第14話 会食

 修介がしばらくアレサと雑談を交わしていると、部屋の扉がノックされた。

 驚いて思わずアレサを鞘から抜こうとしてしまったが、すぐにその必要がないことに気付いて慌ててソファーに立て掛ける。


「は、はい」


「失礼いたします」


 入ってきたのはメリッサだった。


「……どなたかとお話になられておりませんでしたか?」


「い、いえ? 俺、けっこう独り言を言う癖があるので、それですかね」


「さようでございますか」


 メリッサは表情ひとつ変えずに答える。

 さすがはプロのメイドと修介は舌を巻いた。さぞかし不審に思っただろうに、それを一切悟らせない完璧なポーカーフェイスだった。


「そ、それで何か御用ですか?」


 修介は場を取り繕うように尋ねる。


「夕食のご用意ができましたので、食堂までご案内いたします。こちらへどうぞ」


 メリッサは付いてくるよう合図をする。

 修介はさすがに飯の席に剣を持っていくわけにもいかないだろうと思い、アレサをそのままソファーに置いていくことにした。若干の不安はあるが、人工知能にそこまで依存するのも情けない話なので、腹を括ってメリッサの後に続いて部屋を出た。


「あ、あの、俺、テーブルマナーとかさっぱりなんですけど……」


 とはいえ募る不安に前を歩くメリッサについつい泣き言を言ってしまう。

 修介が知っているテーブルマナーは、ナイフとフォークは外側から順番に使うことくらいであった。しかもそのマナーがこの世界で通用するかどうかも怪しい。


「今宵の席は上流階級の方たちが集うパーティーではございません。ですから、そんな構える必要はございません。そもそも旅のお方に完璧なテーブルマナーを求めたりはしませんからご安心ください」


 メリッサは振り返りながらそう言うと、柔らかい笑顔を見せた。きつそうな印象があっただけにその笑顔はなかなかに魅力的だった。




 案内された食堂は修介の想像通りの場所だった。

 二〇人は座れる縦長の大きなテーブルにはシミ一つない白いテーブルクロスが掛けられており、やたらと装飾が派手なロウソク台が置かれている。奥の壁には巨大な彫刻画が掛けられており、天井には豪華なシャンデリアがロウソクのともし火を受けて美しい光を放っていた。

 壁際には複数の使用人らしき人物が待機しているが、唯一想像と違ったのは、テーブルに着席している人数だった。

 若い男がひとり。

 シンシアの姿はなかった。

 男は修介が入ってくるのを見て優雅に酒杯を掲げた。


「やあ、君が妹を救ってくれたという勇者殿か」


 男はそう言うと杯をテーブルに置き、ゆっくりと立ち上がった。その動作にはどこか演技をしているようなわざとらしさがあった。見た目は二〇歳前後だろうか。長い金髪を後ろでひとつにまとめており、整った顔立ちをしているが、細い目とわずかに口角の上がった口元がどこか軽薄そうな印象を与える。


「はじめまして、僕はグラスター辺境伯の次男、セオドニー・ライセットだ。つまりシンシアの兄ということになるね。妹が世話になったそうだね。あらためて礼を言うよ」


「シュウスケです。こ、こちらこそ妹君にはお世話になっております」


 なんとなく返事の内容がおかしい気もしたが、晩餐の席で貴族相手に挨拶した経験なんて当然ないので、何を言っていいのかわからず修介は戸惑っていた。

 セオドニーは特に気にした様子もなく、手で前の椅子を指し示すと修介に座るように促し、自分も席に座る。


「まぁまぁ、堅苦しいのは抜きにして気楽にいこうじゃないか。どうせ我々ふたりしかいないのだしね」


「は、はぁ。ほかに同席される方はいらっしゃらないのですか?」


「本来であれば妹の命の恩人を歓迎する席なのだから、皆で持て成して然るべきなんだけど、あいにくと事情があってそうもいかないんだ。申し訳ない」


「いえ、お気になさらず……」


 第一印象のせいか、表情だけは実に申し訳なさそうに見えるのだが、本心では全然そう思っていないような気がした。

 これだけの屋敷なのに晩餐の席にふたりだけ、という状況は気にならないわけがなかったが、それがこの世界の常識かもしれないし、領主の家ともなれば他人には言えない色々な事情があるのかもしれない。あまり詮索しないほうがいいだろうと修介は考えた。


