第44話
「……ガッ」
「オワリ……ダ……」
満身創痍でクルールで立ち上がることも出来ずに尻餅を付いて見上げると、ほぼ無傷のラクトが冷たい眼差しで見下ろしている。クルールの横には刀身が二つに折れた白銀の剣が転がっていた。
「……ふふふ、やっぱり凄いや。少しくらい近づけたかと思ってたけど、全然勝てる気がしない……」
「…………」
「あーあ、これでもし少しでも僕を殺すのに躊躇ったら、あの女を殺してやろうと思ってたの……本気で来るんだもん。剣も折れて、もうアイツに刺した跡も消えちゃったし、後は僕を殺せば全部解決だね」
嬉しそうで、泣きそうで、悔しそうな声でラクトに話しかける。そんな言葉を無視して、もう動けないクルールにラクトは一歩踏み込んだ。間違いなく宿っている殺気に満足気な顔をし、クルールは己の運命を受け入れようとする。
だが――
「……なんでだろ? ずっと望んでたはずなのに、どうして僕はこんなに未練があるんだろう?」
「…………」
何年も何年も待ち望んだ瞬間が訪れると言うのに、クルールの瞳からは涙が流れ、心のどこかでこの状況を否定している自分がいた。死にたくないわけじゃない。ただ、これが本当に望んだことだったのかが分からなくなっているのだ。
だがそれも、ラクトの無表情な金色の瞳を見て気が付く。
「ああ、そうか。僕は、本当はラクトに――」
何かを言おうとして、その言葉を心の中に止める。この言葉は、今の自分に言う資格などない。ゆっくり近づいてくるラクトを見上げながら、これまでの日々を思い出す。
死ぬために生きてきた。だがそれでも、ラクトやグリア、それに他の家族達と過ごした日々は色褪せることなく、
「――楽しかったなぁ……うん、本当に……楽しかった」
そしてラクトが目の前に立つ。殺すことに躊躇いなどほんのわずかもない、殺戮するために生まれてきたような悪魔だ。拳を見ると、輝きすら感じさせるほど強力な魔気が宿っていることが分かる。
きっと、これが振り落された瞬間、クルールは肉片一つ残らない。だが、それで良かった。それこそが自分の最後に相応しい。
「ばいばい、ラクト」
「…………シ――」
「駄目ェェェェェェ!!」
ラクトがクルールを殺そうとした瞬間、その腕に抱き付くようにレオナが飛びかかった。その突然の出来事に、世界を壊しかねない二人の悪魔は同時に驚愕を露わにする。
世界中の人間、悪魔問わず誰もが逃げて近寄ることの出来ない中で、何の力もない非力な少女が涙を流し恐怖に震えながらも、決してラクトの傍を離れようとしない。
「殺しちゃ駄目! あんたはリフォンさんと約束したんでしょ!? そんなことしても彼女を悲しませるだけ……ううん、私もあんたには殺しなんてして欲しくない!」
「……ア」
ただの少女を振り切るなど、ラクトにとっては簡単な事だ。ただ少し力を加えれば、レオナの拘束を外して、目の前の敵を滅ぼす事くらい簡単に出来る。
だと言うのに、全くといってもいいほど体に力が入らない。体を覆っていた魔気がまるでレオナに吸い込まれていくかのごとく、どんどん引いていくのが分かった。
「……レ、オ……ナ?」
「あんただって本当はこいつを殺したくなんてないんでしょ!? 家族なんでしょ!? だったら……だったらちゃんと言葉を話しなさいよぉぉ!」
「――ッ!?」
レオナの腰の入ったパンチがラクトの頬を叩く。それは決して力強い物ではない。だがそんな小鳥が囁くような一撃が、黒く染まった腕は人間のような肌色を取り戻し、金色に輝いていた瞳は黒く戻していく。
「そんなっ!?」
動けないクルールが驚愕の声を上げた。信じられない物を見る様に、レオナを睨みつける。
だがそれ以上に驚いた人物がいる。ラクトだ。正気を取り戻したのか、驚きに満ちた瞳でレオナを見た。
「……なんつー危ない真似、するんだよ。もし俺がお前にまで敵って認識してたらどうすんだ……」
「あんたの事、信じてるもん」
