第5話 異世界言語問題

「もうこの際じゃから、疑問があれば今のうちに聞いておいてもらえるかの。むろん答えられんこともあるが」


 転移の準備が完了するまでに少しだけ時間があるということで、老人は修介に質問タイムを設けた。


「そういえば、ヴァースって日本語は通じるの?」


 修介は生活していく上で欠かせないコミュニケーションについて確認した。


「通じるわけがなかろう」


「ま、まさかこの歳で一から言葉を学べとか言うの? 言葉が全く通じないところでそれやるの正直厳しいんだけど」


「そうかの? おぬしの世界では語学は現地でたくさん会話することですぐに上達するようじゃがの」


 まさかの現地で覚えろ発言に修介の顔は真っ青になる。確認しておいて本当に良かったと心から思った。


「そりゃそうかもしれないけど、それはある程度の予備知識があればの話でしょ。初めて行く異世界で言葉がまったく通じないのはハードモードすぎるって。英語が通じるとかなら辛うじてなんとかなるかもしれんけど……」


「通じるわけがなかろう」


「じゃあ無理」


「おぬし、そんなんばっかりじゃのう」


 老人は呆れを通り越して憐みのこもった目で修介を見た。


「言わないでくれ……俺もここにきてから自分の無能ぶりに結構ダメージ受けてるんだからさ……」


 異世界に転移するにあたって、四三年間生きてきた人生のアドバンテージが今のところ本当に皆無だった。

 レアなイベントを引き当てた稀有な魂という一点だけが、修介が転移する理由である。つまるところ本人の実力によるものは何もないということで、落ち込むなと言うほうが無理な話であった。もっとも、異世界行きは先方の都合なので、無能だろうがなんだろうが知ったことではないのだが。


「まぁ、会話に関してはこちらでなんとかしよう」


「翻訳が可能なこんにゃく的な道具でもあるの?」


「そんなものはないが、いくつか方法はある」


「お、そうなの?」


 学生時代から語学が苦手だった修介にしてみれば、勉強せずに現地の言葉が使えるようになるのは正直ありがたかった。


「てっとり早いのが、現地の誰かの記憶を丸々おぬしの頭に移植することじゃの。最初は二人分の記憶が混同してややこしいことになるかもしれんが、時間が経てば記憶も安定するじゃろう」


 他人の記憶を持つとどういう事態になるのか、経験がない修介には想像もつかなかったが、言語をひとつマスターすることと等価交換になるのかどうかは判断が難しいところであった。赤の他人の記憶がさも自分の記憶のように蘇るのであれば、ごめん被りたいところである。


「ほ、他の方法は?」


「おぬしがさっき言ったこんにゃくに近い方法じゃの。おぬしの脳に『世界事典』の言語ツールをインストールするのじゃ。このツールを使うと脳内で自動的に現地の言葉を日本語に翻訳してくれるのじゃ」


「ほう……」 


 頭に何かをインストールされることに忌避感はあったが、修介としてはこちらのほうが良いように感じた。


「ただ、この方法だと読み書きはできん。会話だけじゃ。あと、脳内で勝手に翻訳されるので、おぬしが喋る時は日本語で話したつもりが口は勝手に現地の言葉を喋っているという感じになるので慣れるまでは違和感があるじゃろう」


「なるほど」


「あと、このツールはパッシブスキルとなっておるので、おぬしが意識しない限り、日本語ではなく勝手に現地の言葉になる。日本語を話したい時は、強く日本語であることを意識しないとダメじゃ」


「ま、まぁ異世界で日本語を使う機会はそうそうないと思うけど……」


 パッシブスキルとはこちらから能動的にその能力を発動するのではなく、常時その効果が現れる能力のことを指すオンラインゲームなどでよく使われる言葉である。この言葉のチョイスは老人が修介の記憶を検索して理解しやすい言葉を選んだのだろうが、やはり老人の口から聞くと違和感が拭えなかった。


