第4話 プランB
「俺をそのまま転移させる?」
「そうじゃ。他人の肉体に転生しないとなると、おぬしの肉体を再生し、その肉体に魂を入れるしかないじゃろ。あまり推奨はできんがの」
「なるほど、それで転生じゃなくて転移か……」
正確にはそれも違うのだろうが、自分の肉体のまま、という意味では転移と言えるだろう。他人の肉体に魂を入れられる苦痛を考えれば全然マシである。
だが、それはそれで問題が山積みであることに修介は気付く。
「それで、向こうで再生される俺の肉体には、その……なんていうか、特殊な力とかあったりするの?」
「ん? どういうことじゃ?」
老人は発言の意図がわからず聞き返す。
「いや、ようするに異世界転生でありがちなチート的な能力を持ってたりしないのかなーって思って……」
四三歳にもなってチートとか言っちゃう自分が恥ずかしくて、修介は思わず顔を背けてしまった。
「チートって、おぬしズルがしたいのかの?」
「いやそうじゃなくて、ほら俺って平和な日本で育った人間なわけだろ? 剣も握ったこともなければ、当然魔法も使えない。殴り合いもまともにしたことないわけで……はっきり言って今の俺の肉体だとモンスターがいる異世界で生き残れる自信がない」
なさけないことを自信満々に言い放つ修介。
「なるほど、おぬしの知識ベースで言うと、チート……つまり異世界で無双できる力が欲しいと」
「そ、そうなるかな」
「無理じゃな」
老人は考えるそぶりすら見せずに即答した。
「なんで!?」
「まずおぬしを無双させる意味も必要性もない。それから向こうの世界のバランスを崩すつもりもない。ついでにいうとルールに抵触する。なので無理じゃ」
「くっ」
いい歳して無双することを夢見た修介の野望は一瞬で潰えた。
「いやでもさ、俺こう見えても結構無能だよ? サバイバル知識も生活力もないよ? わざわざ転移させたのに俺が向こうであっさり死んじゃったら、それはそれでそっちにとっても都合が悪いんじゃないの?」
「そう思うならおとなしくアルフレッド君に入ってくれんかの」
「それは無理」
「では、諦めてもらうしかないの」
さしもの修介も自分が相当なわがままを言っている自覚はあった。
そもそも俗にいうチート能力とやらは、自分の努力ではなく他人から与えられた力である。そんないつ失われるかもわからない力を考えなしに使っているラノベ主人公のことを修介は滑稽だとさえ思っていた。
だが、いざ自分が異世界に行くとなったら話は別である。なんの力も持たない中年が異世界で生きていく為に、支えとなる能力を欲するのは当然である。自身の安全の為にもそう簡単に引き下がるわけにはいかなかった。
「じゃあせめてトラックに撥ねられても死なない強靭な肉体にしてもらうとか!」
「それはもはや人間ではないの」
「誰にも負けないくらい喧嘩が強いとか!」
「向こうに行ってから真面目に鍛えればよかろう」
ド正論である。修介はぐうの音も出なかった。
「だから、プランBは推奨できんと言うたじゃろうに」
「そうは言うけどさ、俺もう四三歳だよ? 特別な才能もなければ、頭も別段良いわけじゃないし、体力だって年齢相応で今から鍛えたところでたかが知れてるよ。そんななんの取柄もないおっさんをそのまま異世界に放り出すとか酷すぎない?」
「自分で言ってて悲しくならんか?」
「言わないでくれ……」
「何度も言うが、その為のアルフレッド君なのじゃが」
「それは無理」
老人は「やれやれ」と首を横に振った。
「とはいえ、こちらとしてもおぬしにすぐ死なれてしまうと困るのは確かじゃ……」
老人はしばし思案顔を浮かべていたが、やがてひとつため息をつくと口を開いた。
「……仕方ないの、おぬしの肉体をいくらか若返らせよう」
「マジか! っていうかそんなことできるの?」
「ルールでは禁止されておらんから、できるじゃろう。普通はやらんがの」
「やった!」
修介は思わずガッツポーズをした。
若返ると聞いて喜ばない人間はいないだろう。
「そのままの状態ではあまりにも役に立たなさそうじゃからのう、やむをえん」
「自分で言った手前でなんだけど、神様けっこう酷いな……」
「それで、どこまで若返らせるかなんじゃが……ヴァースでは一五歳で成人ということになっておるから、そのくらいの年齢でよいかの?」
異世界だと一五歳成人がトレンドなのはなぜなのだろうと疑問に思ったが、とりあえずその疑問は脇に置いて修介が口にしたのは拒否の言葉だった。
「いや、一五歳はダメだ」
「じゃが、それ以下の年齢にするとひとりで生活していくのは難しいぞ?」
「逆だ。一七歳にしてくれ」
「なぜ一七歳?」
「一五歳の頃の自分が生命体として中途半端すぎて気持ち悪かったからだ。もうあの頃には戻りたくない。二次性徴が終わった一七歳くらいがいい」
修介はかつての自分も含め、男子中学生という生命体を嫌っていた。中途半端に生えてる髭。変声期特有の不気味な声質。子供と大人の狭間という生命体として中途半端な状態が生理的に受け付けられなかった。いくら若返るといっても、その年代にだけはもう二度と戻りたくなかった。
「……まぁよくわからんが、いいじゃろ。では一七歳くらいの肉体にしよう」
老人には修介のこだわりは理解できなかったが、人間にはこういう他人には理解できないこだわりを持つ者がいることを、知識として持ってはいた。
「一七歳かぁ……若いなぁ」
見た目は青年、頭脳は中年。
修介には四三年という人生の経験値がある。経験豊富な頭脳に若い肉体が合わされば、いくらでも未来が切り開けるはずだ。
