第13話 グラスターの街

 馬車の窓から見たグラスターの街は、修介の想像を遥かに超えて大きい街だった。

 ただの街ではない。高い防壁に囲まれた城塞都市であった。

 修介は馬車の窓から顔を出して初めて見る街の姿を観察した。

 防壁の周りは二〇メートルくらいの幅の堀で囲われており、門の前には跳ね橋が架けられている。

 閉じられた門の前にはふたりの兵士が立ち、さらに防壁の最上部にある胸壁にも監視の兵士が複数立っているのが見えた。

 防壁が高いということもあるが、ここからでは街の様子は見えなかった。城があれば尖塔が見えるかと思ったが、それも見えないことからあまり高い建物がない街なのかもしれない。ここだけを見た印象では、街というよりは要塞のようであった。


 これだけ大きな街ならもっと人の出入りが多そうなものだが、門の前に馬車や旅人が列をなしていることもなく、修介は拍子抜けしていた。

 そんな修介の様子を見て察したのか、ランドルフが馬を寄せて声を掛けてくる。


「ここは街の南門だ。街の南側は稀に妖魔が出没するのでほとんど人の出入りがないんだ。逆に北門は王都への街道に続いているので活気があるぞ」


 修介が異世界に転移してからこの街にたどり着くまで、シンシア達以外の人間に出会わなかったのにはそういった事情があったのだ。

 この高い防壁は妖魔の侵攻に備えてのものなのだ。六〇〇年前に魔神に滅ぼされそうになったという歴史がこの街の高く頑強な防壁を生んだのだろう。


 馬車が門に近づくと、すぐさまふたりの兵士がやってきた。兵士はランドルフといくつかのやり取りをした後に壁の上にいる兵士に合図を送った。

 すると、すぐに門が大きな音を立てて開き始めた。

 開かれた門を通って馬車は街の中に入る。

 修介は活気ある市場の姿を想像していたが、門を潜り抜けた先にあったのは市場ではなく更地だった。そして少し先にまた防壁が見えた。


「二重防壁……」


 ずいぶんと防衛に力を入れているらしい。

 先ほどよりは低い防壁を抜けると、今度こそ市街地に入った。

 このあたりは市場ではなく民家が連なっているのか、形も大きさも似たような石造りの家が街路沿いに並んでいる。その街路は不規則に折れ曲がっており雑然とした印象を受けるが、これも街の防衛の一環なのだろうと修介は推察した。


 時刻は夕暮れ時ということもあり、民家からは夕食の支度をしているのであろう煙が煙突から伸びていた。


「この街にはだいたいどのくらいの人が住んでるんですか?」


「およそ二万人といったところかな。土地柄、傭兵や冒険者も多いから、人口はけっこう流動的だな」


 修介の問いにランドルフは少し考えながら答えた。

 二万人というと現代日本の街だと少ないように思えるが、この世界ではどうなのだろうか。何時間も移動してきてようやく街を見たくらいだから、この国の人口はきっと日本とは比較にならないくらい少ないはずだ。そう考えると二万人というのはかなり大きな規模の街なのかもしれない。


 馬車が街に入ってからシンシアはほとんど口を開かなくなっていた。弟のことが気になっているのだろう。スカートを握る手がわずかに震えている。

 しばらく馬車に揺られていると建物が少なくなり、広大な敷地のなかにひと際大きな屋敷が姿を現した。おそらくここがシンシア達の住む屋敷なのだろう。てっきりお城に住んでいるのかと思っていたが、そういうわけではなかったらしい。


 門を抜け、屋敷の入り口前の中庭らしき場所で馬車が止まる。

 屋敷から数人の使用人が駆け寄ってくる。

 シンシアは急いで馬車を降りると、すぐにやって来た女性の使用人に慌てた様子で何かを告げていた。

 修介も続いて馬車を降りた。

 シンシアが足早に近寄ってくる。


「シュウスケ様、申し訳ございません。わたくしはアルフレッドの元へ参ります。後のことはこのメリッサに任せてありますので、何かあれば彼女にお申しつけください」


 言い終わるや否や、修介の返事も待たずにシンシアは数人の使用人と共に屋敷の中に入っていった。

 修介はそれを呆然と見送るしかなかった。

 残されたのは修介とメリッサと呼ばれた使用人のみであった。ランドルフや他の騎士達もいつのまにか姿を消していた。

 メリッサは修介の目の前までくると、流れるような動作で頭を下げた。


「シュウスケ様、わたくしはメリッサと申します。シンシアお嬢様の身の回りのお世話をさせていただいております。これよりお部屋にご案内致しますので、どうぞこちらへ」


「あ、はい。よろしくお願いします」


 メリッサと名乗った使用人は、ややつり目がちで厳しそうな印象を受けるが、かなりの美貌の持ち主であった。よく見ると目の周りに小さな皺があり、ひょっとすると生前の修介と同年代かもしれない。体つきは細く、背筋はピンと伸びているが、その佇まいは柔らかく威圧感はなかった。

