第8話 命のやり取り
目の前の人間が突然奇声を発したことで、驚いたゴブリン達は後ずさる。
それを見た修介は両手で剣を握りしめ、そのうちの正面の一体に斬りかかった。
「おりゃぁ!」
だが、修介の剣は気合の割には腰が引けていた為、ゴブリンの小剣に簡単にはじかれてしまった。
「あ、あれ?」
修介はたたらを踏んだ。
まるで自分の体ではないかのように力が入らない。
左側のゴブリンがすかさず斬りかかってくるも、後ろに下がってなんとか躱す。すばしっこそうな見た目に反し、ゴブリンの動きはそれほど素早く感じなかった。
(でもこのままじゃダメだ……)
生まれてこのかた剣を握ったことがない人間が剣を上手く振れるはずがないのだ。
ならば、振ったことがある物は何か。
頭にイメージが浮んだ。
今度は右側にいるゴブリンが猛然と襲い掛かってくる。
修介は咄嗟に剣の持ち方を変える。野球のバットを握る要領で柄を握ると、飛び込んできたゴブリンの胴体めがけ、力いっぱい横なぎに振りぬいた。
修介の全力の一撃を胴体に喰らったゴブリンは、ギャッ、という不快な叫び声とともに派手に吹っ飛びそのまま地面を転がった。
手にはゴブリンの肉を叩いた感触が生々しく残っていた。
――まだ、ゴブリンは二匹いる。
今は余計なことを考えてはダメだ。
そうじゃないと恐怖で心が持っていかれそうだった。
「うおらぁかかってこいやああぁぁぁぁ!」
修介は自分に活を入れるため再び大声を上げた。
仲間がやられたことで動揺したのか、残りのゴブリン達は飛び掛かろうという姿勢のまま動きが止まっていた。
修介は再び正面のゴブリンに向かって突進し、さっきと同じ要領でゴブリンの胴体を狙う。
ゴブリンは手に持った小剣でそれを防ごうとしたが、腕力も体格も修介の方が圧倒していた。
くぐもった激突音が起こり、押し負けたゴブリンの胴体に剣が食い込んだ。
致命傷にこそならならなかったが、それでもダメージは与えたらしく、ゴブリンは脇腹を押さえがらよろよろと後ろに下がった。
『マスター』
突然のアレサの声で、修介は視界の端で飛び込んでくるゴブリンの姿を捉えることができた。左側にいたゴブリンだ。
慌ててその場を飛び退くと、ついさっきまで修介の体があった空間にゴブリンの小剣が勢いよく通過していった。
ゴブリンは攻撃が空を切ったことでバランスを崩していた。
修介は外角高めのボールをはじき返すイメージで、ゴブリンの側頭部めがけてアッパースイング気味に剣を振るった。
「うらぁ!」
ゴンッ、という鈍い音とともに、頭を打ちぬかれたゴブリンが勢いよく半回転して地面に激突する。
「あ、危なかった……」
アレサの一言がなければやられていた。
危うく切られそうになったことで、再び恐怖が鎌首をもたげてくる。
修介はその恐怖を必死に飲み込み、剣を構える。
それを見た残り一匹のゴブリンが怯えたような表情を浮かべ後ずさる。
「はぁはぁはぁ……」
修介は肩で息をしていた。たった数回全力で剣を振っただけでこの有り様だった。
緊張のあまり心臓の音がバクバクと耳の中に響いてうるさかった。
――あと一匹……。
当初の三対一の状況から考えれば、かなり優位に立ったといえる。
そして、修介は案外ゴブリンが強くないということに気付いた。
(あれ、もしかしたらこのまま勝てるんじゃないか? よく見たら相手は小学生みたいなものだし、曲がりなりにもこっちは大人だし、生前は結構筋トレとかしてたし、こんなガキみたいな奴らに負けるはずなくね?)