「その言語ツールは脳にものすごい負担が掛かったりとかしないの?」


「今まで何人かの人間に試したことがあるから、たぶん大丈夫じゃろ」


「たぶん……」


 一抹の不安があったが、こればかりは背に腹は代えられなかった。読み書きに関しては勉強すればなんとかなりそうだが、言葉が通じないのはどうしようもない。

 リスクはあったが他人の記憶を移植されるよりはマシだ、と修介は判断した。


「どうするかの?」


「言語ツールでお願いします」


「わかった。再生しているおぬしの肉体にインストールしておこう」


「ところでさっき話に出てきた『世界事典』ってなに?」


「確かおぬしの世界にも似たような概念があったのう。アカシックレコードじゃったか。イメージとしてはそれが近いじゃろう。数多ある並行世界の全ての事象を記録しているデータベースじゃな」


 そういえばそんな物あったな、と修介は思った。子供の頃にテレビか何かで見て興味を持って調べた記憶がある。たしか『元始からのすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶の概念』だったか。


「ありとあらゆる事象が記憶されているなら、もしかして三億円事件の犯人なんかも記録されてたりするの?」


「すべてが記録されている、と言ったじゃろう。おぬしの仕事の不始末からおもらしの回数まですべてじゃ」


「すごいな」


 小学生並みの感想であったが、修介にはスケールが大きすぎてそれ以上の言葉は出てこなかった。


「わしが今こうして日本語でおぬしと会話しているのも、『世界事典』の言語ツールを使っているからじゃ。おぬしの持つわしに対するイメージに近い言葉遣いになっておるじゃろう」


 たしかに老人の見た目に合った老人らしい口調であった。これが『世界事典』の言語ツールによる翻訳の結果だとしたら大した性能である。



「さて、そろそろおぬしの肉体の再生が終わるの」


 修介は老人の言葉を聞いて若干慌てた。今の言語問題のようなクリティカルな事案がまだ残ってそうな気がするからだ。

 だが、いざとなると焦ってしまい特に何も思い浮かばなかった。


「それでは、おぬしを異世界に転移させるとするかの」


「いよいよか……」


 修介はさすがに緊張していた。それと同時に新しい世界と新しい人生に少しだけ期待している自分もいた。


「おっと、言い忘れておったが、おぬしにプレゼントを用意しておいた」


 最後の最後でのサプライズに修介は目を丸くする。


「プレゼント?」


「向こうの世界でおぬしの生活をサポートする為のガイド役を用意しておいた。向こうの世界の一般常識やサバイバル知識などはそのガイド役から聞くがよかろう」


「ガイド役って現地の人とか?」


「そんなわけなかろう。高い知能を持った剣じゃな」


「剣? 剣がしゃべるの?」


「そうじゃな」


「なんで剣?」


「そういうの好きじゃろう?」


「……嫌いではないな」


 こちらの趣味嗜好を完璧に把握されているので、ごまかしたところで無意味だろう。それに知能を持った剣を持つとか、いかにも物語の主人公っぽくて修介の少年心をくすぐった。

 趣味嗜好でいうなら、人工知能を持った美人アンドロイドがベストなのだが、あえてそれを外してきたのはこちらに対する嫌がらせなのだろうな、と修介は邪推した。

 実際のところは人型にすると、修介は自分でやらずにあらゆる事をガイド役にやらせるだろう、と老人が判断したからであった。そしてその判断は間違っていない。


「向こうについたら、剣の柄を握りながらコマンドワードを言って起動させるがよい」


「ほうほう」


「起動用コマンドワードは『オッケー、アレサ』と日本語で言うのじゃ」


「オッケー、アレサ……」


 それ日本語じゃねーし、と修介は心の中で突っ込んだ。


「何かあればそのガイド役に聞くがよかろう」


「わかった。ありがとう」


 アレサ、というのはおそらく人工知能の名前なのだろう。どうせこれも記憶から勝手にイメージを引っ張ってきたんだろうから、何か言うだけ無駄であった。

 とりあえずガイド役を用意してくれた老人の心遣いは素直にありがたかった。


「それでは転移させるぞ」


 老人は杖で地面を軽く叩いた。

 修介の身体が淡い光に包まれていく。


「おぬしの新しい人生に幸多からんことを……」


 修介は何か言おうとしたが、すでに身体は失われていた。

 次の瞬間意識が薄れ、修介は闇の世界へと落ちていった。

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