 修介としては、ここで獣耳のメイドが登場することをわずかに期待していたが、さすがにそんなファンタジーは起こらなかった。


 屋敷に入るとぴかぴかに磨かれた床の上を歩いて、そのまま正面の赤い絨毯が敷かれた大きな階段で二階へと上がる。

 修介が案内された部屋は客間のようで、生前の修介の部屋のゆうに四倍以上の広さがあった。

 置かれている家具や調度品は、物の価値を知らない修介にも一目でそれが高価なものであるとわかった。両開きのガラス戸がついた棚には高級そうな酒や、凝ったデザインの酒杯が並んでいる。壁の一面には巨大で美しい風景画が飾られていた。

 そろそろ日が暮れる時刻のはずだが、天井や壁に灯りがついており部屋は十分に明るかった。この世界に電灯はないはずだし、ロウソクの灯火ような揺らぎもない。なんの灯りか気になったが、わざわざメリッサに聞いてこの世界の無知を披露することもないだろうと修介は自重した。


 修介が部屋をもの珍しげに眺めていると、メリッサが音もなく近寄ってきた。

 そこからの展開の速さに修介の頭はついていけなかった。

「失礼いたします」の一言から着ていた服を手際よく脱がされ、持ち込まれた水桶の水と手拭いで身体を丁寧に拭かれ、ついでに足の傷の包帯も取り替えられ、真新しい肌触りの良い服を着せられていた。そして言われるがままにソファーに座り、気づいたらメリッサが入れてくれたお茶を飲んでいた。ソファーは体が埋もれるのではないかと思うくらい柔らかかった。


「わたくしは一旦失礼いたします。夕食の準備が出来ましたら呼びに参ります」


「……どうも」


 メリッサは一礼すると部屋を出て行った。

 呆気にとられた修介はとりあえずお茶を堪能することにした。修介に茶を嗜む趣味はないので詳細は不明だが、たぶんこれは紅茶の類だろう。ダージリンとかアールグレイとか種類があるのかもしれないが、違いなんてわからなかった。



 広い部屋にひとり取り残されると、修介は急に不安になってきた。

 シンシアはアルフレッドの元に行くと言っていたからしばらくは来ないはずだ。

 残念ながらアルフレッドは早晩亡くなるだろう。そうなるとしばらくは屋敷内が慌ただしくなるに違いない。もしかしたら数日は放置されるのかもしれない。事情が事情なだけに仕方がないが、修介は自分が厄介者である自覚があるだけに、申し訳なさと不安な気持ちが入り混じって落ち着かなかった。


