だろう。もっともこの世界では金にそれほど価値がなくて、金貨一枚が一〇〇円なんて可能性もある。そのあたりの常識を知るためにも街の散策は必要であった。



 準備を終えると、修介は扉の外にいるメリッサに声を掛ける。

 メリッサは部屋に入ってくると、修介の腰に下げられたアレサを見て言った。


「シュウスケ様、ご存じかとは思いますが、念のためお伝えしておきます」


「な、なんでしょう?」


「この街ではその特性上、平民でも帯剣することが許されておりますが、街なかで剣を抜くことは罪になりますので、お気を付けください」


 特性というのは、おそらくこの街は冒険者や傭兵が多いから、ということだろう。


「剣を抜いた場合はどうなるの?」


「衛兵により連行、投獄されます。刑罰は状況によって変わりますが、鞭打ちから最悪な場合は死罪まであり得ます」


 剣を抜いただけで死罪とはずいぶんと厳しい気もしたが、貴族相手に傷つけたりしたらそうなるのかもしれない。傭兵や冒険者など無法者みたいなものだから、罰を重くしないと抑止力にならないのだろう。


「あと、領民には通報の義務があります。剣を抜いた者を見た場合、通報しなかった領民にも罰がありますので、その点もお気をつけください」


「わ、わかりました。剣は抜かないように気を付けます」


「もちろん、自衛の為の抜剣は事情を酌んでもらえる場合があります。ただ、間違っても自分から進んで剣を抜かないようにしてください」


「はい」


 修介は素直に頷いた。

 それを見たメリッサの頬が少し緩んだ。そして物分かりの良い青年を安心させるように笑顔を浮かべて言った。


「街の北側の市場であれば、人通りも多く、安全です。散策でしたらそちらに赴かれるのがよろしいでしょう」


「北側ですね。わかりました、そうします」


 メリッサの先導で修介は屋敷の北門に向かう。初めてこの屋敷に来た際は南門から入ったので、北門を見るのは初めてのはずだ。


「よろしければ案内の者をお付けしますがいかがいたしますか?」


 前を向いて歩いたままメリッサは言った。


「案内……」


 たしかに案内人がいたほうが心強いが、下手に誰かと一緒に行動すると修介の無知暴露大会になりかねない。ガイドならアレサがいるし、ひとりのほうが気安いので修介はその申し出を断った。

 メリッサは特に気にしたようでもなく「かしこまりました」とだけ言った。

 修介は「どうせ案内してもらえるならメリッサさんにお願いしたいな」と冗談めかして言ってみたが「若い殿方にお誘いいただけて光栄ですが、仕事がございますので」と言葉以上にはっきりとした態度で断られた。

 北門に着くとメリッサは門番に修介の外出のことを告げる。

 門番は修介の顔を一瞥し、それから門を開けた。

 修介はメリッサの「お気をつけて」という言葉を背中に受け、グラスターの街へと足を踏み出した。




 屋敷の北門を出ると、木々に囲まれたちょっとした遊歩道があった。そこをしばらく歩くと今度は広場に出た。広場はたくさんの人で賑わっており、それ目当ての露店もたくさん出ていた。露店には日用品から食料品まで様々な品が並んでおり、売り買いする人々の声があちこちから聞こえてくる。なかなかの活気だった。


 広場の中央には大きな噴水があり、その周りでは子供たちが遊んでいた。

 広場からまっすぐ北に進むと街の北門へと続いているようで、ずっと先には城壁が見える。入り組んでいた街の南側に比べると北側はシンプルな構造になっているようだった。広場は東西にも道が繋がっていたが、北の道に比べると人の行き来はそこまで多くないようだった。

 街路は石畳でしっかりと舗装されており、道行く馬車が小気味良い音を立てて駆け抜けていく。とりわけ北門へ続く道は広く、馬車が複数台並んで走っていても道幅に余裕があった。ここがこの街のメインストリートなのだろう。道の両側には様々な商店が軒を連ね行きかう人々で賑わっていた。