ビギナーズラックとはいえ、二匹のゴブリンを倒したことで修介は気が大きくなりはじめていた。
だが、その気勢は次の瞬間脆くも崩れ去ることになる。
ゴブリンの背後の茂みがガサガサと音を立てた。
直後に茂みからあきらかにゴブリンとは違った人影が現れる。
現れた人影は手に大きな剣を持っており、ゴブリンに輪をかけて醜悪な見た目をしていた。その見た目はゴブリンに似ているのだが、体の大きさが違った。明らかに修介より大きかった。筋骨たくましいその体はおそらく二メートル近くあるだろう。獰猛な目と涎を垂らした口元。そこから見える黄ばんだ歯。鼻も顎も平べったく、その容貌は醜悪の一言に尽きた。
『ホブゴブリンです』
修介が尋ねる前にアレサが言った。
『危険です。逃げてください』
なんの説明もなく逃げることを推奨してくるアレサ。目の前の妖魔が危険なのは見た瞬間に修介にもわかったが、逃げるにしても後ろにいる少女を置いて行くわけにはいかない。なんとかホブゴブリンを引き付けて、少女だけでも先に逃がしたいところだった。
だが、そんな修介の考えなど気にしていないとばかりに、ホブゴブリンは残ったゴブリンの背後に近づくと、片手で剣を無造作に振り上げ、そして軽く振った。まるで邪魔なゴミを掃ったかのような気軽さだった。
ゴブリンが棒切れのように吹っ飛ぶ。
吹き飛ばされたゴブリンは大量の血を流しながら痙攣し、そのまま動かなくなった。
ホブゴブリンはゴブリンの死体に目を向けることもなく、ゆっくりと歩いて修介の目の前に立つと「ガアアアアッ!」と歯をむき出しにして威嚇した。
酷い口臭だった。
不快さと恐怖で修介は思わず後ずさる。
ゴブリンが小学生なら、目の前のホブゴブリンはプロレスラーである。その太い腕から繰り出される一撃は、当たれば間違いなく人間を即死させるだけの威力があるだろう。修介は目の前の化け物にまったく勝てる気がしなかった。
逃げ出したくなるほど怖かったが、そもそも目の前のホブゴブリンが素直に逃がしてくれるとは到底思えない。
ならば、やられる前にやるしかない。
修介は覚悟を決めて剣を持つ両手に力を込めた。
「ハァッ!」
吐く息とともにホブゴブリンの胴体めがけて全力で剣を叩き込む。
だが、修介の全力の攻撃はホブゴブリンにいともたやすくはじかれた。
「なっ!?」
はじかれた勢いで剣が宙を泳ぎ、思わず左手を柄から放してしまう。残った右手でなんとか剣を握りしめるが、勢いは衰えず体のバランスが崩れる。
ホブゴブリンが無造作に剣を振った。
次の瞬間、左腕がちぎれたのではないかと錯覚するほどの激痛が全身を駆け巡った。
ホブゴブリンの剣は修介の二の腕を切り裂いていた。
傷口から真っ赤な血が噴き出す。
修介は右手に持っていた剣を思わず放し、無意識に傷口を押さえた。剣が乾いた音を立てて地面を転がる。
「あがああああぁぁッ!」
自分の声じゃないような悲鳴が意志とは無関係に漏れ、頭の中が痛覚に支配される。
『マスター!』
アレサの声でなんとか意識を現実に保つ。
慌てて地面に落ちた剣を拾い、転がるようにしてホブゴブリンから離れる。
尻もちをついたまま、修介はホブゴブリンを見た。
ホブゴブリンは余裕の表情で修介を見下ろしていた。その口元には
剣で切られたという事実によって、体中のアドレナリンが血とともに流れて出てしまったかのように修介の心は再び恐怖に支配された。
額から脂汗がにじみ出る。恐怖と痛みで目からは涙が止めどなく流れ、口からは嗚咽が止まらない。少女が見ていることも忘れ、無様に尻もちをついたまま後ずさることしかできなかった。
だが、ホブゴブリンはすぐに修介に止めをさそうとはせず、威嚇するかのように目の前で手に持った剣を振り回す。まるでヌンチャクのように高速で動く剣は、修介の死が避けられない運命であることを暗示しているかのようだった。
ホブゴブリンは明らかにこの状況を楽しんでいた。獲物を恐怖のどん底に叩き落としてから無残に殺す。その未来に酔っているのだ。
ひとしきり剣を振り回すと、ホブゴブリンはおもむろに手に持った剣を振り上げ、無造作にそれを振り下ろした。
「ヒィッ!」
情けない声が口から出る。
それでも無意識に体が動いていた。修介は文字通り転がってなんとか致命的な一撃を躱した。
足に鋭い痛みが走る。躱した際に自身の剣で誤って切ってしまったようだ。
止めの一撃を躱されたことで、あからさまに苛ついた唸り声をあげるホブゴブリン。
再び修介の目の前までくると顔を突き出し、歯をむき出しにして咆哮を上げた。
修介はその迫力に圧倒され身動きが取れなくなる。
再びホブゴブリンが剣を振り上げた。
「――ッ!!」
思わず腕で頭を覆い目をつぶる修介。
だが、いつまで経っても剣は下りてこなかった。
代わりにホブゴブリンの悲鳴が森に響き渡る。
おそるおそる目を開くと、少女が背後からホブゴブリンに短剣を突き刺していた。
少女は自分の取った行動が自分でも信じられなかったのか、驚愕の表情を浮かべながら短剣から手を放すと、よろよろと数歩下がり、そのままへたり込んでしまった。
背後からの不意打ちをくらったホブゴブリンは、ぶるぶると体を痙攣させながら剣を取り落とした。
『マスター!』
アレサの声が耳に届く。
だが、咄嗟に意味が理解できなかった修介は思わず少女を見る。
再び目が合った。少女の目には恐怖に囚われながらも生きようとする強い意志の光が宿っていた。
次の瞬間、修介の身体は恐怖から解放された。
修介は右手に持った剣を抱えるようにして、無我夢中でホブゴブリンの胴体目掛けて体当たりした。
剣はホブゴブリンの腹部に深々と突き刺さり、筋繊維を引きちぎるようなプチプチという感触が剣を通して手に伝わってきた。
ホブゴブリンはごぼごぼと口から血を吐きながら、どうっ、と仰向けに倒れた。
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