「ひとりでいるとダメだな……」


 修介はそうつぶやき立ち上がると、荷物がまとめて置かれているところからアレサを手に取ってから再びソファーに戻る。


「オッケー、アレサ」


 日本語でコマンドワードを言うと、握った柄がわずかに震えた。


『マスター、コマンドワードは不要です』


「へ?」


『あれは初回起動時のみです。今後は普通に話しかけていただいて結構です』


「ずっと起動しっぱなしなの?」


『はい』


 よく考えてみたら電源をオフにする方法すら聞いていなかった。


「ってことは、これまでの一連の出来事も見聞きしていたの?」


『いいえ。音声は認識していましたが、見てはいません。私はマスターが柄を握っている時のみ視覚を共有できます』


「そんな仕様だったのか……」


 アレサには会話するだけの機能しかないと思っていたが、修介が思った以上に多機能なのかもしれなかった。


「動力源とかどうなってるの? ずっと稼働していて電池とか大丈夫なの?」


『動力源は電池ではありません。動力源については説明したところでマスターには理解できないでしょう。連続稼働時間は人間の時間に換算するとおよそ八〇〇年です』


「……ずいぶんと長持ちだな」


 さすが人類の科学を超越した技術で作られているだけのことはある。

 充電とか余計なことを考えなくていいのは助かる話ではあった。


「他にはどんな機能があるの? 周囲を索敵できるセンサーとかあるの?」


『マスター、同時にふたつの質問をするのはやめてください』


 修介、人工知能に怒られる。


「す、すまん。周囲の状況を確認できるセンサーとかは搭載されているの?」


『センサーはありますが、私を中心に半径二メートル圏内のみです』


「狭っ! 使えねぇ……」


『何か言いましたか?』


 抑揚がないくせに妙に迫力がある声を出すとは無駄に高性能だった。


「例えば、離れたところから俺の元に飛んでくるーみたいな機能はある?」


『あるわけないでしょう。マスターはアホですか』


「……」


『私は自分の体は動かせません。できるのはせいぜい振動することくらいです』


「そうか……」


 多少性格に難があるようだが、異世界にひとり放り出された修介にとって、会話する相手が常にそばにいるというのは正直ありがたかった。


 その後も色々と質問を重ねたが、あくまでもガイド役としての機能だけで、戦闘や旅に役に立つ機能はなさそうだった。

 とはいえ、先の戦闘でアレサの声に助けられたのは事実である。


「さっきも言ったかもしれないけど、戦闘中に何度か声を掛けてくれただろ、あれは正直助かったよ。ありがとう」


『私はマスターの生活をサポートするガイド役です。私の機能の範囲内で手助けできることがあればそれを行うのは当然のことです。お礼は不要です』


「まぁ、とにかく助かったよ。これからもよろしく頼む」


『了解しました』


 これからの生活でアレサを頼る場面は多くなるだろう。人工知能に感情や好き嫌いがあるかはわからないが、ここまで流暢に会話できるくらいの性能ならあるという前提で仲良くしたほうがいい。修介はそう判断した。


『ところでマスター』


「ん? なんだ?」


『記憶喪失とはベタな設定にしましたね』


「ほっとけ! この世界について事前学習なんてしてないんだから、そうするほかないだろうが!」


『小娘の同情を上手く引けたので、良い選択だったと思います』


「嫌な言い方するな!」


 修介は気恥ずかしさを覚えて窓の外に視線を向けた。

 外はすっかり暗くなっていた。

 ふと、この世界の夜空がどんなものなのか見たくなって、修介はアレサを持ったまま窓際まで歩み寄った。

 両開きの窓を開けると、顔を出して夜空を眺める。

 まだわずかに太陽の光の残滓が残っている空だったが、すでにそこには都会の夜ではまず見られない幾億の宝石を散りばめたような星空が広がっていた。

 星が良く見えるのはこの世界の空気が前の世界よりも澄んでいるからだろう。そしてこの街の灯火は前の世界の都会のようにネオンに彩られてはおらず、ささやかなものであった。まるで前の世界とこの世界で空と大地を入れ替えたようだった。

 こんな綺麗な星空を見たのは幼少の頃に田舎の祖父母の家に遊びに行った時以来だろうか。懐かしい思い出に思わず口元に笑みが浮かんでいた。

 元が地球と同じ星であるなら星座なども同じなのだろうかと興味を抱き、修介はあらためて星空を眺めてみたが、そもそも星座にまったく興味がなかった修介にはその違いはわからなかった。


 星空を堪能した修介は窓を閉めてソファーに戻る。

 今度は部屋を照らす灯りを眺めながら修介はおもむろにアレサに尋ねた。


「そういえば、この部屋の灯りってどうなってるんだ? 電気じゃないよな?」


『魔道具です。光の魔術が仕込まれていて、一定時間光を灯す仕組みになっているようです』


「へぇそんな便利なものがあるんだ」


 修介はソファーから立ち上がると壁に掛かっているカンテラのような道具に近づいて手に取った。ガラスに覆われた中心部分から電球色の光が放たれているが、あきらかに電気によるものではなかった。


『そのランプの底の部分に薄い金属の板が付いていると思いますが、そこに触れると体内の魔力に反応して灯りが付く仕組みです』


「スイッチみたいなものか。俺が今触っても大丈夫?」


『スイッチのように入れたり切ったりはできない仕様です。触れると一定時間稼働します』


 そう言われてあらためてランプを見てみると、光を漏れないようにするための蛇腹式のカバーが上部に取り付けてある。暗くしたいときにはこれを下ろす仕組みらしい。


「ほー。これって割と便利だけど、一般には出回ってたりするの?」


『魔道具は高価なものです。庶民ではまず手に入れられないでしょう』


「さすがは貴族様の家ってことか……」


 修介は高価と聞いてすぐにランプから手を放した。壊したら今の修介では弁償のしようがない。


『魔道具は滅びた魔法帝国時代の技術です。光るランプ程度なら今の魔法技術でも再現できたようですが、多くの技術が今も失われたままです』


「なるほどね……」


 魔法帝国にはかなり進んだ魔法技術があったということなのだろう。最盛期には三つの大陸を支配していたというくらいだ。もっとすごい技術があってもおかしくない。

 修介は失われた技術にどのようなものがあったのか興味を持ったが、おそらくアレサに聞いても教えてはもらえないだろう。この世界での謎は修介にとっても謎でなくてはならないからだ。


『魔法帝国の支配は大陸のみならず、その地下にも及んでいたといいます』


「地下?」


『大陸の地下には魔法帝国時代の施設の跡がいくつも残っているそうです。この国の冒険者の多くはその地下施設を探し出し、そこから魔道具の残骸などを発掘することを生業にしています』


「トレジャーハンターってやつか。それはなかなかに浪漫あふれる話だなぁ」


 浪漫はあったがそれ以上の危険がありそうなので、積極的に行きたいとは思わないが、ダンジョン探索はファンタジー世界の王道である。修介は機会があれば一度くらいはダンジョンを見てみたいと思った。


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