だが、修介は自分の能力をまったく信じていなかった。おそらく異世界では日本での経験はあまり役に立たないだろう。パソコンやWEBの知識は当然として、車の運転技術も向こうでは無用の長物だろう。サラリーマン時代に培った社会経験とクレーム客のあしらい方などはどこかで役に立つだろうか。
残念ながら、異世界に持ち込んで無双することができそうな現代技術の知識を修介は持っていなかった。もっとも、仮に何か持っていたとしても、産業革命を起こして世界を動かそうとか、巨万の富を築こうといった野望はなかった。どちらかというとそれに付随するであろうトラブルや身の危険などを煩わしいと感じるタイプであった。ようするに面倒くさがりなのである。
ちなみにノーフォーク農法は名前だけ知っていた。
経験豊富な頭脳といったところで、修介の頭ではたかが知れていた。
「俺の四三年の人生ってなんだったんだろうな……」
修介は自分の人生を思い返して切なくなった。
「なんじゃ、やはりアルフレッド君の出番かの」
「出番ないから!」
四三年の人生経験によるアドバンテージはなさそうだが、若返るわけだし、あらためて経験を積んでいくしかない。修介は気持ちを切り替えた。
無双できるチートスキルは手に入らなかったが、若返って青春時代をもう一度やり直せるというのはある種のチートだろう。「若い頃もっと真面目に勉強しておけばよかった」という誰もが思うであろう願望を実現できてしまうのだ。
「では話は終わりじゃな。さっそく向こうの世界におぬしの肉体を再生させよう」
そう言うと老人は手を動かして浮いていた水晶玉を地面の中に沈めた。
その様子を眺めながら修介は考える。
本当にこのまま転移してしまっていいのか。
他にこの場で成すべきことがあるのではないか。
四三年間使ってきた頭をフル回転させた結果、修介は大事な事を思い出した。
「待った!」
修介は手を挙げて叫んだ。
「なんじゃ」
「肉体を再生させるのなら、いくつか要望がある」
「要望? 言うておくが身体能力の強化はせんぞ?」
「いや、そういうのじゃなくて。もうちょっとささやかなものだから」
「……とりあえず言うてみろ」
老人は呆れた顔をしながらも修介に先を促した。
「まず、視力だ。俺はかなり目が悪い。普段はコンタクトをしているけど、異世界には当然コンタクトレンズなんてないだろ? このままだと日常生活もままならないから、視力を向こうの世界の平均値くらいにはしてほしい」
修介はこれを思い出せたのはファインプレイだと思っていた。
この空間で再生された修介は、どういう理屈なのかはわからないが普通に物が見えている。だが、老人はこれから肉体を再生させる、と言っていた。つまり今の肉体は仮の物なのだ。何も言わなかったら、向こうに転生した途端に「なんも見えん」という事態になりかねなかった。ちなみに一七歳の時にはすでに修介の視力は悪かった。
「ふむ、まぁそのくらいならルールに抵触せんからいいじゃろう」
「よし!」
修介は拳を握りしめた。まずはひとつ。
「次に――」
「まだあるのか」
老人の見慣れた呆れ顔には目もくれず、修介は次の要望を口にした。
「将来、禿げないようにしてくれ!」
「は?」
「いやだから、頭が禿げないようにしてほしいの! 見てほら、俺の頭。ぱっと見だとわかりづらいけど、だいぶキテるんだって。このままだと一〇年後ヤバい。できればじじいになってもフサフサでいたい。頼む。今よりほんの少しでいいから強い毛根を俺にさずけてくれ!」
修介は自分の頭髪を指さしながら必死で訴えた。ちなみに修介の亡き父親も晩年は立派なバーコード禿だった。遺伝的に考えれば自分の頭髪の未来はかなり暗いだろう。
「……今まで何人もの転生者を見送ってきたが、そんなくだらないことを頼んできたのはおぬしが初めてじゃ」
老人は呆れ顔を通り越して無表情になっていた。
「何言ってんの! くだらなくない! とても大事! 禿げない未来が約束されていることによる安心感は異常!」
「ふむ……それでおぬしが転移に前向きになってくれるのであれば、まぁいいじゃろ。ほんのちょっと毛根を強くする程度じゃぞ。頭皮の状態なぞ環境でいくらでも変わるから将来禿げないという保証はないからの」
「オッケーオッケー」
これでふたつ。いよいよ本命だ。
「最後に――」
「ええかげんにせい」
「最後、最後だから!」
「……」
「最後に、俺の股間の
修介、ここにきて一番のマジ顔だった。
「却下じゃ」
「なんで!?」
「さっきの毛根程度ならよいが、それはあきらかに身体強化じゃ。見た目も大きく変わるし、ルールに抵触する」
「そんな……」
修介は膝から崩れ落ちた。
サイズが大きくなれば、もっと自分に自信が持てるようになるのに。他の野郎に無駄にマウントが取れるようになるのに。新しい自分に生まれ変われるのに……。
「そもそも、その股間の一物はおぬしが四三年間という長い時間をともに過ごした同胞であり、息子みたいなものじゃろう。それを見捨てるのか?」
「う……」
「見た目が変わることにあれだけ抵抗したくせに、そこは変わってもいいと言うのは少し虫が良すぎるのではないかの」
またしてもド正論であった。
修介は己の欲望のために、最愛の息子を見捨てようとしたのだ。それは決して許されることではなかった。
「すまない。俺が間違っていた……」
はたしてその謝罪は老人に向けてのものだったのか、息子に向けてのものだったのか、もはや修介にもわからなかった。
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