 広場の中央からあらためて四方を見渡してみると、北東の方角にひと際高い尖塔が見えた。あまり高い建物がないこの街では随分と目立つ。


「とりあえずあの尖塔がある建物を目指してみるか」


 特に当てがあるわけではないので、北の通りを散策しながら途中であの建物に向かってみるというプランを修介は頭で組み立てた。

 修介は広場を出る前に、適当な出店で実際に買い物をしてみることにした。

 目についた串焼きを売っている屋台で一本注文してみる。


「あいよ、銀貨二枚だよ!」


 店主の威勢の良い声に修介は財布から銀貨を二枚取り出して店主に渡すと、串焼きを一本手渡された。

 異世界買い物デビューに少しだけドキドキしたが、前の世界と買い物の仕方に大きな違いはないようだ。


「串焼き一本が銀貨二枚……」


 銀貨二枚がおよそ七〇〇円とするとかなり高いような気がするが、手に持った串焼きのボリュームはなかなかのものだった。塩で軽く味付けされただけの肉だったが、普通においしかった。さすがに屋敷で食べた肉とは比べ物にならなかったが。

 気になったので他の店も冷やかしてみたが、それほど常識外れの値段がついている商品はないように思えた。香辛料などの調味料関係の値段が高いようだったが、これは単に供給量が少ないからだろう。

 また、雑貨店を冷やかしていた時に、修介の腰に差したアレサを見た店主がしきりに手持ちの剣と交換してくれと迫ってきたことから、普通に物々交換も行われているようだった。


 市場調査が済んだところで、修介は北門へ続くメインストリートを歩くことにした。

 修介は日本にいたころの習慣で馬車を避けて道の端っこを歩いていたが、行きかう人々は馬車が通っていても気にせず道の好きなところを歩いていた。馬車自体がたいした速度ではないこともあるだろうが、最初のうちは見ていて冷や冷やした。

 修介はこの中世のような街並みが想像していたよりも清潔なことに驚いていた。中世といえば糞尿垂れ流しの汚いイメージを抱いていたが、この街はそんなことなかった。明かりを灯す魔道具があるように、清潔にする魔道具でもあるのかもしれない。

 修介は色んな店の軒先を冷やかしながら歩く。ちょっと見ているだけですぐに店員が愛想よく話しかけてくるのには閉口したが、よく考えてみれば商売としては当然の行為であった。修介に買う意思がないことがわかると露骨に舌打ちして去っていく店員もいて、その変わり身の早さが少し面白かった。



 店員の接客を適当にあしらいながら通りを歩いていると、突然「おう、誰かと思えば勇者殿ではないか!」と声を掛けられた。

 声のしたほうへ顔を向けると、そこには髭面の男が笑顔で立っていた。

 癒しの術の使い手、騎士ブルームであった。


「これはこれは、ブルームさん。昨日は大変お世話になりました」


 修介はブルームに向かって丁寧に頭を下げた。


「……」


 顔を上げるとブルームが胡散臭そうな顔で修介を見ていた。


「なにか?」


「おぬし、若いのにずいぶんと堅っ苦しい挨拶をするなぁ」


「そうですか? 普通だと思うのですが……」


 言われてみれば、たしかに出先で取引先の会社の人とばったりと出くわしてしまった時のような、よそよそしい感じだったかもしれない。だがこればかりは修介の長年に渡る社会人生活で身に染み付いてしまった癖みたいなものなのでどうしようもなかった。なにせ若返ったのはつい昨日のことである。

 修介は身内や親しい間柄の人にはフランクに接するが、それ以外の人にはなるべく丁寧に応対するよう心掛けているし、それが礼儀だと思っている。むろん失礼を働く相手は例外であり、店員に横柄な態度を取るような人などは心底軽蔑していた。

 とはいえ先ほどの挨拶はやはり慇懃すぎたか、と反省する修介であった。


「まぁいい。ところで今日はどうした。街の見物でもしているのか?」


 ブルームは軽い調子で問いかけてきた。


「そんなところです。なにせ記憶を失ってて、この街のことも何もわかりませんので、色々と見て回ろうかと思いまして」


「なるほどなぁ。街を歩いていれば何か思い出すかもしれんしな」


「はい。……ところでブルームさんは何を?」


 今日は非番、と言うブルームは帯剣こそしていたが、胸元が大きく開いたシャツをだらしなく着ており、およそ騎士、ましてや神職とはとても思えなかった。しかもそれが似合っているので余計に質が悪かった。

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