「そもそもシンシアは同席するのが筋だと思うんだけど、彼女は弟のアルフレッドを溺愛しているからね。母と一緒にアルフレッドの部屋で付きっきりの看病さ。あ、母といっても義母だけどね。アルフレッドの母親と僕やシンシアの母親は別なんだ。異母姉弟ってやつだね。僕らの母は第一夫人で、アルフレッドの母親は第二夫人ってことになる」


 セオドニーは修介の気遣いなどどこ吹く風で、訊いてもいないのに家庭の事情を勝手に話し始めた。


「僕らの母は七年前に亡くなっててね。シンシアはまだ幼かったから、新しく来た義母にもよく懐いていてね。だからアルフレッドのこともとても可愛がっていたんだ。それがこんなことになるなんてね……」


 修介としては何も言えることがなかったので黙っていることにした。ここで「お気の毒です」というのも変だろう。


「父と兄は残念ながらどうしても外せない用事でここ数週間はずっと不在でね。父は立派な領主だし、兄もそんな父に似てとても優秀。ふたりとも忙しいのさ。だから暇な僕が家を代表して君を持て成そうというわけだ」


 セオドニーは軽く笑うと、給仕たちに合図をした。


「とりあえずお腹が空いているだろう? 遠慮なく食べてくれ」


 給仕たちによって次々と料理が運び込まれる。手元の酒杯に高そうな瓶に入った酒が給仕によって注ぎこまれる。

 元々、修介は食に関しては全くこだわりがない人間だったが、さすがに初めて見る異世界の料理には興味が湧いた。

 見たところ前の世界の料理と大差なさそうだった。何かの肉料理に何かの野菜が添えられていたり、何かの野菜が入ったスープと大量のパンがあった。その他にも様々な料理が並べられ、量も種類も豊富であった。

 てっきり手掴みで食べるのかと思っていたが、ナイフとフォークは普通に用意されていた。

 セオドニーが料理に手を付けるのを見届けてから修介も食べることにした。

 とりあえず作法を知らない田舎者が空腹に負けて料理にがっつく体でいこう、とプランニングし、目の前の肉料理に手を出す。香辛料で味付けされているらしく、香ばしい匂いが食欲をそそった。

 修介は肉は醤油ベースの味付けが好きだったが、それ以前に貴族の食事に出される肉の質の高さが想像を超えていた。スーパーの安物肉とは違い、口の中でとろけるような柔らかさだった。

 最初こそ演技でがっついていた修介は、気が付けば空腹も手伝って途中からは素で貪り食っていた。歳を取ってからめっきり食が細くなっていたが、これほどの食欲を感じたのは久々だった。