迷いのない、澄んだ瞳でそう言うものだから、ラクトは一瞬呆気に取られた顔をした後、盛大に笑いだした。そんな彼にレオナは恥かしいのか顔を赤らめ、憮然とした顔で両手をワタワタ動かす。
「な、なによ! いいじゃない、大丈夫だったんだし!」
「……ああ、そうだな。もう少しで俺は取り返しのつかないことをするとこだった」
「そうよ! 感謝しなさい!」
本気でそう思っているわけではないだろう。照れ隠しの為に言った言葉だが、ラクトは心の底から感謝をしていた。
「……ああ。ありがとう」
「ふえっ!? …………うん」
感謝の言葉と同時に、その小さな体を抱き締める。一瞬驚いた声をあげるレオナだが、嫌がる様子は見せず、素直にその抱擁を受け入れた。
二人の体は共に震えていた。それは失うかもしれない恐怖から。だがお互いそれを指摘せず、まるで寂しがりやの小鳥のように、互いの体温を分け与え続ける。
「ちょっと……離れていてくれ」
そして、しばらく二人無言で抱き締め合っていたが、互いに距離を取る。ラクトはレオナに背を向けると、視線を動けなくなったクルールに向け、レオナは心配そうにしながらも、徐々にクルールから距離を取った。
「クルール……」
「……なに?」
二人は見つめ合う。クルールの声に力はなく、もう何かをする力がないことは明白だ。
「俺はお前が許せない……だが、殺したいかと言われれば……きっと、殺したくない」
「……あ、そ。それで、完膚無きまでに負けた僕をどうするつもり? 一応言っておくけど、ここで僕を見逃したりしたら、一生その女を狙うよ」
クルールは顔だけをレオナに向けるも、殺気はなかった。そんな彼に負けないように、レオナも強気で睨み返す。そんな彼女をラクトは愛おしい者でも見る様に一瞥し、再び視線をクルールに合わせる。その顔は覚悟を決めた者の顔だ。
「それは絶対に許さない。だから、俺はお前は捕まえる。きっと二度と出て来れないし、実験と称されて殺されるかもしれない。けど、それでもこの世界のルールに従ってもらう。少なくとも、今の俺にはもう、家族を自分の手で殺すことなんて、出来そうにないからな」
「……最悪だよ。僕にとって、一番最悪の結果だ……だけど、どうせもう何も出来ないんだから、勝手にすれば?」
「そうさせてもらう」
そして、互いに力を抜いた。ラクトはこれ以上家族と殺し合うことを終えて、そしてクルールは張り詰めていた糸が切れて。
「……よかった」
そんな様子を、少し離れたところでレオナは見ていた。ラクトが殺しをしないでいてホッとする。ラクトは過去に縛られていた鎖を解き、クルールは狂気に満ちた顔を切り離し、レオナも生き延びた。それぞれが最もよい未来に向けて動き出せる。そう思って三者がそれぞれ警戒を解き、油断した瞬間――
「――アァァァァァ――!!!」
忘れられていた悪魔が動き出す。その標的は未だ力を備えているラクトでも、動けないクルールでもなく、何の力もないレオナ。
「えっ?」
「なっ!?」
「あっ――」
ガブリと、まるで漫画のようにコミカルな音が、リングベルトの街に響き渡った。吸血鬼となったレジーナが、レオナの首にその牙を突き立てた。そして、まるで生気を失ったようにレオナの顔から血の気が引いていき、体から力が抜けていく。
「――ッ!」
声にならない叫びがラクトから零れた。慌ててレジーナを殴り飛ばす。その一撃で、完全に意識を失ったのか吸血鬼はピクリとも動かなくなった。
「おいレオナ……起きろよ……なあ、なあって!?」
ラクトが瞳に涙を蓄えながらレオナに声をかけるが、目を閉じて起きない。彼女の体からは力が抜け、だらんと横たわる事しか出来ないでいた。脈はだんだん弱くなり、徐々に生命力が失われていく。
「頼むよ……死なないでくれよ……なあ、レオナァ!!」
満月の夜は、まだ終わっていなかった。
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