第2話 爽やかだからといって安心出来ない





 ここで働くようになって、学んだことはたくさんある。

 そのうちの一つが、人は見た目によらないということだ。

 本当にまさかと思うような奴ほど、その中身はおかしい。


「今日は、ご主人様に一番に挨拶が出来たんです!」


「どれぐらい部屋の前で待っていたんだ?」


「えっとですね。今日はそこまで待たなかったんで、一時間ぐらいです」


「そうか。朝練はどうした?」


「ちゃんと行きましたよ! 途中で抜け出しましたけど!」


「駄目じゃねえか」


 昼休みに俺の元に来たのは、五大変態の一人。

 名前は犬山いぬやまけん

 サッカー部のエースで、ヘタレわんこと言われて可愛がられているのだが、その中身は全く可愛くない。

 というか身長が百八十センチを超えている男が、俺はまず可愛いとは思えないのだが、誰かが言うには母性本能をくすぐられるらしい。

 母性本能と言うが、みんな男だ。その感情は絶対に気のせいだろう。


 そんなわけで見た目は大きな優男といった感じなのだが、中身は完全なストーカーである。

 その対象はもちろん姫で、犬山自身はご主人様と呼んでいる。

 本人に向かってもそう呼んでいるのだとしたら、メンタルが強い。姫という奴の印象も、かなり変わる。


「好きな人の傍にずっといたいです。最終的には一つになれれば幸せだと思いませんか?」


「一つにって、それは物理的にか?」


「はい。ドロドロに溶けてしまえれば、こんなに幸せなことなんて無いですよね」


「俺には理解出来ない考え方だな」


 犬山はヘタレわんこなだけあって、今のところは陰で見守っているようなストーカーなので、そこまで害は無い。

 たまに今日のように挨拶をしたりするらしいのだが、それ以上は恥ずかしくて出来ないと言っている。

 俺としてはストーカーしている時点で行動力はおかしい、でも様子見をしておくようにとの判断だった。


「うさぎ先生は好きな人はいないんですか? 恋人とか」


「そんなのがいたら、今こうして話なんて聞いてない」


「そうですか。でもうさぎ先生格好いいし、きっとより取り見取りですよね」


「お世辞を言うのは構わないが、分かりやすい嘘は逆に怒られるぞ」


「あ、すみません」


 やはりお世辞だったか。

 申し訳なさそうに謝ってきたので、俺は軽くおでこをデコピンしておいた。

 犬山はデコピンされたおでこを嬉しそうにさすっているから、たぶんマゾヒストだ。

 性格は穏やかで、この学園の生徒にしては珍しく敬語も使えるタイプなのに、色々と残念である。


 顔の怖さは自分でも分かっているし、お世辞にもより取り見取り出来る立場じゃない。

 しかもこの学園の養護教諭になってからは、更に出会いの場が少なくなっていた。

 一生独身コースじゃないかと心配になるが、それもまあ人生だ。



 ♢♢♢



 犬山が最初に保健室に来た時は、まさかここまでやばいとは全く思ってもみなかった。

 そもそも最初は、相談をしに来たのではなかったのだ。


「すみません。傷の手当てをしてもらってもいいですか?」


 サッカー部の練習中、足が引っかかってしまって転んだ犬山は、全身傷だらけで保健室に訪れた。


「おーおー。派手にやったな」


 傷だらけの血だらけ、とても痛々しい姿だったが、傷自体は深くなかったし骨折もしていなかった。

 俺は一つ一つ丁寧に治療をしていきながら、沈黙するのが嫌で話しかけた。


「名前は」


「えっと、犬山。犬山謙です」


「この傷は部活中にやったのか?」


「は、はい。そうです。ちょっと転んじゃって。いてて」


「ちょっと転んだってレベルじゃないけどな。この消毒液染みるからな。我慢しろ」


「はいっ! うっ!」


 いくら傷が浅かったとしても、たくさんあるから痛みはある。

 男だから我慢出来るだろうと、容赦なく治療していった。


「おし、出来た」


「ありがとうございます。いだっ」


 全ての治療を終わらせると、俺は合図するように肩を勢い良く叩いた。

 そこも傷があった気がするが、まあ重症じゃないから大丈夫だろう。

 苦笑いをしながらガーゼを押さえお礼を言う犬山は、どこからどう見ても好青年だった。

 ヘタレな感じはある。それでもきちんとお礼が出来るし、スポーツをやっているからか俺みたいな養護教諭にも年上だからと丁寧に接してくる。


 この学園の生徒はお礼すらまともに出来ないのもいるし、俺に対しても下に見ている奴が多い。

 あまりにも酷い奴には年上の恐ろしさってものを分からせるが、基本的には関わらないようにしている。

 俺は養護教諭なだけで、先生じゃない。わざわざ教えてやる義理は無いからだ。


 でも犬山は従順そうなので、俺は好印象を抱いた。


「……これじゃあ、ご主人様を見るのに支障がありそうだな」


 それはほんの小さな呟きだった。

 きっと俺に聞かせるつもりは無かった、ただの独り言。

 でも地獄耳の俺ははっきりと聞こえてしまい、そしてその意味を理解した。


 姫という生徒のことを、この時の俺はすでに知っていた。

 顔のいい奴を中心に、たくさんの生徒に好かれている。

 憧れ程度の軽いものから、犯罪レベルの重いものまで。

 そしてその重いのに何回か出くわしたことがあったので、すぐにピンと来たのだ。


「そのご主人様っていうのは、姫のことか?」


「ご主人様のことを知っているんですか? えーっと、うさぎ先生?」


 完全に鵜鷺という漢字が浮かんで無いようだが、教える必要は無いと流す。

 それよりも、もっと重要なことがあった。


「そのご主人様とやらを見られないというのは、どういう意味か俺に教えられるよな。犬山君とやらよお」


「は、はひ」


 まさか聞かれていると思わなかったようで、顔を引きつらせている。

 それで見逃してやるような優しさは持ち合わせていないから、俺は時間が許す限り全ての情報を吐き出させた。


 そこで分かったのが、ストーカーという性癖。

 ヘタレだとしても、被害者が訴えれば犯罪だ。

 心底面倒くさいと思ったけど、せっかくの仕事場をこんなに早く無くしたくはない。


 わんこ属性なら、手綱を握ればなんとかなるはず。

 そう考えて、俺は犬山を躾けることに決めた。



 ♢♢♢



 今はまだ躾の途中ではあるが、お手とお代わりは覚えたので上手くいっているはずだ。

 何かを間違えている気がしなくもない。

 でも本人も喜んでいるし、ストーカーのままで世間に出すよりはマシ、というように自分に言い聞かせている。

 好きな相手をご主人様と呼んでいるのだ。元々、そういうのが好きなのだろう。本当に将来が心配だ。


「うさぎ先生、今度ご主人様に首輪をつけてもらおうと思うんですけど、何色が良いですかね?」


「あー、まだ人間の尊厳を失いたくなければ首輪は止めておけ。躾もまだ途中だからな。中途半端な状態でご主人様をがっかりさせたくないだろう」


「そうですね! 俺、もう少し頑張ります!」


「おう。俺も協力するからな」


 素直に言うことを聞くから、五大変態の中で犬山が一番気に入っている。

 まるで昔飼っていた犬のようで、それも気に入っているポイントだ。




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