 デザートと思しきプリンらしきスイーツを胃に収めたところで、食べるのに夢中でセオドニーと一切会話していないことに修介は気付いた。

 やばい、と思い慌ててセオドニーの様子を窺ったが、当のセオドニーはそんな修介の食べっぷりを楽しそうに眺めているだけで、自分の料理にはあまり手を付けてなかった。


「いやー、気持ちの良い食べっぷりだったねぇ」


「す、すいません、空腹のあまりがっついてしまいました……」


 修介は羞恥のあまり赤面していた。いくら若返っているとはいえ四三歳のいい大人がする事ではなく、マナー以前の問題であった。


「料理は足りたかい? 足りなければまだ持ってこさせるけど」


「いえ、もう充分です。とても美味しかったです」


 ごちそうさまでした、と言おうかと思ったが、この世界でその挨拶が通用するのかわからなかったのでやめておいた。


「料理長に伝えておくよ。さて……」


 セオドニーはナプキンで口を拭い、両手を組んでその上に顎を乗せた。


「ランドルフから報告は受けたよ。しばらくの間、訓練場の宿舎で生活することになったんだってね?」


「はい。シンシア様のご厚意でそのようになりました」


「そうかぁ……失礼だけど君、武芸の心得はあるの?」


「いえ、恥ずかしながらまったくありません」


 嘘を吐いてもしかたないので、修介は素直に答えた。


「だとすると相当大変だと思うよ? あそこの教官は恐ろしく厳しいからねぇ……」


 はるか昔の記憶に思いを馳せるように遠くを見つめるセオドニー。


「もしかしてセオドニー様もご経験が?」


「昔、父上の言いつけでねぇ。でも僕は一週間で逃げ出したよ。あの時は父上にものすごい叱られたっけなぁ……」


「そ、そうですか……」


 たしかに見たところセオドニーからはランドルフやブルームのような武人の気配みたいなものは感じない。見た目の印象は美を追求する芸術家である。


「わざわざあんなところに行かなくても、お礼ならちゃんとそれなりの額を渡すよ? 貴族は吝嗇けちじゃないからね。なんなら仕事の口を利いたっていい」


「お心遣いありがとうございます。ただ、今後何をするにしてもまず自分の身を守ることができるようになっておいて損はないかと思いますので、やはりご厚意に甘えて訓練させていただきたいなと……」


「なるほどね……まぁいいや。宿舎への入居と訓練への参加については僕の方から正式に許可を出そう。さすがにシンシアの一存で決めていいことではないからね。本来であれば領主の許可がいるんだけど今は不在だしね。留守を預かる身としては責任重大だよ」


 セオドニーは何の気負いも感じさせない口調でそう言った。


「はぁ、それはどうもありがとうございます」


 修介としてはそう言うしかなかった。

 セオドニーは黙って頷くと、意味ありげに口の端を釣り上げた。


「そういえば、記憶喪失なんだってね」


 やはり聞いていたか、と修介は思った。


「はい。名前以外の記憶は何も……」


「で、本当のところは?」


 修介は危うく反応しそうになったが、なんとか顔には出さずに済んだ。

 努めて冷静に、頭の中で慎重に言葉を選ぶ。


「……本当のところは記憶喪失かどうかも定かではありません。ランドルフ殿によるとエルフや精霊の呪いの可能性もあるとおっしゃってました」


「そういえばそんな話もあったねぇ」


 修介は注意深くセオドニーの表情を窺ったが、そこからは何も読み取れなかった。貼り付いたような笑顔が逆に不安を煽る。

 セオドニーが疑っているのは間違いない。だが、仮に記憶喪失でないことがばれたところで「別世界から転移してきました」と言っても彼は信じないだろう。ならば、しらばっくれて記憶喪失で押し通すしかない。


「実際に精霊の森で記憶喪失になった人とかっているんですか?」


「うーんどうだったかなぁ……たしか数十年前に精霊の森の近くで記憶を失った少年が保護されたことがあって、そこから精霊の森が立ち入り禁止になったんじゃなかったっけかなぁ……」


 なるほど、と修介は納得した。過去に似たような事例があったからこそランドルフも記憶喪失を信じたのだ。


「ところで君のその髪」


「はい?」


「黒い髪はこの国では珍しいんだよね。君はもしかしたらこの国の人間ではないのかもしれないね」


「……シンシア様にも同じようなことを言われました」


 そう言う修介の顔をセオドニーはじっと見つめる。


「……ひょっとしたら他国どころか、君は別の大陸からの移住者かもしれないな」


「別の大陸?」


 修介は首をひねった。たしか海には魔神が存在しているせいで航海ができず、大陸間の交流は途絶えていると自称神の老人が言っていたような記憶がある。


「ん? ああ、たしかに大陸間の交易はここ三〇〇年近く途絶えているけど、まったく船が出ていないわけではないんだよ。あまりにも危険すぎるから誰も積極的に海に出ようとしないだけでね」


 ということは別大陸と定期的な交流がないだけで、人が住んでいること自体は把握しているんだな、と修介は心の中でメモを取った。


「よく見ると君の顔立ちは僕らとはだいぶ違うからね。そんな気がするよ」


 セオドニーやランドルフの顔は前の世界でいうところの西洋人の顔立ちであった。この大陸では修介のような東洋人の顔は珍しいのだろう。海の向こうの大陸には、もしかしたら自分と似たような容姿をした民族がいるのかもしれない。


「でも別の大陸からの船なんてそんなにしょっちゅう来るものなんですか?」


「まさか! 滅多に来ないよ。来たら大事件さ」


「ここ最近で別の大陸から船が来たのはいつですか?」


「たしか……三〇年くらい前に東の海岸に見たこともないような形の船が流れ着いたという話があったなぁ」


「三〇年前なら私は生まれてないですから、違いますよね」


「でもほら、その子孫という可能性もあるだろう?」


「それはたしかに……そうですね」


 その可能性がないことは修介が一番よくわかっていたが、それを言う必要はないのでとりあえず合わせておく。


「……そういえば、たしか今王都で名を上げている冒険者に、別の大陸から来たっていう人がいたんじゃなかったかなぁ」


「そんな人がいるんですね」


 その冒険者の顔を一度見てみたいと修介は思った。もし冒険者になったら会う機会があるかもしれない。


「君が別大陸から来た者の子孫かどうかはさておき、君の失われた記憶にはとても興味があるな。もし記憶が戻ったらぜひともまた話を聞かせてもらいたいなぁ」


 相変わらず仮面のように画一的な笑顔を浮かべるセオドニーからは、その内面を読むことができなかった。楽しくて笑っているというよりは笑い顔を演じているようだった。


「戻った記憶が話しても大丈夫そうな内容でしたら、よろこんで」


 修介も作り笑顔でそう答えた。

 セオドニーは一瞬だけ目を見張ると「……なかなか面白いなぁ君は」と今度は心底楽しそうな顔で笑った。

 修介ははじめて目の前の男から感情を見た気がした。




 セオドニーとの会食を終えた修介は先ほどの客間へと戻ってきた。

 料理はおいしかったが楽しい会食ではなかった。やはり堅苦しいのは苦手だった。しかも相手が相手である。やはり飯はひとりでゆっくり食べるのがいい、そんなことを思いつつソファーに座る。


『いかがでしたか、マスター』


 アレサが平坦な調子で尋ねてくる。いつのまにかこちらから話しかけずとも勝手に話すようになっていることに気付いたが、修介としてはそれで一向に構わなかった。


「なぜかシンシアの兄とふたりきりで飯を食わされた」


『そうですか』


「あの感じだと思いっきり怪しい人間だと思われてるなぁ……」


 修介はセオドニーの張り付いた笑みを思い出して嫌な気分になった。


『それは当然でしょう。マスターははたから見たらかなり怪しいですから』


「言い方な?」


 たしかに滅多に人が出歩かないという南の街道をひとりで歩いていたのだ。挙句に記憶喪失で見た目も珍しいとくれば、怪しさのバーゲンセールである。何か企みがあって屋敷に近づいたと疑いの目で見られないほうがおかしかった。

 シンシアはなぜか信用してくれているが、それは彼女が特殊なだけであって、素性の知れない旅人に接する態度としては、ランドルフやセオドニーの取ったものこそが普通だろう。

 疑われるのは仕方がないが、必要以上に気にしても仕方がない。後ろ暗いところは何もないし、何かを企んでいるわけでもない。わざと怪しい行動を取らない限りは疑いもそのうち晴れるだろう。そもそも招待されてこの屋敷に来たわけだし、余計なことを考えずに屋敷に滞在している間はこの街の生活を楽しんでやろう、くらいの気分でいて丁度いいと修介は考えていた。


 満腹になり食欲が満たされたことで、次なる欲望に抗えなくなってきたことを自覚した修介は、欲望に忠実になるべくベッドに移動し身を投げた。天蓋付きの豪華なベッドは予想通りふかふかだった。

 ベッドの天蓋を眺めながら、今日の出来事を反芻する。

 前の世界でトラックに撥ねられてから、まだ一二時間くらいしか経過していないはずだったが、実に色々なことがあった。

 なかでもホブゴブリンに殺されそうになった記憶は一生忘れられないだろう。今でも思い返すと手が震える。剣で生き物を殺したのも初めてのことだった。

 今後も妖魔と出くわすことがあるかもしれない。妖魔に殺されそうになったり逆に殺したりするようなこの世界にも、そのうち慣れるのだろうか。

 慣れる慣れない以前に、この世界では自分の身は自分で守れるようになっておいたほうがいい。生きるために強くなる、という方針は間違っていないはずだ。

 その機会を与えてくれたシンシア達には感謝すべきだろう。

 これからこの世界でやっていけるのか不安だらけだったが、転移初日の夜が天蓋付きの豪華なベッドの上というのは悪くない滑り出しに思えた。

 そんなことを考えていたら、いつの間にか修介は眠りに落ちていた。



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